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帝展を見ざるの記(ていてんをみざるのき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-3 18:17:27  点击:  切换到繁體中文

夏休みが終って残暑の幾日かが続いた後、一日二日強い雨でも降って、そしてからりと晴れたような朝、清冽せいれつな空気が鼻腔びこうから頭へ滲み入ると同時に「秋」の心像が一度に意識の地平線上に湧き上がる。その地平線の一方には上野たけだいのあの見窄みすぼらしい展覧会場もぼんやり浮き上がっているのに気が付く。それが食堂でY博士の顔を見ると同時に非常にはっきりしたものになってすぐ眼の前にせり出して来るのである。いよいよ招待日が来るとY博士の家族と同格になって観覧に出かける。これが近年の年中行事の一つになっていた。
 ところが今年は病気をして外出が出来なくなった。二科会や院展も噂を聞くばかりで満足しなければならなかった。帝展の開会が間近くなっても病気は一向に捗々はかばかしくない。それで今年はとうとう竹の台の秋には御無沙汰をすることにあきらめていた。そこへ『中央美術』の山路氏が訪ねて来られて帝展の批評を書いてみないかという御勧めがあった。御断りをした積りでいるうちに何時の間にかつかまってしまって、とうとうこの「見ざるの記」を書く事になった。
 見ないものの批評が出来ようはずはない。と始めには考えたが、しばらくするとこの考えは少し変って来た。去年の秋一度逢ったきりで逢わない友達の批評をしたり、三年前に見た西洋を論じたりする人はいくらでもある。しかし誰もその不合理をとがめる人はない。帝展も一つの有機体であって生きているものである以上は去年と同じであるはずはない。「生きるとは変化する事である」という言葉が本当なら、今年は今年の帝展というものがなければならない。しかしこの有機体の細胞であり神経であるところの審査員や出品者が全部入り代らない限りは、変化とは云うものの、むしろ同じもののフェースの変化であって、よもや本質の変化ではあるまい。それで今私が頭の中にっている「帝展の心像」を取り出して、それについて何か書き並べるという事がそれほど不都合な事でもないと思った。
 去年文展が帝展に変った時には大分色々の批評があった。ある人は面目を一新したと云って多大の希望をかけたようであり、またある人は別段の変りもないと云って落着いていた。前者は相に注目したのであり、後者は本質の事を云ったのであろう。今年も多少の相の変化はあるに相違ない。ある意味では変化し過ぎて困るかもしれない。何らの必然性のない万花鏡カレードスコープのような変化は結局本質の空虚を意味する事にもなるのだが、まさか帝展はそうでもあるまい。
 帝展というものに対する私の心像を眺める時に先ず眼につくのはあの竹の台の桜の紅葉で、その次には会場の前に並んだ美々しい自動車の群である。これがあの貧弱な会場の建築と対照して、そしてその中に陳列された美しいものに対するある予感を吹き込む。アリストクラシーないしブールジョアジーと芸術とのある関係を想わせる。この自動車と相対して、おそらく我が日本だけに特有な下足預り所なるものがある。「ステッキはコチラデスヨー」などという極めてプロレタリアンな声が、労働階級の細君ででもあるらしい下足番の口から響いて来る。それからあのいつもの漆喰細工しっくいざいくの大玄関をはいってそこにフロックコートに襟章でも付けた文部省の人々の顔に逢着するとまた一種の官庁気分といったようなものも呼び出される。尤もこんな事は美術とは何の関係もない事ではあるが、それでも感受性の鋭いタイプの観覧者に取っては、彼等が場内にはいって後に作品から受取る表象の同化異化作用に何らかの影響を及ぼさないものだろうか。こんな事を考えているとバーリントンハウスの玄関や、シャンセリゼーやクーアフュルステンダムなどの幻が聯想の糸に引かれて次ぎ次ぎに浮かんで来る。
 私の想像は無論群集に押されて第一室へ流れ込む。先ず何かしら大きな屏風びょうぶの面に散布した色彩が期待に緊張した視線につかる。近くで見てはどうも全体の統一した感じが得られないと思って引下がって見ようとすると、その絵の前に立ちはだかった人々の群が邪魔になったりする。多くの場合にこの室の屏風からは何物をも受取る事が出来ないので、今度はその隣りにある洋画臭い風景画に移って行くと、その新しい描き方に少時足を止めさせられたりする。しかしそれと同じような絵で、もっと好いのを前にどこか他所よそで見たような気がし出して来ると、私の眼は自然にその隣りの小型の美人画や花鳥画に移って行ったりする。
