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移民学園(いみんがくえん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-11 9:27:58  点击:  切换到繁體中文


   下の一

 七条の停車場すてーしよんといへば、新橋梅田の、それ程にこそ雑踏せざれ。四時の遊客絶え間なき、京は日本の公園なれや。諸国の人が乗降も、半ばは花に紅葉の客、夏は河原の夕涼み、流るる水の一滴が、さても東都の土一升、千万金の凉しさに、東の汗を洗はむと、西の都に来る人の、急がぬ旅も、急行の列車は乗せて運ぶ世の、一味平等、改札の口には上下貴賤なく、赤白青のいろいろが、先を争ふその中に。一人後れし丸髷の、際立つ風姿なりふり眼を注けて、これぞ好き客有難しと、群がる車夫が口々に、奥さんどうどす、お乗りやす、御勝手まで行きまひよかと。先づ京音の悠長を、つと避けて。茶屋が床几に腰掛くれば、女主の案内、特別に、奥座敷へと待遇すも煩はしく。なに急ぐんだから、ここで好いのよ、それよりか、これで手荷物を受取つて、人力車くるまを直ぐにといつて下さい。へいあのお人力車、どこまでと申しませう。はあたしか、柳原庄、銭坐村といふんだよ。へいあの柳原、それに違ひはござりませぬかと、恠訝な顔に念押せる、これも京の名物かと、走らぬ人力車促がして、ここ銭坐村といふを見れば。右も左も小さき家の、屋根には下駄の花緒を乾し、泥濘ぬかりたる、道を跣足はだしの子供らは、揃ひも揃ひし、瘡痂かさぶた頭、見るからに汚なげなるが、人珍らしく集ひ来て、人力車の前後に、囃し立つるはさてもあれ、この二三町を過ぎ行くほどは、一種の臭気身を襲ひ、えもいはれぬ、不快の感を、喚び起こせるも理や。葱の切れ端、鼠の死骸の、いつよりここには棄てられけむ、溝には塵芥ごみうづたかく、たまたま清潔きよき家ぞと見るも、生々しき獣皮の、内外には曝されたる、さりとては訝しさを、車夫に糺せば、個は穢多村なりといふ。穢多村の、そこに要あるこの身にあらず、西京には銭坐村の、この外になき事か。へいへいそれはごもつともでも、銭坐の村名は、ここに限るを、どうしたものと、車夫も不審を、引込みかぬるに。それならば是非もなし、よもやと思へど、この村に、河井太一といふお方の、ありやなしやを尋ねておくれ。へいへい宜しうござりますると、とある門辺に声掛くれば。白きものに、前掛けせし女房の走り出で。太一さんならその辻を、左へ廻つた三軒目、心易うして居るほどに、知れずば教へて上げやうと。袖なしはんてん引掛けて、馴れ馴れしくも附添来るは、この珍客の来臨を、近処へ布告ふれむ下心、家並に声をかけ行くも、かかるところの習ひかと、人力車の上なる人の身は、土用の天にも粟立ちし、身の寒さをも覚えしなるべし。

 お父さま、御気分は、どの様にござりまする。一時も早うと存じましても、十五時間、やうやうただ今着きました。さぞかしお待ちあそばしましてと。破れ畳に、煎餅蒲団、壁に向かひて臥したる老爺ぢぢの、背後うしろにしよんぼり、夢心地。坐りし膝も落着かぬ、外面の人立ち、迷惑を、夕陽に寄せて、そつと締め。ま何からお話し申さうやら、存ぜぬ隙に、東京を、お引払ひのその後は、夜の間も忘れぬ御懐かしさも、御教訓の重さにはと、思ひ替えて、朝夕を、一人で泣いておりましたに、思ひも寄らぬ昨日の御たより。やれ嬉しやも、心配の先立ちまする、御重病。はやはや来いのお報知しらせは、どなたのお筆かは知らぬど、どうでお許しあつての事。お目に掛かれる嬉しさが、もし御病気の心配なしに、来らるるものなら、どれ程にも嬉しからうと存じましたは、栄耀の沙汰。