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灰燼十万巻(丸善炎上の記)(かいじんじゅうまんかん(まるぜんえんじょうのき))

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-23 16:05:19  点击:  切换到繁體中文


 此のシーボルトの『動植物譜』は先年倫敦の某稀覯書肆から買入れたのが丸善の誇りの一つであったが、之が焼けて了ったのだ。
『片無しかネ?』
『片無しでもありません。今、其処で植物(フロラ)を発見(みつ)けましたが、動物(ファウンナ)が見付かりません。』
 と、Kがステッキで指さすを見ると、革の表紙が取れて、タイトル・ページが泥塗れになったシーボルトが無残に黒い灰の上に横たわっていた。が、断片零紙も惜むべき此種の名著は、縦令若干の焼け損じがあっても、一部のフロラが略ぼ揃える事が出来たなら猶お大に貴重するに足る。之を尽く灰として了わなかったは有繋(さすが)の悪魔の猛火も名著を滅ぼすを惜んだのであろう。
『リンスホーテンもこんなになって了いました、』とKは懐ろからバラ/\になった焼焦だらけの紙片を出して見せ、『落ちてたのを之だけ拾って来ました。』
 リンスホーテンの『東印度旅行記』――原名を"Navigatio ac itinerarivm"と云い、一五九九年ヘーゲの出版である。比の貴重なる初版が日本の図書館に有る乎無い乎は疑問である。
『ジェシュートの書翰集は?』
『あれは無論駄目です。あの棚のものは悉皆焼けて了いました。』
 此書翰集こそ真に惜むべき貴重書であった。原名を"Cartas que los padres y hermaos de la Compania de Iesus, que andan en los reynos de Iapon"と云い、日本に在留したザビール初めアルメイダ、フェルナンデス、アコスタ等エズイット派の僧侶が本国に寄せた天文十八年(エズイット派が初めて渡来した年)から元亀二年(南蛮寺創設後三年)までの通信八十八通を集めたもので、一五七五年即ち天正三年アルカラ(西班牙(スペイン))の出版である。殊に此書は欧羅巴刊行の書籍中漢字を組入れた嚆矢としてビブリオファイルに頗る珍重される稀覯書である。
 帝国大学の図書室で第一の稀覯書として珍重するは所謂"Jesuit press"と称する是等のバテレンが本国へ送った通信であって、蒐集の量も又決して少く無いから、或は此書翰集も大学に収蔵されてるかも知れないが、大学を外にしては日本では他の図書館或は蒐集家の文庫に此稀覯書を発見し得る乎怎う乎、頗る掛念である。
 丸善は新書の供給を旨としておる。無論、日本では猶だ外国の稀覯書を珍重するほどの程度に達していないから、此の如き稀覯書を外国から仰いで積んで置く事は出来無いが、猶且容易に手に入れる事の出来ない此種の珍本も数十点あった。之が皆灰となって了った。
 稀覯書というでは無いが、ベンガルの亜細亜協会の雑誌(一八三二年創刊?)の第一号から一九〇五年分までが揃っていた。亜細亜協会は東洋各地に設立されてるが、就中ベンガルは最も古い創立で、他の亜細亜協会の雑誌よりもヨリ多く重要なる論文に富み、東洋殊に印度学の研究の大宝庫として貴重されておる。其価は金一千二百円で、雑誌としては甚だ不廉のようであるが、七十四年間の雑誌を揃えるは頗る至難であって、仮令二千円三千円を出した処で今日直ちは揃え得られるものでは無い。僅か十年かそこらの日本の雑誌ですらも容易に揃えられないのは雑誌を集めた経験ある人には能く解る。況してや七十四年間の外国雑誌は長い間に何度も繰返して重複したものを買集めなければ揃えられないので、恐らく此雑誌も全部揃ったは日本に幾何も無いであろう。之が尽く灰となって了った。
『目録も焼けたろうネ?』
『焼けました。あれが焼けて了ったのが一番残念です、』とKは愈々憮然たる顔をした。
 目録というは売品では無い。営業上の参考書である。が、丸善が最も誇るべきものゝ一つは此外国の各種の目録で、Kが専ら其衝に当って前後十何年の丹精を費やした努力の賜であった。
 図書館の設備と書店の用意とは自ずから異なってるから、丸善に備えつけた目録を図書館に需めるは不当であろうが、日本の普通図書館には求められない特殊の外国書目が丸善には準備されているのだ。尤も書肆であるから学術上の貴重なる書目を尽く揃えていたわけでは無いが、試に其の一つ二つを云えば、Heinsius "Bucher-Lexicon"が一七〇〇年から一八九二年まで二百年間尽く揃っていた。ロレンツの仏蘭西書目が一八四〇年から今月まで六十年間全部揃っていた。レイボールドの『米国書目』は米国書目中の貴重書として珍重されて時価著るしく騰貴しているが、此の貴い書目も丸善の誇りの一つであった。学術上から云ったら余り貴くないかも知れぬが左に右く恁ういう日本には珍らしい書目が十数種あった。
 現行書目にしも、英独仏露伊西以外、和蘭、瑞西、波蘭、瑞典、那威、澳太利、匈牙利、葡萄牙、墨西哥、アルゼンチン、将た印度、波斯、中央亜細亜あたりまでの各国書目を一と通り揃えていた。無論日本の分類書目的の普通目録であるが、恁ういう交通の少ない国の書目は最も普通のものでも猶お珍奇とするに足る。
 其他各国大学又は図書館協会或は学会等、及びクワーリッチ、ヒールセマン等英仏独蘭の稀覯書肆から出版した各種の稀覯書目録[#以下の括弧内割注](欧羅巴の稀覯書肆の特別刊行の書目は細密なる分類を施こし且往々解題を加え或はファクシミルを挿入する故書史学者の参考として最も珍重すべきものである。)が数百種あった。凡そ是等の特種書目は三百部乃至五百部を限るゆえ再び之を獲る事は決して出来ないのだ。
