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菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:27:57  点击:  切换到繁體中文


        四十五

 勘八は図太い奴でございますから、態(わざ)と落著振(おちつきはら)いまして、
勘「へえ、誠に恐入りましてございます。お庭内へ参りましたのは、此の頃は若殿様御病気でございまして、皆さんが御看病なすっていらっしゃるので、どうもお内庭はお手薄でございましょうから、夜々(よる/\)見廻った方が宜(い)いと主人から言いつかりました、それにお手飼の犬とは存じませんで、檜木山の脇へ私(わたくし)が参りましたら、此の節の陽気で病付(やみつ)いたと見えまして、私に咬付(かみつ)きそうにしましたから、咬付かれちゃア大変だと一生懸命で思わず知らず刀を抜いて斬りましたが、お手飼の犬だそうで、誠にどうも心得んで、とんだ事を致しました、へえ重々恐入りましてございます」
目「そりゃアお手飼の犬と知らず、他(ほか)の飼犬にも致せ、其の方陪臣の身を以(もっ)て夜中(やちゅう)大小を帯(たい)し、御寝所近い処へ忍び入ったるは怪しい事であるぞ、さ何者にか其の方頼まれたので有ろう、白状いたせ、拙者屹度(きっと)調(しらべ)るぞ」
勘「へえ、何も怪しくも何ともないんでございます、全く気を付けて時々お庭を廻れと云われましたんでございます、それゆえ致しました、此処(こゝ)においでなさいます主人の御舎弟四郎治様も爾(そ)う仰しゃったのでございます」
目「うむ、四郎治其の方は此の者に申付けたとの申立(もうしたて)じゃが、全く左様か」
四「えゝ、お目付へ申上げます、実は兄五郎治は此の程お上屋敷のお夜詰(よづめ)に参って居ります、と申すは、大殿様御病気について、兄も心配いたしまして、えゝ、番でない時も折々は御病気伺いに罷(まか)り出(い)で又御舎弟様も御病気に就(つ)きお夜詰の衆、又御看護のお方々もお疲れでありましょう、又疲れて何事も怠り勝の処へ付入(つけい)って、狼藉者(ろうぜきもの)が忍入るような事もあれば一大事じゃから、其の方己(おれ)がお上屋敷へまいって居(お)る中(うち)は、折々お内庭を見廻れ、御寝所近い処も見廻るようにと兄より私(わたくし)が言付(いいつ)かって居ります、然(しか)る処昨日御家老より致しまして、火急のお呼出しで寅の門のお上屋敷へ罷出(まかりで)ましたが、私は予々(かね/″\)兄より言付かって居りますから、是なる勘八に、其の方代ってお庭内を廻るが宜(よ)いと申付けたに相違ござらん、然るに彼がお手飼の犬とも心得んで、吠(ほ)えられたに驚き、梅鉢を手打にいたしました段は全く彼何も弁(わきま)えん者ゆえ、斯様な事に相成ったので、兄五郎治に於(おい)ても迷惑いたします事でござる、併(しか)し何も心得ん下人(げにん)の事と思召(おぼしめ)しまして、幾重にも私が成代ってお詫を申上げます、御高免(ごこうめん)の程を願いとうござる、全く知らん事で」
目「むう、そりゃ其の方兄五郎治から言付けられて、其の方が見廻るべき所を其の方がお上屋敷へまいって居(お)る間、此の勘八に申付けたと申すのか、それは些(ち)と心得んことじゃアないか、うん、これ申付けても外庭を見廻らせるか、又はお馬場口を見廻るが当然、陪臣の身分で御寝所近い奥庭まで夜廻りに這入れと申付けたるは、些と訝(おか)しいようだ、左様な事ぐらいは弁(わきま)えのない其の方でもあるまい、殊(こと)に又帯刀をさせ面部を包ませたるは何う云う次第か」
