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岩石の間(がんせきのあいだ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-8 10:59:22  点击:  切换到繁體中文



 年はとっても元気の好い先生の後にいて、高瀬はやがてこの小楼を出、元来た谷間の道を町の方へ帰って行った。一雨ごとに山の上でも温暖あたたかく成って来た時で、いくらか湿った土には日があたっていた。
「桜井先生、あの高輪たかなわの方にあった御宅はどう成さいました」
「高輪の家ですか。あれは君、実に馬鹿々々しい話サ……好い具合に人に胡麻化ごまかされて了いました……」
 高瀬は先生の高輪時代をよく知っている。あの形勝の好い位置にあった、庭も広く果樹なども植えてあった、恐らく永住の目的で先生が建てた家を知っている。あの時代に居た先生の二度目の奥さんを知っている。あの頃は先生もまだ若々しく、時には奥さんに軽い洋装をさせ、一緒にさる町辺を散歩した……先生にもそういう時代のあったことを知っている。
 話し話し二人は歩いた。
 坂に成った細道を上ると、そこが旧士族地の町はずれだ。古い屋敷の中には最早もう人の住まないところもある。こわれた土塀どべいと、その朽ちた柱と、桑畠に礎だけしか残っていないところもある。荒廃した屋敷跡の間から、向うの方に小諸町の一部が望まれた。
「浅間が焼けてますよ」
 と先生は上州の空の方へなびいた煙を高瀬に指して見せた。見覚えのある浅間一帯の山脈は、旅で通り過ぎた時とは違って、一層ハッキリと高瀬の眼に映って来た。
 先生の住居に近づくと、一軒手前にある古い屋敷風の門のところは塾の生徒が出たり入ったりしていた。寄宿する青年達だ。いずれも農家の子弟だ。その家の一間を借りて高瀬はさしあたり腰掛に荷物を解き、食事だけは先生の家族と一緒にすることにした。横手の木戸を押して、先生は自分の屋敷の裏庭の方へ高瀬を誘った。
 先生の周囲は半ば農家のさまだった。裏庭には田舎風な物置小屋がある。下水のためがある。野菜畠も造ってある。縁側に近く、大きな鳥籠とりかごが伏せてあって、その辺には鶏が遊んでいる。今度の奥さんには子供衆もあるが、都会育ちの色の白い子供などと違って、「坊ちゃん」と言っても強壮じょうぶそうに日に焼けている。
 東京の明るい家屋を見慣れた高瀬の眼には、屋根の下も暗い。先生のような清潔好きれいずきな人が、よくこのむさくるしい炉辺ろばたに坐って平気で煙草がめると思われる程だ。
 高瀬の来たことを聞いて、逢いに来た町の青年もあった。どうしてこんな田舎へ来てくれたかなどと、挨拶あいさつも如才ない。今度の奥さんはミッション・スクウルを出た婦人で、先生とは大分年は違うが、取廻しよく皆なを款待もてなした。奥さんは先生のことを客に話すにも、矢張「先生は」とか「桜井が」とか親しげに呼んでいた。
「高瀬さんに珈琲コーヒーでも入れて上げたらかろう」
「私も今、そう思って――」
 こんな言葉を奥さんとかわした後、先生は高瀬と一緒に子供の遊んでいる縁側を通り、自分の部屋へ行った。庭の花畠に接した閑静な居間だ。そこだけは先生の趣味で清浄きれいに飾り片附けてある。唐本の詩集などを置いた小机がある。一方にはせんの若い奥さんの時代からあった屏風びょうぶも立ててある。その時、先生は近作の漢詩を取出して高瀬に見せた。中棚鉱泉の附近は例の別荘へ通う隠れた小径こみちから対岸の村落まで先生の近作に入っていた。その年に成るまで真実ほんとうに落着く場所も見当らなかったような先生の一生は、漢詩風のことばで、その中に言い表してあった。
 その晩、高瀬は隣の屋敷の方へ行って、一時借りている部屋で、東京の友人に宛てた手紙を書いた。一間ほど隔てて寄宿する生徒等の何かゴトゴト言わせる音がする。まだ他に部屋を仕切って借りている人達もあると見え、一方の破れたふすまの方からは貧しい話し声がボソボソボソボソ聞える。旅の行李の側に床を敷いてからも、場所の違ったのと、鼠の騒ぐのとで、高瀬はよく寝就かれなかった。彼の心はまだ半ば東京の方にあった。自分のために心配していてくれる人達のことなどが、夜遅くまで、彼の胸を往来した。

