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闇夜の梅(やみよのうめ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:33:01  点击:  切换到繁體中文



        三

 えゝ引続いてお聴きに入れまする、お梅粂之助は互に若い身そらで心得違をいたしたるより、其の身の大難を醸(かも)しました。扨(さて)彼(か)の梅には四徳を具すというが然(そ)うかも知れませぬ、若木を好まんで老木(おいき)の方を好む、又梅の成熟するを貞(てい)たり、とか申して女子(おなご)の節操(みさお)あるを貞女というも同じ意味で、春は花咲き、夏は実を結び、秋は木(こ)の葉が落ちて枯木のようになったかと思うと、又自然に芽が出て来るは、誠に妙なものでございまして、人も天然自然に此の物を見る、あゝ好(よ)い景色だとか、綺麗な色だとか、五色(ごしき)ばかりではなく木(き)の葉の黄ばんだのも面白く、又染(しみ)だらけになったのも面白い、これは唯其の人の好みによって色々になるのでございます。「心をぞわりなきものと思いぬる見る物からや恋しかるべき」で見る物も恋しく、心と云うものは別に形は無いが、善を見れば善に感じ、悪に出逢えば悪に染まる、されば己(おのれ)の好む所の境界(きょうがい)が悪いと其の身を果(はた)すような事もあるのでございます。
 粂之助は奉公中主人の娘お梅に想われたのが、因果の始(はじま)りでござりまして、自分も済まない事と観念を致したから、兄玄道の側へ参り、小さくなって、温順(おとな)しく時節到来を待って居ました、所へ千駄木の植木屋九兵衞というものが参り、
 九「昨晩お嬢様(さん)がお出(いで)になりましたから、私(わたくし)が何処(どこ)へでもお逃し申すようにするゆえ、金子(かね)の才覚をして来い」
 と云うので、態(わざ)とお梅の巾着の中に三両ばかり入れた儘置いて帰った。是が九兵衞の企(たく)みのある処でござります。此方(こちら)はまだ年が若いから、何の気も附かず、是は全くお梅から届けたものと心得て、前後(あとさき)の思慮も浅く、其の巾着の内へ、本堂再建(さいこん)の普請金八十両というものを盗み出して押込み、これを懐へ入れて置いたのが、立上る機勢(はずみ)にドサリと落ちたから番頭はこゝぞと思って右の巾着を主婦(あるじ)の前へ突付けたり、鳶頭(かしら)にも見せたりして居丈高(いたけだか)になり、
 番「さ、粂之助、此の巾着が出る上は貴様がお嬢様(さん)を殺したに相違あるまい」
 と責めつけたから、座中の人々互に顔と顔を見合せ、鳶頭も甲州屋の家内も実に驚いて、「よもや粂之助がお梅を殺して五十両という金子(きんす)を取りはすまい」とは思うが、金子(かね)が出た。見ると五十両ではなくして八十両の包み金(がね)、表書(うえ)には「本堂再建(さいこん)普請金、世話人萬屋源兵衞(よろずやげんべえ)預(あずか)る」と書いてあったから、誰より驚いたのは玄道和尚で、ぶる/\震えながら、
 玄「ま、これ粂之助、ま、此の金子(かね)は何うした」
 粂「はい/\申し訳がございませぬ」
 玄「これはまア……番頭さん、鳶頭、又御当家の御家内様まで、粂之助がお嬢様を殺して金子(きんす)を取ったろうという御疑念をお掛けなさるは御道理(ごもっとも)の次第でござる、なれども、此の儀に就(つ)いては私(わたくし)より少々粂之助へ申聞(もうしき)けたい事がござれど、少しく他聞を憚(はゞか)りまする故、何所(どこ)か離れたお居間はござりますまいか、余り人様のお出(いで)のない所を拝借いたしたいもので」
 内儀「はい/\、あの鳶頭、奥の六畳へ連れて行ったらよかろう、離れてゝ彼所(あすこ)が一番静(しずか)でもあり人が行かないから」