四「それは夜陰(やいん)の儀でござるで、誠にお馬場口や何か淋しくてならんから、彼に見廻りを申付ける折(おり)に、大小を拝借致したいと申すから、それでは己(おれ)の積(つもり)で廻るが宜(よ)いと申付けましたので、大小を差しましたる儀で、併(しか)し頭巾を被りましたことは頓(とん)と心得ません……これ勘八、手前は何故(なぜ)目深(めぶか)い頭巾で面部を包んだ、それは何ういう仔細か、顔を見せん積りか」
勘「えゝ誠にどうも夜(よ)になりますと寒うございますんで、それゆえ頭巾を被りましたんで」
目「なに寒い……当月は八月である、未(いま)だ残暑も失(うせ)せず、夜陰といえども蒸(いき)れて熱い事があるのに、手前は頭巾を被りたるは余程寒がりと見ゆるな」
勘「へえ、どうも夜(よる)は寒うございますので」
目「寒くば寒いにもせよ、一体何ういう心得で其の方が御寝所近くへ這入った、仔細があろう、如何様(いかよう)に陳じても遁(のが)れん処であるぞ、兎や角陳ずると厳しい処の責めに遇(あ)わんければならんぞ、よく考えて、迚(とて)も免(のが)れん道と心得て有体(ありてい)に申せ」
勘「有体たって、私(わたくし)は何も別に他から頼まれた訳はございませんで、へえ」
目「中々此奴(こやつ)しぶとい奴だ、此の者を打ちませえ」
四「いや暫く……四郎治申し上げます、暫くどうぞ、彼は陪臣でござって、お内庭へ這入りました段は重々相済まん事なれども、五郎治から私(わたくし)が言付けられますれば、即(すなわ)ち私が、兄五郎治の代(だい)を勤むべき処、御用あって御家老からお呼出しに相成りましたから、止(や)むを得ず家来勘八に申付けましたので、取(とり)も直さず勘八は兄五郎治の代(たい)でござる、何も強(し)いて之(これ)を陪臣と仰せられては誠に夜廻りをいたし、上(かみ)を守ります所の甲斐もない事でございます、勘八のみお咎(とがめ)が有りましては偏頗(かたおとし)のお調べかと心得ます」
目「それは何ういう事か」
四「えゝ是(こ)れなる遠山權六は、当春中(とうはるじゅう)松蔭大藏の家来有助と申す者を取押えましたが、有助は何分にも怪しい事がないのを取押えられ堪(たま)り兼(かね)て逃所(にげどころ)を失い、慌(あわ)てゝ權六に斬付けたるを怪しいという処から、お調べが段々長く相成って、再度松蔭大藏もお役所へ罷出(まかりで)ました。其の折(おり)は御用多端の事で、御用の間(ま)を欠き、不取調べをいたし、左様な者を引いてまいり、上役人(かみやくにん)の迷惑に相成る事を仕出(しで)かし、御用の間を欠き、不届(ふとゞき)の至りと有って、權六は百日の遠慮を申付かりました、未(いま)だ其の遠慮中の身をも顧(かえり)みず、夜な/\お屋敷内を廻りまして宜しい儀でござるか、權六に何のお咎めもなく、私(わたくし)の兄へお咎めのあると云うのは、更に其の意を得んことゝ心得ます、何ういう次第で遠慮の者が妄(みだ)りに外出をいたして宜しいか、其の儀のお咎めも無くって宜しい儀でござるなれば、陪臣の勘八がお庭内を廻りましたのもお咎めはあるまいかと存じます」
目「うむ…權六其の方は百日遠慮を仰付けられていると、只今四郎治の申す所である、何故(なにゆえ)に其の方は遠慮中妄りにお庭内へ出た」
權「えゝ」
目「何故に出た」
權「遠慮というのは何ういう訳だね」
目「何う云う訳だとは何だ、其の方は遠慮を仰付けられたであろう」
