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当世二人娘(とうせいふたりむすめ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-11 9:34:26  点击:  切换到繁體中文


   その四

 その后花子よりは、久しく音信なかりしかば、君子はとやらむかくやらむと、心にかかりがちなりしかど、尋ね行かむもさすがにて、そのままに打過ごしに、ある日父母列座にて君子を呼び、父は殊に上機嫌にてのう君、そちもはや年頃じや。いや親の眼からは年頃と思ふが、世間では万年娘といふかも知れぬてや。おれも年月気にかからぬでもなかつたが、さて思はしいもないもので、今日まではまだそなたに聞かした事はないじやテ。ところがその何じや、家へ出入るものからのはなし継ぢやがの、その何じやテ先方の人は今度○○省の○○局長になつた人じやさうだか、年は三十五歳とやらで、非常な学者ださうだ。そしてその何じや大変大臣の気にいつとる人で、まだまだこれからの出世が非常だらふといふ事だ。おれはまだ逢つた事はないが、なるほどその名前を聞いて見れば、よく新聞にも出とる名じやテ。が先方は先づあらかた話の極まるまでは、名前は秘密にしといてくれといふ事だが、甲田美郎といふ人じやそうだ。もつともその年輩だから一度妻を貰つた事はあつたんだ、がそれは都合があつて離縁したんじやそうだ。マアそんな事はどうでもよいがその人が何じやといひてちよつと口の辺りを撫で、その何じやその是非そちを貰ひ受けたいと望んでゐるそうじやが、どうしてそちを知つてゐるのか知らん、ムムムさうか、去年学校へ参観に行つた事があつたのか、それでは知つとる筈じやテ、それなればなほ更都合がよい見合も何もいらないから、どうじや行く気があるか、よもや異存はあるまいなと、君子の父は早独りにて極めゐる様子なり。母もこれに詞を継ぎて、ネー君よもや嫌ではあるまいネー、お父さんも大変御意に召した様子だし、私も誠に願はしい縁だと思ふんだから。御返事がしにくければそれでよい、だまつてゐても事は分かるよネホホホとこれはまた呑込み過ぎたり。君子は最初より父の話のふしぶし一々に胸に当りて、もしや花子のいへる人と、同じ人にはあらざるやと危ぶみぬ。されど何故にや花子はその姓名は告げさりしかば、直ぐにさうとは極めかぬれど、あまりにも話が似たるやうなりと、それのみ心にかかれるままに、我が上を考へむまでもなし、花子の上のみ気遣ひてとかく躊躇ちゆうちよのおももちなり。さるをその子細知るよしもなき父は、君子の済まぬ顔を見て、はや何をかものいひたげに、肝筋の額際に顕れかけしを見てとりし母親気を利かして、こんな事は直ぐに思案も極めにくかろ、それでは私が後でとくりと申し聞こしまして、御返事を致しませう程にと、躰よくその場を済ましくれたれば、君子はほツと一息して、我が部屋へ退きたりしが、背後につきてはや母親は入来りつ、なほかにかくと説き勧むるを、君子はおとなしくハイハイと受けて、やうやく最后に口を開き、実はまだお母ア様にはお話し申し上げませんが、花子さんがこれでと、始めて花子のあらまし打明け、どうやらそれに似たやうなお方と思はれまするので、それで御返事を致しかねまするといふ顔眺めて母はホホホホと笑ひ、お前そんな筈があるまいじやないか、それ程花子さんには熱心な方が、二道かけてこちらへ申し込れう筈がない。この広い世の中に似たお方はいくらもあろ、それはお前の案じ過ごしといふものだよと始めは少しも取合はざりしが、おひおひこれも引込まれて、さういへば先づ似たといつたやうなものだね、それに花子さんの方の方のお名前は分らないとおいひのだね、困るネー、それが知れるとすぐ分るのだけれどもとこれも思案の首を投げて、それじやアお前明日にも花子さんを御尋ね申して、それとなく先方様のお名前を聞いて御覧、お父様への御返事はその上での事、それは何も申し上げぬ事にしませうとやうやく母も納得せしかば、君子は明るを待ちびて、いつになく身支度さへもそこそこにおのが上より友の上、案じらるるままに車を急がせ花子の方をおとづれぬ。
