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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)55 かむろ蛇

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-28 18:58:04  点击:  切换到繁體中文


  四

 関口屋の娘お袖は煩い付いた。
 医者にもその病症がよく判らないのであったが、お由の変死につづいて、娘が煩い付いたのであるから、関口屋の夫婦には大抵その病いの原因が想像されないでも無かった。今度は自分の番であると思えば、女房も生きた心地はなく、これも食事が進まないようになって、やがては半病人のていになってしまった。いかに秘密を守っても、何かの事がくちさがない奉公人らから洩れ伝わって、かむろ蛇のうわさが近所近辺に拡がった。コロリも恐ろしいが、かむろ蛇も恐ろしい。関口屋の一家は今にみんなり殺されてしまうであろうなど、途方もないことを云い触らす者もあった。
 その最中に、又もやその長屋うちに一つの怪談が伝えられた。仕立屋職人甚蔵の女房が夜の四ツ(午後十時)近い頃に、近所の湯屋から帰って来ると、薄暗い露路のなかで一人の男に摺れ違った。それがの大工の年造の姿に相違ないように思われたので、彼女は真っ蒼になってわが家に逃げ込んだ。
「今そこを年さんが通った……」
「ばかを云え」と、亭主の甚蔵は叱った。
 コロリで死んだ年造は焼き場へ送られて、幾日かの後に骨揚こつあげをして、近所の寺へ納めて来たのである。それがここらを歩いている筈がない。しかも女房は確かにその姿を見たと云うのである。それを聞いて、隣りの笊屋の女房も顔色を変えた。
「それじゃあ年さんの幽霊に違いない」
 悪疫が流行して、そこにも此処にも死人の多い時節には、とかくに種々の怪談が生み出されるものである。笊屋では女房ばかりでなく、亭主の六兵衛もそれを信じて、コロリで死んだ年造の魂がそこらに迷っているのであろうと云った。その噂が表町まで伝わった時、年造とは壁ひとえの隣りに住んでいる煙草屋の大吉もこんなことを云い出した。
「実はわたしも年さんの姿を見た」
 こうなると、幽霊の噂はいよいよ大きくなって、関口屋の長屋には年造の幽霊が毎晩あらわれるなどと、尾鰭おひれを添えて吹聴ふいちょうする者もあった。さなきだに、コロリの噂におびえ切っている折柄、かむろ蛇や幽霊や、いやな噂がそれからそれへと続くので、ここらの町は一種の暗い空気に包まれてしまった。
 取り分けて暗い空気のうちに閉じられているのは、関口屋の一家であった。娘は煩い付き、女房は半病人となっている上に、お由の後始末がまだ完全に解決しなかった。町内の五人組が関口屋と次右衛門との仲に立って、いろいろに和解を試みているのであるが、次右衛門は容易に折れない。それが普通の奉公人の親許であれば、こちらから相当の弔い金を投げ出して、これで不承知ならば勝手にしろと突き放すことも出来るのであるが、たとい勘当とは云いながら、次右衛門は関口屋の惣領息子で、当主次兵衛の兄である。次兵衛は兄と闘うことは好まない。仲裁人らも兄を手ひどく遣り込めるに忍びない。そこへ附け込んで次右衛門は飽くまで横ぐるまを押すのである。こんにちの言葉でいえば一種の扶助料として、金千両を出せと彼は主張した。
 云うまでもなく、この時代の千両は大金であるが、ひとり娘のお由をうしなっては、自分の老後を養ってくれる者がないから、一年五十両の割合で二十年分、すなわち千両の扶助料をよこせと云うのである。しかも一年五十両ずつの年賦は不承知で、金千両の耳をそろえて一度に渡せと、次右衛門は迫った。理窟のようでもあり、不理窟のようでもあり、仲裁人らもその処置に困って、結局三百両というところまで交渉を進めたが、次右衛門は断じて譲らなかった。
 仲裁者もあぐねて手をひこうとする時、次右衛門は白髪しらがまじりのびんの毛をふるわせて云った。
「次兵衛は現在の兄を追い出して、家督を乗っ取った奴だ。その上に、兄の娘を十五の春から十九の秋まで無給金同様に追い使って、挙げ句の果てに殺してしまって、老後の兄を路頭に迷わせる。おれももう堪忍袋の緒が切れた。おととしは女房に死なれ、ことしは娘に死なれ、自分ひとり生き残ったところでなんの楽しみもねえ。命はいつでも投げ出す覚悟だ」
 次兵衛を殺して自分も死ぬといったような、一種の威嚇おどかしである。よもやとは思うものの、仲裁人らもなんだか薄気味悪くなって、そのままに手を引くことも出来なくなった。こうして、同じ押し問答を幾日も送るうちに、九月も十日を過ぎて、ここに又一つの騒ぎがおこった。関口屋の裏長屋に住む笊屋六兵衛の女房が頓死したのである。
 まだ宵のことで、亭主の六兵衛は不在であった。女房が突然にきゃっと悲鳴をあげたので、隣りの甚蔵夫婦が駈けつけると、かれは台所に倒れていた。早速に医者を呼んで来たが、これも病症がよく判らない。やはり蝮にでも咬まれたのであろうと云うのである。笊屋の女房は手当てのかいもなくて、明くる朝死んでしまった。それに就いて又いろいろの噂が立った。
「関口屋の蛇が長屋へ這い込んだのだ」
「いや、年さんの幽霊が出たのだ」
 蛇と幽霊とに執念ぶかく悩まされている人々のあいだに、第二のコロリ騒ぎが又おこった。
 この頃はだんだんに涼風すずかぜが立って、コロリの噂も少しく下火になったという時、関口屋の小僧の石松がコロリにかかって、二日目に死んだ。それが伝染したと見えて、半病人の女房お琴もつづいて同じ病いに取り憑かれて、これもひと晩のうちに死んだ。関口屋はまったくの暗黒くらやみである。近所の人たちの心も暗黒になった。
 病気が病気であるから、関口屋でも女房の葬式とむらいを質素に行なった。その葬式が済んだ後に、次兵衛は思い切ったように云い出した。
「こうなっては、娘もやがて死ぬかも知れない。わたしもどうなるか判らない。関口屋の潰れる時節が来たのでしょう。兄の望み通りに、五百両でも千両でも出してやります」
 さりとて千両は法外であると云うので、仲裁人らは再び交渉をすすめて、六百両までに相場をせり上げると、次右衛門もここらが見切り時と思ったらしく、渋々ながら承諾した。しかも大金であるから迂濶に渡すことは出来ない。後日ごにちのために、次右衛門から今後異論がないという一札いっさつを入れさせて、町役人も立ち会いの上で引き渡しを済ませた。
 これらの事件の蔭には、善八の眼が絶えず光っていた。半七も一々その報告を聞いていた。さしあたりは何処へむかって手を着けることも出来なかったが、事件の筋道はだんだんに明るくなって来るように思われた。

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