權「それは知っている、知っているが、遠慮と云うのは何を遠慮するだ、私(わし)が有助を押えてお役所へ引いて出ました時は、お役人様が貴方と違って前の菊田(きくた)様てえ方で、悪人の有助ばかり贔屓いして私をはア何でも彼(か)んでも、無理こじつけに遣(や)り込めるだ、さっぱり訳が分らねえ、其の中(うち)に御用の間を欠いた、やれ何(なん)の彼(か)のと廉(かど)を附けて長(なげ)え間お役所へ私は引出されただ、二月(にぎゃつ)から四月(しがつ)までかゝりましたよ、牢の中へ入(へい)ってる有助には大層な手当があって、何だか御重役からお声がゝりがあるって楽(らく)うしている、私は押込められて遠慮だ/\と何を遠慮するだ私の考(かんがえ)では遠慮というものは芽出度い事があっても、宅(うち)で祝う所は祝わねえようにし、又見物遊山非番の時に行きたくても、其様(そん)な事をして栄耀(えよう)をしちゃアならんから、遠慮さ、又旨(うめ)え物を喰おうと思っても旨え物を喰って楽しんじゃアどうも済まねえと思って遠慮をして居ります、何も皆遠慮をしているが私が毎晩(めえばん)/\御寝所近(ぢけ)えお庭を歩いているは何の為だ、若殿様が御病気ゆえ大切に思えばこそだ、それに御家来の衆も毎晩(めえばん)のことだから看病疲れで眠りもすりゃア、明方(あけがた)には疲れて眠る方も有るまい者でもねえ、其の時怪しい者が入(へい)っちゃアならねえと思うからだ、此の程は大分貴方(あんた)顔なんど隠しちゃア長い物を差した奴がうろつか/\して、御寝所の縁の下などへ入(へい)る奴があるだ、過般(こねえだ)も私がすうと出たら魂消(たまげ)やアがって、面(つら)か横っ腹か何所(どっ)か打ったら、犬う見たように漸(ようよ)う這上ったから、とっ捕(つか)めえて打ってやろうと思う中(うち)に逃げちまったが、爾(そ)うして気を付けたら私はこれを忠義かと心得ます、他(ほか)の事は遠慮を致しますが、忠義の遠慮は出来ねえ、忠義というものは誠だ誠の遠慮は何うしても出来ません、夜(よる)巡(まわ)ることは別段誰にも言付かったことはない、役目の外(ほか)だ、私も眠いから宅(うち)で眠れば楽だ、楽だが、それでは済みませんや、大恩のある御主人様の身辺(あたり)へ気を付けて、警護をしていることを遠慮は出来ませんよ、無理な話だ、巡(まわ)ったに違(ちが)えねえ、それでもまだ遠慮して外庭ばかり巡って居りました、すると勘八の野郎が……勘八とは知んねえだ初まりは……犬う斬ったから野郎と押えべいと出たわけさ、それに違(ちげ)えねえでございますよ、はいそれとも忠義を遠慮をしますかな」
 と弁舌爽(さわや)かに淀みなく述立てる処は理の当然なれば、目付も少し困って、其の返答に差支(さしつか)えた様子であります。
目「むゝう、權六の申す所一応は道理じゃが、殿様より遠慮を仰せ出(いだ)された身分で見れば、それを背(そむ)いてはならん、最も外出致すを遠慮せんければならん」
權「外出(がいしつ)だって我儘に旨(うめ)え物を喰いに往(ゆ)くとか、面白いものを見に往(い)くのなれば遠慮ういたしますが、殿様のお側を守るなア遠慮は出来ねえ、外出(がいしつ)するなって其様(そん)な殿様も無(な)えもんだ」
四「えゝ四郎治申上げますあの通り訳の分らん奴で、然(しか)るをお目付は權六のみを贔屓いたされ、勘八一人唯悪い者と仰せられては甚だ迷惑をいたします事で、殊(こと)にお目付も予(かね)てお心得でござろう、神原五郎治の家(いえ)は前(ぜん)殿様よりお声掛りのこれ有る家柄、殊に遠山權六が如き軽輩と違って重きお役をも勤める兄でござる、權六と同一には相成りません、權六は上(かみ)の仰せ出(いだ)されを破り、外出を致したをお咎めもなく、格別の思召(おぼしめし)のこれ有る所の神原五郎治へお咎めのあるとは、実に依怙(えこ)の御沙汰かと心得ます、左様な依怙の事をなされては御裁許役とは申されません」
