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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)02 石灯籠

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 9:30:21  点击:  切换到繁體中文


     二

「きのうの夕方、石町こくちょうの暮れ六ツが丁度きこえる頃でしたろう」と、お竹はなにか怖い物でも見たように声をひそめて話した。「この格子ががらりと明いたと思うと、お菊さんが黙って、すうっとはいって来たんですよ。ほかの女中達はみんな台所でお夜食の支度をしている最中でしたから、そこにいたのはわたしだけでした。わたしが『お菊さん』と思わず声をかけると、お菊さんはこっちをちょいと振り向いたばかりで、奥の居間の方へずんずん行ってしまいました。そのうちに奥で『おや、お菊かえ』というおかみさんの声がしたかと思うと、おかみさんが奥から出て来て『お菊はそこらに居ないか』と訊くんでしょう。わたしが『いいえ、存じません』と云うと、おかみさんは変な顔をして『だって、今そこへ来たじゃあないか。探して御覧』と云う。わたしも、おかみさんと一緒になって家中うちじゅうを探して見たんですけれども、お菊さんの影も形も見えないんです。店には番頭さん達もみんないましたし、台所には女中達もいたんですけれども、誰もお菊さんの出はいりを見た者はないと云うんでしょう。庭から出たかと思うんですけれども、木戸は内からちゃんと閉め切ってあるままで、ここから出たらしい様子もないんです。まだ不思議なことは、初めにはいって来た格子のなかに、お菊さんの下駄が脱いだままになって残っているじゃありませんか。今度は跣足はだしで出て行ったんでしょうか。それが第一わかりませんわ」
「お菊さんはその時にどんな服装なりをしていたね」と、半七はかんがえながら訊いた。
「おとといこの家を出たときの通りでした。黄八丈きはちじょうの着物をきて藤色の頭巾ずきんをかぶって……」
 白子屋のお熊が引廻しの馬の上に黄八丈のあわれな姿をさらしてこのかた、若い娘の黄八丈は一時まったくすたれたが、このごろは又だんだんはやり出して、出世前のむすめも芝居で見るお駒を真似るのがちらほらと眼について来た。襟付の黄八丈に緋鹿子ひかのこの帯をしめた可愛らしい下町したまちの娘すがたを、半七は頭のなかに描き出した。
「お菊さんは家を出るときには頭巾をかぶっていたのかね」
「ええ、藤色縮緬ちりめんの……」
 この返事は半七を少し失望させた。それから何か紛失物でもあったのかと訊くと、お竹は別にそんなことも無いようだと云った。なにしろ、ほんのわずかの間で、おかみさんが奥の八畳の居間に坐っていると、襖が細目に明いたらしいので、何ごころなく振り向くと、かの黄八丈の綿入れに藤色の頭巾をかぶった娘の姿がちらりと見えた。驚きと喜びとで思わず声をかけると、襖はふたたび音もなしに閉じられた。娘はどこかへ消えてしまったのである。もしや何処かで非業ひごう最期さいごを遂げて、その魂が自分の生まれた家へ迷って帰ったのかとも思われるが、彼女は確かに格子をあけてはいって来た。しかも生きている者の証拠として、泥の付いた下駄を格子のなかへのこして行った。
一昨日おととい浅草へ行った時に、娘はどこかで清さんに逢やあしなかったか」と、半七はまた訊いた。
「いいえ」
「隠しちゃあいけねえ。おめえの顔にちゃんと書いてある。娘と番頭は前から打ち合わせがしてあって、奥山の茶屋か何かで逢ったろう。どうだ」
 お竹は隠し切れないでとうとう白状した。お菊は若い番頭の清次郎とうから情交わけがあって、ときどき外で忍び逢っている。おとといの観音詣りも無論そのためで、待ち合わせていた清次郎と一緒にお菊は奥山の或る茶屋へはいった。取り持ち役のお竹はその場をはずして、観音の境内を半時はんときばかりも遊びあるいていた。それから再び茶屋へ帰ってくると、二人はもう見えなかった。茶屋の女の話によると、男は一と足先に帰って、娘はやがて後から出た。茶代は娘が払って行った。