 鳶「宜(い)いかね、大丈夫かえ和尚様(さん)」
 玄「いえ、決して逃しは致しませぬから、御安心なすって……さア来い」
 と粂之助の手を執(と)って引立てる。粂之助は和尚の従者(とも)で来たのだから今日は耳こじり[#「耳こじり」に欄外に校注、「みじかいわきざし」]を差して居る、兄玄道に引立てられ、拠(よんどころ)なく奥の離座敷へ来るといきなり肩を突かれたからパッタリ畳の処へ伏しました。玄道和尚は開き直って、
 玄「これ粂、手前はまア呆れ返った奴じゃ、これ手前はな、御両親が相果(あいはて)てからと云うものは、私(わし)の手許に置いて丹精をしてやったのじゃないか……女子(おなご)の手もない寺へ引取り、十一の歳(とし)から私が丹精をして、読書(よみかき)から行儀作法に至るまで一通りは仕込んでやったが、何をいうにも借財だらけの寺へ住職をしたのが過(あやま)りで、なか/\然(そ)う何時(いつ)までも手前一人に貢いでやる訳にも往(ゆ)かぬから、不自由を堪(こら)えて御当家へ願い、住みこませると、長の歳月(としつき)御丹精を戴いた御主人様の大恩を忘れ、奉公人の身の上でありながら、御主人様の令嬢と不義いたずらをするとは、何と云う心得違の事じゃ、それで手前は武士の胤(たね)と云われるか、私も手前も、土井大炊頭(どいおおいのかみ)の家来早川三左衞門(はやかわさんざえもん)の胤じゃないかい、私は子供の時分は清之進(せいのしん)と云うたが、どの人相見に観(み)せても、剣難の相があると云うたに依(よ)って九歳の折(おり)に出家を遂(と)げ、谷中南泉寺(なんせんじ)の弟子になって玄道、剃髪(ていはつ)をしてから、もう長い間の事じゃ、其の後(ご)嘉永の始(はじめ)に各藩(かくばん)にて種々(さま/″\)の議論が起り、えろうやかましい世の中になった、其の折父早川三左衞門殿には正義を主張して、それはいかぬ、然(そ)ういう道理は無いと云うて殿へ御諫言(ごかんげん)を申上げたる処、重役の為に憎まれて遂には追放仰付けられた、お父様にはそれを口惜(くや)しゅう思召(おぼしめし)てか、邸(やしき)を出てから切腹をして相果(あいはて)られた、続いて母様もお逝去(かくれ)になる時の御遺言に、お前の弟粂之助はまだ頑是(がんぜ)もない小児(しょうに)、外(ほか)に頼る者もないに依って何卒(どうか)お前、丹精をして成人させて呉れとのお頼み、そこで私が寺へ引取って、十一から三ヶ年も貴様の面倒を見てやったが、今もいう通り何分不如意(ふにょい)じゃに依って御当家へ願うたのも、然ういう柔弱な身体じゃから、商人(あきんど)に仕ようと思うた私の心尽(こゝろづくし)も水の泡となり、それのみならず誠に愧入(はじい)ったのは此の八十両の金子(かね)じゃ、知っての通りの貧乏寺じゃが幸いにも檀家(だんけ)の者にも用いられ、本堂が大破に及んだ、再建(さいこん)をせにゃなるまい、私(わし)が世話人に成ってやる奮発せいと、萬屋も心配をして呉れて、これ見ろ、まア是だけの金子を集めて、是を資本(もとで)に追々(おい/\)と再建に取掛るつもりでわざ/\源兵衞さんが一昨日(おとつい)持って来たに依って、直(すぐ)手前に仕舞って置けと云うて渡した其の金子を手前が盗出(ぬすみだ)して此所(こゝ)へ持って来るとは何ういう了簡じゃ、此金(これ)がなければ片時も己はあの寺に居(お)られぬという事も、手前能(よ)う知って居(お)るじゃないか、憎い奴じゃ、同じ早川の家に生れても、私は総領の身の上でありながら出家となり、又手前の兄三次郎(さんじろう)と云う者は、何ういう因縁か、十一二歳の頃からして盗心(とうしん)があって、一寸(ちょっと)重役の家(うち)へ遊びに行っても、銀の煙管じゃとか、紙入じゃとか、風呂敷とか、手拭とか云うものを盗んで袂(たもと)へ入れて来るじゃ、そこでお父様(とうさま)も呆れてしまい、此奴(こやつ)が跡目相続をすべき奴じゃけれども仕方がないと云うて、十九の時に勘当をされた、丁度三人の同胞(きょうだい)でありながら、私は出家になり、弟は泥坊根性があり、手前は又主家(しゅうか)の娘と不義をして暇(いとま)を出されるのみならず、兄の身に取っては大切の金子(かね)まで取るという奴じゃから、何う人さんから云われても一言の申訳はあるまい、憎い奴じゃ、兄の自滅をするという事を悉(くわ)しく知って居ながら、斯(こ)ういう不都合をするとは云おう様ない人非人(にんぴにん)め」