目「黙れ四郎治、不束(ふつゝか)なれども信樂豊前は目付役であるぞ、今日(こんにち)其の方らを調ぶるは深き故有っての事じゃ、此の度(たび)御出府に成られた、御国家老福原殿より別段のお頼みあって目付職を勤めるところの豊前に対して無礼の一言であるぞ」
四「ではございますが、余り片手落のお調べかと心得ます」
目「其の方は部屋住(へやずみ)の身の上で、兄の代りとはいえども、其の方から致して内庭へ這入るべき奴では無い、然(しか)るを何(な)んだ、其の方が家来に申付けて内庭を廻れと申付けたるは心得違いの儀ではないか、前(ぜん)殿様より格別のお声がゝりのある家柄、誠に辱(かたじけ)ない事と主恩(しゅおん)を弁(わきま)えて居(お)るか、四郎治」
四「はい、心得居ります」
目「黙れ、新参の松蔭大藏と其の方兄五郎治兄弟の者は心を合せて、菊之助様をお世嗣(よつぎ)にせんが為(た)めに御舎弟様を毒殺いたそうという計策(たくみ)の段々は此の方心得て居(お)るぞ」
四「むゝ」
目「けれども格別のお声がゝりもこれ有る家柄ゆえ、目付の情を以(もっ)て柔和に調べ遣(つか)わすに、以ての外(ほか)の事を申す奴だ、疾(とく)に証拠あって取調べが届いて居(お)るぞ、最早遁(のが)れんぞ、兄弟共に今日(こんにち)物頭(ものがしら)へ預け置く、勘八其の方は不埓至極の奴、吟味中入牢(じゅろう)申付ける、權六」
權「はい私(わし)も牢へ入(へい)りますかえ」
目「いや其の方は四月の二十八日から遠慮になったな」
權「えゝ」
目「二十八日から丁度昨夜が遠慮明けであった」
權「あゝ然(そ)うでございますか」
目「いや丁度左様に相成る、遠慮が明けたから、其の方がお庭内を相変らず御主君のお身の上を案じ、御当家を大切と思い、役目の外に夜廻りをいたす忠義無二のことと、上(かみ)にも御存じある事で、後(ご)してはまた格別の御褒美もあろうから、有難く心得ませい」
權「有難うございます、なにイ呉れます」
目「何を下さるかそれは知れん」
權「なに私(わし)は種々(いろ/\)な物を貰(もろ)うのは否(いや)でございます、どうかまア悪い奴と見たら打殺(ぶっころ)しても構わないくらいの許しを願(ねげ)えてえもので、此の頃は余程悪い奴がぐる/\廻って歩きます、全体此の四郎治なんという奴は打殺して遣(や)りてえのだ」
目「これこれ控えろ、追って吟味に及ぶ、今日(こんにち)は立ちませえ」
 と直(すぐ)に神原兄弟は頭預(かしらあず)けになって、宅番(たくばん)の附くような事に相成り、勘八という下男は牢へ入りました。權六は至急お呼出しになって百日の遠慮は免(ゆ)りて、其の上お役が一つ進んで御加増となる。遠山權六は君恩の辱(かたじけ)ないことを寝ても覚めても忘れやらず、それから毎夜ぐる/\廻るの廻らないのと申すのではありません。徹夜(よどおし)寝ずに廻るというは、実に忠義なことでございます。此の事を聞いて松蔭大藏が不審を懐(いだ)き、どうも神原兄弟が頭預けになって、宅番が附いたは何ういう調べになった事かはて困ったものだ、彼奴(あいつ)らに聞きたくも聞くことも出来ん自分の身の上、あゝ案じられる、国家老の出たは容易ならん事、どうか国家老を抱込みたいものだと、素(もと)より悪才に長(た)けた松蔭大藏種々(いろ/\)考えまして、濱名左傳次(はまなさでんじ)にも相談をいたし、国家老を引出しましたのは市ヶ谷原町(はらまち)のお出入町人秋田屋清左衞門(あきたやせいざえもん)という者の別荘が橋場(はしば)にあります。庭が結構で、座敷も好(よ)く出来て居ります。これへ連出し馳走というので川口から立派な仕出しを入れて、其の頃の深川の芸者を二十人ばかり呼んで、格別の饗応になると云うのであります。

