四
その日は終日暑かった。日が暮れてから私は裏手の畑のあいだを散歩していると、倉沢もあとから来た。
「君、例の西瓜畑の跡というのを見せようか。昔はまったく空地にしてあったのだが、今日の世の中にそんなことを言っちゃあいられない。僕はしきりに親父に勧めて、この頃はそこら一面を茶畑にしてしまったのだ。」
彼は先に立って案内してくれたが、成程そこらは一面の茶畑で、西瓜の蔓が絡み合っていた昔のおもかげは見いだされなかった。広い空地に草をしげらせて、蛇や蛙の棲家にして置くよりも、こうすれば立派な畑になると、彼はそこらを指さして得意らしく説明した。その畑も次第に夕闇の底にかくれて、涼しい風が虫の声と共に流れて来た。
「おお、涼しい。」と、わたしは思わず言った。
「東京と違って、さすがに日が暮れるとずっと凌ぎよくなるよ。」
こう言いかけて、倉沢はうす暗い畑の向うを透かして視た。
「あ、横田君が来た。どうしてこんな方へ廻って来たのだろう。僕たちのあとを追っかけて来たのかな。」
「え、横田君……。」と、私もおなじ方角を見まわした。「どこに横田君がいるのだ。」
「それ、あすこに立っているじゃあないか。君には見えないか。」
「見えない、誰も見えないね。」
「あすこにいるよ。白い服を着て、麦わら帽をかぶって……。」と、彼は畑のあいだから伸び上がるようにして指さした。
しかも、わたしの眼にはなんにも見えなかった。横田というのは、東京の××新聞の社員で、去年からこの静岡の支局詰めを命ぜられた青年記者である。学生時代から倉沢を知っているというので、ここの家へも遊びに来る。わたしも倉沢の紹介で、このあいだから懇意になった。その横田がたずねて来るのに不思議はないが、その人の姿がわたしの眼にはみえないのである。倉沢は何を言っているのかと、わたしは少しく烟に巻かれたようにぼんやりしていると、彼はわたしを置去りにして、その人を迎えるように足早に進んで行ったかと思うと、やがて続けてその人の名を呼んだ。
「横田君……横田君……。おや、おかしいな。どうしたろう。」
「君は何か見間違えているのだよ。」と、わたしは彼に注意した。「横田君は初めから来ていやあしないよ。」
「いや、確かにそこに立っていたのだが……。」
「だって、そこにいないのが証拠じゃないか。」と、わたしはあざけるように笑った。「君のいわゆる『群衆妄覚』ならば、僕の眼にも見えそうなものだが……。僕にはなんにも見えなかったよ。」
倉沢はだまって、ただ不思議そうに考えていた。どこから飛んで来たのか、一匹の秋の蛍が弱い光りをひいて、彼の鼻のさきを掠めて通ったかと見るうちに、やがてその影は地に落ちて消えた。
それから三日の後に、わたしは倉沢の家を立去って京都へ行った。彼は停車場まで送って来て、月末の廿九日午前にはきっと帰って来てくれと、再び念を押して別れた。
京都に着いて、わたしは倉沢のところへ絵ハガキを送ったが、それに対して何の返事もなかった。彼が平生の筆不精を知っている私は、別にそれを怪しみもしなかった。
廿九日、その日は二百十日を眼のまえに控えて、なんだか暴れ模様の曇った日で、汽車のなかは随分蒸し暑かった。午前十一時をすこし過ぎたころに静岡の駅に着いて、汗をふきながら汽車を降りると、プラットフォームの人混みのなかに、倉沢の家の若い雇人の顔がみえた。彼はすぐ駈けて来て、わたしのカバンを受取ってくれた。
つづいて横田君の姿が見えた。かれは麦わら帽をかぶって、白い洋服を着ていた。出迎えの二人は簡単に挨拶したばかりで、ほとんど無言でわたしを案内して、停車場の前にあるカフェー式の休憩所へ連れ込んだ。
注文のソーダ水の来るあいだに、横田君はまず口を切った。