 と腹立紛れに粂之助の領上(えりがみ)を取って引倒して実の弟を思うあまりの強意見(こわいけん)、涙道(るいどう)に泪(なみだ)を浮べ、身を震わせながら粂之助を畳へこすり附ける。粂之助は身の言分(いいわけ)が立ちませぬから、
 粂「申訳を致します……もも申訳を……何卒(どうぞ)お放しなすって下さいまし」
 玄「さ、何う言分をする」
 粂「へい申訳は此の通りでござります」
 と自分の差して来た小短い脇差を取って抜くより早く喉(のど)へ突立てにかゝった。玄道は胆(きも)を潰して其の手を抑(おさ)え、
 玄「こ、これ待てッ」
 粂「いゝえ、お留め下さるな、申訳が有りませぬから、私(わたくし)は自害をいたして申訳をいたします」
 玄「自害をしたってそれで済むと思うか」
 頻(しき)りに争うておる処へ、ガラリと縁側の障子を開けて這入って来た男を見ると、紋羽(もんぱ)の綿頭巾を鼻被(はなっかむり)にして、結城(ゆうき)の藍微塵(あいみじん)に単衣(ひとえもの)を重ねて着まして、盲縞の腹掛という扮装(こしらえ)、小意気な装(なり)でずっと這入って、
 男「ま、ま、お待ちなせえ、おう詰らねえ事をするない、手前(てめえ)は死なねえでも宜(い)いや」
 粂「ヘエー」
 と顔を見ると今日朝の中(うち)に来た、千駄木の植木屋の九兵衞だから恟(びっく)りして、
 粂「おや、貴方は千駄木の植木屋さんで……」
 九「ウム、植木屋の九兵衞だ、お前(めえ)はまア死なねえでも宜(い)い……え、和尚さん私(わっち)は、千駄木の植木屋の九兵衞と云って、此の粂之助を騙(だまか)しに行った悪党でごぜえます」
 玄「何じゃ……悪党とは」
 九「ヘエ誠に面目次第もござえませぬ、お前(めえ)さんの為には現在の弟でありながら、十九の時に邸(やしき)を出て了(しま)いやした、それゆえ粂の顔を知らねえもんだから騙(だまか)しに行ったんです、兄(あに)さん大層まア年が寄って、お顔を見忘れちまいましたよ」
 玄「なに誰じゃ」
 九「誰でもねえ、お前(まえ)さんの弟の三次郎です」
 玄「おゝ、弟の三次郎、成程然(そ)う云えば、何所(どこ)か見覚えのある顔だ、それが何うして此所(こゝ)へ出て来た」
 九「まア聞いてくだせえ、私(わっち)が上野の三橋側の夜明(よあか)しの茶飯屋のところで、立派な身形(みなり)の新造(しんぞ)が谷中長安寺への道を聞いてるんで、てっきり駈落ものと睨(にら)んで横合から飛び出し、私もね、お前さんが其の長安寺の和尚さんとも知らず、粂之助が私の弟ということも知らねえもんだから、旨い金蔓(かねづる)に有附いたと実ア其の娘を騙(だまか)して[#「騙して」は底本では「駆して」と誤記]引張出(ひっぱりだ)し、穴の稲荷の脇で娘を殺し、巾着ぐるみ有金を引浚(ひっさら)い、死骸は弁天の池ン中へ投(ほう)り込んだのは私の仕業だ、そればかりでなく、娘を殺す前(めえ)に、段々様子を聞くと、宅(うち)に奉公をして居た粂之助と云う者は、暇(いとま)が出て当時では谷中仲門前の長安寺と云う寺に居るんだと聞いたから、もう一仕事しようと思って粂の処(とこ)へ出かけ、旨く騙(だまか)して金子(かね)を持って逃げておいでなさいと云ったのは、私の入智慧(いれぢえ)、本堂再建の普請金八十両を盗ませたのも皆この三次郎の作略でごぜえます」
