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変災序記(へんさいじょき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-26 15:29:42  点击:  切换到繁體中文

大正十二年九月一日の朝は、数日来の驟雨模様の空が暴風雨の空に変って、魔鳥のはねのような奇怪なかたちをした雲が飛んでいたが、すぐ雨になって私の住んでいる茗荷谷みょうがだにの谷間を掻き消そうとでもするように降って来た。私は平生のように起きて、子供たちと一緒に朝飯をい、それから二階へあがって机に向ったが、前夜の宿酔のために仕事をする気になれないので、とうの寝椅子によっかかりながら、ガラス越しに裏崖の草藪の方を見た。漆の木、淡竹、虎杖いたどり、姫日向葵ひまわりの葉、そうした木草の枝葉が強い風に掻きまわされ、白い縄のような雨水に洗われて物凄かった。
 その日はいわゆる二百十日の前日であった。室の中には南風気みなみげの生温い熱気が籠って気味が悪かった。私はもう戸外を見るのも厭になったので、そのまま眼を閉じて前夜の酒の席のことなどを考えていた。馬場孤蝶翁が銀婚式をやる年に当り、初孫も生れ、それで全集も出ることになったので、門下知友がその祝いをやるとともに、記念文集の出版の挙となり、私もその委員の一人に選まれたので、その日五六人の委員と孤蝶翁の家に集まって、文壇の各方面に原稿の寄稿依頼の手簡を出したが、終って夕飯を喫うことになり、江戸川端の「橋本」という鰻屋に往ったところで、若い鼻眼鏡の委員の一人が興に乗って、ビールのカップや猪口に歯を当てて噛み砕いて酒をあおった。私はその友人の紅い唇などを思い浮べて独りで笑い心地になっていたが、急に四辺がひっそりとなったので、不思議に思って眼を開けた。うす暗かった家の内が明るくなって、草藪の上に陽の光が射していた。私は起きあがって表に向いた方の雨戸を開けた。
 磨きをかけたような藍色の空にうす鼠色の雲が動いていて、暑い陽の光が風に吹きちぎられたようにぎらぎらと漂っていた。私の家の玄関口からは二三十間も前になった街路に面した総門越しに眼をやると、街路の向う側の藤寺の墓地の樹木が微風に揉まれていた。その樹木の中には欅があり、向う隣の二階家の屋根の上に見える一本の白楊は、葛の葉のような白い裏葉を見せていた。その二階家の向うは総門の左側の角になって、木造の青ペンキ塗りの古いシナ人の下宿があった。墓地の樹木は崖の上の樹木に続いて、その間に一軒の高い窓の家は下宿屋であった。下宿屋の上の家並は大塚の電車通りに沿うた人家で、総門の右側には雑貨店をやっている小学校の校長の住んでいる二階家があって、その向うには墓地の続きになった所に建った大きな建物ののきが僅かに見えていた。それは奈良県の寄宿舎であった。寄宿舎の右寄りの上にも二軒の二階家が涼しそうな顔を見せていた。
 それはもう十一時を過ぎていた。私は胃の勢いであろう物が喫いたくなったので、早い昼飯をこしらえさしてそれを喫い、裏崖に向った窓の下に据えた机の前に往って、泉筆を持って書きさしの原稿紙に三四字書いたところで、家内があがって来て来客を知らした。
「ワチっていう方が見えました」
 私はすぐ大町桂月翁の許に寄宿していたことのある和智君ではないかと思った。で、家内に言いつけてあげてみると、果してその和智君であった。和智君は痩せて背のひょろ長い体に洗いざらした浴衣を着ていた。私は和智君とは一度しか逢ったことはなかった。それはもう六七年前のことであったが、眼玉の出た神経的な特異な眼に記憶があった。和智君はエヤーシップの袋を出して火をけた。
「大町先生の門口まで往ったが、ひっ返して来ました」
 和智君は東京から帰って朝鮮あたりで新聞記者をしていたと言った。
「アメリカへ往くつもりで、渡行免状をもらったところで、親爺が病気になったものですから、よしたのです」
 と、和智君が言いかけたところで、どう、どう、という風の音とも遠雷とも判らない物の音がして、その音が地の底に響いたように感じた刹那、家がぐらぐらと揺れだした。ちょうど大波の上に乗った小舟のように揺れて、畳がむくむくと持ちあがりそうになった。がらがらばらばらと物の崩れるような音や倒れるような音が、周章あわてた私の耳に入った。
「地震だ」
 私と和智君ははね飛ばされたように起ちあがった。私は畳の上を二足ばかりひょろひょろと歩いた。
