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大阪発見(おおさかはっけん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 9:59:39  点击:  切换到繁體中文



 東京にいた頃、私はしきりに法善寺横丁の「めをとぜんざい屋」を想った。道頓堀からの食傷通路と、千日前からの落語席通路の角に当っているところに「めをとぜんざい」と書いた大提灯がぶら下っていて、その横のガラス箱の中に古びたお多福人形がにこにこしながら十燭光の裸の電灯の下でじっと坐っているのである。暖簾をくぐって、碁盤の目の畳に腰掛け、めおとぜんざいを注文すると、平べったいお椀にいれたぜんざいを一人に二杯もって来る。それが夫婦めおとになっているのだが、本当は大きな椀に盛って一つだけ持って来るよりも、そうして二杯もって来る方が分量が多く見えるというところをねらった、大阪人の商売上手かも知れないが、明治初年に文楽の三味線引きが本職だけでは生計くらしが立たず、ぜんざい屋を経営して「めをとぜんざい屋」と名付けたのがその起原であるときいてみると、何かしらなつかしいものを感ずるのである。
 戎橋そごう横の「しる市」もまた大阪の故郷だ。「しる市」は白味噌のねっとりした汁を食べさす小さな店であるが、汁のほかに飯も酒も出さず、ただ汁一点張りに商っているややこしい食物屋である。けれどもこの汁は、どじょう、鯨皮、さわら、あかえ、いか、蛸その他のかやくを注文に応じて中へいれてくれ、そうした魚のみのほかにきまって牛蒡の笹がきがはいっていて、何ともいえず美味いのである。私は味が落ちていないのを喜びながら、この暑さにフーフーうだるのを物ともせず三杯もお代りした。狭い店の中には腰掛から半分尻をはみ出させた人や、立ち待ちしている人などをいれて、ざっと二十五人ほどの客がいるが、驚いたことには開襟シャツなどを着込んだインテリ会社員風の人が多いのである。彼等はそれぞれ、おっさん、鯨や、とか、どじょうにしてくれとか粋な声で注文して、運ばれて来るのを寿司詰の中で小さくなりながら如何にも神妙な顔をして箸を構えて、待っているのである。何気なくふと暖簾の向うを通る女の足を見たりしているが、汁が来ると、顔を突っ込むようにしてわき眼もふらずに真剣に啜るのである。
 喫茶店や料理店レストランの軽薄なハイカラさとちがうこのようなしみじみとした、落着いた、ややこしい情緒をみると、私は現代の目まぐるしい猥雑さに魂の拠り所を失ったこれ等の若いインテリ達が、たとえ一時的にしろ、ここを魂の安息所として何もかも忘れて、舌の焼けそうな、熱い白味噌の汁に啜りついているのではないかと思った。更に考えるならば、そのような下手げてものに魂の安息所を求めなければならぬところに現代のインテリの悲しさがあり且つ大阪のそこはかとなき愉しさがあるといえばいえるであろう。
 土用近い暑さのところへ汁を三杯も啜ったので、私は全身汗が走り、寝ぼけたような回転を続けている扇風機の風にあたって、むかし千日前の常磐座の舞台で、写真の合間に猛烈な響を立てて回転した二十吋もある大扇風機や、銭湯の天井に仕掛けたぶるんぶるん鳴る大団扇をを想い出しながら、「しる市」を出ると、足は戎橋を横切り、御堂筋を越えて四ツ橋の文楽座へ向いた。
 デンデンと三味線が太く哀調を予想させ、太夫が腹にいれた木の枕をしっかと押えて、かつて小出楢重氏が大阪人は浄瑠璃をうなる時がいちばん利口に見えるといわれたあの声をうなり出し、文五郎が想いをこめた抱き方で人形を携えて舞台にあらわれると、ああここに大阪があると私は思うのである。そうしてこれがいちばん大阪的であると私が思うのは、これらの文楽の芸人たちがその血の出るような修業振りによっても、また文楽以外に何の関心も興味も持たずに阿呆と思えるほど一途の道をこつこつ歩いて行くその生活態度によっても、大阪に指折り数えるほどしか見当らぬ風変りな人達であるために外ならず、且つ彼等の阿呆振りがやがて神に近づくありがたい道だと何かしら教えられるためである。