早速夫の許しを受け、御介抱に、参りました上からはもうもう御安心あそばして下さりませ。これまではお一人の、御病気ではなほの事、御不自由でもござんしたらうが。かうして私、参りました上からは、ここが何なら、病院でも、お心任せの御養生、どの様に致してなり、きつと早々御全快はさせまする。思ふたよりは、御気分もお宜しさうなお寐姿、この分ならば今の間に、御全快はあそばしませふ。先づ何分にも、お心を寛やかにあそばすが、何よりのお薬と。見るからに陥ち凹みし、頬はかうでもなかりしに、さりとてはおやつれと。横顔ながら、身の痩せも、思ひ知らるる悲しさを。何事なげにいひなして、力付くるも、孝行の手始めぞとや、膝すり寄せ、脊の辺りを撫で掛かる、手を病人は払ひ退け、滅相な滅相な、どこのお女中様かは知らぬが、前刻さつきから聞いてゐれば、父御様にも仰しやるやうなお見舞は、なんとももつて合点が行かぬ。御風体なら、御人品、新平の親爺が娘に持つやうな、お人柄でもないものを、どう門違えなされたか。御身分にも※(「てへん+勾」、第3水準1-84-72)はる事、早速お帰り下されい。な、なるほどこの親爺、娘一人持つた覚えは確かにござる。でもそれは、子細あつて、父子の縁切れ、父でない、娘でない一札が渡してある筈。どう狼狽うろたえて、この様な処へ親を尋ねて来る、馬鹿ものではござらぬからの。これには何ぞの行違ひ。病気の報告があつたとは、いつさい合点が行かぬ事。恐らく誰かの悪戯に、手紙を出した事かは知らぬが。隠すより顕はるる、お前様の住所を人に知られたは、一つの災難、もうこれで、いとぐちは出来たにせよ、好んで秘密を破るでもなからう。今の間ならば、門違えでも事は済む。世間へぱつとせぬ内に、さ早う去んで下され、帰つて下され。縁は切つても、子の味知つたこの親父、よそ外の娘御でも、気にかかる。新平の子と間違えられては、お前も立つまい、お前様の御亭主はなお立つまい、それが父御の本懐か。門違えでも一言の、見舞は受けたこの親爺、養生もする、死にもせぬ、安心して帰らつしやい。これ程いふに、もじもじして、まだ立たれぬか、帰れぬか、さてさて鈍な女中じやの。ええわそれではこの親爺、叶はぬ腕にも立たせてみせる、引張り出すが承知かのと。危ふき足もとよろよろと、立ち掛けて身をばたり、あはやといたはる女は涙、親爺も残念共泣きの、涙はさすが眼に充ちて、口ばかりは強さうに、帰れ帰れと続けたり。
 折から門の戸引開けて、入来る男は羽織がけ、鄙しからぬ風躰は装へど。どうやら爛れ眼、皮のもの、煙草入れを手に提げて、どかりとばかり胡坐あぐらかき。太一怒るな了簡せい、麁相はおれじや謝罪あやまるわ。まあ女中も落着いて、せつかく来たもの聞きなさい。この中から太一が病気、それはそれは大熱で、とてもじやないが治癒なほるまいと、かういふ村でも村中は、親類交際、素人より、親切なだけ心配する。中でもおれは、小僧の時分、太一には手習ひも教はつただけ、懇意も格別。この春太一がこの村へ、廿五年の久し振り、帰つてくれたその後は、兄弟同様、人一倍案じるにつけ思ひ出し。何でもここを出る時分、一人の乳呑はあつた筈。どこへ置いて来たともいはぬが、生きてゐるなら、報告せてやれ。もしもの事があつた時、跡の思ひが憐れぢやと、何遍いふても取合はず。旅の空で困つた時、親知らず子に遣つた。生死共に分らぬ娘、打遣つておいてくれ、逢ひたいとも思はぬと、ただ一口にいひ消せど。熱が嵩じた囈言うわごとには、またしてもお清お清といひ続け。春衛さんが大臣に、ならしやつて目出たいわ。嬉しやお清、嬉しかろ、逢はれぬが残念じや、逢はれぬ親の因果を見いと。二言目には、逢はれぬと、お清お清のその中には、春衛さんの、大臣が耳立つて。はてな、何でも子細があらうと、考へれば、なるほどな。