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青蛙堂鬼談(せいあどうきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-27 9:48:57  点击:  切换到繁體中文

底本: 影を踏まれた女 岡本綺堂怪談集
出版社: 光文社時代小説文庫、光文社
初版発行日: 1988(昭和63)年10月20日

 

 青蛙神せいあじん


     一

「速達!」
 三月三日のひるごろに、一通の速達郵便がわたしの家の玄関に投げ込まれた。

 拝啓。春雪霏々ひひ、このゆうべに一会なかるべけんやと存じ候。万障を排して、本日午後五時頃より御参会くだされたく、ほかにも五、六名の同席者あるべくと存じ候。但し例の俳句会には無之これなく候。
 まずは右御案内まで、早々、不一ふいつ
    三月三日朝

青蛙堂主人


 話の順序として、まずこの差出人の青蛙堂主人について少し語らなければならない。の中のかわずという意味で、井蛙せいあと号する人はめずらしくないが、青いという字をかぶらせた青蛙せいあ[#「青蛙」は底本では「井蛙」]の号はすくないらしい。彼は本姓を梅沢君といって、年はもう四十を五つ六つも越えているが、非常に気の若い、元気のいい男である。その職業は弁護士であるが、十年ほど前から法律事務所の看板をはずしてしまって、今では日本橋辺のある大商店の顧問という格で納まっている。ほかにも三、四の会社に関係して、相談役とか監査役とかいう肩書を所持している。まずは一廉ひとかどの当世紳士である。梅沢君は若いときから俳句の趣味があったが、七、八年前からいよくその趣味が深くなって、忙しいひまをぬすんで所々の句会へも出席する。自宅でも句会をひらく。俳句の雅号を金華きんかと称して、あっぱれの宗匠顔をしているのである。
 梅沢君は四、五年前に、支那から帰った人のみやげとして広東製の竹細工を貰った。それは日本ではとても見られないような巨大な竹の根をくりぬいて、一匹の大きい蝦蟆がまを拵らえたものであるが、そのがまかなえのような三本足であった。一本の足はあやまって折れたのではない、初めから三本の足であるべく作られたものに相違ないので、梅沢君も不思議に思った。呉れた人にもその訳はわからなかった。いずれにしても面白いものだというので、梅沢君はそのがまを座敷の床の間に這わせておくと、ある支那通の人が教えてくれた。
「それは普通のがまではない。青蛙というものだ。」
 その人はしん阮葵生げんきせいの書いた「茶余客話」という書物を持って来て、梅沢君に説明して聞かせた。
 それにはこういうことが漢文で書いてあった。
 ――杭州に金華将軍なるものあり。けだし青蛙の二字の訛りにして、その物はきわめて蛙に類す。ただ三足なるのみ。そのあらわるるは、多く夏秋のこうにあり。くだるところの家は※(「禾+朮」、第3水準1-89-42)じゅっしゅ一盂を以てし、その一方を欠いてこれを祀る。その物その傍らに盤踞ばんきょして飲みくらわず、しかもその皮膚はおのずから青より黄となり、さらに赤となる。祀るものは将軍すでに酔えりといい、それを盤にのせて湧金ゆうきん門外の金華太侯の廟内に送れば、たちまちにその姿を見うしなう。而して、その家は数日の中に必ずるところあり。云々うんぬん――。
 これで三本足のがまの由来はわかった。それのみならず更に梅沢君をよろこばせたのは、その霊あるがまが金華将軍と呼ばれることであった。梅沢君の俳号を金華というのに、あたかもそこへ金華将軍の青蛙が這い込んで来たのは、まことに不思議な因縁であるというので、梅沢君はその以来大いにこのがまを珍重することになって、ある書家にたのんで青蛙堂という額を書いてもらった。自分自身も青蛙堂主人と号するようになった。
 その青蛙堂からの案内をうけて、わたしは躊躇した。案内状にも書いてある通り、きょうは朝から細かい雪が降っている。主人はこの雪をみて俄かに今夜の会合を思い立ったのであろうが、青蛙堂は小石川の切支丹坂をのぼって、昼でも薄暗いような木立ちの奥にある。こういう日のゆう方からそこへ出かけるのは、往きはともあれ、かえりが難儀だと少しく恐れたからである。例の俳句会ならば無論に欠席するのであるが、それではないとわざわざ断り書きがしてある以上、何かほかに趣向があるのかも知れない。三月三日でも梅沢君に雛祭りをするような女の子はない。まさかに桜田浪士の追悼会を催すわけでもあるまい。そんなことを考えているうちに、いい塩梅あんばいに雪も小降りになって来たらしいので、わたしは思い切って出かけることにした。