 さて花子に逢ひて、直ぐにもそれといひ出しかぬれば、しばらく四方山の話に時を移したる末、ネー花子さん、先だつてのあなたのお話は、甲田さんではございませぬかと突然の問に花子はサツと面を赤めしが、さあらぬさまにてイイエさうではございませぬ、があなた何故それをお尋ねなさるの、別になぜと申すほどの事でもございませんが、少し聞込みました事がございますのでと花子の顔色を窺ひしが、花子は何の気もなきやうにて、ソー甲田さんツて美郎さんの事ですか、さうです美郎さんと承りましたよ、何だかこの節あの方がお嫁さんを探していらつしやるといふことを、ヲヤといひて花子はしばし考へゐしが、やがてにやりと笑ひながらそれは大方昨年頃の話でしやう、今では何でも外にお極りなすつたとか聞きましたよ。ソーと君子は少し首を傾けしが、さすがに我が方へ申し込めりともいひかねて、では大方話した人が知らないのでしやう、それなれば宜しいがといひしが、なほ安心なり難くてや、またもや花子に念を押し、ではあなたきつと甲田さんではないのですネこれには花子もちとたゆたひしが、かつて学校に在りし時なぶられたる事もある身かつはうしろめたき点もあればにや、いいゑ違ひますとの確答を与へぬ。君子はこれに安心して、往きは重荷を載せたる肩も、返りはかるかるとなりし心地せしが、さて我が家の門近くなりて見れば、これよりはまた我が身の上なり。花子のこれに似寄りたる縁談にも注意を与へしほどの我なれば、たやすく肯はむやうはなし。されど父母のかほどまでに進めたまへるものを、何と断りてよきものやらと、ふと考へ出しては我家の閾も高く、いつも家路を急ぐ身も、今日は何とやら帰りともなき心地もしつお帰りと叫ぶ車夫の声にも、ビクリと胸を轟かせぬ。
 母は君子を待ち侘びたるらしく、大そうお前遅かつたネー、何しろ寒いだろうから、早く火燵にお這いり、平常着も前刻にから掛けさせてあるから、三ヤお前旦那の御用に気を注けとくれ。私は少し嬢さんに話があるからと、一刻も早くその様子を聞きたげなり。君子はとやかく思ひ悩めど、さて花子の方の案に違ひたるを、包み得べくもあらぬ事なれば、拠なく有りのままを告げたるに、母はさもこそとしばしばうなづきて、さうだらうともさうだらうとも私もまさか[#「まさか」は底本では「さまか」]とは思つたのだけれど、あまりお前が気にするもんだから、とうとう釣込まれてしまつたのだよ。朝からお父さまが君はどうしたどうしたとお聞きなさるもんだから、拠なくその事を申し上げると、馬鹿に念のいつた奴だと大笑ひに笑つていらつしやつたよ。ああこれで私も安心した。この上はお前もいざこざはあるまいと、これもまた異存なきものに極めし様子なり。君子はとかく心進まねど、さて花子に注意を加へたる筋の事などは、父母の前にいひ得べくもあらぬ事なれば、ただ今しばらく独身にて在りたい由乞ひけるに、父はこれを我儘気随意とのみとりて、それ程の事は親の力にて抑へ得べき事と思へるにや、形ばかりの聞合せも済みて、先方へは承諾の旨告げ遣りぬ。

   その五