噂の高い新米の大臣は、どれもこれも、一足飛びの出世の中に、今尾春衛といふ人が、確かにあるといふ事に。これはてつきり太一めが、東京に居たとはいはぬが、詞は隠せぬ東京訛り。よくある奴で遊所へでも、娘を売つたが縁になり、その春衛とかいふ人の、傍に居るではなからうかと。な怒つてはくれまいぞ、思ひ付きの当推量。それ程恋しいものならば、逢はしてやるも功徳じやと。二三日前、医師の奴、これはと首をひねつた時。ままよ、よしんば間違ふても、これが警察行にもなるまい。当るも八卦、当らぬも、八卦を当ててみるつもり。一時も早う来てくれと、藪から棒の手紙は書いても。東京の、処は分らず。大臣の春衛が内で、お清様。これがさうなら大当り、お娘が出て来て、二人共、喜ぶ顔を見る時に、おれが手柄を吹聴しやうと。太一には沙汰なしで、手紙を出したは、猿智恵か。先刻嬶が話では、何でも立派な女客が来たとの事。しめたぞやつぱり当つたか、喜ぶ顔を見て来うと、これこの様に、羽織まで、身装みなりをつくつて来て見れば。大あて違ひ、大失策しくじり、帰れ去ねいと太一が小言。戸外で立聞く、身の辛さ。お娘が気の毒、可愛いとしさに、怒られるのは承知の上で、おれが出過ぎを白状する。な太一、新平の娘といはせまいとの心配。親の慈悲はさうでもあらうが、来たからは詮方がない。今日一日を打解けて、逢ふたからとて、このおれが、娘が男の名をいはずば。お前の娘と近所へ知れても、どこの何といふ素人に拾はれたとも知れずに済む。麁相そそうをした上、口賢ういふではないが、よ太一。天照大神八幡宮、春日明神三社を掛けて、誓ひを立てる。嬶はおろか、死ぬまでも、口から外へ出しはせぬ。安心して逢ふてやれ。なお清坊、そじやないか。お前はとんと知るまいが、おれは嘉平といふ太鼓屋、今年四十歳を出過ぎもの。お手のものだけ廿歳の頃、でんでん太鼓でお前が誕生、祝ふてやつた事もある。その時の稚な顔、これ程の女子になるとは夢じやてな。今の身分がどうであれ、我かおれかがこの村の、通り詞じや。はははは失礼のはつれいのと、詞咎めをせまいぞと。囁く際も内外に、心を配るは立聞きを、おのれに懲りて見張番。嘉平が立つ居つするを。じろりと太一は見る眼の憂さ。坐れ嘉平、今更それが何になる、とぼけた真似をするないやい。戸障子を塞いだら、世間の口が塞げるか。馬鹿めこれがどうなるぞと。怒りの声も、身の疲れ、枕抱えて吐く息の、深くも心痛むるを。お辛度からう、撫でさせてと、怖々さしよる清子が身は、心ならずも、撫でさする、父に劣らぬ憂き思ひ、さてはさうした身分かや。今までさへに里方を、謡はれしもの、この後が、思ひやられて浅ましや。よしこの上は重ねても、良人の家へは帰るまじ。身は新平のそれもよし、貴夫人と囃されて、親につかえぬそれよりは、新平とても人の子の、道は一ツを立ててこそ、人と生まれし甲斐はあれ。同じ人の子、平民を、など新旧には分ちしぞ。差別なしとは表向き、世の習はしは、新といふ、文字のすべてに喜ばるる、それに引換え、平民の上にかぶりし新の字は、あらゆる罪と汚れをば、含めるもの、世の人に誤らるるも理や。昨日までも今日までも、良人つまに連添ふ我が身とて、平民主義を上もなき、真理と採りしこの身さへ、身を新平と聞き知りては。道理の外の新しき、汚れに染みし心地もする、我さへにさるものを。まして浮き世の位山、尊きを望む人心、ひくきはよしや衣と食を、姦淫に仰げばとて、新平ならぬを栄とする、世の人口ひとびとに何として、穢多ばかりかは、人口の心の汚れ、それこそは、実に穢多なりとたださるべき。よしそれとても、今日よりは、ここを我が身の死に処。心の限り養生をさせましてのその上に、御全快にもなるならば。