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矛盾の様な真実(むじゅんのようなしんじつ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-30 8:13:30  点击:  切换到繁體中文

底本: 梶井基次郎全集 第一巻
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1999(平成11)年11月10日
入力に使用: 1999(平成11)年11月10日


底本の親本: 「嶽水会雑誌」第84号
初版発行日: 1923(大正12)年7月13日

 

「お前は弟達をちつとも可愛がつてやらない。お前は愛のない男だ。」
 父母は私によくママう云つて戒めた。
 實際私は弟達に對して隨分突慳貪であつた。彼等を泣かすのは何時でも私であつた。彼等に手を振り上げるのは兄弟中で事實私一人だつた。だから父母のその言葉は一應はもつともなのであるが私は私のとつてゐた態度以外にはどうしても彼等が扱へなかつた。
 私はどちらかと云へば彼等には暴君であつた。然しとにかく弟達はそれの或程度迄には折れ合つて、私對弟等の或る一定した關係の朧ろな輪廓が出來てゐた。
 然しその標準から私は時々はみ出たことをした。――と云ふよりも事實いけないと思ふ樣なことをした記憶をもつてゐる。

 三年程以前のことだと思ふ。その勘定だと、上の方の弟が十三で、その次が十の時だつた筈である。
 その下の方の弟がこんなことを云つて戸外そとから歸つて來た。
「勇ちやん――(上の方の弟の名)――今そとでよその奴に撲られたんだよ。」
 譯をきいて見れば、勇が自轉車につきあたられて、そしておまけに「この間拔け奴。」と云つてその乘つてゐた男に頭を撲られたと云ふのである。
 私はそれをきくとむら/\とした。年をきいて見ると四十程の男だと云ふ、私はその男を自轉車からひきずりママして思ひ切りこらしめてやりたかつた。
 私は、氣が弱くて恐らくは抵抗出來なかつた弟がどんなに口惜しく思つてゐるだらうと思つた。そんな奴はどれだけこらしめてやつてもいゝと思つた。そして私は何時のまにか、うんと顏を陰氣にしてしまつてゐた。
 然し母はやはり年の功だけのことを云つた。つまり勇にもいけない所があつたにちがひないと云ふ風なことを云ひ出した。
 私はそれをもつともだとは思つたが、十三位の家の弟をよその大人が撲るといふ樣なことはどうしても許せないと思つた。
「お母さん! ママう云つてあなたはそれで堪忍出來るのですか。」と私は母に喰つてかゝつたのを覺えてゐる。私は不愉快で不愉快で堪らなかつたのだつた。
 そこへその本人が歸つて來た。顏を見ると悄げかへつてゐる。そして泣いたあとらしく頬がよごれてゐた。私はそのしよぼしよぼした姿を見ると可哀さうには思つたが、なほさら不愉快が増した。
 私が問ふと弟は話し話しまた涙をためた。――きいてゐる中にふと私はその話に少し嘘があるのを感じた。勝手のいゝ胡麻化しがある樣に思つた。
 その弟は常からよく勝手のいゝ嘘を云つた。私はそれがいやで堪らなかつた。
 ――私はその氣持には純粹に嘘を忌むといふ氣持もあるにはあつたらうが、それよりももつと私に應へるのは弟に私の戲畫カリカチユアを見せられることであつた。
 包まず云ふが、私自身はこれでかなりのママ言家なのである。そして虚榮家の素質も充分持つてゐる。私は自分の卑しい所、醜い所、弱い所をかくすためによく嘘を云つた。
 私は自分のこの性格が忌々しくてならないのである。
 その思ひ出したくない急所に、弟の淺墓な嘘が強く觸れる。そこを殊更に醜く擴大した私自身のポンチ繪を見せつけられる樣なママ辱を感じる。
 私のその氣持にはそれが私の肉親であるといふことも大分手傳つてゐるのだと思ふ。――つまりポンチ繪と云ふよりも本當の私の姿だと思へるためではないかと思ふ。またもう一歩進めば――「勇さんは嘘つきだ。兄弟は爭へない。あの直ぐ上の兄さんも。」といふ風になつて、あまり明瞭ではなかつた私のその嫌な性格が、弟のそれではつきり世間の人にわかつてしまふといふ懸念が、或は働いてゐるのではなからうか。
 やはりこれが肉親の故でもあらうし、永く一緒に暮して來た故でもあらうが、第一は性格の相似から、私には弟の嘘が、その顏付や語調から、手にとる樣に――丁度私自身がその嘘を云つてゐる樣にわかる樣に思へるのである。そして事實は十中八九それの正鵠を證明してゐる。
 そんな譯で私は弟が物を云ふとその話の中途で「それは嘘だ。」と云ひ切つたりすることがある。――こんな無禮なことは弟だからと云つて許さるべきものではない。然し私は不愉快のあまり憎惡さへ募らせて、意地惡くそれを云ふのである。そして弟の話の腰を折つてしまふ。
 またあまり堪へ切れなくなると、私はむらむらと前後を忘れて、「馬鹿! また嘘を云つてる。」などゝ怒鳴りつけずにはゐられなくなる。――つまり私はその時、情ない氣持で歸つて來た弟にこれを浴せかけたのだつた。

「またお前も意氣地なしだ。それで默つてゐるつてことがあるかい。何故一つでも撲り返さなかつたのだ。」
 私は弟の苦しい胡麻化しをその場合許せばよかつたのだつたが、その卑怯な嘘を感じると私は意地惡くなつて、ついそんなつかぬことを云つてしまつたのだつた。一つはあまりの口惜しさから。
「……でも石を一つ投げてやつた。……」
 その時私は、その聲の弱さに、また顏の頼りなさに、私の嫌な嫌な、眞赤な嘘の證據を見たのだつた。
 私の先程から積つてゐた不愉快は、それに出喰はすと新たに例の不愉快を加へて一時にはづんで來た。そして猛烈なはけ口を求めた。私はこの壓力で爆發する樣に「馬鹿※(感嘆符二つ、1-8-75)」をやつてしまつた。

 私はこれを思ひ出すと、その時の弟が可哀さうで堪らなくなる。本當にママうだ。
 弟はそんなことでも云つて見なければ、あまりに口惜しく、自分がみママめだつたにちがひない。
 私がその時それを信じてやれば幾分かは、彼の無殘に傷けられた心も慰められただらうのに。
 私はその時の弟が可哀相でならない。
 惡いことをしたと思ふ。
 

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