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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)39 少年少女の死

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 10:07:54  点击:  切换到繁體中文


     二

「全くですね」と、わたしも溜息をついた。「こうなると、自転車や荷馬車ばかり取り締っても無駄ですね」
「そうですよ。なんと云っても、うわべに見えるものは避けられますが、もう一つ奥にはいっているものはどうにもしようがありますまい。今お話をしたほかに、まだこんなこともありましたよ」
 半七老人は更にこんな話をはじめた。

 慶応三年の出来事である。
 芝、田町たまちの大工の子が急病で死んだ。大工は町内の裏長屋に住む由五郎という男で、その伜の由松はかぞえ年の六つであった。由松は七月三日のゆうがたから俄かに顔色が変って苦しみ出したので、母のお花はおどろいて町内の医者をよんで来たが、医者にもその容体が確かには判らなかった。なにかの物あたりであろうというので、まずかたのごとき手当てを施したが、由松は手足が痙攣けいれんして、それから※(「日+向」、第3水準1-85-25)はんときばかりの後に息を引き取った。父の由五郎が仕事場から戻って来たときには、可愛いひとり息子はもう冷たい亡骸なきがらになっていた。
 あまりの驚愕に涙も出ない由五郎は、いきなり女房の横っ面を殴り飛ばした。
「この引き摺り阿魔め。亭主の留守に近所隣りへ鉄棒かなぼうを曳いてあるいていて、大事の子供を玉無しにしてしまやあがった。さあ、生かして返せ」
 由五郎はふだんから人並はずれた子煩悩で、ひと粒種の由松を眼のなかへ入れたいほどに可愛がっていた。その可愛い子が留守の間に頓死同様に死んだのであるから、気の早い職人の彼は、一途いちずにそれを女房の不注意と決めてしまって、半気違いのようなありさまで彼女に食ってかかったのも無理はなかった。
「さあ、亭主の留守に子供を殺して、どうして云い訳をするんだ。はっきりと返事をしろ」
 彼はそこに居あわせた人達が止めるのもかずに、又もや女房をつづけ打ちにした。さなきだに可愛い子の命を不意に奪われて、これも半狂乱のようになっている女房は、亭主に激しく責められて、いよいよかっと逆上したらしい。彼女は蒼ざめた顔にふりかかる散らし髪をかきあげながら、亭主の前へ手をついた。
「まことに申し訳ありません。きっとお詫びをいたします」
 切り口上にこう云ったかと思うと、かれは跣足はだしで表へとび出した。その血相けっそうが唯ならないと見て、居あわせた人達もあとから追って出たが、もう遅かった。大通りの向うは高輪たかなわの海である。あれあれといううちに、女房のうしろ姿は岸から消えてしまった。
 由五郎は今さら自分の気早を悔んだが、これも遅かった。やがて引き揚げられた女房の死体は、わが子の死体と枕をならべて、狭い六畳に横たえられた。妻と子を一度にうしなった由五郎は、自分も魂のない人のように唯黙って坐っていた。相長屋の八、九人があつまって来て、残暑のまだ強い七月の夜に二つの新らしい仏を守っていた。
 その通夜つやの席で、一軒置いた隣りの紙屑屋の女房がこんなことを云い出した。この女房は四、五日まえに七つになる男の児をうしなったのであった。
「ほんとうに判らないもんだわねえ。うちの子供が歿なくなりました時には、ここのおかみさんが来て、いろいろお世話をして下すったのに、そのおかみさんが幾日も経たないうちにこんなことになってしまって……。おまけに由ちゃんまで……。まあ、なんということでしょう。うちの子供も由ちゃんと丁度おなじように、だしぬけに顔の色が変って、それから※(「日+向」、第3水準1-85-25)いっときの間も無しに死んでしまったんですが、お医者にもやっぱりその病気がたしかに判らないということでした。この頃は子供にこんな悪い病気が流行はやるんでしょうか。まったくいやですね。いや、それに就いて、わたしは何だか忌な心持のすることがあるんですよ。実はね、家の子供が玩具おもちゃにしていた水出しをね、今考えると、ほんとうに止せばよかったんですけれど、ここの家の由ちゃんに上げたんですよ。死んだ子供の物なんかを上げるのは悪いと思ったんですけれど、ここの由ちゃんがけさ遊びに来て、おばさん、あの水出しをどうしたと云うから、家にありますよと云って出して見せると、わたしにくれないかと云って持って帰ったんです。そうすると、その由ちゃんが又こんなことになって……。死んだ子供の物なんか決して人にやるものじゃありませんね。わたしは何だか悪いことをしたような心持がして、気が咎めてならないんですよ」
 紙屑屋の女房はしきりに自分の不注意を悔んでいるらしかった。不運な母と子の死体はあくる日の夕方、品川の或る寺へ送られて無事に葬式とむらいをすませた。由五郎は自棄やけ酒を飲んでその後は仕事にも出なかった。