 甲田は心多き男の常とて、君子に対してもさして結婚の日は急がず。それも一ツは離婚したりといふ妻の里方、極めて身分卑しきものなりしを、容貌望みにて搆はず貰ひ受けたるに、これも程なく飽き果てて、さまさまに物思はせたる末、難僻つけて強て離婚せむとしたるなれば、里方にてはヲイソレと籍を受取らず。表面は離婚したるに相違なけれど、その実籍は今も残りて、とかくは後の縁談の妨げとなるを、強て除かむとすれば、多少の金を獲ませではかなはず、それも日頃の性悪にそこの芸者かしこの娘の始末と、とかくに金のいる事のみ打続けば、世間で立派に利く顔も、金の事となりては、高利貸さへ取合はぬほどの、不信用を招きゐるなれば、纒まりたる金の融通付けむやうはなく、拠なくそのまま据置きとなりゐるなるを、一人ならず二人にまで結婚を申し込めりとはさてもさてもの男なり。されど元来世才に長けたる男なれば、巧みにそのボロを押隠して少しも人に知らさねば、これと同窓の因ある花子の兄さへこれを知らず。まして君子の父は明治の初年かつて某省の属官を勤めたる事ありとか聞けど、その後久しく官辺との縁故も絶へて、公債の利子持地の収入などによりて、閑散なる生活を営みゐる身なれば、次第に世とも遠ざかり、何事をも聞き知るべきの便宜なきをや、されば甲田を日本一の花聟とのみ思ひ込み、何ぞのふしには君子をば、幸福ものじや幸福ものじやといふが今日この頃の口癖なり。甲田は例の好き心より、いかにもして親しく君子の方へ出入りし、これに近寄る便宜を得ばやと、申し込みの節橋渡しの役に当らせたる幇間的骨董商の軽井といふを招き寄せイヤどうもこの間中は大変お骨折だつた。貴公の尽力でもつてどうか竹村の親爺も承諾したさうで安心した。がまだ直ぐに結婚するといふではなし、半歳と一年は待つて貰わなくツちやアならないのだから、その間に交際してみるといふ訳には行くまいかネ。日本ではとかく結婚前に本人同士交際してみるといふ事がないもんだから、得て苦情が後で起こるんだ。君子の性行は随分いいやうに聞いとるもんだから、それでおれも貴公に尽力を頼んだのだか、さて極まつたとしてみると、少しは交際もしてみたいネと真面目にいはれてみれば、何事も御意にござりまするといふが軽井の商売、殊に甲田は竹村よりも軽井の為には大事の得意なればイヤごもつともなるほどなるほどと心底感心らしく聞きてはゐたれど、何よりも心配なは君子の父の昔堅気なり。そこをどうしたものと、少し思案の首を傾げたれど、もとよりかかる事には抜目なき古狸いかやうにもごまかすつもりにて、イヤ宜しうござります。ともかくも計らうてみませう。だか旦那新橋や葭町のと違つて、少しは手間どりませうからと、勿躰らしくいふに甲田はニヤリと笑ひ、イヤさう首をひねらなくツとも、何もかも承知してゐるサ、貴公の手腕はかねて知つとるんだから、どんな難物でも説き付け得ぬ事はなかろう。その代はりいつか持て来た応挙、あれは少しあやしいのだが、買ツといてやるサ、自他の為だ尽力すべしかハハハとおだてられて軽井は内かぶとを見透されじとやいよいよ真顔になり。イヤ旦那そりやアおひどうごす。あれはあれでもつてどこへでも通る品でがすから。で別にどこへか連れて行けといふのか。ヘヘヘヘ全くもつてさようの訳ではヘヘヘヘ実は旦那こうなんですが。あの叶屋の御愛妾と、花月の女将が私の顔を見ますると、旦那をどうしたんだ、なぜお連れ申さないツて、私の存じた事か何ぞのやうに、やかましく怨じますから、それでもつてあの方角へは禁足を致しておりまするので、これで八方塞がりと申し訳になつて、どこへも顔が出せませんので……、せめて一方だけは血路を開いておきたいと存じましてヘヘヘヘヘ。いいサ何もかも大承知だ、万事は成功の上としておくから、一日も早く竹村の方へ、おれを連込む工夫をしてくれ、その上はおれの方寸にあるから。ヘヘヘヘヘまた凄い御寸法でげすな、イヤ宜しうございます、どうにか勘考致しませうと、軽井は軽く受け込みたれど、さすがの男もこれには少し手を措きゐたるを何ですネーお前さん、何をそんなにぼんやり考へ込んでるのとその夜女房の注意を受けたるが刺激となり。翌日は早々竹村の方を訪ひ、かねての口先にて、いかに工合よく君子の父に持込みけむ。さすがの昔堅気をいひほどきて、そが好める囲碁の相手といふを名に、甲田の方より訪ふべき筈の運びをつけぬ。
