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愛卿伝(あいけいでん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-25 8:38:33  点击:  切换到繁體中文

 胡元こげん社稷しゃしょくが傾きかけて、これから明が勃興しようとしている頃のことであった。嘉興かこう羅愛愛らあいあいという娼婦があったが、容貌も美しければ、歌舞音曲の芸能も優れ、詩詞はもっとも得意とするところで、その佳篇麗什かへんれいじゅうは、四方に伝播せられたので、皆から愛しうやまわれて愛卿と呼ばれていた。それは芙蓉ふようの花のように美しい中にも、清楚な趣のあった女のように思われる。風流の士は愛卿のことを聞いて、我も我もと身のまわりを飾ってれなずもうとしたが、※(「りっしんべん+(「甍」の「瓦」に代えて「目」)」、第4水準2-12-81)学無識ぼうがくむしきの徒は、とても自分達の相手になってくれる女でないと思って、今更ながら己れの愚しさを悟るという有様であった。
 ある年のこと、それは夏の十六日の夜のことであった。県中の名士が鴛湖えんこの中にある凌虚閣りょうきょかくへ集まって、涼を取りながら詩酒の宴を催した。空には赤い銅盤のような月が出ていた。愛卿もその席へ呼ばれて、皆といっしょに筆を執ったがまたたくまに四首の詩が出来た。

画閣がかく東頭とうとう涼を
紅蓮こうれん白蓮はくれんかぐわしきにかず
りん明月めいげつ天水てんみずの如し
いずれのところしょうを吹いて鳳凰ほうおうを引く

月は天辺てんぺんに出でて水は湖に在り
微瀾びらんさかしまに浸す玉浮図ぎょくふと
すだれげて姐娥そがと共に語らんと欲す
あえ霓裳げいしょうきょくを数えんやいな

手にろう双頭そうとう茉莉まつりの枝
曲終って覚えず鬢雲びんうんかたむくことを
珮環はいかん響く処飛仙ひせん過ぐ
願わくは青鸞せいらん一隻を借りてらんことを

曲々たる欄干らんかん正々たるへい
しゅころも薄くして来りるにものう
夜更けて風露ふうろ涼しきこと如許いくばく
は在り瑶台ようだいの第一層に
 愛卿の詩を見ると、もう何人たれも筆を持つ者がなかった。
 趙という富豪の才子があって、父親が亡くなったので母親と二人で暮していたが、愛卿の才色を慕うのあまり、聘物へいもつを惜まずに迎えて夫人とした。
 趙家の人となった愛卿は、身のとりまわしから言葉の端に至るまで、注意に注意を払い、気骨の折れる豪家の家事を遺憾いかんなしに切りもりしたので、趙は可愛がったうえに非常に重んじて、その一言半句も聞き流しにはしなかった。
 趙の父親の一族で、吏部尚書りぶしょうしょとなった者があって、それが大都から一封の書を送ってきたが、それには江南で一官職を授けるから上京せよと言ってあった。功名心の盛んな趙は、すぐ上京したいと思ったが、年取った母親のことも気になれば、愛卿を遺して往くことはなおさら気になるので、躊躇していた。
 愛卿は趙のそうした顔色を見て言った。
「私が聞いておりますのに、男の子の生れた時は、桑のゆみよもぎの矢をこしらえて、それで天地四方を射ると申します、これは将来、男が身を立て、名を揚げて、父母を顕わすようにと祝福するためであります、恩愛の情にひかれて、功名の期を逸しては、亡くなられたお父様に対しても不孝になります、お母様のお世話は及ばずながら私がいたします、ただ、お母様はお年を召されておりますうえに、御病身でございますから、それだけはお忘れにならないように」
 趙は愛卿に激励せられて、意を決して上京することにした。そこで旅装を調ととのえ、日を期して出発することになり、中堂に酒を置いて、母親と愛卿の三人で別れのさかずきをあげた。
 その酒が三まわりした時であった。愛卿は趙に向って言った。
「お母様の御健康をお祝しになっては、いかがでございます」
 趙はいわれるままに觴を母親の前へ捧げた。
 愛卿は立って歌った。それは斉天楽さいてんがくの調べに合わせて作った自作の歌であった。
恩情功名を把りて誤らず
離筵りえんまた金縷きんるを歌う
白髪の慈親じしん
紅顔の幼婦
君去らば誰あって主たらん
流年幾許いくばく
いわんや悶々愁々
風々雨々
ほうくだらんわか
未だ知らずいずれの日にか更にあいあつまらん

君が再三分付ぶんぷするを蒙り
堂前に向って侍奉じほう
辛苦を辞するを
官誥かんこう花をばん
宮袍きゅうほうにしきを製す
妻を封じ母を拝するを待たんことを要す
すべからく聴取すべし
おそる日西山にせまって愁阻を生じ易きことを
早く回程かいていを促して
綵衣さいい相対あいたいして舞わん

 歌が終った時ぶんには、皆の眼に涙が光っていた。趙を載せて往く舟は、門の前にともづなを解いて待っていた。
 趙は酔に力を借って別れを告げて舟へ乗った。愛卿は趙を送って岸へ出て、離れて往く舟に向って白い小さい手端てさきを見せていた。

