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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)43 柳原堤の女

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 18:40:55  点击:  切换到繁體中文


     三

「おい、何か出たぜ」
 ふたりは小声でたがいに注意した。
 なにぶんにも草が深いので、今だしぬけにあらわれて来たけものの正体を、星明かりぐらいではとてもはっきりと見定めることは出来なかったが、それは何だか狐の大きいようなものであるらしかった。その動作は非常に活溌で、ふたりに向ってまっしぐらに飛びかかって来たので、喜平も茂八も狼狽した。
 ふたりは手に武器を持っていたが、鑿や小刀のような小さい刃物では、足もとへ低く飛び込んで来る敵を撃ちはらうには甚だ不便であった。殊に相手の正体がわからないので、ふたりは一種の恐怖に襲われて、茂八はふだんの力自慢にも似あわずに、まず引っ返して逃げ出した。その臆病風に誘われて、喜平もつづいて逃げた。堤をころげ降りて往来へ出ると、敵はそこまでは追って来ないらしいので、ふたりは立ちどまって顔をみあわせた。
「狐だろうか」と、茂八はあとを見かえりながら一と息ついた。
「狐にしちゃあ大き過ぎるようだ」と、喜平は首をひねった。
「それじゃあいたちかしら」
「それとも河岸の方から河獺かわうそでもまぎれ込んで来たんじゃないかな」
 狐か鼬か河獺か。ふたりは往来に立ってその評定ひょうじょうにしばらく時を移したが、なにぶんにも暗い中の出来事で相手のすがたを見とどけていないのであるから、いつまで論じあっていても決着のつく筈がなかった。喜平はもう一度引っ返して、その正体を見とどけようかとも云ったが、茂八は少し躊躇した。それが果たして狐か鼬ならば、さのみ恐れるほどのこともないが、万一それが清水山に年ひさしく住む一種の怪獣であるとすると、迂濶に立ち向ってどんなおそろしい禍いを受けるようなことがないとも限らない。なにしろ今夜のような暗やみではどうすることも出来ないから、明るい時にまた出直して来ようというのである。そう云われると、喜平も勇気をくじかれて、とうとう今夜も空しく引き揚げることになった。
 銀蔵といい、茂八といい、味方は揃いも揃って口ほどにもない弱虫であるのが、喜平には腹立たしく思われてならなかった。さりとて自分ひとりで実行するほどの勇気もないので、更に頼もしい味方を新らしく見つけ出そうと考えているうちに、かの茂八が尾鰭おひれをそえて大袈裟に吹聴ふいちょうしたとみえて、柳原の清水山には怪獣が棲んでいるという噂がたちまち近所にひろまった。銀蔵も何かしゃべったらしい。仕事場で喜平の話をきいた大工や軽子どもも世間に吹聴したらしい。それやこれやが八方に伝わって、初めの夜には喜平と銀蔵が大入道に襟首をつかんで投げ出され、その後の夜には喜平と銀蔵が九尾きゅうびの狐に食われかかったなどと、途方もないことを見て来たように云い触らす者も出来た。
 それが主人の耳にはいって、茂八は和泉屋の主人から叱られた。とりわけて喜平はその発頭人ほっとうにんであるというので、山卯の主人や番頭からきびしく叱られた。何かのことにかかりあって、詰まらない噂を立てられるのを、その時代の人はひどく嫌っていたので、喜平は銭湯せんとうへゆくほかには、日が暮れてから外出することを当分さし止められてしまった。かれらに代って、大入道や九尾の狐の正体を見とどけに出かけてゆく勇士もあらわれなかった。
 問題の白い浴衣も寒空にむかっては姿をあらわさないとみえて、その方の噂はだんだんに消えて行ったが、喜平らによって新らしく生み出された大入道と九尾の狐の噂は容易に消滅しないばかりか、それを瓦版にして売りあるく者さえ出来たので、八丁堀同心らももう棄てておかれなくなった。前にも云ったようなわけで、町奉行所では大入道や九尾の狐を問題にはしなかったが、八丁堀の人々はともかくも一応は念のために、その噂の実否を取り調べておく必要をみとめた。場所が神田にあるので、三河町の半七が八丁堀の猪上いがみ金太夫の屋敷へ呼ばれた。
「半七。お前の縄張り内に大入道と九尾の狐が巣をつくっているそうだ。どうも大変なことだな」と、金太夫は笑った。「あんまりばかばかしいと思うものの、世間を騒がせることはよくねえことだ。わざわざおまえが汗をかくほどの仕事でもあるめえが、縄張り内に起ったのがお前の不祥だ。誰か若い奴らでもやって、ひと通りは詮議させてくれ」
 半七ほどの御用聞きに対して、いかに役目でもこんな仕事を直接に働けとは云いにくいので、子分の若い者どもに勤めさせろと云いつけたのである。それは半七も呑み込んでいるので、こころよく承知した。
「自分の鼻の先のことを御指図で恐れ入りました。実は若い奴らからそんな話を聞かないでもなかったのですが、ほかの御用に取りまぎれて居りまして……」
「いや、忙がしくなくっても、こんなべらぼうな仕事は立派な男の勤める役じゃあねえ」と、金太夫はまた笑った。「清水山というと大層らしいが、堤の幅にしてみたら多寡が三、四間、おそらく五間とはあるめえ。高さだって知れたもので足長島の人間ならば一とまたぎというくらいだ。そんなところに鬼が棲むか、じゃが棲むか、大抵はわかり切っているわけだが、昔からいやな噂のあるところだけに、世間の騒ぎは大きいのだろう。尤も江戸というところは油断は出来ねえ。灰吹はいふきからも大蛇だいじゃが出るからな」