 これはこれは見苦しき茅屋へ御尊来を戴きまして、何とも恐れ入りまする。このたびは不思議な御縁で、不束なる娘をとの御所望、私におきましても老后の喜びこの上もなき事に存じまする。かやうな辺鄙で何の風情もござりますまいが、御ゆるりと御話を願ひまする。これ千代や(細君の名)君に御挨拶に出ろと申せと老父は、殊の外の機嫌なり。甲田はわざと淡泊に、イヤどうも唐突に伺ツて甚だ失敬の至りです。実は私も下手の横好きで、公務の余暇を偸み、いつも軽井を相手に致しとるんですが、是非尊大人と一度お手合せをしてみろと頻りに先生がといひてちよつと軽井の方を顧み、勧めるもんですから、とうとう今日は引つ張り出されてしまつたのです。とてもお相手には足りますまいが、どうか一局御指導を願ひたいものでと、これはわざと談話をよそへらしたり。老人は好きの道、さアどうかさやうでいらつしやるさうで、それではどうかの詞の下より軽井は前刻承知の事、ヲツトマカセと心得てはや床脇に在りし碁盤を二人の間に据へたりける。
 これを始めに甲田しばしば竹村の家をおとづれて、わざと君子には眼もくれず、囲碁の遊びの外余念なきものの振はすれど、来るたび毎にこれは仏蘭西より友人の持帰りたる香水、これは西京にて織らせたるお召と、女の喜びさうなるもののみ土産に持来りて、それとなし君子の意を迎うるを、正直なる老人は野心ありての所為には知らず。どうも今時の人は実に感心じや。私等の若い時分は少しもそんなところまで気が注かなんだのじやがと、何かにつけて感服せり。君子は父より甲田に、確答を与へたりとは知らず、ただかの一条はそのままになりゐる事とのみ思ひゐたるに、かく甲田がしばしば入来るは何となく心にかかり、快からず思へるままに、多くは病に托けて、出て逢はむともせざるを、母はそんな我儘はいはぬものと、宥め慊して甲田の来りし時は、おのれ君子の背後へまわりて急がし立て、髪を撫で付け、帯を結び代へなどして、押出さぬばかりにするさへあるに、父は座敷より声かけて、これ君ここへ来て御酌を申し上げないか、そして拙き一曲でも、御聞きに入れてはどうじやなと、呼立つる忙しさに、いつまで片意地張つてゐる訳にもゆかず心ならずも引出さるるが常なり。真実ほんとにお父さまには困つてしまうよ。その人の地位名望といふ事をのみお喜びなすつて、その他の事はお考へなさらないのだから、ほんとに困つてしまうよと独言てど、これとて母にいへば直ぐに父に告げられて生意気な事をと叱らるるのみなれば、独り胸をば悩ましゐたり。
 甲田は君子の花子よりも、思ひの外手剛きに困じたれど、手剛ければ手剛きほど興がるがかかる男の常なれば、ますます勇を鼓して虎穴に入るの考なれど、さすがその道の老練家だけありて、早くも君子の意気を察し、心の燃ゆれば燃ゆるほど、外はかへつて冷に装ひ、たまたま君子の父母の浄水にでも立去りて、君子としばし対座する事ありとも少しも嫌を招くやうなる素振は見せず。さも厳格らしく構へつつ、一ツ二ツの談話をなすにも、あるは文学美術の事、さては小説技芸のはなし、ある時はまた世の婦人の不幸を悼み、男子の徳操なきを歎ずるの詞を発するなど、さまざまの方面より君子の意思を探り、いづれ君子の意にかなうやを試むるなど、千変万化の方略を尽くせしに、さすがは文学士ともいはるる男だけに、君子も打聴く毎に有益に感ずる事も多ければにや。いつしかに甲田の来るをさまで厭はず。思ひしほどの軽薄なる人にもあらざりけりと、憎からぬまでには思ひなりぬ。
 その機を察して抜目なき甲田、一方よりは軽井の口軽を利用し、思ひ切つてこれに利を啗はせ、いよいよ我が器量勝れたる男なることを、君子の父母に吹聴さするの材料に供ふるなど、諸般の手配ことごとく調ひて、今はただその本尊たる君子の、心機一転を竣つのみの、有望なる時とはなりぬ。

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