        四十六

 時は八月十四日のことで、橋場の秋田屋の寮へ国家老の福原數馬という人を招きまして何ぞ隙(すき)があったらば……という松蔭が企(たく)み、濱名左傳次という者と諜(しめ)し合せ、更(ふ)けて遅く帰るようで有ったらば隙を覗(うかゞ)って打果してしまうか、或(あるい)は旨く此方(こちら)へ引入れて、家老ぐるみ抱込んでしまうかと申す目論見(もくろみ)でございます。大藏は悪才には長(た)け弁も能(よ)し愛敬のある男で、秋田屋に頼んで十分の手当でございます。此の寮も大して広い家(うち)ではございませんが客席が十五畳、次が十畳になって、入側(いりかわ)も附いて居り誠に立派な住居(すまい)でございます。普請は木口(きぐち)を選んで贅沢(ぜいたく)なことで建てゝから五年も経(た)ったろうという好(よ)い時代で、落着いて、なか/\席の工合(ぐあい)も宜しく、床(とこ)は九尺床でございまして、探幽(たんゆう)の山水が懸り、唐物(からもの)の籠(かご)に芙蓉(ふよう)に桔梗(ききょう)刈萱(かるかや)など秋草を十分に活(い)けまして、床脇の棚等(とう)にも結構な飛び青磁の香炉(こうろ)がございまして、左右に古代蒔絵(こだいまきえ)の料紙箱があります。飾り付けも立派でございまして、庭からずうと見渡すと、潮入(しおい)りの泉水(せんすい)になって、模様を取って土橋(どばし)が架(かゝ)り、紅白の萩其の他(た)の秋草が盛りで、何とも云えん好(よ)い景色でございます。饗応を致しますに、丁度宜しい月の上(あが)りを見せるという趣向。深川へ申付けました芸者は、極(ごく)頭(あたま)だった処の福吉(ふくきち)、おかね、小芳(こよし)、雛吉(ひなきち)、延吉(のぶきち)、小玉(こたま)、小さん、などという皆其の頃の有名の女計(ばか)り、鳥羽屋五蝶(とばやごちょう)に壽樂(じゅらく)と申します幇間(たいこもち)が二人、是(こ)れは一寸(ちょっと)荻江節(おぎえぶし)もやります。荻江喜三郎(おぎえきさぶろう)の弟子だというので、皆美々(びゞ)しく着飾って深川の芸者は只今の芸者と違いまして、長箱(ながばこ)で入りましたもので、大概橋場あたりで言付ければ残らず船でまいりまして、着換えなど沢山着換えまして、髪は油気なし、潰(つぶ)しという島田に致しまして、丈長(たけなが)と新藁(しんわら)をかけまして、笄(こうがい)は長さ一尺で、厚み八分(ぶ)も有ったという、長い物を差して歩いたもので、狭い路地などは通れませんような恐ろしい長い笄で、夏絽(ろ)を着ましても皆肌襦袢(はだじゅばん)を着ませんで、深川の芸者ばかりは素肌へ着たのでございます。裾模様(すそもよう)が付いて居ります、紅(べに)かけ花色、深川鼠、路考茶(ろこうちゃ)などが流行(はや)りまして、金緞子(きんどんす)の帯を締め、若い芸者は縞繻子(しまじゅす)の間に緋鹿(ひが)の子(こ)をたゝみ、畳み帯、挟(はさ)み帯などと申して華やかなこしらえ、大勢並んで、次の間にお客様のおいでを待って居ります。秋田屋清左衞門の番頭も、其の頃大名の御家老などが来ると家(いえ)の誉(ほま)れ名聞(みょうもん)だというので、庭の掃除などを厳しく言付けぐる/\見廻って居ります。そらおいでだと云ってお出迎いをいたし、
番「えゝ、いらっしゃいまし」
數「あゝ、これは成程どうも好(よ)い庭で、松蔭好(い)い庭だの」
大「はい誠にその、当家の亭主が至って茶人で、それゆえ此の庭や何かは、更に作りませんで、自然の様を見せました、実に天然のような工合で」