 午後四時頃からそろそろと出る支度をはじめると、あいにくに雪はまたはげしく降り出して来た。その景色を見てわたしはまた躊躇したが、ええ構わずにゆけと度胸を据えて、とうとう真っ白な道を踏んで出た。小石川の竹早町で電車にわかれて、藤坂を降りる、切支丹坂をのぼる、この雪の日にはかなりに難儀な道中をつづけて、ともかくも青蛙堂まで無事にたどり着くと、もう七、八人の先客があつまっていた。
「それでも皆んなえらいよ。この天気にこの場所じゃあ、せいぜい五、六人だろうと思っていたところが、もう七、八人も来ている。まだ四、五人は来るらしい。どうも案外の盛会になったよ。」と、青蛙堂主人は、ひどく嬉しそうな顔をして私を迎えた。
 二階へ案内されて、十畳と八畳をぶちぬきの座敷へ通されて、さて先客の人々を見わたすと、そのなかの三人ほどを除いては、みな私の見識らない人たちばかりであった。学者らしい人もある。実業家らしい人もある。切髪の上品なお婆さんもいた。そうかと思うと、まだ若い学生のような人もある。なんだか得体えたいのわからない会合であると思いながら、まずひと通りの挨拶をして座に着いて、顔なじみの人たちと二つ三つ世間話などをしているうちに、私のあとからまた二、三人の客が来た。そのひとりは識っている人であったが、ほかの二人はどこの何という人だが判らなかった。
 やがて主人から、この天気にようこそというような挨拶があって、それから一座の人々を順々に紹介した。それが済んで、酒が出る、料理の膳が出る。雪はすこし衰えたが、それでも休みなしに白い影を飛ばしているのが、二階の硝子戸越しにうかがわれた。あまりに酒を好む人がないとみえて酒宴は案外に早く片付いて、さらに下座敷の広間へ案内されて、煙草をすって、あついレモン茶をすすって、しばらく休息していると、主人は勿体らしくしわぶきして一同に声をかけた。
「実はこのような晩にわざわざお越しを願いましたのはほかでもございません。近頃わたくしは俳句以外、怪談に興味を持ちまして、ひそかに研究しております。就きましては一夕いっせき怪談会を催しまして、皆さまの御高話を是非拝聴いたしたいと存じておりましたところ、あたかもきょうは春の雪、怪談には雨の夜の方がふさわしいかとも存じましたが、雪の宵もまた興あることと考えまして、急に思いついてお呼び立て申したような次第でございます。わたくしばかりでなく、これにも聴き手が控えておりますから、どうか皆さまに、一席ずつ珍しいお話をねがいたいと存しますが、いかがでございましょうか。」
 主人が指さす床の間の正面には、かの竹細工の三本足のがまが大きくうずくまっていて、その前には支那焼らしい酒壺が供えてある。欄間には青蛙堂と大きく書いた額が掛かっている。主人のほかに、この青蛙を聴き手として、われわれはこれから怪談を一席ずつ弁じなければならないことになったのである。雛祭りの夜に怪談会を催すも変っているが、その聴き手には三本足の金華将軍が控えているなどは、いよいよ奇抜である。主人の注文に対して、どの人も無言のうちに承諾の色目をみせたが、さて自分からまず進んでその皮切りを勤めようという者もない。たがいに顔をみあわせて譲り合っているような形であるので、主人の方から催促するように第一番に出る人を指名することになった。
「星崎さん。いかがでしょう。あなたからまず何かお話し下さるわけには……。この青蛙をわたくしに教えて下すったのはあなたですから、その御縁であなたからまず願いましょう。今晩は特殊の催しですから、そういう材料をたくさんお持ちあわせの方々ばかりを選んでお招き申したのですが、誰か一番に口を切るかたがないと、やはり遠慮勝になってお話が進行しませんようですから。」
 真先に引き出された星崎さんというのは、五十ぐらいの紳士である。かれは薄白くなっているひげをなでながら微笑した。
「なるほどそう言われると、この床の間の置物にはわたしが縁のふかい方かも知れません。わたしは商売の都合で、若いときには五年ほども上海の支店に勤めていたことがあります。その後にも二年に一度ぐらいは必ず支那へゆくことがあるので、支那の南北は大抵遍歴しました。そういうわけで支那の事情もすこしは知っています。御主人が唯今おっしやった通り、その青蛙の説明をいたしたのも私です。」
「それですから、今夜のお話はどうしてもあなたからお始めください。」と、主人はかさねて促した。
「では、皆さまを差措いて、失礼ながら私が前座を勤めることにしましょう。一体この青蛙に対する伝説は杭州地方ばかりでなく、広東地方でも青蛙神といって尊崇しているようです。したがって、昔から青蛙についてはいろいろの伝説が残っています。勿論、その多くは怪談ですから、ちょうど今夜の席上にはふさわしいかも知れません。その伝説のなかでも成るべく風変わりのものをちょっとお話し申しましょう。」
 星崎さんはひと膝ゆすり出て、まず一座の人々の顔をしずかに見まわした。その態度がよほど場馴れているらしいので、わたしも一種の興味をそそられて、思わずその人の方に向き直った。

