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芝刈り(しばかり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-3 8:46:26  点击:  切换到繁體中文

私は自分の住み家の庭としてはむしろ何もない広い芝生しばふを愛する。われわれ階級の生活に許される程度のわずかな面積を泉水や植え込みや石燈籠いしどうろうなどでわざわざ狭くしてしまって、逍遙しょうようの自由を束縛したり、たださえ不足がちな空の光の供給を制限しようとは思わない。樹木ももちろん好きである、美しい草花以上にあらゆる樹木を愛する。それでもし数千坪の庭園を所有する事ができるならば、思い切って広い芝生の一方には必ずさまざまな樹林を造るだろうと思う。そして生気に乏しいいわゆる「庭木」と称する種類のものより、むしろ自然な山野の雑木林を選みたい。
 しかしそのような過剰の許されない境遇としては、樹木のほうは割愛しても、芝生だけは作らないではいられなかった。そうして木立ちの代わりに安価な八つ手や丁子ちょうじのようなものを垣根かきねのすそに植え、それを遠い地平線を限る常緑樹林の代用として冬枯れの荒涼を緩和するほかはなかった。しあわせに近所じゅういったいに樹木が多いので、それが背景になって樹木の緑にはそれほど飢える事はない。
 許されうる限りの日光を吸収して、芝は気持ちよく生長する。無心な子供に踏みあらされても、きびしい氷点下の寒さにさらされても、この粘り強い生命の根はしっかりと互いにからみ合って、母なる土の胸にしがみついている。そうして父なる太陽が赤道を北に越えて回帰線への旅を急ぐころになると、その帰りを予想する喜びに堪えないように浮き立って新しい緑の芽を吹き始める。
 梅雨期が来ると一雨ごとに緑の毛氈もうせんが濃密になるのが、不注意なものの目にもきわ立って見える。静かな雨が音もなく芝生しばふに落ちて吸い込まれているのを見ていると、ほんとうに天界の甘露を含んだ一滴一滴を、数限りもない若芽が、その葉脈の一つ一つを歓喜に波打たせながら、息もつかずに飲み干しているような気がする。
 雨に曇りに、午前に午後に芝生の色はさまざまな変化を見せる。ある時は強烈な日光を斜めに受けて針のような葉が金色に輝いている。その上をかすめて時々何かしら小さな羽虫が銀色の光を放って流星のように飛んで行く。
 それよりも美しいのは、夏の夜がふけて家内も寝静まったころ、読み疲れた書物をたたんで縁側へ出ると、机の上につるした電燈の光は明け放された雨戸のすきまを越えて芝生一面に注がれている。まっ暗なやみの中に広げられた天鵞絨びろうどが不思議な緑色の螢光けいこうを放っているように見える。ある時はそれがまた底の知れぬ深いふちのように思われて来る事もある。これを見ていると疲れ熱した頭の中がすうっと涼しくさわやかに柔らいで来る。私は時々庭へおりて行っていろいろの方向からこの闇の中に浮き上がった光の織物をすかして見たりする。それからそのまん中に椅子いすを持ち出して空の星を点検したり、深い沈黙の小半時間を過ごす事もある。
 芝の若芽が延びそめると同時に、この密生した葉の林の中から数限りもない小さな生き動くものの世界が産まれる。去年の夏の終わりから秋へかけて、小さなあわれな母親たちが種属保存の本能の命ずるがままに、そこらに産みつけてあった微細な卵の内部では、われわれの夢にも知らない間に世界でいちばん不思議な奇蹟きせきが行なわれていたのである。その証拠には今試みに芝生しばふに足を入れると、そこからは小さな土色のばったやのようなものが群がって飛び出した。こおろぎや蜘蛛くもありやその他名も知らない昆虫こんちゅうの繁華な都が、虫の目から見たら天を摩するような緑色の尖塔せんとうの林の下に発展していた。
 この動植物の新世代の活動している舞台は、また人間の新世代に対しても無尽蔵な驚異と歓喜の材料を提供した。子供らはよくこれらの小さな虫をつかまえて白粉おしろいのあきびんへ入れたりした。なんのためにそんな事をして小さな生物を苦しめるかというような事は少しも考えてはいなかった。それでも虫の食物か何かのつもりで、むしり取った芝の葉をびんの中へ詰め込んで、それで虫は充分満足しているものと思っているらしかった。そのまま忘れて打っちゃっておいたびんの底にひっくり返って死んでいるからだを見つけた時はやはりいくらかかわいそうだとは思うらしい。それで垣根かきねのすみや木の下へ「虫のお墓」を築いて花を供えたりして、そういう場合におとなの味わう機微な感情の胚子はいしに類したものを味わっているらしく見える。子供が虫をつかまえたり、いじめたり殺したりするのは、やはりいわゆる種属的記憶と称するものの一つでもあろうか。このような記憶あるいは本能が人間種族からすっかり消え去らない限り、強者と弱者の関係はあらゆる学説などとは無関係に存続するだろう。