 玄「ふむー、此奴(こやつ)……えらい奴じゃな」
 三「でね、まア然(そ)ういう理由(わけ)なんだから、鳶頭と番頭や何か残らず此所(こゝ)へ呼んでおくんなせえ」
 玄「粂、早う呼んで来い」
 粂「誰方(どなた)も早く来て下さいましよ」
 と呶鳴ったから、何事かと思って鳶頭も番頭も皆揃って来ました、ずらりと大勢ならべて置いて、右の一伍一什(いちぶしじゅう)を三次郎が話した時には、鳶頭も番頭も驚いて暫(しばら)くは口も利けぬくらいでありました。
 三「さ、何うぞ私(わっし)に縄を掛けて引く処へ引いてお呉んなせえ、決して粂之助の科(とが)じゃアねえ、私(わっち)が人殺(ひとごろし)をしたんですから……其の代りどうか兄(あに)さん粂を可愛がってやってお呉んなさい、又粂も宜(い)いか、もう四十を越してる兄さんだ、能(よ)く大事にして上げてくれ、よ、お前幾歳(いくつ)になる、なに十九歳だ、うむ然(そ)うか、いや鳶頭、誠に何とも云いようがごぜえませぬ、お前(めえ)さんは粂を贔屓にしてお呉んなすって、やれこれ云って下すったのは、私(わっち)からも厚くお礼を申します、実ア今日此処(こゝ)へ忍び込んで間(ま)が好(よ)かったら、此のどさくさ紛れに、もう一仕事する積(つもり)で来た処が、まア斯(こ)ういう訳になりましたから何卒(どうぞ)私へ縄を掛けて突出してお呉んなせえ……やい番頭、さ、己を縛れ」
 番「なに此奴(こいつ)……汝(おのれ)が泥坊か、此のお庭へ何所(どこ)から這入った」
 三「何所からだって這入(へい)るが、さ縛れ、其の代り己が喰(くら)い込めば、もう娑婆ア見る事ア出来ねえから、此の番頭手前(てめえ)も一緒に抱いて行(ゆ)くから然(そ)う思え」
 番「そりゃアえらい事(こっ)ちゃな」
 是(こ)れから捨て置けませぬから、甲州屋の家内は家(うち)から縄付(なわつき)を出すのも厭だと心配をして果(はて)しがない。そこで三次郎が到頭自訴いたして、何うしても斬首(ざんしゅ)の刑に行わるべきであったのが、何ういう事か三宅へ遠島を仰付(おおせつ)けられましたが、大層改悛(かいしゅん)の効が顕(あら)われ、後(のち)お赦(しゃ)になって、此の三次郎は兄玄道の徒弟となり、修行(しゅうぎょう)の功を積んで長安寺の後住(ごじゅう)を勤めました。此の者は穴釣三次(あなづりさんじ)と云って、其の頃下谷では名高い泥坊でござりました。又粂之助は遂に甲州屋へ貰われまして、甲州屋の跡目を相続いたし、其の後(のち)浅草仲町の富田屋という古着商(ふるぎや)から嫁を貰いましたが、此の嫁も誠に心懸けの良い婦人でござりまして、母に孝行を尽したという末お目出度いお話でござります。



底本:「圓朝全集 巻の一」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
   1963(昭和38)年6月10日発行
底本の親本:「圓朝全集巻の一」春陽堂
   1925(大正15)年9月3日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」は、それぞれ「其の」と「此の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
入力:小林 繁雄
校正:かとうかおり
ファイル作成:かとうかおり
2000年5月10日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



【表記について】

/\:二倍の踊り字(濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」)

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