數「うん余程好(よ)い庭である、むう、これは感心……岩越(いわこし)何うだえ」
岩「へえ、私(わたくし)は斯様(かよう)な処へ参ったのは始めてゞごすな、国にいては迚(とて)も斯ういう処は見られませんな、うゝん、これはどうも」
數「お前は何だ」
大「えゝ、これなるは当家の番頭、伊平(いへい)と申します不調法者で」
番「えゝ、今日(こんにち)は宜(よ)うこそ御尊来(ごそんらい)有難い事で、貴所方(あなたがた)のお入来(いで)のございますのは実に主人も悦び居りまして、此の上ない冥加(みょうが)至極の儀で、土地の外聞で、私(わたくし)においても、誠に有難いことで」
數「いや其様(そん)なに、大層に云わんでも宜(よ)い、土地の外聞なんて、亭主は余程好事家(こうずか)のようだな」
番「えゝ鬼灯(ほおずき)などは植えんように致してございます」
數「うふゝゝ鬼灯じゃアない、風流人と申すことじゃ」
番「でございますか、なにほうずは出来ます」
數「何を申す」
番「へい、船の上をずる/\何時(いつ)までも曳(ひ)いているような長いものをほうずと申しますそうで」
數「いや中々の博識(ものしり)じゃ、うふゝゝ面白い男だの、此の泉水(せんすい)は潮入(しおいり)かえ」
番「へえ何と…」
數「いやさ此の泉水は潮が入(はい)るかえ」
番「へえ、何と御意遊ばします」
數「潮入りかというのじゃ」
番「へえ/\只今差上げますあの誰かお盆へ塩を持って来て上げな、どうも御癇癖(ごかんぺき)だから、お手をお洗い遊ばすのだろう、へえお塩を」
數「何を持って来るのだ、此の泉水は潮入かと申すのだ」
番「へえ、左様でございます」
大「何卒(どうぞ)これへ入らっしゃいまし」
數「うん岩越、ひょろ/\歩くと危いぞ池へ落(おっ)こちるといかん、あゝ妙だ、家根(やね)は惣体(そうたい)葺屋(ふきや)だな、とんと在体(ざいてい)の光景(ありさま)だの」
大「外面(そと)から見ますと田舎家(いなかや)のようで、中は木口を選んで、なか/\好事(こうず)に出来て居ります」
數「其の許(もと)は斯ういう事も中々委(くわ)しい、私(わし)はとんと知らんが、石灯籠(いしどうろう)は余りなく、木の灯籠が多いの」
大「えゝ、これはその、野原のような景色を見せました心得でございましょうか」
數「あ成程、これは面白い/\……此処(こゝ)から上(あが)るのか、成程玄関の様子が面白く出来たの、入口(いりくち)かえ」
大「これからお上(あが)り遊ばしませ、お履物(はきもの)は私(わたくし)がしまい置きます」
數「これは好(よ)い席だ」
大「さゝ、是へどうぞ/\」
 と松蔭が段々案内をいたし、座敷の床の前へ褥(しとね)を出し、烟草盆や何か手当が十分届いて居ります。
大「どうぞ此処(これ)へお坐りを願います」
數「余り好(よ)い月だによって、縁先で見るのが至極宜しい、これは妙だ、此の辺は一体隅田川の流れで……あれに見ゆるのは橋場の渡しの向うかえ、如何(いか)にも閑地(かんち)だから、斯ういう処は好いの、えゝ一寸(ちょいと)秋田屋をこれへ」
大「えゝ御家老これが当家の主人秋田屋清左衞門と申します、年来お屋敷へお出入を致すもので、染々(しみ/″\)未(いま)だお目通りは致しませんが、日外(いつぞや)あの五六年以前、大夫(たいふ)が御出府の折(おり)にお目通りを致した事がありますと申し、斯様な見苦しい処ではござるが、一度御尊来を願いたいと申して居ったので、当人も悉(こと/″\)く今日(こんにち)は悦び居ります、どうかお言葉を」
數「はゝあ、秋田屋か」
清「へえ、えゝ今日(こんにち)は宜(よ)うこそ、御尊来で、誠に身に取りまして有難い事でございます、えゝ年来お屋敷さまへお出入をいたします不調法者で、此の後(のち)とも何分御贔屓お引廻しを願います」