 子供らはまたよくかやつり草を芝の中から捜し出した。三角な茎をさいて方形の枠形わくがたを作るというむつかしい幾何学の問題を無意識に解いて、そしてわれわれの空間の微妙な形式美を味わっている事には気がつかないでいた。相撲取草すもうとりぐさを見つけて相撲を取らせては不可解な偶然の支配に対する怪訝けげんの種を小さな胸に植えつけていた。
 芝の中からたんぽぽやほおずきやその他いろいろの雑草もはえて来た。私はなんだかそれを引き抜いてしまうのが惜しいような気がするのでそのままにしておくと、いつのまにか母や下女がむしり取るのであった。
 夏が進むにつれて芝はますます延びて行った。芝生しばふの単調を破るためにところどころに植えてある小さなつつじやどうだんやばらなどの根もとに近い所は人に踏まれないためにことに長く延びて、それがなんとなくほうけ立ってうるさく見えだした。母などは病人の頭髪のようで気持ちが悪いと言ったりした。植木屋へはがきを出して刈らせようと言っているうちに事に紛れて数日過ぎた。
 そのうちに私はふと近くの町の鍛冶屋かじやの店につるしてあった芝刈りばさみを思い出した。例年とちがってことしは暇である。そして病気にさわらぬ程度にからだを使って、過度な読書に疲れた脳に休息を与えたいと思っていたところであったので、ちょうど適当な仕事が見つかったと思った。芝の上にすわり込んで静かに両腕を動かすだけならば私の腹部の病気にはなんのさしつかえもなさそうに思われた。もっとも一概に腕や手を使うだけなら腹にはこたえないという簡単な考えが間違いだという事はすでに経験して知っていた。たとえばタイプライターをたたいたり、ピアノをひいたりするような動作でもどうかするとひどく胃にこたえる事がしばしばあった。ことに文句に絶えず頭を使いながらせき込んで印字機の鍵盤けんばんをあさる時、ひき慣れないむつかしい楽曲をものにしようとして努力する時、そういう時には病的に過敏になった私の胃はすぐになんらかの形式で不平を申し出した。しかしこれは手や指を使うというよりもむしろ頭を使うためらしく思われた、芝を刈るというような、機械的な、虚心でできる動作ならばおそらくそんな事はあるまいと思われた。少なくも一日に半時間か一時間ずつ少しも急いだり努力したりしないで、気楽にやっていればさしつかえはあるまい。こんな事を考えながら私は試みに両腕を動かしてはさみを使うまねをしてみた。まだ実際には経験しない芝刈りの作業を強く頭に印象させながら腕を動かしてみたが、腹に力を入れるような感覚は少しも生じて来ないらしかった。念のために今度は印字機に向かったつもりになって両手の指を動かしているといつのまにか横隔膜の下のほうが次第に堅く凝って来るのを感じた。
 このような仮想的の試験があてになるかどうかは自分にも曖昧あいまいであったが、ともかくも一つ実物について試験をしてみて、もしさわりがありそうであったら、すぐにやめればよいと思った。
 風のない蒸し暑いある日の夕方私はいちばん末の女の子をつれてはさみを買いに出かけた。燈火の乏しい樹木の多い狭い町ばかりのこのへんの宵闇よいやみは暗かった。めったに父と二人で出る事のない子供は何かしら改まった心持ちにでもなっているのか、不思議に黙っていた。私も黙っていた。ある家の前まで来ると不意に「山本やまもとさんの……セツ子さんのおうちはここよ」と言って教えた。たぶん幼稚園の友だちの家だろうと思われた。「セツ子さんは毎朝おとうさんが連れて来るのよ。」……「おとうさんはいつになったらお役所へ出るの。……出るようになったら幼稚園までいっしょに行きましょうね。」こんな事をぽつりぽつり話した。表通りへ出るとさすがに明るかった。床屋のガラス戸からもれる青白い水のような光や、水菓子屋の店先に並べられた緑や紅や黄の色彩は暗やみから出て来た目にまぶしいほどであった。しかしその隣の鍛冶屋かじやの店には薄暗い電燈が一つついているきりで恐ろしく陰気に見えた。店にはすぐに数えつくされるくらいの品物――くわかまはさみ庖丁ほうちょうなどが板の間の上に並べてあった。私の求めるはさみはただ二つ、長いのと短いのと鴨居かもいからつるしてあった。