「この話がふとわたくしの耳にはいったもんですからね。いわゆる地獄耳で聞き逃がすわけには行きません」と、半七老人は云った。「その大工の子供や、紙屑屋の子供が、はやり病いで死んだのならば仕方がありません。門並かどなみに葬礼が出ても不思議がないんですが、そこに少し気になることがあったもんですから、八丁堀の旦那方に申し上げて、手をつけてみることになりました」
「じゃあ、二人の子供はやっぱり何かの災難だったんですね」と、わたしはいた。
「そうですよ。まったく可哀そうなことでした」

 それから四、五日の後に、由五郎は勿論、紙屑屋の亭主五兵衛とその女房お作とが家主附き添いで、月番の南町奉行所へ呼び出された。死んだ由松が紙屑屋の女房から貰って来たという玩具おもちゃの水出しが、証拠品として彼等のまえに置かれた。今日こんにちではめったに見られないが、その頃には子供が夏場の玩具として、水鉄砲や水出しが最も喜ばれたものであった。水出しは煙管きせる羅宇らおのような竹をくだとして、それを屈折させるために、二箇所又は三箇所に四角の木を取り付けてある。そうして一方の端を手桶とか手水鉢ちょうずばちとかいうものに※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28) し込んで置くと、水は管を伝って一方の末端から噴き出すのである。しかしただ噴き出すのでは面白くないので、そこには陶器せとの蛙が取り付けてあって、その蛙の口から水を噴くようになっている。巧みに出来ているのは、蛙の口から可なりに高く噴きあげるので、子供たちはみな喜んでこの水出しをもてあそんだのである。その水出しが奉行所の白洲しらすへ持ち出されて厳重な吟味の種になろうとは何人なんぴとも思い設けぬことであった。
 紙屑屋の夫婦は先ずその水出しの出所をただされた。その玩具はどこで買ったかという訊問に対して、亭主の五兵衛は恐る恐る申し立てた。
「実はこの水出しは買いましたのではございません。よそから貰いましたのでございます」
「どこで貰った。正直に云え」と、吟味方の与力はかさねていた。
「芝、露月町ろうげつちょうの山城屋から貰いました」
 山城屋というのは其処でも有名の刀屋である。先月の末に、五兵衛がいつもの通り商売に出て、山城屋の裏口へゆくと、かねて顔をっている女中が紙屑を売ってくれた末に、おまえの家の子供にこれを持って行ってやらないかと云って、かの蛙の水出しをくれた。五兵衛はよろこんで貰って帰って、それを自分の子供の玩具にさせると、二日ばかりで其の子は急病で死んだ。それが更に大工の子供の手に渡って、その子はその日におなじく急病で死んだのであった。
 それらの事情が判明して、引合いの者一同はひと先ず自宅へ戻された。しかし水出しのことは決して口外してはならぬと堅く申し渡された。その後十日とおかばかりは何事もなかったが、孟蘭盆うらぼんが過ぎると、山城屋の女房お菊と、女中のお咲が奉行所へ呼び出された。この二人は再び帰宅を許されないので、世間ではいろいろの噂をしていると、九月の中頃にその裁判が落着らくぢゃくして、女中のお咲は遠島、女房のお菊は死罪という恐ろしい申し渡しを受けたので、当の山城屋は勿論、世間ではびっくりした。