父子おやこ二人が身を捧げ、同じ汚れの名にも染む、人の為にも尽くすぞならば。自からなる楽しみの、その中にしもあるべきを、何にこの身を歎くべき。いやまてしばし、一筋の理屈はよしやさりとても。新平の娘を妻にもしたまひし、良人の名折れ、明日よりの、お名の汚れを何とかせむ。知らぬ昔はともかくも、知りてこの身を潔く、たとへば引いて退いたりとも、それにすすげる御耻辱が。かかる因果の身と知らば、恋しき君を良人には、持つまじきもの、なまなかに、遂げての後に、遂げずなる、恋とは知らで、恋しさを、一日一日に寄せられつ、寄せては返す浦の波、我からわれて別るるを、貞女の道と知るほどの、道理は何故に覚えしぞ。怨めしの父様や。新平ならば新平と、疾くにも明かしたまはむには。身を憚りて、世の中の、わけても名ある御方に、身を任せじを。これだけが、あなたへ不足。その外は新平ばかり継子にする、世間の人が不足ぞやと。口に出してもいひたさを、じつとらえて涙ぐむ、清子が顔を、さもこそと、太一は重き枕を擡げ。泣くなお清、改めていふて聞かす事がある、少しその手を休めてくれ。よ嘉平貴様も好きで出た角力、共々に聞いてくれ。湯なり水なり欠け椀に一杯注いでくれぬかと、しづかに咽喉をうるほしぬ。

   下の二

 あ残念や、この太一は、京も中京さる町で、人に知られし医師の子が、稚いから継母に、かかる身の習ひとて、おれは知らねど僻み性。下女下男まで弟御には似ぬ兄様よと軽蔑けなすのも、やつぱり継母の指図かと、思へば万事おもしろからず。好きで書物の一冊は、読む尻から、弟や継母の小声が気になつて。ええも止せ止せ、家に居て、こんな真似しやうより、外で少しは気晴しと、あてもなく出歩く内。悪い友には誘はれ易く、茶屋が二階の朝酒に、舌鼓打つその頃は、菓子料や薬礼も、大方おれが袂のもの。父が手許の金までも、持出したを見付けられ、もう今日限り勘当と父親の立腹も、われ悪いとは少しも思はず。おほかたこれも弟に、家継がせむ継母の讒言、欺されて無慈悲の父親怨めししと。勿体なや親心の今で思へば血の涙、勘当の意気張を、どの親類にも泣付いて、詫び言いへば済んだもの。おお出て行きませふ、出ませいでか、親のものは子のものを、使ふたからとて、わづかな金に惣領を見替えるほどの親父様こちらとても用はない。男子は裸体はだか百貫を、銭の三百持たぬとて、身の置き所ないものか。帰ると思ふて下さるなと十八歳の無分別、不孝たらだら出て見たが。さて世間は怖いもの、銭で買ふ深切は、家並にあつても、無代ただ買える人の情は、京中に品切れの札掛けぬが山。親の光は七光の、光に離れた身体では、八方塞がり、こちらから寄つても人は寄せ付けず。たまたま景物出すものが、親御様への詫び言と、敬して遠のく工夫はしても、世渡る橋は掛けてもくれぬに、始めて知つた親の庇陰かげ、雨露にも打たれぬ内、親類へも行かうかと、いくたび思はぬではなけれど。いかにしても広言を、継母に聞かれた上からは、男子がさうでもあるまいと、張にもならぬ張持つて、西も東も、行詰りたる味気なさ。まさか死なふと思はねど、桂へ行つてもおもわくの違ひし足の遣り端なく。夜深の人も通らぬを、幸ひの思案場処。桂の橋の欄杆に、水音聞いてゐるところへ、通り掛かつた人こそは、後に舅となるほどの、深いゑにしか。その時から他人ではない深切に、我を身投げと思ふたか。是非とも家まで送らふと、強ひられては包まれず。帰るに家なき勘当の身と断れば、なほの事、それはどうでも見離せぬ、いつまでなりと逗留と、連れられたは闇の夜の、月にも見離されたる身、まさかに此村ここであらうとは、心注かぬももつともか。座敷の装飾かざり、主人の風体、夜明けて見ても一廉の大商人が夫婦して、親にも勝る親切づく、お顔がさしてもなるまいと、店の方はしめ切つて、何商売と分らねど、座敷にばかり待遇さるる身は詮索の要もなく。