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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)07 奥女中

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 9:36:18  点击:  切换到繁體中文


     二

 神経のふるえているお蝶はとても安々と寝つかれる筈はなかった。生まれてから一度も寝たことのない衾や蒲団の柔か味が、却ってかれに異様の肌障りをあたえて、ふわふわと宙に浮いているような一種の不安を感じさせた。おまけに其の晩は蒸し暑かったので、かれの額や首筋にはねばるよう気味の悪い汗がにじみ出した。お蝶は長い紅いふさのついている枕のうえに、幾たびか重い頭の置きどこを取り替えてみた。
 そのあいだに何刻なんどきほど経ったか。かれはもとより記憶していなかったが、唯さえ静かな家中がしんとして、夜ももう余ほど更けているらしいと思う頃に、次の間の畳を滑るような足音が微かに響いた。お喋は惣身そうみの血が一度に凍るように感じられて、あわてて衾を深くかぶって枕の上に俯伏してしまうと、墨塗りのふちをつけた大きい襖がさらりとあいたらしく思われて、着物の裾を永く曳いているような響きが枕に薄く伝わった。お蝶は息をのみ込んでいた。
 はいって来たものは薄暗い行燈のわきすうと立って、白い蚊帳越しにお蝶の寝顔を覗いているらしかった。生き血を吸いに来たのか、骨をしゃぶりに来たのかと、お蝶はもう半分死んだもののようになって、一心に衾の袖にしがみ付いていると、やがてその衣摺きぬずれの音は次の間へ消えて行ったらしかった。怖い夢から醒めたように、お蝶は寝衣ねまきの袂で額の汗をふきながらそっと眼をあいて窺うと、襖は元のように閉まっていて、蚊帳のそとには蚊の鳴き声さえも聞えなかった。
 明け方になって陽気がすこし涼しくなると、宵からの気疲れでお蝶はさすがにうとうとと眠った。眼がさめると枕もとにはゆうべの女たちが行儀よく控えていて、さらにお蝶の着物を着替えさせてくれた。蒔絵の手水盥ちょうずだらいを持って来て顔を洗わせてくれた。あさ飯が済むと、このあいだの女がまた出て来た。
「さぞ窮屈でもあろうが、もう少しの辛抱でござりますぞ。退屈であろう、ちっとお庭でも歩いてみませぬか。わたし達が案内します」
 女たちに左右を取りまかれて、お蝶は庭下駄をはいて広い庭に降りた。植込みの間をくぐってゆくと、そこには物凄いような大きい池が青い水草を一面にうかべて、みぎわには青いすすきや葦が伸びていた。この古池の底には大きいなまずぬしが住んでいると、一人の女が教えてくれたのでお蝶はぞっとした。
「しッ」と、例の女が急に注意をあたえた。「池の方を見ておいでなさい。傍視わきみをしてはなりませぬぞ」
 何者かが何処かで自分を窺っているのだと気がついて、お蝶も急に身を固くした。主のひそんでいるという恐ろしい池を覗いたままで、彼女はしばらく突っ立っていると、やがてその警戒も解けたらしく、女たちはまた打ちくつろいでしずかにあるき出した。
 もとの座敷へ戻ると、お喋はまた一刻いっときばかりの休息をあたえられた。女たちは草双紙などを持って来て貸してくれた。午飯がすむと、一人の女が来て琴をひいた。六月はじめの暑い日に、決して縁側の障子をあけることは許されなかった。襖も無論に閉め切ってあった。お蝶はていの好い座敷牢のようなありさまで長い日を暮した。夕方になると、ゆうべの通りに湯殿へ案内されて、帰ってくると今夜は別の着物に着かえさせられた。あかりがつくと、机の前にまた坐らせられた。今夜は誰も忍んで来て窺っているらしい様子は見えなかったが、それでもお蝶はまだまだ油断ができなかった。
「今夜もまた何か来るかしら」
 おびえた魂をかかえて、彼女は今夜も四ツ頃から蚊帳にはいると、その晩は宵から細かい雨がしとしとと降り出して池の蛙がしきりに鳴いていた。お蝶はやはり眠られなかった。夜もだんだんにけて来たと思われる頃になると、自然か、人の仕業しわざか、枕もとの行燈がしだいにうす暗くなって来たので、お蝶は眼をかすかに明いてそっと窺うと、白い襖から抜け出して来たような一種の白い影が、白い蚊帳のそとをまぼろしのように立ち迷っていた。
「あ、幽霊……」と、お蝶は慌てて衾をかぶってしまった。そうして、ふだんから信仰する観音様や水天宮様を口のうちで一心に念じていた。小半刻も経ってから彼女は怖々のぞいて見ると、白いまぼろしはいつか消えていて、どこかで一番鶏の鳴く声がきこえた。
 夜があけると、すべてきのうの通りに、顔を洗って、髪をあげて、化粧をして、あさ飯が済むと庭へ連れ出された。夜になると、机のまえに坐らせられて、蚊帳にはいると、今夜も幽霊のようなものが枕もとへ迷って来た。そうした窮屈と恐怖とに夜も昼も責められて、それが七日八日とつづくうちにお蝶は自分が幽霊のように痩せ衰えて来た。