「おい、地震だ、地震だ」
 下から女の児の泣き声と家内の叫ぶ声とが同時に聞えて来た。私はふと家内と子供を二階へ伴れて来ようと思った。それは安政の地震をはじめ地震のことを研究している人から、二階にいれば比較的安全だということを聞かされているためであった。私は和智君が倒れかけた襖の傍を裏崖へ向いた窓の方へ往く姿をちらと見たばかりで下へ駆けおりた。
「二階、二階、二階へあがれ」
 家内は一枚障子のはずれた玄関の柱の傍につくばって、左の手をその柱にかけ、右の手で泣き叫ぶ四つになる末の女の児を抱きかかえるようにしていた。八つになる女の児はその後で持ちあがる畳を押えつけようとでもしているようにしてこれも泣いていた。私はいきなり家内の抱きかかえるようにしている末の児に手をかけた。
「大丈夫、大丈夫、二階へあがろう、二階へあがろう」
 私に力をつけられて家内は起きあがった。家はゆらゆらとして足許が定まらなかった。私は末の児の胴から上を持ち、家内はその下を持って、姉の児を衝き飛ばすようにして先に立てて二階へあがった。
「大丈夫、大丈夫」
 家内は倒れかけた襖に掴まろうとして、ひょろひょろと歩いた。二軒長屋になった隣との境の壁がぬき板に沿うてひびわれるのが見えた。私は末の児を抱きかかえたなりに、はらはらとして立っていた。
 戸外の方では物の倒れる音、瓦の落ちて砕ける音、その音の間に泣き叫ぶたくさんの人声が波の打つように聞えた。
「和智君はどうしたろう」
 和智君の姿はもう見えなかった。私が和智君のことに気がついた時には、もう地震は小さくなっていた。
「やんだ、やんだ、この隙に戸外へ出よう」
 私は末の児を抱き、家内は姉の児の手を曳いて、そそくさと下へとおりた。地の震いはひどく小さくなっていた。家内は土間へおりて姉の児に下駄を履かしたので、私は手にしていた末の児をその背に乗せた。
 家内はそのまま出て往った。私は瓦が落ちやしないかと思って出て往く一行の後を見送りながら、土間へおりて下駄を履き、追っかけるように玄関口へと出た。家内は総門の左になったシナ人の下宿が門の内へ倒れかかっている下を通って街路へ出、街路の向う側、藤寺の墓地の垣に添うて立っている五六人の者と一緒になった。私はやや心に余裕が出来た。私は校長の家へと眼をやった。校長の家の屋根は瓦がたくさん剥げ落ちていた。私の眼は今度は右の方へと往った。そこには家主の赤い煉瓦塀があって此方との境をしており、その上に一本の煙突があって平生店子たなこを督視しているように立っているが、どうしたことかそれが見えない。私は不思議に思って気をつけて見た。煙突は向う隣の素人下宿屋の台所の屋根に倒れ落ちて、その屋根をめりこましていた。煉瓦塀は砕けて路次の行詰を埋めていた。私はいきなり向う隣の非常口の木戸の戸を開けた。
「有馬さん、有馬さん、大丈夫ですか」
 と、間をおいて病身な主人の声が台所の方でした。
「た、あ、な、か、さん、で、す、かア」
 主人は台所に這いつくばって、起きようともがいているところであった。
「けがはなかったのですか」
「けエがアは、ありイませんが……」
 主人はのっそりと起きて来た。
「えらいことでしたね、けががなかったなら好いのですね、でも、まだ危険ですから、外へ出ようじゃありませんか」
 私はそのまま走って外へ出た。かなり強い地震がまたやって来て地の上がゆらゆらとした。私は墓地の生垣に体をぴったりと押しつけるようにして、シナ人の下宿を気にしている家内の傍へ往った。その生垣の根方には黒い煉瓦を築いてあったが、それが皆崩れて垣の根があらわれていた。
「ここなら大丈夫だ」
「でも、こわいわ、こわいわ、どうしましょう」
 シナ人の下宿の並びの米屋と差配などの住んでいた一棟は潰れていた。私たちの頭の上には電燈の太い蛇のような線が通っていて、門口の右手よりにその柱があった。私は下宿の方よりもその方が怖かった。シナ人の下宿の軒先にも電信線があった。その下宿ののきはぐらぐらとしてその柱に当りそうに動いていた。
「さっきのお客さんですよ」
 家内の声がするのでふと見ると、家内の右側に和智君が黒い顔をして生垣に寄りかかっていた。
「お客さん、足をけがしていらっしゃいますよ」
 和智君は私が家内と子供を下へ伴れに往っている間に、二階の簷から飛びおりて右の足首をくじいていた。

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