一日二日の休み場と思ひの外の逗留も、娘に弾かせし琴の音が、我心をも引止めしか。ままよ帰れといふまではと、腰を据えしが一期の不覚。素人を陥すあなとは気も注かず。冷たい母の懐に、人となりたるこの身には。世に珍しい人々の情に月も日も忘れ。身を忘れたるその後に、素生をかくと悟りしも。もう遅かりし、行末を、娘に契つた後の事。つらつら思へば世の中に、この仙境もあつたもの。外を奇麗に、内心は如夜叉によやしやの中に住まむより、人は穢多ともいはばいへ。人の心の花こそは、かういふ中に咲くものを、折つて棄てるが素人の、穢多にも勝る根性かと。理屈はどうでもつき次第、日が経つにつけ、浅ましと、見た眼も曇つて、皮臭い匂ひもとんと鼻にはつかず。そのまま此村に入聟の、実を結んだは、そなたの一粒。見るにつけても思ひ出す、親様はさぞ心外。いかに若気の誤りも、一生此村の芥になれと、勘当はなさるまい。人間の屑、男子の屑、親兄弟を笑はせて、生まれた子まで屑にする、おれは所詮仕方もなけれど。穢多の唱えも、平民の時節になつて生まれた子を、何の遠慮に一生涯、此村に育ててよいものぞ。先祖の遺体、せめてはこれを、人並々の世に出して、償ひをせふものと。思ふ心を悟りたる、妻も同意は、乳呑子の、そなたを置いて病死の際。どふぞこの子が穢れた血を、あなたのお手で洗ふて下され。河井の家名はどうでもよい、家庫いへくらはこの子のもの。素人を父様に持つたお蔭でこの子まで、清まる事なら先祖とて、何の否やを申しませふ。この子の祖父祖母二人共、きつと冥途で喜ぶ顔、私は今から眼に見えて、嬉しふ死んで行きますると。につと笑ふたその顔は、生まれに似合はぬ、美麗しい心のものであつたぞよ。そこでおれが心も決定きまり、家庫を金銭かねにして、東京へ引越したその後は。我が出所をば知られじと、籍も移して家も買ひ、身持律義にしてゐたれば。誰穢多村の出身と、知らぬを幸ひ、学校へそなたを預けて。我一人金貸世渡とせいも、手を広げず、人交際もせぬ理由わけは。ついした談話はなしの、いとぐちに、身柄を人に悟られまい、無益むだな金を使用つかふまいと、その用心に、なにもかも、一心一手におさめて置き。天晴れの男に添はせむその時に、拭えぬ曇りは是非もなし。諸芸はもとより、衣類や調度、金で買はれる光だけ、せめては添えてやらふものと、一心込めた親心。廿余年を、何楽しみの偏人生活、友にも、血にも、関係かかはりはたへた一人のそなたまで、傍には置かず、すげなうしたは。どうで嫁入りさする時、親と名告らぬつもりの身体、初手から離れてゐるがましと。可愛さを、人並の可愛さにはせぬ心の錠。三年五年はともかくも、廿年をその癖は、これが真実の偏人に、ならずに居らるるものかいやい。さこそは無情すげない父様と、不審も立つた事であろ。泣きも怨みもした顔を、見ぬとて見えぬ親の眼が、偏人は偏人の、泣きやうもした廿年。その甲斐ありて、ありとある、男の中にも、男との、その名ばかりか、ただ一度逢ふても知れる心ばえ。器量はおれが鑒識めがねにも過ぎた男に渡したからは、もう用のないこの身体。親も別に拵らえて、河井といふ名の出ぬやうにしてあるからは、すつぱりと役済みのこの親爺。親とはいはぬ親ながら、近所に居るはそなたの妨げ。どふぞ世間の人の眼も、耳も届かぬ処へと、思へば急に故郷の懐かしさはまた格別。乞食の三日が忘られぬ人のこころの不思議さは、そなたを此村ここに置くまいと、他国に苦労したおれが。自分ばかりはこの村の土となりたさ、多からぬ余命を隠れて住むつもりが。頭隠して尻隠さぬ、不念が基因もとのこの失策しくじりを、何とそなたに謝罪あやまらう。