「こんな苦しみをするくらいならば、いっそ死んだほうがましだ」
 彼女はしまいにはこう覚悟して、このあいだの女にむかって是非一度は家へ帰してくれと泣いて頼んだ。女もひどく困ったらしい顔をしていたが、悪くすると古池へ身でも投げそうなお蝶の決心に動かされたらしく、十日目の夕方には、とうとう一旦は帰れという許可をあたえた。
「併しこの事は決して他言はなりませぬぞ。またそのうちに迎いに行くかも知れませぬが、その時はどうぞ来てくれるように……。今から頼んで置きますぞ」
 さもなければ帰すことはならないと云うので、お喋もよんどころ無しに承知して、きっとまたまいりますと心にもない誓いを立てた。女はいろいろ心配をかけて気の毒であったと云って、奉書の紙につつんだ目録をくれた。日が暮れてあたりが薄暗くなった頃に、お蝶は目隠しをさせられた。口には猿轡をまされた。来た時とおなじような乗物に乗せられた。人通りの少ないところを選んで浜町河岸まで揺られてくると、石置き場のまえで彼女を乗物からおろして、からの乗物をかついだ男達は逃げるように何処へか立ち去った。
 お蝶は狐が落ちた人のようにぼんやりと突っ立っていたが、急にまた何だか怖くなって一散にかけ出して、家へ駈け込んで母の顔を見るまでは、彼女もまだ半分は夢のような心持であった。狐に化かされたのだろうとお亀は云ったが、ふところに入れて来た目録は木の葉ではなかった。迷子札まいごふだのような新しい小判がまさに十枚はいっていた。
「まあ、十両あるよ」と、お亀は眼をまるくして驚いた。いくら正直でも慾のない人間はすくない。この頃の相場では、妾奉公をしても月一両の給金はむずかしいのに、別になにをするでも無しに、美しい着物を着せられて、旨いものを食わされて、一日一両の手間賃になる。こんなありがたい商売はないとお亀は喜んでいたが、お蝶は身ぶるいしていやがった。一両はさておいて、一日十両の給金を貰ってもあんな怖いところへ二度とゆくことはまっぴらだと、かれはその後半月ばかりは病人のような蒼い顔をして暮していた。小判の顔をみてお亀も一旦は喜んだものの、よくよく考えてみると彼女もなんだか不安になって来た。お蝶が忌がるのも無理はないと思われた。
「十両の金があれば店はひまでも困らない。おまえはまあ当分は家に隠れていて、店へ顔を出さない方がよかろうよ」
 いつまた連れに来るかも知れないという懸念があったので、お亀は娘を店へ出さないことにした。すると、その月の末の夕方に、お亀が店をしまってくると、留守番をしている筈のお蝶が姿をかくしていた。近所で訊いても誰も知らないと云った。かならずこの間のところに連れて行かれたことと察したが、そのゆく先はもとより判らなかった。お亀は思案ながらに其の日その日を送っていると、今度も十日目にお蝶はぼんやり帰って来た。ふところにはやはり十両の目録包みを持っていて、すべてがこの間の話をくり返すに過ぎなかった。
「なるほど、好い商法のようだが、こいつはちっと変だね。お蝶坊が忌がるのも無理はねえ」と、この不思議な話を聞いて半七はひたいに小皺をよせた。
「すると、先月の末から娘がまた見えなくなったんでございます。いつもわたくしの留守を狙って来て、否応なしに担いで行ってしまうんだそうで……。外へ出れば乗物が待っていて、眼かくしをして乗せて行くんですから、どこへ連れて行かれるのか見当が付きません」
「そこで今度も無事に帰って来たのかい」
「いいえ。それが帰って来ませんの」と、お亀は顔を陰らせた。「今度はもう十日の余になりますけれども、何のたよりもございませんので、わたくしもいろいろ心配しておりますと、けさ早くに一人の女がわたくしの家へ見えまして……。それはこの間の御殿風の女でございます。仔細あって娘を当分は音信不通の約束でこちらへ貰いたいと、こう云うんです。勿論、その代りに二百両の金を渡すというんですが、わたくしもまことに困りましてね。何んぼわたくしだって、可愛い娘を金で売るわけにはまいりません。まして娘があれほど忌がっているものを、あんまり可哀そうでもございますから、一旦は断わりましたんですけれど、相手の方はなかなか承知しないんでございます。無理でもあろうがいてくれと、立派なお女中が手をついて頼むんでしょう。わたくしも実に当惑してしまいまして、なにしろすぐに御返事はできないから、まあ一日二日考えさせてくれと申して、ようようその人を帰したんでございますが……。ねえ、親分さん。こりゃあまあ、一体どうしたもんでございましょう」
 お亀は声をふるわせて、いかにも途方に暮れているらしかった。

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