 無論、是等の書目の多くは日々の営業上必要なものでなく、大抵高閣に束ねて滅多に参考する事は無いが、外国書籍の知識を得る為めには絶好の資料であった。我々が外国古文学又は特殊の書籍又は稀覯書等に就て知らんとするに方って普通の目録や書籍歴史では決して得られない知識を探り得られる是等の含蓄多き貴重なる書目の滅亡は真に悲むべきであった。
 Kと一緒に暫らく灰燼の中を左視右顧しつゝ悵然(ちょうぜん)として焼跡を去りかねていた。
 四壁の書架は尽く焼燼して一片紙の残るものだに無かった。日本の思想界を賑わしたトルストイもニーチェもワイニンゲルもストリンドベルグもハウプトマンもアンドレーフもアナトール・フランスも皆跡もなく猛火の餌食となって了った。近代的装釘技術の標本として屡々人に示したクレーマー出版の『ウェルタール・ウント・メンシハイト』の精巧細緻なレザーの模範的装釘も痕跡だになく亡び、此頃での大出版と云われる剣橋(ケンブリッジ)現代史も尚だ到着したばかりの十四冊物百数十部即ち凡そ二千冊が大抵灰燼となって、僅に残存した数十冊が表帋(ひょうし)は破れ周囲は焦げて惨澹たる猛火の名残を留めていた。
 眇たる丸善の損害は幾何でも無いが、一万三千余種八万巻の書冊は其数量に於てこそ堂々たる大図書館の十分一将た二十分一にも過ぎないが、其質に於ては大図書館にこそ及ばざれ、尋常普通の文庫に勝るものがあった。之を区々一商店の損失として金銭を以て算当すべきでは無かろう。
 古来焚書の厄は屡々歴史に散見する。殊にアレキサンドリアの文庫の滅亡は惨絶凄絶を極めて、永く後世をして転た浩嘆せしめる。近頃之を後人の仮作とする史家の説もあるが、聖経、詩賦、文章、歴史等古代の文献が尽く猛火の餌食となって焔々天を焦がし、尊いマニュスクリプトを焚いて風呂まで沸かしたというに到っては匹夫の手に果てたる英雄の最期を聞く如き感がある。一書肆の災を以て歴史上の大事件に比するは倫を失したもので聊か滑稽に類するかも知れないが、昨日までは金銀五彩の美くしいのを誇った書冊が目のあたりに灰となり泥となってるを見、現に千金を値いする大美術書を足下に踏まえてるを気が付くと、人世無常の感に堪えない。彼処には"Indian Archives"が炭のように焼けておる。此処にはロガンの"Journal of Indian Archipelago"が黒き灰文字となって僅かに面影を残しておる。見よ、心なき消火夫か泥草鞋もて蹂躙(ふみにじ)りつゝ行く方三尺の淡彩図を。嗚呼、是れシラギントワイトの『西蔵探険記』の挿図に非ず哉。五十年前初めて入蔵した此強胆なる学者の報告は芝居気満々たる山伏坊主の冒険小説に非ざる地理学上の大貢献であって、今日猶お東方研究の三墳五典として貴重されておる。此大著述も亦日本に幾何も存在しないだろうが、シカモ其の幾何も存在しない中の一部は此の如や半ば焼かれて此の如く泥草鞋に蹂躙られつゝある。嗚呼是れ何たる惨事であろう。
 此満目傷心の惨状に感慨禁ずる能わず、暫らくは焼けた材木の上を飛び/\、余熱に煽られつゝ彼方此方に佇立低徊していた。其中に面会者があると云って呼びに来たので、何の書断片であるかは知らないが満文蒙文或るは瓜哇文の散紙狼藉たる中を、タイプライターの赤く焼けた残骸二ツ三ツが無残に転がってるを横に見つゝ新築家屋の事務所へ戻ると、人声が四壁に反響して騒然、喧然、雑然、囂然(ごうぜん)、其処ら此処らで見舞物を開いて蜜柑を頬張るもの、煎餅を噛るもの、海苔巻を手に持つもの、各々言罵りてワヤ/\と騒いでいた。中には両手に余るほどの煎餅を懐ろに捻込みつゝ更に蜜柑の箱に吶喊するものもあった。茶碗酒を呷(あお)りながら蜜柑の一と箱を此方へよこせと※くものもあった。古今の英雄の詩、美人の歌、聖賢の経典、碩儒の大著、人間の貴い脳漿を迸ばらした十万巻の書冊が一片業火に亡びて焦土となったを知らず顔に、渠等はバッカスの祭りの祝酒に酔うが如くに笑い興じていた。
 重役の二三人は新聞記者に包囲されていた。自分に特に面会を求めたのも新聞記者であって、或人は損害の程度を訊いた。或人は保険の額を訊いた。或人は営業開始の時期を訊いた。或人は焼けた書籍の中の特記すべきものを訊いた。或人は丸善の火災が文明に及ぼす影響などゝ云う大問題を提起した。中には又突拍子もない質問を提出したものもあった。曰く、『焼けた本の目録はありますか?』
 丸善は如何に機敏でも常から焼けるのを待構えて、焼けるべく予想する本の目録を作って置かない。又焼けてから半日経たぬ間に焼けた本の目録を作るは丸善のような遅鈍な商人には決して出来ない。概算一万三千種の書目を作るは十人のタイピストが掛っても二日や三日では出来るものではない。恐らく此記者先生は丸善を雑誌屋とでも思ったのであろう。此質問一ヵ条を持出して、『目録は出来ていません』と答えると直ぐ『さよなら』と帰って了った。
 見舞人は続々来た。受附の店員は代る/″\に頭を下げていた。丁度印刷が出来て来た答礼の葉書の上書きを五人の店員が精々(せっせ)と書いていた。其間に広告屋が来る。呉服屋が来る。家具屋が来る。瓦斯会社が来る。交換局が来る。保険会社が来る。麦酒の箱が積まれる。薦被りが転がり込む。鮨や麺麭や菓子や煎餅が間断(しっきり)なしに持込まれて、代る/″\に箱が開いたかと思うと咄嗟に空になった了った。
 誰一人沈(じっ)としているものは無い。腰を掛けたかと思うと立つ。甲に話しているかと思うと何時の間にか乙と談じている。一つ咄が多勢に取繰返し引繰返しされて、十人ばかりの咄を一つに纏めて組立て直さないと少しも解らなかった。一同はワヤ/\ガヤ/\して満室の空気を動揺し、半分黒焦げになったりポンプの水を被ったりした商品、歪げたり破れたりしたボール箱の一と山、半破れの椅子や腰掛、ブリキの湯沸し、セメント樽、煉瓦石、材木の端片、ビールの空壜、蜜柑の皮、紙屑、縄切れ、泥草履と、塵溜を顛覆返したように散乱ってる中を煤けた顔をした異形な扮装の店員が往ったり来たりして、次第々々に薄れ行く夕暮となった。