かうと知つたら、かねてより、身の素性をばそなたにも打明けておいたなら、その心得もあつたもの。知らせては一生を、心に咎めて暮さうかと、生中の可愛さを、残しておいたが、失策の種子となつたか残念や。もうこの上は詮方がない。たとへ嘉平はいはずとも、物事万事小細工に、包めるものと思ふたは、おれの誤り、どこぞから、世間へぱつとしてからは、聟殿がなほ気の毒。親爺一人は怨まれまい。父娘二人が同腹で、これまで乃公を欺したかと、痛まぬ腹を探られては、この后のそなたが心も済むまい。思ひ切つて今の間に、そつと離縁を取つて来い。それともにも聟殿が、男を立てて離縁せぬ、新平でも構はぬといはるるならば、それこそ重畳。この親爺はもとより亡いものと思ひ捨て、百千倍も身を責めて、並の女子が貞女には、万倍貞女の手本になり、新平の娘が汚れたか、見ん事世間に見てもらへ。今の思案はこの二ツ。さ、一刻を後れては、一人の噂を増す道理。嘉平人力車のある処まで、荷物を持つて送つてやれと。病苦をものの数ともせぬ、老の一轍金鉄の詞に籠る慈愛の数。さりとてはかくまでも、我を思召すぞとも、知らぬ心の子心に、今も今親を怨んだ勿体なさ。父様許して下さりませ。お道理はお道理でも、これ程のお煩ひ、親を見捨てて帰るのが、まこと貞女の道ならば、孝行はどの身体でいたしませう。かういふ身分が気に入らず、このままに御介抱申し上げたが、済まぬと夫が申すなら、それは先方から違えまする、道はこちらの知らぬ事。よも春衛とてそれ程の、没理漢わからずやではござんすまい。幸ひ昨日のお手紙を、見せましたその時にも、乃公は行かれぬ身体だけ、そなた二倍の御介抱を進ぜてくれ。誰なりとも手助けに、一人二人は召連れてと、心添えてもくれましたれど。かねてからの御教訓、御秘密といふ中に、どういふ事もあらうかと、用心に用心して、供をも連れず参りました上からは。さう早速にこの身分の漏れる事もござんすまい。ともかく四五日御介抱申し上げてのその上に、これならば安心の御容体が見えての事に致しまするも、さほど遅うはござんすまいと。口には平気を装へど。思へばこれが一年か二年に足らぬ契りでも。普通の夫婦を見るやうに、人手任せの気も知らず。出雲の神様、はあこれが、私の夫か妻かとて。合はせられてのその上に、無理に合はせた縁ではなく。他人で逢ふて、贔負眼も、ない間にちやんと見ておいて、許し合ふた上からは。添ふたが一日半時でも、身体ばかりが双棲の、一生涯を連添ふて、生涯気心も知らずにしまふ、雛様の夫婦とは違ふもの。千万年の馴染にも、まさると思ふその中で。夢見たやうな身の素性、これだけは、私も存じませなんだ堪忍してと。打ちつけに、我から破れる相談が出来やうものか。おめおめと、良人に顔が合はせる程なら、離縁との、決心も要らぬ事。それよりも合はせぬ顔を、このまま此村ここに御介抱。一生を、これにて果てるつもりにして、手紙だけにもそのよしを、通じて置かば、二度再び、夫の顔は見ぬとても、生涯を憐れのものよと、思はれて、暮せるだけがまだしもの本望とは、私が愚痴は勝手にせよ。廿余年の御高恩、私ばかりは人並のものになれよと御養育、海山の御慈愛も、親はさうしたものにせよ。子は子の情もあるものを。このままにお傍離れて帰宅かへつた上、もしその素性構はぬといはるるならば私とて、無理に離れる気も抜けやう。さうした時は夫へ不貞、あなたには、かねてよりの御気性。私ばかりの仕合はせを御本意の、親でない子でないと、お便りも絶えての後は御孝行も、どうしてしやう様もない、それが本意でござんしよかと。いはれぬ心の数々を、思ひ残してもじもじする清子をはつたと太一は睨み。まだ行かぬ馬鹿めが。おれが病気が気に掛かるか。定命ならば娘の手で介抱を受けたからとて、このおれの寿命が一日延びやうか。