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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)50 正雪の絵馬

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 18:50:39  点击:  切换到繁體中文


     四

 あくる日は又陰って、夕方から細かい雨がしとしとと降り出した。どうも続かない天気だと云っていると、その夜の五ツ(午後八時)過ぎに、亀吉と松吉が顔をそろえて来た。
「丁度そこで逢いました」
「そりゃあ都合が好かった。そこで、早速だが、めいめいの受け持ちはどうだった」と、半七はいた。
「じゃあ、わっしから口を切りましょう」と、亀吉は云い出した。
「大津屋の亭主は重兵衛といって、ことし四十一になるそうです。五年前に女房に死なれて、お絹という娘と二人っきりですが、どっかに内証の女があると見えて、この頃は家を明けることが度々ある。それから、親分。その娘のお絹というのは、お城坊主の次男とどうも可怪おかしいという噂で……。してみると、親分の鑑定通り、万次郎と大津屋とはぐるだろうと思いますね。それから大津屋へ出入りの女絵かきは、孤芳こほうという号を付けている女で、年は二十三四、容貌きりょうもまんざらで無く、まだ独身ひとりみで、新宿の閻魔えんまさまのそばに世帯しょたいを持っているそうです。そこで、まだはっきりとは判りませんが、この女は大津屋の亭主か万次郎か、どっちかの男に係り合いがあると、わっしは睨んでいるのですが……」
「そうかも知れねえ」と、半七はうなずいた。「そこで、松。おめえの調べはどうだ」
「わっしの方はすらすらと判りました」と、松吉は事もなげに答えた。「親分も知っていなさる通り、四谷坂町に住んでいるお城坊主の牧野逸斎、その長男が由太郎、次男が万次郎で……。万次郎はことし二十一ですが、まだ養子さきも見付からねえで、自分のうちの厄介になっている。こいつも絵馬道楽のお仲間で、大津屋へも出這入りをしているうちに、今も亀が云う通り、大津屋の娘と出来合ったらしいという噂です。だが、近所の評判を聞くと、万次郎という奴はもちろん褒められてもいねえが、取り立てて悪くも云われねえ、世間に有りふれた次三男の紋切り型で、道楽肌の若い者というだけの事らしいのです」
「大津屋の重兵衛はどうだ。こいつにも悪い評判はねえか」と、半七は又訊いた。
「そうですね」と、亀吉はすこし考えていた。「これも近所町内の評判は別に悪くもねえようです。万次郎と同じことで、まあ善くも無し、悪くも無しでしょうね。だが、ふるい店だけに身上しんしょうは悪くも無いらしく、淀橋の方に二、三軒の家作も持っているそうです」
「娘はどんな女だ」
「きのう親分がいい女かと云ったら、職人が笑っていたでしょう。まったく笑うはずで、わっしもきょう初めて覗いてみたが、いやもう、ふた目と見られねえ位で、近所のお岩さまの株を取りそうな女ですよ。可哀そうに、よっぽど重い疱瘡ほうそうに祟られたらしい。それでもまあ年頃だから、万次郎と出来合った……。と云っても、おそらく万次郎の方じゃあ次男坊の厄介者だから、大津屋の婿にでもはいり込むつもりで、まあ我慢して係り合っているのでしょうよ」
「それで先ずひと通りは判った」と、半七は薄くじていた眼をあいた。「娘と万次郎と出来ていることは父親の重兵衛も知っていて、行く行くは婿にでもするつもりだろう。それはまあどうでも構わねえが、丸多の亭主の絵馬きちがいに付け込んで、偽物の絵馬をこしらえて、孤芳という女に絵をかかせて、その偽物を丸多に押しつけて……。それから入れ代って万次郎が押し掛ける。やっぱり俺の鑑定通りだ……。今の話じゃあ、万次郎という奴はあんまり度胸のある人間でも無さそうだから、おそらく重兵衛の入れ知恵だろう。自分が蔭で糸を引いて、万次郎をうまくあやつって、大きい仕事をしようとする……。こいつもなかなかの謀叛人だ。由井正雪が褒めているかも知れねえ。だが、こいつらがおとなしく手を引いて、これっきり丸多へ因縁を付けねえということになれば、まあ大目おおめに見て置くほかはあるめえ。何事もこの後の成り行き次第だ」