「ごもっともでございます」と、半七も笑った。「まったく油断は出来ません。では、早速に調べあげてまいります」
 半七は家へ帰って、すぐ子分の幸次郎と善八を呼んだ。
「ほかじゃあねえが、清水山の一件だ。おれは馬鹿にしてかかっていたので、旦那の方から声をかけられてしまった。もう打っちゃっては置かれねえ。ひと通り調べてきてくれ。だが、おれの指図するまでは現場の方へはむやみに手をつけるなよ」
「あい。ようがす」
 二人はすぐに出て行った。今までは初めから馬鹿にし切って、ほとんど問題にもしていなかったのであるが、さてそれが一つの仕事となると、半七の神経はだんだんに鋭くなって来て、なんだか子分共ばかりには任せておかれないような気にもなったので、かれも午過ぎから家を出た。それは喜平らが最後の探検から一と月あまりを過ぎた頃で、十月ももう末に近い薄陰りの日であった。
「なんだか時雨しぐれて来そうだな」と、半七は低い大空を見あげながら歩き出した。
 どこというあてもないが、ともかくもその場所をよく見とどけて置く必要があるので、半七はまず柳原の堤の方へ足をむけた。
 神田に多年住んでいて、ここらは眼をつぶっても歩かれるくらいによく知っているのではあるが、こういう問題が新らしく湧き出して来ると、やはり一応は念入りに調べてみなければならないので、半七は筋違すじかいから和泉橋の方をさして堤づたいにぶらぶらたどってゆくと、長い堤の果てから果てまでが二百何十本とかいう一列の柳は、このごろの霜や風にその葉をふるい尽くして、骨ばかりに痩せた姿をさびしくさらしていた。清水山に近い大きい本には、一羽のからすが寒そうに鳴いているのを、半七は立ちどまって見あげた。
 金太夫も云う通り、山というのは名ばかりで、足の長いものならばまたぎ越えられるぐらいの小さい高地で、全体の地坪から見ても三四十坪を過ぎまいと思われるのであるが、昔から奇怪な伝説の付き纏っているところだけに、生い茂った灌木のあいだには高い枯れ草がおおいかかって、どこから吹き寄せたとも知れない落葉がまたその上をうずめていた。気のせいか何となく物凄い場所ではあるが、これが山の手の奥とか、下町したまちでも場末のさびしい場所ともあることか、神田の柳原の大通りにむかっていて、うしろには神田川の流れを控えている。夜はともあれ、昼は往来の人影は絶えず、水にものぼくだりの船の浮かんでいない時はない。その繁華な土地のまん中に小さく盛り上がっているこの山が、一体どんな秘密をつつんでいるのか。この山にふみ込むと一種の怪異に出逢うなどと、一体誰が云い出したのか。まったくそんな例があるのか。半七は立ちどまったままで暫く考えていると、うしろから不意に声をかける者があった。
「親分さん。どちらへ」
 気がついて見返ると、それは此の堤下に髪結床かみゆいどこの店を出している甚五郎という男であった。甚五郎はもう四十を二つ三つも越えたらしい、顔に薄あばたのある男で、誰に対しても遠慮なしに冗談をいう愛嬌者として知られていた。その冗談が売り物になって、かれの店はいつも繁昌していた。
「やあ、親方。寒いね」と、半七も挨拶した。
「寒いにも何にも……。わたしはこの冬になって、もう三度も風邪かぜをひきました。この分じゃあ今年は江戸から越後へ出かせぎに行くようになるかも知れませんぜ。おそろしい」
「世のなかは逆になったからな。やがてそうなるかも知れねえ」と、半七も笑った。「いや、恐ろしいといえば、この頃この山が物騒だというじゃあねえか」
「まったくおお物騒。馬鹿に世間がそうぞうしいので驚きますよ。山卯の若い衆が大宅太郎おおやのたろうを気どって出かけると、蝦蟆がまの妖術よりも恐ろしいのに出逢って、命からがら逃げて帰るという始末。御存知かも知れませんが、瓦版まで出ましたからね」
 諸人が毎日寄りあつまる髪結床の亭主だけに、甚五郎は清水山の出来事については何から何までくわしく知っていた。勿論、例の冗談も幾らかまじっているらしかったが、その関係者の喜平、銀蔵、茂八のことから、大入道や九尾の狐の怪談まで、かれは半七に問われるままに一々説明した。
「主人や番頭にあぶらをとられたので、山卯の組はみんな引っ込んでしまったんですが、世間は広いもので、また新手が出て来ましたよ」
「今度は誰が出て来たんだ」と、半七はきいた。
「今度のは飯田まちの池崎さまの中間たちです」
 池崎弥五郎は麹町の飯田町に屋敷をかまえている千二百石の旗本である。その中間のひとりがこの八月に清水山の下を通っている白い浴衣の女にからかって、青鬼のような顔をみせられて、気が遠くなって倒れた。その当時にも大部屋の中間どもが清水山探検に押し出そうとしたのであるが、余り騒ぎ立てるのもよくあるまいという部屋頭の意見で、一旦はそのままに鎮まったが、大入道や九尾の狐の噂がだんだんに高くなったので、彼等はもうたまらなくなった。かれらは五人連れで、きょうの午前ひるまえにここへ押し出して来た。
「そりゃあちっとも知らなかった」と、半七はその話に耳を傾けた。「そうして、どうしたえ」
「なにしろ大部屋の連中ですからね、大きな犬を一匹連れて来たんです。人を化かす古狐がこの山に棲んでいるに相違ないから、犬を入れて狐狩をするというわけで……」
「そこで狐が出たかえ」
「狐は出ませんが、妙なものが出ましたよ」
 甚五郎は顔をしかめてみせた。


 

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