――明治四十一年十二月十一日、火災の翌日記――  



 



底本:「魯庵の明治」山口昌男、坪内祐三編、講談社文芸文庫、講談社
   1997(平成9)年5月9日初版発行
底本の親本:「内田魯庵全集第六巻」ゆまに書房
   1984(昭和59)年11月20日初版発行
※第3第4水準にもない「口へん+斗」は、「角川新字源改訂版」によれば、「叫の誤字」とある。
※「狼籍」は、底本、底本の親本でもともに、こう表記されている。本ファイル中では「狼籍[#ママ]」とした。底本、底本の親本ともに、一箇所だけ「狼藉」とあるところは、本ファイルでもそのままとし、特別な注記は行わなかった。
※「掘」と思われるところが、底本、底本の親本でもともに「堀」とされている。本ファイルでは「堀[#ママ]」とした。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:斉藤省二
校正:松永正敏
ファイル作成:野口英司
2001年5月19日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


●表記について

本文中の「/\」は、二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)。
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」。

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

暢気に郊外でも※※(ぶらつ)きたくなる天気
煙の中を※※いつゝ、

第3水準1-84-33、第3水準1-84-32
※鼠(はりねずみ)のような頭の

第4水準2-80-43
奥蔵の※間を

第3水準1-85-86
蒐集した画※(がよう)等、

第3水準1-92-27
スタインの和※(コータン)発堀

第3水準1-93-54
此方へよこせと※くものもあった。

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