 朝早く高瀬は屋外そとに出て山を望んだ。遠い山々にはまだ白雪の残ったところも有ったが、浅間あたりは最早すっかり溶けて、牙歯きばのような山続きから、陰影の多い谷々、高い崩壊の跡などまで顕われていた。朝の光を帯びた、淡い煙のような雲も山巓いただきのところに浮んでいた。都会から疲れて来た高瀬には、山そのものが先ず活気と刺激とを与えてくれた。彼は清い鋭い山の空気をえた肺の底までも呼吸した。
 塾で新学年の稽古けいこが始まる日には、高瀬は知らない人達に逢うという心を持って、庭伝いに桜井先生を誘いに行った。早起の先生は時間を待ち切れないでとっくに家を出た。裏庭には奥さんだけ居て、主婦らしく畠を見廻っていた。
「でも、高瀬さん、田舎ですね。後の方にある桑畠まで皆なこの屋敷に附いてるんですよ――」
 と奥さんは言って聞かせた。
 草の芽が見える花畠の間を通って、高瀬は裏木戸から桑畠の小径へ出た。その浅く狭い谷一つ隔てた岡の上が、直ぐ塾の庭だ。樹木の間から白壁だの教室の窓などが見えるところだ。高瀬は谷を廻って、いくらか勾配こうばいのある耕地のところで先生と一緒に成った。
「ここへは燕麦からすむぎを作って見ました。私共の畠は学校の小使が作ってます」
 先生はその石の多い耕地を指して見せた。
 塾の庭へ出ると、桜の若樹が低い土手の上にも教室の周囲まわりにもあった。ふくらんだつぼみを持った、紅味のある枝へは、手が届く。表門のさくのところはアカシヤが植えてあって、その辺には小使の音吉が腰をかがめながら、庭をいていた。一里も二里もあるところから通うという近在の生徒などは草鞋穿わらじばきでやって来た。
 まだ時が早くて、高瀬は先生の室を見る暇があった。教室の上にある二階のすみが先生のデスクや洋風の書架の置並べてあるところだ。亜米利加アメリカに居た頃の楽しい時代でも思出したように、先生はその書架をうしろにして自分でも腰掛け、高瀬にも腰掛けさせた。
「好い書斎ですネ」
 と高瀬は言って見て、窓の方へ行った。蓼科たでしなの山つづきから遠い南佐久さくの奥の高原地がそこから望まれた。近くには士族地の一部の草屋根が見え、ところどころに柳の梢の薄く青みがかったのもある。遅い春がようやく山の上へ近づいて来た。
「高瀬さん、これを一つ君に呈しましょう」
 と言って先生が書架から取出したのは、古い皮表紙の小形の洋書だ。先生は鼻眼鏡をたかい鼻のところに宛行あてがって、過ぎ去った自分の生活の香気においぐようにその古い洋書を繰りひろげて見て、それから高瀬にくれた。
 正木大尉は幹事室の方に見えた。先生と高瀬と一緒にその室へ行った時は、大尉はすみのところに大きな机を控えていた。高瀬は、大尉とは既に近づきに成っていた。
「正木先生は大分漢書を集めて被入いらっしゃいます――法帖ほうじょうの好いのなども沢山持って被入いらっしゃる」と先生は高瀬に言った。「何かまた貴方あなたも借りて御覧なすったら可いでしょう」

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