 支那の地名や人名は皆さんにお馴染みが薄くて、却って話の興をそぐかと思いますから、なるべく固有名詞は省略して申上げることにしましょう。と、星崎さんは劈頭へきとうにまず断った。
 時代はみんの末で、天下が大いに乱れんとする時のお話だと思ってください。江南の金陵、すなわち南京の城内に張訓という武人があった。ある時、その城をあずかっている将軍が饗宴をひらいて、列席の武官と文官一同に詩や絵や文章を自筆でかいた扇子一本ずつをくれた。一同ひどく有難がって、めいめいにひらいてみる。張訓もおなじく押し頂いてひらいて見ると、どうしたわけか自分の貰った扇だけは白扇で、なにも書いてない。裏にも表にも無い。これには甚だ失望したが、この場合、上役の人に対して、それを言うのも礼を失うと思ったので、張訓はなにげなくお礼を申して、ほかの人たちと一緒に退出した。しかし何だか面白くないので、家へ帰るとすぐにその妻に話した。
「将軍も一度にたくさんの扇をかいたので、きっと書き落したに相違ない。それがあいにくにおれに当ったのだ。とんだ貧乏くじをひいたものだ。」
 詰まらなそうに溜息をついていると、妻も一旦は顔の色を陰らせた。妻はことし十九で三年前から張と夫婦になったもので、小作りで色の白い、右の眉のはずれに大きいほくろのある、まことに可愛らしい女であったが、夫の話をきいて少し考えているうちに、まただんだんにいつもの晴れやかな可愛らしい顔に戻って、かれは夫を慰めるように言った。
「それはあなたのおっしゃる通り、将軍は別に悪意があってなされた事ではなく、たくさんのなかですから、きっとお書き落しになったに相違ありません。あとで気がつけば取換えて下さるでしょう。いいえ、きっと取換えてくださいます。」
「しかし気がつくかしら。」
「なにかのはずみに思い出すことがないとも限りません。それについて、もし将軍から何かお尋ねでもありましたら、そのときには遠慮なく、正直にお答えをなさる方がようございます。」
「むむ。」
 夫は気のない返事をして、その晩はまずそのままで寝てしまった。それから二日ほど経つと、張訓は将軍の前によび出された。
「おい。このあいだの晩、おまえにやった扇には何が書いてあったな。」
 こう訊かれて、張訓は正直に答えた。
「実は頂戴の扇面には何にも書いてございませんでした。」
「なにも書いてない。」と、将軍はしばらく考えていたが、やがて、しずかにうなずいた。「なるほど、そうだったかも知れない。それは気の毒なことをした。では、その代りにこれを上げよう。」
 前に貰ったのよりも遥かに上等な扇子に、将軍が手ずから七言絶句しちごんぜっくを書いたのをくれたので、張訓はよろこんで頂戴して帰って、自慢らしく妻にみせると、妻もおなじように喜んだ。
「それだから、わたくしが言ったのです。将軍はなかなか物覚えのいいかたですから。」
「そうだ、まったく物覚えがいい。大勢のなかで、どうして白扇がおれの手にはいったことを知っていたのかな。」
 そうは言っても、別に深く詮索せんさくするほどのことではないので、それはまずそのままで済んでしまった。それから半年ほど経つと、かの闖賊ちんぞくという怖ろしい賊軍が蜂起して、江北は大いに乱れて来たので、南方でも警戒しなければならない。太平が久しくつづいて、誰も武具の用意が十分であるまいというので、将軍から部下の者一同に鎧一着ずつを分配してくれることになった。張訓もその分配をうけたが、その鎧がまた悪い。古い鎧が破れている。それをかかえて、家へ帰って、またもや妻に愚痴をこぼした。
