二
「親分。こりゃあ何でしょう」
「判らねえ。なにしろ、そっちの箱を明けてみろ」
熊蔵は無気味そうに第二の箱をあけると、その中からも油紙のようなものに鄭重に包まれた一個の首が転げ出した。併しそれは人間の首でなかった。短い角と大きい口と牙とをもっていて、龍とも蛇とも判断が付かないような一種奇怪な動物の頭であった。これも肉は黒く枯れて、木か石のように固くなっていた。
奇怪な発見がこんなに続いて、二人は少なからずおびやかされた。
熊蔵は彼を香具師だろうと云った。得体のわからない人間の首を持ちあるいて、見世物の種にでもするのだろうと解釈した。しかし飽くまでも彼を武士と信じている半七は、素直にその説を受け入れることが出来なかった。それならば彼はなんの為にこんなものを抱え歩いているのだろう。しかも何故それを湯屋の二階番の女などに軽々しく預けて置くのであろう。この二品は一体なんであろう。半七の知恵でこの謎を解こうとするのは頗る困難であった。
「こいつあいけねえ、ちょっとはなかなか判らねえ」
番台で咳払いをする声がきこえたので、二階の二人はあわててこの疑問の二品を箱へしまって、着物戸棚へ元のように押し込んで置いた。獅子の囃子も遠くなって、お吉は外から帰って来た。武士も濡れ手拭をさげて二階へ昇って来た。半七は素知らぬ顔をして茶を飲んでいた。
お吉は半七の顔を識っていたので、武士にそっと注意したらしい。彼は隅の方に坐ったままで何も口を利かなかった。熊蔵は半七の袖をひいて、一緒に下へ降りて来た。
「お吉が変な目付きをしたんで、野郎すっかり固くなって用心しているようだから、きょうはとても駄目だろう」と、半七は云った。
熊蔵は忌々しそうにささやいた。「なにしろ、あの二品をどうするか、私がよく気をつけています」
「もう一人の奴というのはまだ来ねえんだね」
「きょうはどうしたか遅いようですよ」
「なにしろ気をつけてくれ、頼むぜ」
半七はそれから赤坂の方へ用達に廻った。初春の賑やかな往来をあるきながらも、彼は絶えずこの疑問の鍵をみいだすことに頭を苦しめたが、どうも右から左に適当な判断が付かなかった。
「まさか魔法使いでもあるめえ。あんな物を持ち廻って、何か祈祷か呪いでもするか、それとも御禁制の切支丹か」
黒船以来、宗門改めも一層厳重になっている。もしかれらが切支丹宗門の徒であるとすれば、これも見逃がすことは出来ない。どっちにしても眼を放されない奴らだと半七はかんがえていた。赤坂から家へ帰って、その晩は無事に寝る。と、あくる朝のまだ薄暗いうち、かの湯屋熊が又飛び込んで来た。
「親分、大変だ。大変だ。あいつらがとうとう遣りゃがった。こっちの手遅れで口惜しいことをしてしまった」
熊蔵の報告によると、ゆうべ同町内の伊勢屋という質屋へ浪人風の二人組の押し込みがはいって、例の軍用金を云い立てに有り金を出せと云った。こっちで素直に渡さなかったので、かれらは大刀をふり廻して主人と番頭に手を負わせた。そうして、そこらに有合わせた金を八十両ほど引っさらって行った。覆面していたから判然とは判らないが、かれらの人相や年頃が彼の二人の怪しい武士に符合していると、熊蔵は付け加えた。
「どうしても彼奴らですよ。わっしの二階を足溜りにして奴らはそこらを荒して歩くつもりに相違ありませんぜ。早く何とかしなけりゃあなりますめえ」
「そいつは打捨って置けねえな」と、半七も考えていた。
「打捨って置けませんとも……。そのうちに他から手でも着けられた日にゃあ、親分ばかりじゃねえ、この湯屋熊の面が立ちませんからね」
