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四月馬鹿(しがつばか)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 10:04:38  点击:  切换到繁體中文

底本: 世相・競馬
出版社: 講談社文芸文庫、講談社
初版発行日: 2004(平成16)年3月10日
入力に使用: 2004(平成16)年3月10日第1刷
校正に使用: 2004(平成16)年3月10日第1刷


底本の親本: 織田作之助全集 第六巻
出版社: 講談社
初版発行日: 1970(昭和45)年7月

 

  はしがき

 武田さんのことを書く。
 ――というこの書出しは、実は武田さんの真似である。
 武田さんは外地より帰って間もなく「弥生さん」という題の小説を書いた。その小説の書出しの一行を読んだ時私はどきんとした。
「弥生さんのことを書く」
 という書出しであった。
 その小説は、外地へ送られる船の中で知り合った人の奥さん(弥生さん)を、作者の武田さんが東京へ帰ってから訪ねて行くという話で、淡々とした筆致の中に弥生さんというひとの姿を鮮かにうかび上らせていた。話そのものは味が淡く、一見私小説風のものだが、私はふとこれは架空の話ではないかと思った。
 武田さんが死んでしまった今日、もうその真偽をただすすべもないが、しかし、武田さんともあろう人が本当にあった話をそのまま淡い味の私小説にする筈がないと思った。「私」が出て来るけれど、作者自身の体験談ではあるまい。「雪の話」以後の武田さんの小説には、架空の話を扱って「私」が顔を出す、いわゆる私小説でない「私」小説が多かったのではあるまいか。武田さん自身言っていたように「リアリズムの果ての象徴の門に辿りついた」のが、これらの一見私小説風の淡い味の短篇ではなかったか。淡い味にひめた象徴の世界をうかがっていたのであろう。泉鏡花の作品のようにお化けが出ていたりしていた。もっとも鏡花のお化けは本物のお化けであったが、武田さんのお化けは人工のお化けであった。だから、つまらないと言う人もあったが、しかし、現実と格闘したあげく苦しまぎれのお化けを出さねばならなかったところに、永年築き上げて来たリアリズムから脱け出そうとするこの作家の苦心が認められた。
「弥生さん」という小説はしかし、お化けの出し方が巧く行ってなかった。そういう意味では失敗作だったが、逞しい描写力と奔放なリアリズムの武器を持っている武田さんが、いわゆる戦記小説や外地の体験記のかわりに、淡い味の短篇を書いたことを私は面白いと思った。嘘の話だからますます面白いと思った。しかも強いられた嘘ではない。それに、外地から帰った作家は、「弥生さんのことを書く」というような書き出しの文章で、小説をはじめたりしない。「日本三文オペラ」や「市井事」や「銀座八丁」の逞しい描写を喜ぶ読者は、「弥生さん」には失望したであろう。私もそのような意味では失望した。しかし、読者の度胆を抜くような、そして抜く手も見せぬような巧みに凝られた書出しよりも、何の変哲もない、一見スラスラと書かれたような「弥生さんのことを書く」という淡々とした書出しの方がむずかしいのだ。
 私は武田さんの小説家としての円熟を感じた。武田さんもこのような書出しを使うようになったかと、思った。しかし、私は武田さんを模倣したい気はなかった。だから、今、武田さんの真似をした書出しを使うのは、私の本意ではない。しかも敢て真似をするのは、武田さんをしのぶためである。武田さんが死んだからである。してみれば、武田さんが死ななければこんな書出しを使わなかった筈だ。ますます私の本意ではない。