 ちょうど夕飯をすましてぜんの前で楊枝ようじ団扇うちわとを使っていた鍛冶屋かじやの主人は、袖無そでなしの襦袢じゅばんのままで出て来た。そして鴨居かもいから二つはさみを取りおろして積もったちりを口で吹き落としながら両ひじを動かしてぐあいをためして見せた。
 柄の短いわりに刃の長く幅広なのが芝刈り専用ので、もう一つのはおもに木の枝などを切るのだが芝も刈れない事はない。芝生しばふの面積が広ければ前者でなくては追い付かないが、少しばかりならあとのでもいい。素人しろうとの家庭用ならかえってこれがいいかもしれないなどと説明しながら、そこらに散らばっている新聞紙を切って見せたりした。「こういう物はやっぱり呼吸ですから……。」そんな事を言った、また幾枚も切り散らして、その切りくずで刃のちりをふいたりした。
 芝を刈る鋏と言えば一通りしかないものと簡単に思い込んでいた私は少し当惑した。このような原始的な器械にそんな分化があろうとは予期していなかった。どちらにしようかと思ってかわるがわる二つの鋏を取り上げてぐあいを見ながら考えていた。なるほど芝を刈るにはどうしても専用のものがぐあいがいいという事は自分にも明白に了解された。しかしそれで枯れ枝などを切ると刃が欠けるという主人の言葉はほんとうらしかった。
 私はなんだか試験をされているような気がした。主人は団扇うちわ楊枝ようじとを使いながら往来をながめていた。子供は退屈そうに時々私の顔を見上げていた。
 とうとう柄の長いほうが自分の今の運動の目的には適しているというある力学的な理由を見つけた、と思ったのでそのほうを取る事にした。
 鋏を柄に固定する目くぎをまださしてないから少し待ってくれというので、それができるまでそこらを散歩する事にした。しばらく歩いて帰って来て見ると目くぎはもうさされていて、支点の軸に油をさしているところであった。店先へ中年の夫婦らしい男女の客が来て、出刃庖丁でばぼうちょうをあれかこれかと物色していた。……私がどういうわけで芝刈りばさみを買っているかがこの夫婦にわからないと同様に、この夫婦がどういう径路からどういう目的で出刃庖丁でばぼうちょうを買っているのか私には少しもわからなかった。その庖丁の未来の運命も無論だれにもわかろうはずはなかった。それでも髪を櫛巻くしまきに結った顔色の妙に黄色いその女と、目つきの険しい男とをこの出刃庖丁と並べて見た時はなんだか不安なような感じがした。これに反して私の鋏がなんだか平和な穏やかなもののように思われた。
 長い鋏をぶら下げて再び暗い屋敷町へはいった。今まで黙っていた子供は急に饒舌じょうぜつになった。いつ芝を刈り始めるのか、刈る時には手伝わしてくれとか、今夜はもう刈らないかとか、そんな事をのべつにしゃべっていた。父が自分で芝を刈るという事がよほど珍しいおもしろい事ででもあるように。
 しかし私自身にとっても、それはやはり珍しく新しい事には相違なかった。
 うちへ帰ると家内じゅうのものがいずれも多少の好奇心と、漠然ばくぜんとしたあすの期待をいだきながらかわるがわるこの新しい道具を点検した。
 翌日は晴天で朝から強い日が照りつけた。あまり暑くならないうちにと思って鋏を持って庭へ出た。
 どこから刈り始めるかという問題がすぐに起こって来た。それはなんでもない事であったがまた非常にむつかしい問題でもあった。いろいろの違った立場から見た答解はいろいろに違っていた。できるだけ短時間に、できるだけ少しの力学的仕事を費やして、与えられた面積を刈り終わるという数学的の問題もあった。刈りかけた中途で客間から見た時になるべく見にくくないようにという審美的の要求もあった。いちばん延び過ぎた所から始めるという植物の発育を本位に置いた考案もあった。こんな事にまで現代ふうの見方を持って来るとすれば、ともかくも科学的に能率をよくするために前にあげた第一の要求を満たす方法を選んだほうがよさそうに思われた。能率を論ずる場合には人間を器械と同様に見るのであるが、今の場合にはそれでは少し困るのであった。もともと自分の健康という事が主になっている以上、私はこの際最も利己的な動機に従って行くほかはないと思ったので、結局日陰の涼しい所から刈り始めるというきわめて平凡なやり方に帰ってしまった。

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