數「あい、秋田屋か、成程、貴公は知らんが、貴公の親父の時分であったか、江戸詰の時種々(いろ/\)世話になった事もあった、中々立派な好(よ)い家(いえ)だ、至極面白い」
清「いえ、見苦しゅうございまして、此の通り粗木(そぼく)を以て拵(こしら)えましたので、中々大夫さまなどがお入来(いで)と申すことは容易ならんことで、此の家(いえ)に箔(はく)が付きます事ゆえ、誠に有難いことで」
數「いや/\、格別の手当で辱(かたじけ)ない、あい/\、成程、これは中々立派な茶碗だな、余程道具好きだと見えるな」
大「はい、好(よ)い道具を沢山所持して居(お)る様子でございます、今日(こんにち)は御家老のお入来(いで)だと、何か大切な品を取出した様子で、なに碌(ろく)なものもございますまいがほんの有合(ありあい)で」
數「いや中々好(よ)い茶碗だ」
大「えゝ道具は麁末(そまつ)でござるが、主人が心入れで、自ら隅田川の水底(みずそこ)の水を汲上げ、砂漉(すなごし)にかけ、水を柔(やわら)かにして好(よ)い茶を入れましたそうで」
數「成程それは有難い、其処(そこ)が親切というもので、茶はたとえ番茶でも水を柔かにして飲ませる積りで、自身に川中まで船で水を汲みに往(ゆ)く志というものは、千万金(きん)にも替えがたく好い茶を飲ませるより福原辱(かたじけ)なく飲む」
大「えゝ恐入りました事で」
數「大藏、立派な菓子を取ったの」
大「いえ、どうも甚(はなは)だ何もございませんで、此の辺は誠にどうも……市ヶ谷から此処(これ)へ出張(でば)りますことで、好(い)い道具や何かは皆此方(こちら)の蔵へ入れ置きますという事で」
數「成程、火事がないから道具の好(よ)いのを運んで置くか、それは宜かろう」
大「今日(こんにち)は何も御馳走は有りませんが、御家老へ此の向うから月の上(あが)ります景色を………これは御馳走でございます、求めず天然の楽(たのし)みで、幸い今宵は満月の前夜で」
數「おゝ成程な、いやかけ違って染々(しみ/″\)挨拶もしなかったが、段々と上屋敷の事も下屋敷の事も、貴公が大分に骨を折って大きに殿様にも格別に思召(おぼしめ)し、新参でありながら、存外の昇進で、えらいものだ」
大「えへゝゝ、不束(ふつゝか)の大藏格別上(かみ)のお思召(ぼしめ)しをもちまして、重きお役を仰付けられ、冥加至極の儀で、此の上とも何卒(どうぞ)御家老のお引立を蒙(こうむ)りたく存じます」
數「其様(そん)なに出世をしては往(ゆ)く処があるまい、中々どうして男は好(よ)し、弁に愛敬を持ち、武芸も達しておるから自然と昇進をする質(たち)だ」
大「えゝ、恐入りました事で」
數「手前も壮年の折柄(おりから)は一体虚弱だが、大きに老年に及んで丈夫になったが、どうも歯が悪くなって、旨い物を喰(た)べても余り旨いとは思わん、楽しみと云っても別になし、国に居(お)れば田舎侍だから美食美服は出来んばかりでは無い、一体若い時分からそういう事は嫌いじゃ、斯ういう清々(せい/\)とした処を見るが何よりの楽しみじゃの」
 大藏は座を進ませまして、
大「えゝどうも今日(こんにち)は何もお慰(なぐさ)みもなく、お叱りを受けるかは存じませんが、亭主が深川の芸者を呼び置きましたと申すことで、一寸(ちょっと)お酌を取りましても、武骨な松蔭や秋田屋がお酌をいたしましては、池田伊丹の銘酒も地酒程にも飲めんようなことで、甚だ御無礼ではございますが、お目通りへ其の深川の芸者どもを呼寄せることに致します」