「こんなものが、大事のときの役に立つものか。いっそ紙の鎧を着た方がましだ。」
 すると、妻はまた慰めるように言った。
「それは将軍が一々にあらためて渡したわけでもないのでしょうから、あとで気がつけばきっと取換えて下さるでしょう。」
「そうかも知れないな。いつかの扇子の例もあるから。」
 そう言っていると、果して二、三日の後に、張訓は将軍のまえに呼び出されて、この間の鎧はどうであったかと、またかれた。張訓はやはり正直に答えると、将軍は子細ありげに眉をよせて、張の顔をじっと眺めていたが、やがてことばをあらためて訊いた。
「おまえの家では何かの神を祭っているか。」
「いえ、一向に不信心でございまして、なんの神ほとけも祭っておりません。」
「どうも不思議だな。」
 将軍のひたいの皺はいよいよ深くなった。そのうちに何を思い付いたか、かれはまた訊いた。
「おまえの妻はどんな女だ。」
 突然の問いに、張訓はいささか面喰らったが、これは隠すべき筋でもないので、正直に自分の妻の年頃や人相などを申立てると、将軍は更に訊いた。
「そうして、右の眉の下に大きいほくろはないか。」
「よく御存じで……。」と、張訓もおどろいた。
「むむ、知っている。」と、将軍は大きくうなずいた。「おまえの妻はこれまで、二度もおれの枕もとへ来た。」
 驚いて、呆れて、張訓はしばらく相手の顔をぼんやりと見つめていると、将軍も不思議そうにその子細を説明して聞かせた。
「実は半年ほど前に、おまえ達を呼んでおれの扇子をやったことがある。その明くる晩のことだ。ひとりの女がおれの枕もとへ来て、昨日張訓に下さいました扇子は白扇でございました。どうぞ御直筆のものとお取換えをねがいますと、言うかと思うと夢がさめた。そこで、念のためにお前をよんで訊いてみると、果してその通りだという。そのときにも少し不思議に思ったが、まずそのままにしておくと、またぞろその女がゆうべも来て、先日張訓に下さいました鎧は朽ち破れていて物の用にも立ちません。どうぞしかるべき品とお取換えをねがいますと言う。そこで、おまえに訊いてみると、今度もまたその通りだ。あまりに不思議がつづくので、もしやと思って詮議すると、その女はまさしくお前の妻だ。年ごろといい、人相といい、眉の下のほくろまでが寸分たがわないのだから、もう疑う余地はない。おまえの妻はいったいどういう人間だか知らないが、どうも不思議だな。」
 子細をきいて、張訓もいよいよ呆れた。
「まったく不思議でございます。よく詮議をいたしてみましょう。」
「いずれにしても鎧は換えてやる。これを持ってゆけ。」
 将軍から立派な鎧をわたされて、張訓はそれをかかえて退出したが、頭はぼんやりして半分は夢のような心持であった。三年越し連れ添って、なんの変ったこともない貞淑な妻が、どうしてそんな事をしたのか。さりとて将軍の詞に嘘があろうとは思われない。家へ帰る途中でいろいろ考えてみると、なるほど思い当ることがある。半年前の扇子の時にも、今度の鎧の問題にも、妻はいつでも先を見越したようなことを言って自分を慰めてくれる。それがどうもおかしい。たしかに不思議だ。これは一と詮議しなければならないと、張訓は急いで帰ってくると、妻はその鎧を眼早く見つけてにっこり笑った。