ひとまづ帰宅つてともかくの話を極めて来るまでは、かねて娘でないそなた。たとへ一椀半杯の白湯も汲ませて飲むおれか。そちが介抱しやうとて、こちらが受けぬ介抱に、逗留して何になる。嘉平をはじめ、村のもの、深切な中なればこそ、帰りもした。それをまだ気遣ふて、うかうかする半※(「日+向」、第3水準1-85-25)ときは、このおれが何十年の苦労を無にする半※(「日+向」、第3水準1-85-25)と、心注かぬ馬鹿者めが。あれ程いふたにこのおれの心が分らぬ大馬鹿もの、もうその馬鹿ものに用はない。どうなと勝手にしおれいと。枕を取つて投げ棄てる、力は抜けても、中に立つ柱の際に嘉平は喫驚びつくり。ひやあ太一さうまでも怒らぬものじや。病気の毒じや勘忍せい。悪いはおれじや、ま、待てやい。お娘はおれがいひ聞かす、いひ聞かすから、聞け太一、待つてくれこれお娘と。間違ひだらけ一息吐き。さてもさてもむづかしい、義理も理屈もあつたもの。余計な事をして退けた、おれが失策。聞く程にの、見る程にの、どう謝罪らうやうもない。悪いはおれじやが、謝罪つて済まぬこの場じや、なお清坊、聞き分けて立つてくれ。頼む拝むこれお清坊。お前が此家ここに居る内はの、太一は怒る、お前が泣く。どちらももつとももつともと聞いてはおれが堪まらぬじや。おれがせつぱを助けると、思ふてちやつと出立たつてくれ。その代はりにはこのおれが、どこまでも、太一の身躰は引受けて、お前の代はりに介抱する。な太一そじやないか、お娘が孝行しやうといふに、お前が怒る法はない。共々にお前も頼め、おれもいふ。素直に出立てくれるのが、これお清坊、孝行といふものじやと。嘉平がその身に引受けて、先に立つたる出拵え。太一もさすが見ぬ振りに、見送る眼、はつたりと、見返る顔に出逢ふては。なう悲しやの一雫、道の泥濘ぬかりも帰るさは、恋しき土地の記念かたみかと。とかくは背後うしろへひかるる跡を、心深くも印せしなるべし。

 幾日もなく、今尾大臣辞職の飛報は、世人の耳を驚かしぬ。そは今尾夫人が、新平の出身、世に隠れなきと同時に。さる身をもつて、畏き辺りに、拝謁の栄を辞しまつらざりしは、いかにもいかにも恐れ多き事なりとの。至つて至つて小児こどもらしき感情問題をもつて、敵党の乗ずるところあらむとせしを。時の総理は一笑に付し去りて顧みざりしも。今尾大臣は、これに対して、大いに悟るところあり。文明の器に盛るに、蛮野の心もて、争奪を事とせる渦中に投じ、生涯を空しき声に終はらむそれよりも。人は女々しと笑はば笑へ、人道の為、しばらく身を教育事業に転じつつ、おもむろに時機を待つべしとて。あらゆる資産と共に、身を北海道に移しけるも。稚きより境遇が生む自棄の子の、あはれ全国そこここに散りしけるを、移民学園てふ名の下に一括し。土地と共に心さへ新らしき民にして育てむとて。あらゆる新平の子女を我が手にあがなひ得つ。おのれは父よ、清子は母よと笑語一番。衆家族を率ひて出で立ちしを。上野にだに見送りしは、二三の高士のみとぞ聞こえし。(『文芸倶楽部』一八九九年八月)





底本:「紫琴全集 全一巻」草土文化
   1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
初出:「文芸倶楽部」
   1899(明治32)年8月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2004年9月20日作成
2005年10月31日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



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