     一

 武田さんのことを書く。
 ――戎橋えびすばしを一人の汚ない男がせかせかと渡って行った。
 その男は誇張していえば「大阪で一番汚ない男」といえるかも知れない。髪の毛はむろん油気がなく、櫛を入れた形跡もない。乱れ放題、汚れ放題、伸び放題に任せているらしく、耳がかくれるくらいぼうぼうとしている。よれよれの着物の襟を胸まではだけているので、蘚苔こけのようにべったりと溜った垢がまる見えである。不精者らしいことは、その大きく突き出た顎のじじむさいひげが物語っている。小柄だが、角力取りのようにでっぷり肥っているので、その汚なさが一層目立つ。濡雑巾が戎橋の上を歩いている感じだ。
 しかし、うらぶれた感じはない。少し斜視がかった眼はぎょろりとして、すれちがう人をちらと見る視線は鋭い。朝っぱらから酒がはいっているらしく、顔じゅうあぶらが浮いていて、雨でもないのにまくり上げた着物の裾からにゅっと見えている毛もじゃらの足は太短かく、その足でドスンドスンと歩いて行く。歩きながら、何を思いだすのか、一人でにやっと不気味な笑いを笑っている。笑うと、前歯が二本欠けているのが見える。若い身空でありながらわざと入れようとしないのは、むろん不精からだろうが、それがかえって油断のならない感じかも知れない。精悍な面魂つらだましいに欠けた前歯――これがふと曲物くせもののようなのだ。いずれにしても一風変っている。
 変っているといえば、彼は兵古帯を前で結んで、結び目の尻尾を腹の下に垂れている。結び目をぐるりとうしろへ廻すのを忘れたのか、それとも不精で廻さないのか、いや、当人に言わせると、前に結ぶ方がイキだというのである。バンドは前に飾りがついているし、女は帯の上に帯紐をするし、おまけにその紐は前で結んでいるではないか、男の帯だって袴の紐のように前で結ぶべきものだというのである。
 しかし、いくら彼がイキだと洒落ているつもりでも人はそうは受け取ってくれない。折角前で結んだ帯も彼の汚なさの一つに数えてしまうのである。
 なぜそんなに汚ないのか。いうならば、貧乏なのである。彼は帝大の学生だった頃、制服というものを持たなかった。中学生の時分より着ているよれよれの絣の着物で通学した。袴をはくのがきらいだったので、下宿を出る時、懐へ袴をつっ込んで行き、校門の前で出してはいたという。制帽も持たなかった。だから、誰も彼を学生だと思うものはなかった。労働者か地廻りのように思っていた。貧しく育った彼は貧乏人の味方であり、社会改造の熱情に燃えていたが、学校の前でその運動のビラを配る時、彼のそんな服装が非常に役に立ったというくらい、汚ない恰好をしていたのである。
 もっとも、貧乏だけで人はそんなに汚なくなるものではなかろう。わざと汚なくしていたのは、お上品なプチブル趣味への反逆でもあった。彼は小説家だが、彼の書く小説にはつねに庶民が出て来た。彼自身市井の塵埃や泥の中に身を横たえて書いたと思われるような小説が多かった。たまたまブルジョワが出て来てもしかしそれはブルジョワを攻撃するためであった。乗物は二等より三等を愛し、活動写真は割引時間になってから見た。料亭よりも小料理屋やおでん屋が好きで、労働者と一緒に一膳めし屋で酒を飲んだりした。木賃宿へも平気で泊った。どんなに汚ないお女郎屋へも泊った。いや、わざと汚ない楼をえらんで、登楼した。そして、自分を汚なくしながら、自虐的な快感を味わっているようだった。
 しかし、彼とても人並みに清潔に憧れないわけではない。たとえば、銭湯が好きだった。町を歩いていて銭湯がみつかると、行き当りばったりに飛び込んで、貸手拭で汗やあぶらや垢を流してさっぱりするのが好きだった。だから一日に二度も三度も銭湯へ飛び込んだりする。そういう点では綺麗好きだった。もっとも、潔癖症やプチブル趣味の人たちは銭湯は不潔だというだろう。綺麗好きが銭湯好きにはならないと笑うだろう。つまり彼の銭湯好きは銭湯が庶民的だからだと、言い直した方がよさそうだ。浮世風呂としての銭湯を愛しているのかも知れない。ところが、それほど銭湯好きの彼が何かの拍子に、ふと物臭さの惰性にとりつかれると、もう十日も二十日も入浴しなくなる。からだを動かすとプンといやな臭いがするくらい、異様に垢じみて来るのだが、存外苦にしない。これがおれの生活の臭いだと一寸惹かれてみたら、どうだい、この汚れ方は、これがおれの精神の垢だよ、ケッケッケッと自虐的におもしろがったりしている。大阪で一番汚ない男だと、妙に反りかえったりしている。
 つまりは、その風体の汚なさと、彼という人間との間に、大したギャップがないのだ。いわば板についた汚なさだ。公園のベンチの上で浮浪者にまじって野宿していても案外似合うのだ。