そう云われると、半七も落ち着いていられなくなった。自分が一旦手を着けかけた仕事を、ほかの者にさらって行かれるのは如何にも口惜しい。と云って、無証拠のものを無暗に召捕るわけには行かなかった。まして相手は武士である。迂濶に手を出して、飛んだ逆捻を食ってはならないとも思った。
「なにしろ、おめえは家へ帰って、その武士がきょう来るかどうだか気をつけろ。おれも支度をしてあとから行く」
熊蔵を帰して、半七はすぐに朝飯を食った。それから身支度をして愛宕下へ出かけて行ったが、その途中に少し寄り道をする用があるので、日蔭町の方へ廻ってゆくと、会津屋という刀屋の前に一人の若い武士が腰を掛けて、なにか番頭と掛け合っているらしかった。ふと見ると、その武士はきのう湯屋の二階で初めて出逢った怪しい箱の持ち主であった。
半七は立ち停まってじっと視ていると、武士はやがて番頭から金をうけ取って、早々にこの店を出て行った。すぐにその後を尾けようかとも思ったが、なにか手がかりを探り出すこともあろうと、彼は引っ返して会津屋の店へはいった。
「お早うございます」
「神田の親分、お早うございます」
番頭は半七の顔を識っていた。
「春になってから馬鹿に冷えますね」と、半七は店に腰をかけた。「つかねえことを訊き申すようだが、今ここを出た武家はお馴染の人ですかえ」
「いいえ、初めて見えた方です。こんなものを持ち歩いて、そこらで二、三軒ことわられたそうですが、とうとう私の家へ押し付けて行ってしまったんですよ」と、番頭は苦笑いをしていた。その傍には何か油紙に包んだ硬ばった物が横たえてあった。
「何ですえ、それは……」
「こんなもので……」
油紙をあけると、そのなかから薄黒い泥まぶれの魚のようなものが現われた。それは刀の柄や鞘を巻く泥鮫であると番頭が説明した。
「鮫の皮ですか。こうして見ると、随分きたないもんですね」
「まだ仕上げの済まない泥鮫ですからね」と、番頭はそのきたない鮫の皮を打返して見せた。
「御承知の通り、この鮫の皮はたいてい異国の遠い島から来るんですが、みんな泥だらけのまま送って来て、こっちで洗ったり磨いたりして初めてまっ白な綺麗なものになるんですが、その仕上げがなかなか面倒でしてね。それに迂濶するとひどい損をします。なにしろこの通り泥だらけで来るんですから、すっかり仕上げて見ないうちは、傷があるか血暈があるか能く判りません。傷はまあ好いんですが、血暈という奴がまことに困るんです。なんでも鮫を突き殺した時に、その生血が皮に沁み着くんだそうですが、これが幾ら洗っても磨いても脱けないので困るんです。まっ白な鮫の肌に薄黒い点が着いていちゃあ売物になりませんからね。勿論そういうものは漆をかけて誤魔かしますが、白鮫にくらべると半分値にもなりません。十枚も束になっている中には、きっとこの血暈のある奴が三、四枚ぐらい混っていますから、こっちもそのつもりで平均の値で引き取るんですが、どうしても仕上げて見なければ、その血暈が見付からないんだから困ります」
「成程ねえ」と半七も感心したようにうなずいてみせた。この薄ぎたない鮫の皮が玉のように白く美しい柄巻になろうとは、素人にちょっと思い付かないことであった。
「あのお武家が、これを売りに来たんですかえ」と、半七は鮫の皮を打ち返して見た。
「長崎の方で買ったんだそうで、相当の値段に引き取ってくれという掛け合いなんです。わたしの方も商売ですから引き取ってもいいんですが、いくらお武家でも素人の持って来たものは何だか不安ですし、おまけにこのとおりの泥鮫で、たった一枚というんですから、もし血暈でも付いている奴を背負い込んだ日にゃ迷惑ですからね。まあ一旦は断わったんですが、幾らでもいいからと頻りに口説かれて、とうとう廉く引き取るようなことになりまして……。あとで主人に叱られるかも知れません。へへへへへ」