「まあ、そうですね」と、亀吉も答えた。
「それにしても、丸多の亭主にも困ったものだ。店の者にゃあ気の毒だが、何処をどう探すというあてがねえ」と、半七は溜め息をついていた。
 それから世間話に移って、やがて四ツ(午後十時)に近い頃に、亀吉らは一旦挨拶して表へ出たかと思うと、又あわただしく引っ返して来た。
「親分、飛んだ事になってしまった。丸多が死んだそうですよ」
 つづいて番頭の幸八が駈け込んだ。
「いろいろ御心配をかけましたが、主人の死骸が見付かりました」
「どこで見付かりました」と、半七も忙がわしくいた。
追分おいわけ高札場こうさつばのそばの土手下で……」
「それじゃあ近所ですね」
「はい。店から遠くない所でございます」
「どうして死んでいたのです」
「松の木に首をくくって」
「例の絵馬は……」
「死骸のそばには見あたりませんでした。御承知の通り、あすこには玉川の上水が流れて居りまして、土手のむこうは天竜寺でございます。その土手下に一本の古い松の木がありますが、主人は自分の帯を大きい枝にかけて……。死骸のそばに紙入れ、煙草入れ、鼻紙なぞは一つに纏めてありましたが、絵馬は見あたらなかったと申します。あの辺は往来の少ない所でございますので、通りがかりの人がそれを見付けましたのは、けさの六ツ半頃だそうでございますが、近所とは申しながら丸多の店とは少しはなれて居りますので、すぐにそれとは判りかねたと見えまして、御検視なども済みまして、その身許みもともようようはっきりして、わたくし共へお呼び出しの参りましたのは、やがて七ツ頃(午後四時)でございます。それに驚いて駈け付けまして、だんだんお調べを受けまして、ひと先ず死骸を引き取ってまいりましたのは、日が暮れてからの事で……。早速おしらせに出る筈でございましたが、何しろごたごた致して居りましたので……」
「そりゃあ定めてお取り込みでしょう。どうも飛んだことになりましたね」と、半七は気の毒そうに云った。
「そこで、御検視はどういうことで済みました」
「乱心と申すことで……。人に殺されたというわけでも無し、自分で首をくくったのでございますから、検視のお役人方も別にむずかしい御詮議もなさいませんでした」
「御検視が無事に済めば結構、わたし達が差し出るにゃあ及びませんが、ともかくもお悔みながらお店まで参りましょう。おい、亀も松も一緒に行ってくれ」
 幸八は駕籠を待たせてあるので、お先へ御免を蒙りますとことわって帰った。半七は途中で箱入りの線香を買って、三人連れで大木戸へむかった。雨は幸いにやんだが、暗い夜であった。
「ひょっとすると、丸多の亭主は首くくりじゃあねえ。誰かにくびられたのかも知れねえな」と、半七はあるきながら云った。
「やっぱり大津屋の奴らでしょうか」と、亀吉は小声で訊いた。
「絞め殺して置いて、木の枝へぶら下げて置くというのは、よくある手だ」と、松吉も云った。
「まあ、行ってみたらなんとか見当が付くだろう」と、半七は云った。「もしそうならば、大目に見て置くどころか、あいつらを数珠じゅずつなぎにしなけりゃあならねえ。又ひと騒ぎだ」
 三人が大木戸の近所まで行き着くと、幸八は店の者に提灯を持たせて迎えに出ていた。丸多の店にはいって、半七は持参の線香をそなえて、家内の人たちに悔みの挨拶をした。今夜は親類に知らせただけで、夜が明けてから世間へ披露ひろうするとの事であったが、それでもふるい店だけに、出入りの者などが早くも詰めかけて、広い家内は混雑していた。
「御検視の済んだものを、わたくし共がいじくるのもいかがですが……」と、半七は親類や番頭にことわって、座敷に横たえてある多左衛門の死に顔の覆いを取りのけた。片手に蝋燭をかざしながら、まずその死に顔を覗いて、次にその咽喉のどのあたりをあらためた。更にその手の指を一々に検めた。