 したがって、それに就いていろいろの風説が伝えられたが、その真相はこうであった。お菊は後妻で、ことし八つになる惣領息子をふだんから邪魔物にしていた。世間によくある習いで、彼女はおそろしい継母ままはは根性からその惣領息子を亡きものにしようとたくらんで、子供の玩具として蛙の水出しを買って来た。水出しの一端を水の中へ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28) し込んで置いても、なかなか自然に水をふき出すものではない。俗に吸い出しをかけると云って、最初に一方の蛙の口へ人間の口をあてて水を吸い出してやらなければならない。一度そうすると、それからは自然に水を噴き出すようになる。それであるから、この水出しをもてあそぶものは必ず一度は自分の口で蛙の口を吸わなければならない。水の出ようの悪いときには、二度も三度も蛙の口を吸うことがある。これまで説明すれば、もうくわしく云う必要はあるまい。お菊は陶器の蛙に一種の毒薬を塗りつけて置いたのであった。
 しかし彼女はそれを継子ままこに与えようとしてさすがに躊躇ちゅうちょした。彼女はその陰謀のおそろしいのにおびやかされて、結局それを中止することにしたが、さてその水出しの処分に困って、女中のお咲に命じて芝浦の海へそっと捨てて来いと云った。勿論、お咲がそのまま海へ投げ込んでしまえば何事もなかったのであるが、その秘密を知らない彼女はわざわざ捨てにゆくのも面倒だと思って、それをあたかも来あわせた紙屑屋の五兵衛にやったので、その蛙の口を吸った五兵衛の子供が先ず死んだ。つづいて由五郎の子供が死んだ。一つの水出しが二人の子供を殺すような惨事が出来しゅったいした。
 たとい半途で中止したとしても、継子を毒殺しようと企てただけでもお菊は何等かの罪を受けなければならなかった。殊にそれがために、紙屑屋の子を殺し、大工の子を殺し、あわせてその母を殺すような事件を仕出来しでかしたのであるから、その時代の法として普通の死罪はむしろ軽いくらいであった。お咲はなんにも知らないとはいえ、主命にそむいて其の水出しを他人ひとにやった為に、こういう結果を生み出したのであるから、これも重い刑罪を免かれることは出来なかった。
 奉行所の記録に残っているのは、ただこれだけの事実であって、お菊がどこからこんな恐ろしい毒薬を手に入れたかをしるしていない。お菊がそれを白状したらば、その毒薬をあたえた者は当然処刑を受くべき筈であるが、申渡書には単にお菊とお咲をしるしてあるばかりで、ほかの関係者のことはなんにも見えない。したがって、単に毒薬というばかりで、その薬の種類などは今から想像することは出来ない。

「いや、実はその毒薬をやった医者も判っているんですがね」と、半七老人はここで註を入れた。
「そいつはなかなか素捷すばやい奴で、山城屋の女房と女中が奉行所へ呼ばれたと聞くと、すぐに夜逃げをして、どこへ行ったか判らなくなったんです。そのうち例の瓦解がかいで、江戸も東京となってしまいましたから、詮議もそれぎりで消えました。運のいい奴ですね」
「そうすると、その水出しのことはあなたの種出しなんですね」
「お通夜の晩に、紙屑屋の女房がふと水出しのことをしゃべったのが手がかりで、こんな大事件をほじくり出してしまいました。いつかあなたに『筆屋の娘』のお話をしたことがありましょう。あれはこの翌月のことで、世間に似たようなことは幾らもあるもんです」





底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年5月15日11刷発行
入力:網迫
校正:藤田禎宏
2000年9月7日公開
2004年3月1日修正
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