 趙はやがて大都へ往った。往ってみると尚書は病気で官を免ぜられていた。趙は進退に窮して旅館へ入り、故郷へ引返そうか、仕官の口を探そうかと思って迷っているうちに、数ヶ月の日子にっしが経った。
 一方故郷の方では、旅に出た我が子の身の上を夜も昼も心配していた趙の母親は、その心配からまた病気がちの体を痛めて、病床の人となった。愛卿は人の手を借らずに、自分で薬を煎じ、粥をこしらえて母親に勧め、また神にその平癒を祈った。
「あの子は、どうしたというだろう、何故便りがないだろう」
 母親は愛卿の顔を見るたびに、こんなことをいって聞いた。
「なに、今に何か言ってまいりますよ、それとも官が定ったので、御自分でお迎えにきていらっしゃるかも判りません、御心配なされることはありませんよ」
 愛卿はしかたなしにいつもこんなような返事をして慰めていたが、自分でも母親以上に心配していた。
 そのうちに半年ばかりになったが、母親の病気はひどくなって、もう愛卿の勧める薬を自分の手で飲むことすらできないようになった。愛卿は枕頭まくらもとに坐って、死に面している老婆の顔を見て泣いていた。と、麻殻あさがらのような痩せた冷たい手がその手にかかった。
「もう私はだめだ、あんたにひどく厄介をかけたが、その返しをすることもできない、このうえ、私の望みは、早くあの子が旅から帰ってくれて、あんたとの間に、こどもができ、孫ができて、その児や孫達に、あんたが私にしてくれたように、あんたに孝行をさしたい、もし、天がこのことを見ていらっしゃるなら、きっとそうしてくだされる」
 母親はそれをやっと言ってから、呼吸いきが絶えてしまった。愛卿はその死骸に取り著いて泣いていた。
 愛卿はその母親の死骸を白苧村はくちょそんに葬ったが、心から母親の死を悲しんでいる彼女は、その悲しみのために健康を害して、げっそり体が痩せて見えた。
 それは元の至正十七年のことであった。その前年、張士誠ちょうしせい平江へいこうを陥れたので、江浙左丞相達織帖睦邇こうせつさじょうそうたつしきちょうぼくじ苗軍びょうぐんの軍師楊完ようかんという者に檄を伝えて、江浙の参政の職を授け、それを嘉興でふせがそうとしたところが、規律のない苗軍は掠奪をほしいままにした。
 楊完の麾下きか劉万戸りゅうまんこという者があったが、手兵を連れて突然趙の家へきた。愛卿は大いに驚いて逃げようとしたが、逃げる隙がなくとうとう捕えられて、万戸の前へ引きだされた。
 万戸は愛卿の顔を赤濁あかにごりのしたいかつい眼でじっと見ていたが、いきなり抱きかかえて一室の中へ入って往った。愛卿はもう悶掻もがくのをやめていた。万戸の毛もくじゃらの頬はすぐ愛卿の頬の近くにあった。
「体が、体が汚れております、ちょっと湯あみをさしてくださいまし」
 万戸はすこし顔を引いて愛卿の顔を見た。
「なりもこんな汚いなりをしております、ちょっとお待ちを願います」
 愛卿はにっと笑って万戸の眼を見入った。
「そうか」
 万戸もにっと笑って愛卿を下におろした。
 愛卿はも一度万戸の方を見て恥かしそうに笑いながら外へ出た。そして、一室へ入って水で体を洗い、静かに、かたわらこざしきへ入って往ったが、それっきり出てこなかった。
 女のくるのを待っていた万戸は、あまり遅いので不審を起して、探し探し閤の中へ往った。閤の中では愛卿が羅巾らきんを首にかけてくびれていた。
 万戸は驚いて介抱したが蘇生しないので、綉褥しとねに包んで家の背後の圃中はたなかにある銀杏いちょうの樹の下へ埋めた。

 間もなく張士誠は、江浙左丞相達織帖睦邇のもとかんを通じて、降服したいといってきたので、達丞相は参政周伯埼しゅうはくきなどを平江へやって、これを撫諭ぶゆさし、みことのりを以って士誠を大尉にした。
 それがために楊参政は殺されて、麾下の軍士は四散した。大都の旅館にいた趙は、故郷へ引返すことに定めて帰ろうとしたところで、嘉興が戦乱の巷になりかけているということを聞いたので、帰ることもできずに家のことを心配していたが、そのうちに士誠が降り楊参政の軍が潰滅した。従って道も通じたので、はじめて舟に乗って帰り、太倉たいそうからあがって往った。
 嘉興の城内は、到る処に破壊の痕を止めていた。見覚えのある第宅が無くなっていたり、第宅はあっても住んでいる人が変っていたりした。趙は自分の家のことを心配しながら走るようにして歩いて往った。
 家は依然として立っていたが、入口の扉はとれて生え茂った雑草の中に横たわっており、調度のこわれなどが一面に散らかって、それにほこりがうず高くつもっていた。脚下あしもとで黒い小さなものがちょろちょろと動くので、よく見るとそれは鼠であった。
 荒廃した家の内からは、返事をする者もなければ、出てくる者もいなかった。趙は驚いて家の中を駈け廻ったが、母親の影も愛卿の影も、その他にも人の影という影は見えなかった。
 趙は茫然として中堂の中に立っていた。庭の方で鳥の声がした。それは夕陽の射した庭の樹に一羽の※(「号+鳥」、第3水準1-94-57)ふくろうがきて啼いているところであった。
 淋しい夕暮がきた。趙は母親と愛卿は、楊参政の麾下の掠奪に逢って、どこかへ避難しているだろうと思いだした。彼は翌日知人を訪うてくわしい容子を聞くことにして、そのあたりを掃除して一夜をそこで明かした。
 朝になって趙は、嘉興の東門となった春波門を出て往った。そこには紅橋があった。趙はその側へ往ったところで見覚えのある老人に往き逢った。
「おい、爺じゃないか」
 それはもと使っていたげなんであった。
「だ、旦那様じゃございませんか」
 老人は飛びかかってきそうなふうをして言った。

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