 そんな彼が戎橋を渡って、心斎橋筋を真直ぐ北へ、三ツ寺筋の角まで来ると、そわそわと西へ折れて、すぐ掛りにある「カスタニエン」という喫茶店へはいって行ったから、驚かざるを得ない。「カスタニエン」は名前からしてハイカラだが、店そのものもエキゾチックな建築で、装飾もへんにモダーンだから、まるで彼に相応わしくない。赤暖簾のかかった五銭喫茶店へはいればしっくりと似合う彼が、そんな店へ行くのにはむろん理由がなくてはかなわぬ。女だ。「カスタニエン」の女給の幾子に、彼の表現に従えば「肩入れ」しているのである。
 もう十日も通っているのだ。いや、通うというより入りびたっているといった方が適当だろう。店があくのは朝の十一時だが、十時半からもうボックスに収まって、午前一時カンバンになるまでねばっている。ざっと十三時間以上だ。その間一歩も外へ出ない。いわば一日中「カスタニエン」で暮しているのだ。てこでも動かぬといった感じで、ボックスでとぐろを巻いているのだ。しかし、十三時間の間、幾子と口を利くのはほんの二言か三言だ。あとは幾子の顔を見ながら、小説のことを考えたり、雑誌を読んだり、客と雑談したりしているのだ。客のなかには文学青年の入山もいる。なかなかの美青年で、やはり幾子に通っているらしい。いわば二人は心ひそかに張り合っているのだ。そしてお互い自分の方に分があると思っているのだ。
 幾子は誰からも眼をつけられていた。そしてそんな女らしく、とくに誰か一人と親しく口を利くようなことはせず、通って来る客の誰ともまんべんなく口を利いていた。ところが、そんな幾子がどうした風の吹き廻しであろうか、その日は彼にばかし話しかけて来た。彼はすっかり悦に入ってしまった。
 夜になると、幾子はますます彼に話しかけて来て、人目に立つくらいだった。入山は憤慨して帰ってしまった。
 入山が帰って間もなく、幾子は、
「あたし、あなたに折入って話したいことがあるんだけど……。その辺一緒に歩いて下さらない」
 耳の附根まであかくなった。彼は入山のいないことが残念だった。二人で「カスタニエン」を出て行くところを、入山に見せてやりたかった。
 彼は胸をわくわくさせ乍ら、幾子のあとにいて出た。「カスタニエン」の主人には十分もすれば帰ると言って出たが、もしかしたら、永久に帰って来ないかも知れない。
 並んで心斎橋筋を北へ歩いて行った。
「話て、どんな話や」
「…………」
 幾子は黙っていた。彼も黙々としてあるいた。もう恋人同志の気分になっていた。だから、黙々としている方がふさわしい。
 異様に汚ない彼が美しい幾子を連れて歩いているのは、随分人目を惹いた。が、彼は人々が振りかえってみるたびに、得意になっていた。
 心斎橋の橋のたもとまで来ると、幾子は黙って引きかえした。彼も黙って引きかえした。が、大丸の前まで来た時、彼は何か言うべきであると思った。幾子は恥かしくて言えないのだから、自分が言えばそれで話は成立するわけだと思った。で、口をひらこうとした途端、いきなり幾子が、
「話っていうのはね。……あなた、入山さんとお友達でしょう?」
「うん。友達や」
 彼の顔はふと毛虫を噛んだようになった。
「あたし恥かしくて入山さんに直接言えないの。あなたから入山さんに言って下さらない?」
「何をや!」
「あたしのこと」
 幾子は美しい横顔にぱっと花火を揚げた。
「じゃ、君は入山が……」
 好きなのかと皆まできかず、幾子はうなずいた。
 彼は「カスタニエン」に戻ると、牛のように飲み出した。飲み出すと執拗だ。殆ど前後不覚に酔っぱらってしまった。
 カンバンになって「カスタニエン」を追い出されてからも、どこをどう飲み歩いたか、難波までフラフラと来た時は、もう夜中の三時頃だった。頭も朦朧としていたが、寄って来る円タクも朦朧だった。
「天下茶屋まで五円で行け!」
「十円やって下さいよ」
「五円だと言ったら、五円だ!」
「じゃ、八円にしときましょう」
「五円!」
「じゃ、七円!」
「行けと言ったら行け! 五円だ!」
「五円じゃ行けませんよ!」
「何ッ? 行かん? なぜ行かん?」
「行かんと言ったら行かん!」
「行けと言ったら行け!」
 そんな問答をくりかえしたあげく、掴み合いの喧嘩になった。運転手は車の修繕道具で彼の頭を撲った。割れて血が出た。彼は卒倒した。
 運転手は驚いて、彼の重いからだを車の中へかかえ入れた。
 そして天下茶屋のアパートの前へ車をつけると、シートの上へ倒れていた彼はむっくり起き上って、袂の中から五円紙幣を掴み出すと、それをピリッと二つに千切って、その半分を運転手に渡した。そして、何ごともなかったように、アパートの中へはいって行った。

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