    二

 大阪を知らない人から、最も大阪的なところを案内してくれといわれると、僕は法善寺へ連れて行く。
 寺ときいて二の足を踏むと、浅草寺だって寺ではないかと、言う。つまり、浅草寺が「東京の顔」だとすると、法善寺は「大阪の顔」なのである。
 法善寺の性格を一口に説明するのはむずかしい。つまりは、ややこしいお寺なのである。そしてまた「ややこしい」という大阪言葉を説明するのも、非常にややこしい。だから法善寺の性格ほど説明の困難なものはない。
 例えば法善寺は千日前にあるのだが、入口が五つある。千日前(正確に言えば、千日前から道頓堀筋へ行く道)からの入口が二つある。道頓堀からの入口が一つある。難波新地からの入口が二つある。どの入口からはいって、どこへ抜け出ようと勝手である。はいる目的によって、また地理的な便利、不便利によって、どうもぐりこもうと、勝手である。誰も文句はいわない。
 しかし、少くとも寺と名のつく以上、れっきとした表門はある。千日前から道頓堀筋へ抜ける道の、丁度真中ぐらいの、蓄音機屋と洋品屋の間に、その表門がある。
 表門の石の敷居をまたいで一歩はいると、なにか地面がずり落ちたような気がする。敷居のせいかも知れない。あるいは、われわれが法善寺の魔法のマントに吸いこまれたその瞬間の、錯覚であるかも知れない。夜ならば、千日前界隈の明るさからいきなり変ったそこの暗さのせいかも知れない。ともあれ、ややこしい錯覚である。
 境内の奥へ進むと、一層ややこしい。ここはまるで神仏のデパートである。信仰の流行地帯である。迷信の温床である。たとえば観世音がある。歓喜天がある。弁財天がある。稲荷大明神がある。弘法大師もあれば、不動明王もある。なんでも来いである。ここへ来れば、たいていの信心事はこと足りる。ないのはキリスト教と天理教だけである。どこにどれがあるのか、何を拝んだら、何に効くのか、われわれにはわからない。
 しかし、彼女たちは知っている。彼女たち――すなわち、此の界隈で働く女たち、丸髷の仲居、パアマネント・ウエーヴをした職業婦人、もっさりした洋髪の娼妓、こっぽりをはいた半玉、そして銀杏返しや島田の芸者たち……高下駄をはいてコートを着て、何ごとかぶつぶつ願を掛けている――雨の日も欠かさないのだ。
 彼女たちはただ願掛けの文句を拝むだけでは、満足出来ない。信心には形式がいる。そこで、たとえば不動明王の前には井戸がある。この井戸の水を「洗心水」という。けがれた心を洗いまひょと、彼女たちは不動明王の尊像に水をかける。何十年来一日も欠かさず水をそそがれた不動明王の体からは蒼い苔がふき出している。むろん乾いたためしはない。燈火の火が消えぬように。
 水をかけ終ると、やがて彼女たちはおみくじをひく。あっ? 凶だ。
 しかし、心配はいらぬ。石づくりの狐が一匹居る。口に隙間がある。凶のおみくじをひいたときは、その隙間へおみくじを縛りつけて置く。すると、まんまと凶を転じて吉とすることが出来る。
「どうか吉にしたっとくなはれ」
 祈る女の前に賽銭箱、頭の上に奉納提灯、そして線香のにおいが愚かな女の心を、女の顔を安らかにする。
 そこで、ほっと一安心して、さて「めをとぜんざい」でも、食べまひょか。
 大阪の人々の食意地の汚なさは、何ごとにも比しがたい。いまはともかく、以前は外出すれば、必ず何か食べてかえったものだ。だから、法善寺にも食物屋はある。いや、あるどころではない。法善寺全体が食物店である。俗に法善寺横丁とよばれる路地は、まさに食道である。三人も並んで歩けないほどの細い路地の両側は、殆んど軒並みに飲食店だ。
「めをとぜんざい」はそれらの飲食店のなかで、最も有名である。道頓堀からの路地と、千日前――難波新地の路地の角に当る角店である。店の入口にガラス張りの陳列窓があり、そこに古びた阿多福人形が坐っている。恐らく徳川時代からそこに座っているのであろう。不気味に燻んでちょこんと窮屈そうに坐っている。そして、休む暇もなく愛嬌を振りまいている。その横に「めをとぜんざい」と書いた大きな提灯がぶら下っている。
 はいって、ぜんざいを注文すると、薄っぺらな茶碗に盛って、二杯ずつ運んで来る。二杯で一組になっている。それを夫婦めおとと名づけたところに、大阪の下町的な味がある。そしてまた、入口に大きな阿多福人形を据えたところに、大阪のユーモアがある。ややこしい顔をした阿多福人形は単に「めをとぜんざい」の看板であるばかりでなく、法善寺のぬしであり、そしてまた大阪のユーモアの象徴でもあろう。
 大阪人はユーモアを愛す。ユーモアを解す。ユーモアを創る。たとえば法善寺では「めをとぜんざい」の隣に寄席の「花月」がある。僕らが子供の頃、黒い顔の初代春団治が盛んにややこしい話をして船場のいとはんたちを笑わせ困らせていた「花月」は、今は同じ黒い顔のエンタツで年中客止めだ。さて、花月もハネて、帰りにどこぞでと考えると、「正弁丹吾亭しょうべんたんごてい」がある。千日前――難波新地の路地の西のはずれにある店がそれだ。「正弁丹吾」というややこしい名前は、当然、小便たんごを連想させるが、昔ここに小便の壺があった。今も、ないわけではない。よりによって、こんな名前をつけるところは法善寺的――大阪的だが、ここの関東煮が頗るうまいのも、さすが大阪である。一杯機嫌で西へ抜け出ると、難波新地である。もうそこは法善寺ではない。前方に見えるのは、心斎橋筋の光の洪水である。そして、その都会的な光の洪水に飽いた時、大阪人が再び戻って来るのは、法善寺だ。





底本:「日本の名随筆9 町」作品社
   1983(昭和58)年7月25日第1刷発行
   1991(平成3)年9月1日第12刷発行
底本の親本:「定本織田作之助全集 第八巻」文泉堂書店
   1976(昭和51)年4月発行
※「月ケ瀬」の「ケ」を小書きしない扱いは、底本通りにしました。
入力:渡邉つよし
校正:門田裕志
2002年11月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

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