數「おゝ成程その噂は聞いている、深川には大分美人も居(お)り、芸の好(よ)いものも居(お)るという事だが、それは宜(よ)いの、手前は芸者に逢った事はない、武骨者で殊(こと)に岩越という男が是非一緒に往(ゆ)きたい、何でも連れてってくれ、未(いま)だ碌に御府内を見たことが無いというから同道して来たが、起倒流(きとうりゅう)の奥儀を究(きわ)めあるだけあって、膂力(ちから)が強いばかりで、頓と風流気(ふうりゅうぎ)のない武骨者じゃ」
岩越「えゝ拙者は岩越賢藏(けんぞう)と申す至って武骨者で此の後(ご)ともお見知り置かれて御別懇に」
大「今日(こんにち)は図らず御面会を致しました、手前は松蔭大藏で……好(よ)い折柄、此の後とも御別懇に……御家老此(こ)れは濱名左傳次と申す者で、小役人でございましたが、図らず以上に仰付けられ、今日(こんにち)は何うかお目通りを致しまして、何かのお話を承われば身の修行だと申して居ります、武骨ではござるが洒落(しゃれ)た口もきゝ、皺枯(しゃがれ)っ声で歌を唄い、面白い男ゆえお目をお掛け遊ばして、何分お引立を」
數「はい/\、中々様子の好(よ)い男、なれども近い処だと宜(よ)いがの、上屋敷までは遠いから、どうか些(ちっ)と早く帰りたいがの」
大「いえ、今晩は小梅のお中屋敷へ御一泊遊ばしては如何(いかゞ)、寺家田(じけだ)の座敷が手広でござる、彼(あれ)へ御一泊遊ばしますように、是から虎の門までお帰りになっては余り遅うなりますから」
數「それは宜かろう」
大「じゃア早く/\」
 と是からお吸物に結構な膳椀で、古赤絵(ふるあかえ)の向付(むこうづ)けに掻鯛(かきだい)のいりざけのようなものが出ました。続いて口取(くちとり)焼肴(やきざかな)が出る。数々料理が並ぶ。引続いて出て来ましたのは深川の別嬪(べっぴん)でございます。
大「さ、これへ」
芸「今日(こんにち)は」
數「いや/\大勢呼んだの」
大「さ、これへ来てお酌を、大夫様(たいふさま)から」
芸「へえ、大夫様お酌をいたしましょう」
數「いや成程これは綺麗、あい/\、成程松蔭年を老(と)っても酌はたぼと云って幾歳(いくつ)になっても婦人は見て悪くないもんだの、むゝう、中々どうも……何(なん)てえ名だなに、小玉か成程、どんずり奴(やっこ)の男がいる、あれは何だ」
幇間「えゝ手前は鳥羽屋五蝶と申します幇間(たいこ)で」
數「ほゝう、なに太鼓を叩くか」
五「いえ、只口で叩きます」
數「口で太鼓を…唇でかえ」
五「いえ、なに、太鼓持で、えへゝゝ」
數「うん成程、口軽(くちがる)なことをいう、幇間(ほうかん)か、成程聞いていた、中々面白い頭だの」
五「へゝゝ、どうも未(ま)だどんずり奴(やっこ)でございます」
數「太皷持の頭は、皆(みな)此様(こん)なかえ」
五「皆(みんな)お揃いと云う訳ではございませんが、自然と毛が薄くなりましたので」
數「いや形が変って妙だ、幇間(たいこもち)は口軽だというが、何か面白いことを云いなさい」
五「これは恐入りましたな、御家老さま、改まってこれを云えと仰せあられますと困りますが……喜三郎こゝへ出なよ、金公(きんこう)や此処(これ)へ出なよ」
喜「口軽なんぞ迚(とて)もお目通りは出来ないというのは何うだ」
五「何だえ、それは」
喜「足軽という洒落(しゃれ)だ」
五「縁が遠いの、口軽と足軽では」
數「私(わし)は酒が頓といかん、岩越一盃(いっぱい)やれ」
岩「私(わたくし)は斯ういう形のものは始めて見ました、余程違って居ります、云うことも中々面白いようで」
五「これから追々(おい/\)繰出します」


 

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