 その可愛らしい笑い顔は鬼とも魔とも変化へんげとも見えないので、張訓はまた迷った。しかし彼のうたがいはまだ解けない。殊に将軍の手前に対しても、なんとかこの解決を付けなければならないと思ったので、かれは妻を一とへ呼び込んで、まずその夢の一条を話すと、妻も不思議そうな顔をして聞いていた。そうして、こんなことを言った。
「いつかの扇子のときも、今度の鎧についても、あなたは大層心もちを悪くしておいでのようでしたから、どうかしてお心持の直るようにして上げたいと、わたくしも心から念じていました。その真心が天に通じて、自然にそんな不思議があらわれたのかも知れません。わたくしも自分の念がとどいて嬉しゅうございます。」
 そう言われてみると、夫もその上に踏み込んで詮議の仕様もない。唯わが妻のまごころを感謝するほかはないので、結局その場はうやむやに済んでしまったが、張訓はどうも気が済まない。その後も注意して妻の挙動をうかがっているうちに、前にも言う通りのわけで世の中はだんだんに騒がしくなる。将軍も軍務に忙しいので、張訓の妻のことなどを詮議してもいられなくなった。張訓もまた自分の務めが忙しいので、朝は早く出て、夕はおそく帰る。こうして半月あまりを暮していると、五月にはいって梅雨が毎日ふり続く。それも今日はめずらしく午後から小やみになって、夕方には薄青い空の色がみえて来た。
 張訓も今日はめずらしく自分の仕事が早く片付いて、まだ日の暮れ切らないうちに帰ってくると、いつもはすぐに出迎えをする妻がどうしてか姿を見せない。内へはいって庭の方をふとみると、庭の隅には大きい柘榴ざくろの木があって、その花は火の燃えるように紅く咲きみだれている。妻はその花の蔭に身をかがめて、なにか一心にながめているらしいので、張訓はそっと庭に降り立って、ぬき足をして妻のうしろに近寄ると、柘榴の木の下には大きいがまが傲然としてうずくまっている。その前に酒壺をそなえて、妻は何事をか念じているらしい。張訓はこの奇怪なありさまに胸をとどろかしてなおも注意して窺うと、そのがまは青い苔のような色をして、しかも三本足であった。
 それが例の青蛙であることを知っていたら、何事もなしに済んだかも知れなかったが、張訓は武人で、青蛙神も金華将軍もなんにも知らなかった。かれの眼に映ったのは自分の妻が奇怪な三本足のがまを拝している姿だけである。このあいだからの疑いが初めて解けたような心持で、かれはたちまちに自分の剣をぬいたかと思うと、若い妻は背中から胸を突き透されて、ほとんど声を立てる間もなしに柘榴の木の下に倒れた。その死骸の上に紅い花がはらはらと散った。
 張訓はしばらく夢のように突っ立っていたが、やがて気がついて見まわすと、三本足のがまはどこへか影を隠してしまって、自分の足もとにころげているのは妻の死骸ばかりである。それをじっと眺めているうちに、かれは自分の短慮を悔むような気にもなった。妻の挙動は確かに奇怪なものに相違なかったが、ともかくも一応の詮議をした上で、生かすとも殺すとも相当の処置を取るべきであったのに、一途いちずにはやまって成敗してしまったのはあまりに短慮であったとも思われた。しかし今更どうにもならないので、かれは妻のなきがらの始末をして、翌日それをひそかに将軍に報告すると、将軍はうなずいた。
「おまえの妻はやはり一種の鬼であったのだ。」

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