 それが済んで、半七は縁側の手水ちょうず鉢で手を洗っていると、幸八が付いて来てささやくように訊いた。
「別に御不審はございませんか」
「少し御相談がありますから、大番頭さんを呼んでください」
 与兵衛と幸八を別間へ呼び込んで、半七は自分の意見を述べた。自分はこれまで縊死者いししゃの検視にもしばしば立ち会っているが、わが手でくびれて死んだ者があんなに苦悶の表情を留めている例がない。咽喉のどのあたりに微かに掻き傷の痕がある。左の中指と右の人さし指の爪が少し欠けけている。それらを綜合して考えると、主人は他人ひとに絞められて、その絞め縄を取りのけようとして藻掻もがきながら死んだのである。自分の帯で縊れていたと云うが、頸のまわりに残っている痕をみると、細い縄のような物で強く絞めたらしい。就いては乱心の自殺として、このまま無事に済ませてしまうか、あるいは他殺として其の下手人げしゅにんを探索するか。皆さんの思召おぼしめしをうかがいたいと、半七は云った。
 それを聞いて、与兵衛らはひどく驚いたらしく、いまは後家ごけとなった女房のお才をはじめ、親類一同を奥の間へ呼びあつめて、俄かに評議を開いた。今さら他殺などと騒ぎ立てるのは外聞にもかかわる事であるから、この儘おだやかに済ませたが好かろうという軟派と、他殺ならば其の下手人を探し出して、相当の仕置を受けさせるが順道であるという硬派と、議論は二派に分かれたが、お才はどうしても主人のかたきを取って貰いたいと強硬に主張するので、軟派の人々も争いかねて、結局その下手人の探索を半七に頼むことになった。
 それから二日目に、丸多の店では主人の葬式を出した。表向きは乱心の縊死ということになっているので、世間の手前、あまり華やかな葬式を営むことを遠慮したのであるが、それでも会葬者はなかなかに多かった。大津屋の重兵衛も会葬者の一人に加わっていた。
 葬式が果てた後、亀吉は重兵衛のあとをけてゆくと、彼は太宗寺の方角へ足を向けた。それは新宿の閻魔として有名の寺である。その寺に近いところに、小さい二階家があって、重兵衛はその入口の木戸をあけてはいった。庭には白い辛夷こぶしの花が咲いていた。
 近所で訊くと、それがの女絵師の孤芳の住み家であった。これで重兵衛と孤芳との関係が、自分の鑑定通りであるらしいことを亀吉は確かめたが、更に近所の者の話を聞くと、孤芳の家には重兵衛のほかに、二十歳はたち前後の色白の男が時々に出入りをする。又そのほかに十七八の不器量な娘も忍んで来るというのであった。男はおそらく牧野万次郎で、娘は大津屋のお絹であろう。孤芳が重兵衛の囲い者のようになっている関係上、万次郎とお絹はここの二階を逢いびきの場所に借りている。それもありそうな事だと、亀吉は思った。
 その報告を聴いて、半七は云った。
「それだけの事が判ったら、それを手がかりに、もうひと足踏ん込まなけりゃあいけねえ。丸多の亭主の下手人は大津屋の重兵衛と睨んでいるものの、確かな証拠も無しに手を着けるわけにゃあ行かねえから、まあ気を長く見張っていろ」
 亀吉は承知して帰ったが、それから十日とおかほど後に、かの孤芳は太宗寺のそばを立ち退いてしまったと報告した。女絵師は突然に世帯しょたいをたたんで、夜逃げ同様に姿をかくしたので、近所でもその引っ越し先を知らないと云うのであった。
 それから更に十日ほどの後に、亀吉は新らしい報告を持って来た。大津屋の娘お絹が家出してゆくえ不明になったが、万次郎と一緒に駈け落ちなどをした様子はない。万次郎は相変らず四谷坂町の実家に住んでいる。大津屋では娘の家出を秘密にして、病気保養のために房州の親類に預けたとか云っているが、それが突然の家出であることは近所でもみな知っているというのである。女絵師の夜逃げ、娘の家出、そのあいだに何かの糸が繋がっているらしいのは、何人なんびとにも容易に想像されることで、半七もそれに就いていろいろの判断を試みたが、確かにこうという断定をくだし得ないうちに、四月もいつか過ぎてしまった。

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