余程ひどく踏み倒したと見えて、番頭はその引き取り値段を云わなかった。半七の方でも訊かなかった。それにしても彼の武士が持って来るものは、どれもこれも変なものばかりである。第一に干枯びた人間の首、奇怪な動物の頭、それからこのきたない泥鮫の皮……。どうしてもこれには仔細がありそうに思われた。
「いや、どうもお邪魔をしました」
小僧が汲んで来た番茶を一杯飲んで、半七は会津屋の店を出た。それからすぐに愛宕下の湯屋へゆくと、熊蔵は待ち兼ねたように飛び出して来た。
「親分、きのうの若けえ野郎は先刻ちょいと来て、又すぐに出て行きましたよ」
「なにか抱えていやしなかったか」
「なんだか知らねえが、長っ細い風呂敷包みを持っていましたよ」
「そうか。おれは途中でそいつに逢った。そこでもう一人の方はどうした」
「背の高い奴はきょうも来ませんよ」
「じゃあ、熊。気の毒だがその伊勢屋とかいう質屋へ行って、金のほかに何を奪られたか、よく訊いて来てくれ」
こう云い置いて二階へあがると、火鉢の前にお吉がぼんやり坐っていた。半七が二日もつづけてくるので、彼女もなんだか不安らしい眼付きをしていたが、それでも笑顔を粧って愛想よく挨拶した。
「親分、いらっしゃいまし。どうもお寒うございますこと」
茶や菓子を出して頻りにちやほやするのを、半七は好い加減にあしらいながら先ず煙草を一服すった。それから毎日邪魔をするからと云って幾らかの銀を包んでやった。
「毎度ありがとうございます」
「時におふくろも兄貴も達者かえ」
お吉の兄は左官で、阿母はもう五十を越しているということを半七は識っていた。
「はい、おかげさまで、みんな達者でございます」
「兄貴はまだ若いから格別だが、阿母はもう好い年だそうだ。むかしから云う通り、孝行をしたい時には親は無しだ。今のうちに親孝行をたんとしておくがいいぜ」
「はい」と、お吉は顔を紅くして俯向いていた。
それがなんだか恥かしいような、気が咎めるような、おびえたような風にも見えたので、半七も畳みかけて冗談らしくこう云った。
「ところが、この頃はちっと浮気を始めたという噂だぜ。ほんとうかい」
「あら、親分……」と、お吉はいよいよ顔を紅くした。
「でも、去年から遊びにくる二人連れの武士の一人と、おめえが大変心安くすると云って、だいぶ評判が高けえようだぜ」
「まあ」
「何がまあだ。そこでお前に訊きてえのは他じゃねえ。あのお武士衆は一体どこのお屋敷だえ。西国の衆らしいね」
「そんな話でございますよ」と、お吉はあいまいな返事をしていた。
「それからおめえ気の毒だが、そのうちに番屋へちょいと来てもらうかも知れねえから、そのつもりでいてくんねえよ」
嚇すように云われて、お吉はまたおびえた。
「親分。なんの御用でございます」
「あの二人の武士に就いてのことだが、それとも番屋まで足を運ばねえで、ここで何もかも云ってくれるかえ」
お吉はからだを固くして黙っていた。
「え、あの二人の商売はなんだえ。いくら勤番者だって、暮も正月も毎日毎日湯屋の二階にばかり転がっている訳のものじゃあねえ。何かほかに商売があるんだろう。なに、知らねえことはねえ。おめえはきっと知っている筈だ。正直に云ってくんねえか。一体あの戸棚にあずかってある箱はなんだえ」
紅い顔を水色に染めかえて、お吉はおどおどしていた。
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