「たぶん間違いはあるまいと思っていましたが、それでもあなたの顔が見えるまでは内々心配していました。早速ですが、きょうは午後二時から倉沢家の葬式で……。」
「葬式……。誰が亡くなったのですか。」
「倉沢小一郎君が……。」
わたしは声が出ないほどに驚かされた。雇人は無言で俯向いていた。女給が運んで来た三つのコップは、徒らにわれわれの眼さきに列べられてあるばかりであった。
「あなたが京都へお立ちになった翌々日でした。」と、横田君はつづけて話した。「倉沢君は町へ遊びに出たといって、日の暮れがたに私の支局へたずねて来てくれたので、××軒という洋食屋へ行って、一緒にゆう飯を食ったのですが、その時に倉沢君は西瓜を注文して……。」
「西瓜を……。」と、わたしは訊き返した。
「そうです。西瓜に氷をかけて食ったのです。わたしも一緒に食いました。そうして無事に別れたのですが、その夜なかに倉沢君は下痢を起して、直腸カタルという診断で医師の治療を受けていたのです。それで一旦はよほど快方にむかったようでしたが、廿日過ぎから又悪くなって、とうとう赤痢のような症状になって……。いや、まだ本当に赤痢とまでは決定しないうちに、おとといの午後六時ごろにいけなくなってしまいました。西瓜を食ったのが悪かったのだといいますが、その晩××軒で西瓜を食ったものは他にも五、六人ありましたし、現にわたしも倉沢君と一緒に食ったのですが、ほかの者はみな無事で、倉沢君だけがこんな事になるというのは、やはり胃腸が弱っていたのでしょう。なにしろ夢のような出来事で驚きました。早速京都の方へ電報をかけようと思ったのですが、あなたから来たハガキがどうしても見えないのです。それでも倉沢君が息をひき取る前に、あなたは廿九日の午前十一時ごろにきっと来るから、葬式はその日の午後に営んでくれと言い残したそうで……。それを頼りに、お待ち申していたのです。」
わたしの頭は混乱してしまって、何と言っていいか判らなかった。その混乱のあいだにも私の眼についたのは、横田君の白い服と麦わら帽であった。
「あなたは倉沢君と××軒へ行ったときにも、やはりその服を着ておいででしたか。」
「そうです。」と、横田君はうなずいた。
「帽子もその麦藁で……。」
「そうです。」と、彼は又うなずいた。
麦わら帽に白の夏服、それが横田君の一帳羅であるかも知れない。したがって、横田君といえばその麦わら帽と白い服を連想するのかも知れない。さきの夜、倉沢が一種の幻覚のように横田君のすがたを認めた時に、麦わら帽と白い服を見たのは当然であるかも知れない。しかもその幻覚にあらわれた横田君と一緒に西瓜を食って、彼の若い命を縮めてしまったのは、単なる偶然とばかりは言い得ないような気もするのである。
かれが東京で西瓜をしばしば食ったことは、わたしも知っている。しかも静岡ではなるべく遠慮していると言ったにも拘らず、彼は横田君と一緒に西瓜を食ったのである。群衆妄覚をふりまわして、稲城家の怪事を頭から蹴散らしてしまった彼自身が、まさかに迷信の虜となって、西瓜に祟られたとも思われない。これもまた単なる偶然であろうか。
彼はわたしに向って、八月廿九日の午前には必ず帰ってくれといった。その廿九日の午前に帰って来て、あたかもその葬式の間に合ったのである。わたしは約束を守ってこの日に帰って来たのを、せめてもの幸いであるとも思った。
そんなことをいろいろ考えながら、わたしは横田君らと共に、休憩所の前から自動車に乗込むと、天候はいよいよ不穏になって、どうでも一度は暴れそうな空の色が、わたしの暗い心をおびやかした。
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