「それからわたしもそこらを探して歩いたんですけれども、お菊さんはどうしても見えないんです。もしや先へ帰ったのかと思って、わたしも急いでうちへ帰ってくると、家へもやっぱり帰っていないんでしょう。内所ないしょで清さんに訊いて見たんですけれども、あの人も一と足先へ帰ったあとで、なんにも知らないと云うんです。でも、おかみさんにほんとうのことは云えませんから、途中ではぐれたことにしてあるんですが、清さんもわたしも、おとといから内々どんなに心配しているか知れないんです。ゆうべ帰って来て、やれ嬉しやと思うとすぐにまた消えてしまって……。一体どうしたんだか、まるで見当が付きません」
 おろおろ声でお竹がささやくのを、半七は黙って聴いていた。
「なに、今に判るだろう。おかみさんにも、番頭さんにも、あまり心配しねえように云って置くがいい。きょうはこれで帰るから」
 半七は神田へ帰って親分にこの話をすると、吉五郎は首をかしげて、その番頭が怪しいぜと云った。しかし半七は正直な清次郎を疑う気にはなれなかった。
「いくら正直だって、主人のむすめと不埒を働くような野郎だもの、何をするか判るもんか。あした行ったらその番頭を引っぱたいてみろ」と、吉五郎は云った。
 その明くる朝の四ツ(十時)頃に半七が重ねて菊村の店へ見廻りにゆくと、店の前には大勢の人が立っていた。大勢は何かひそひそささやきながら好奇と不安の眼をけわしくして内をのぞき込んでいた。近所の犬までが大勢の足の下をくぐって仔細ありげにうろついていた。裏へまわって格子をあけると、狭い沓脱くつぬぎは草履や下駄で埋められていた。お竹は泣き顔をしてすぐ出て来た。
「おい。何かあったのかい」
「おかみさんが殺されて……」
 お竹は声を立てて泣き出した。半七もさすがに呆気あっけに取られた。
「誰に殺されたんだ」
 返事もしないでお竹はまた泣き出した。すかしておどしてその仔細をきくと、女あるじのお寅はゆうべ何者にか殺されたのである。表向きは何者か判らないと云っているが、実は娘のお菊が手をくだしたのである。お竹はたしかにそれを見たと云った。お竹ばかりでなく、女中のお豊もお勝も、おなじくお菊の姿を見たとのことであった。
 果たしてそれが偽りでなければ、お菊は云うまでもなく親殺しの罪人である。事件は非常に重大なものとなって半七の前にあらわれた。今まではさのみ珍らしくもない町家の娘と奉公人の色事と多寡たかをくくっていた半七は、この重大事件にぶつかって少し面喰らった。
「だが、こういう時に腕を見せなけりゃあいけねえ」と、年の若い彼は努めて勇気をふるい興した。
 娘はさきおととい行くえ不明となった。それがおとといの晩、ふらりと帰って来て、すぐに又その姿を隠してしまった。そうしてゆうべまた帰って来たかと思うと、今度は母を殺して逃げた。これには余程こみいった事情がまつわっていなければならないと想像された。
「そうして、娘はどうした」
「どうしたか判らないんです」と、お竹はまた泣いた。
 かれが泣きながら訴えるのを聞くと、ゆうべも前夜とおなじともし頃に、お菊はわが家へおなじ形を現わした。今度はどこからはいって来たか判らなかったが、奥でおかみさんが突然に「おや、お菊……」と叫んだ。つづいておかみさんが悲鳴をあげた。お竹とほかの女中二人がおどろいて駈けつけた時に、縁側へするりと抜け出してゆくお菊のうしろ姿が見えた。お菊はやはり黄八丈を着て、藤色の頭巾をかぶっていた。
 三人はお菊を取押えるよりも、まずおかみさんの方に眼を向けなければならなかった。お寅は左の乳の下を刺されて虫の息で倒れていた。畳の上には一面に紅い泉が流れていた。三人はきゃっと叫んで立ちすくんでしまった。店の人達もこの声におどろいてみんな駈け付けて来た。
「お菊が……お菊が……」
 お寅は微かにこう云ったらしいが、その以上のことは誰の耳にも聴き取れなかった。彼女は大勢が唯うろたえているうちに息を引き取ってしまった。ちょう役人連名で訴えて出ると、すぐに検視の役人が来た。お寅の傷口は鋭い匕首あいくちのようなもので深くえぐられていることが発見された。
 家内の者はみな調べられた。うっかりしたことを口外して店の暖簾のれんに疵を付けてはならないという遠慮から、誰も下手人げしゅにんを知らないと答えた。しかし娘のお菊が居合わせないということが役人たちの注意をひいたらしい。お菊と情交わけのあることを発見された清次郎は、その場からすぐに引っ立てられて行った。お竹にはまだ何の沙汰さたもないが、いずれ町内預けになるだろうと、彼女は生きている空もないように恐れおののいていた。
「飛んだことになったもんだ」と、半七は思わず溜息をついた。
「わたしはどうなるでしょう」と、お竹はまきぞえの罪がどれほどに重いかをひたすらに恐れているらしかった。そうして「わたし、もういっそ死んでしまいたい」などと狂女のように泣き悲しんでいた。
「馬鹿云っちゃあいけねえ。おめえは大事の証人じゃねえか」と、半七は叱るように云った。
「いずれ御用聞きが一緒に来たろうが、誰が来た」
「なんでも源太郎さんとかいう人だそうです」
「むむ、そうか。瀬戸物町か」
 源太郎は瀬戸物町に住んでいる古顔の岡っ引で、好い子分も大勢もっている。一番こいつの鼻をあかして俺の親分に手柄をさしてやりたいと、半七の胸には強い競争の念が火のように燃え上がった。併しどこから手を着けていいのか、彼もすぐには見当が付かなかった。
「ゆうべも娘は頭巾をかぶっていたんだね」
「ええ。やっぱりいつもの藤色でした」
「さっきの話じゃあ、娘はどさくさまぎれに縁側へ抜け出して、それから行くえが知れねえんだね。おい、木戸をあけておいらを庭口へ廻らしてくれねえか」と、半七は云った。
 お竹が奥へ取次いだとみえて、大番頭の重蔵が眼をくぼませて出て来た。
「どうも御苦労様でございます。どうぞ直ぐにこちらへ……」
「飛んだこってしたね。お取り込みの中へずかずかはいるのも良くねえから、すぐに庭口へ廻ろうと思ったんですが、それじゃあ御免を蒙ります」
 半七は奥へ案内されて、お寅の血のあとがまだ乾かない八畳の居間へ通った。彼がかねて知っている通り、縁側は北に向っていて、前には十坪ばかりの小庭があった。庭には綺麗に手入れが行きとどいていて、雪釣りの松や霜除けの芭蕉が冬らしい庭の色を作っていた。
「縁側の雨戸はいていたんですか」と、半七は訊いた。
「雨戸はみんな閉めてあったんですが、その手水鉢ちょうずばちの前だけが、いつも一枚細目にあけてありますので……」と、案内して来た重蔵は説明した。「勿論それは宵の内だけで、寝る時分にはぴったり閉めてしまいます」
 半七は無言で高い松のこずえをみあげた。闖入者はこの松を伝って来たものらしくも思われなかった。忍び返しの竹にも損所はなかった。
「ずいぶん高い塀ですね」
「はい、ゆうべもお役人衆が御覧になって、この高い塀を乗り越して来るのは容易でない。と云って、梯子はしごをかけた様子もなし、松を伝って来たらしくも思われない。これは庭口から忍び込んだのではあるまいと仰しゃいました。併しどこからはいったにしましても、出る時はこの庭口から出たに相違ないように思われますが、木戸のじょうは内から固くおろしたままになっていますので、何処をどうして出て行ったかさっぱり判りません」と、重蔵はくもった眼をいよいよ陰らせて、無意味にそこらを見廻していた。
「左様さ。忍び返しにも疵をつけず、松の枝にもさわらずに、この高塀を乗り越すというのは生優なまやさしいことじゃあねえ」
 どう考えても、これは町家の娘などに出来そうな芸ではなかった。曲者はよほど経験に富んだ奴に相違ないと半七は鑑定した。併しその場へ駈けつけた三人の女は、たしかにお菊のうしろ姿を見たという。それには何かの錯誤あやまりがなければならないと彼は又かんがえた。
 彼は更に念のために、庭下駄を穿いて狭い庭の隅々を見まわると、庭の東の隅には大きい石燈籠が立っていた。よほど時代が経っていると見えて、笠も台石も蒼黒いこけのころもに隙き間なく包まれていた。一種の湿気しっけを帯びた苔の匂いが、この老舗しにせの古い歴史を語るようにも見えた。
「好い石燈籠だ。近頃にこれをいじりましたか」と、半七は何げなく訊いた。
「いいえ、昔から誰も手を着けたことはありません。こんなに見事に苔が付いているから、滅多めったにさわっちゃいけないと、お内儀かみさんからもやかましく云われていますので……」
「そうですか」
 滅多にさわることを禁じられているという古い石燈籠の笠の上に、人の足あとが微かに残っていることを、半七はふと見つけ出したのであった。あつい青苔の表は小さい爪先の跡だけ軽く踏みにじられていた。

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