 二室三室と移って行くうちに、始めの緊張した心持は孔のあいた風船玉のようにしぼみ縮んで行く。そうして時々ちょっとしたスキルラやカリブディスに遭遇しても大抵たいていは無事に通過してしまう。最後に私の頭に残った日本画部全体の印象は、干からびた灰色の、無秩序な些細ささいな抑揚の交錯であある。
 批評でも書いてみようという成心を持っていない、通り一遍の観覧者の多数は、おそらくこういう感じを抱いて洋画の方へ移って行くに相違ない。新聞雑誌に現われる短評などにも随分こういう心持をそのままに云い表わしたのが多いように見える。それで多くの人の口からは「今年のもつまらない」という概括的な歎息がもらされる。出品者に取っておそらくこれほど残念な張合いのない事はあるまいと思う。こういう批評は恐ろしく無責任な冷酷なものとして神経過敏な出品者の不快な反感を買うかもしれない。しかしこの種の批評は必ずしも無責任とは云えない、ただ当然な事実の正直な告白に過ぎない。赤と緑の光を混じたものを見て灰色だというのはどうにもならない科学的の事実である。しかし全体の合成的レザルタント効果が灰色であるという事は、それを分光器で分析した時に色彩の現れないという事にはならないと同様に、日本画部に傑作がないという事はうっかり云われない。
 かなりな作品があるのに観覧者の印象が空虚だとすれば罪は展覧会という無理な制度にあるのだろう。こういう意味で個人作品展覧会というものの有難味が今更のように深く味わわれる。
 分光器にかけて分析した帝展の日本画が果してみんなそれぞれに充分飽和サチュレートした特色を含んでいるだろうか。それともいくら分析してもどこまでも不飽和な寝惚ねぼけた鼠色に過ぎないだろうか。この疑問に答える前には先ず分光器それ自身の検査が必要になる。
 批評の態度には色々ある。批評家自身の芸術観から編み上げた至美至高の理想を詳細につ熱烈に叙述した後に、結論としてただ一言「それ故にこれらの眼前の作品は一つも物になっていない」と断定するのもある。そういうのも面白いが、あまり抽象的で従って何時の世のどの展覧会にでも通用する批評である。先ず普通は眼前の作品を与えられた具体的の被与件データとして肯定してから相対的の批評で市が栄えるとしたものであろう。
 芸術の技巧に関する伝統が尊重された時代には、芸術の批評権といったようなものは主に芸術家自身か、さもなくば博学な美術考証家の手に保存されて、吾々素人は何か云いたくなる腹の虫を叱り付けていなければならなかった。ところが何時の間にか伝統の縄張りが朽ちて跡方もなくなって、普通選挙の広い野原が解放されてしまった。これはいい事だか悪い事だか見当が付かないが、ともかくもどうする事も出来ない事実である。
 そうなると、批評というものの意味はもう昔とは大分違ったものになってしまう。民衆批評家は作品の客観的価値よりはむしろ自分の眼の批評をするのであり自分の要求を自白する、だから、自分さえ構わなければ何を云っても構わないと同時に、被批評者は何を云われても別に自分の信条に衝動を感じる必要はないかもしれない。
 そういう民衆批評家の一人として何か云う前に自分の芸術観を内省してみた。
 その内省の結果をここに告白しようとは思わないが、ただこれだけ云っておきたいと思う事がある。
 絵画がる有限の距離に有限な「完成」の目標を認めて進んでいた時代はもう過ぎ去ったと私は思う。今の絵画の標的は無限の距離に退いてしまった。無限に対しては一里も千里も価値は大して変らない。このような時代に当って「完成の度」に代って作品の価値を定めるものは何であろう。それはたとえて云わば、無限に向かって進んで行く光の「強度インテンシチー」のようなものではあるまいか。無限の空間に運動している物の「運動量モーメンタム」のようなものではあるまいか。
 こういう立場から見た時にセザンヌやゴーホの価値が私には始めて明らかになると同時に、支那や日本の古来の名画までも今までとちがった光の下に新しく生きて来るような気がする。
 こういう眼で見た帝展の日本画はどうであろう。美術院の絵画はどうであろう。完成を標準として見た時にあらの少ない絵はやはり大家の作に多いが、「強度」の大きい絵が却って割合に無名の若い作者のに多いという事はおそらく大多数の人の認めるところであろう。前者の例は差控える事にして、後者の例を試みに昨年の帝展から取ってみると、例えば「雪」という題で、二曲屏風一双に、枯枝に積った雪とその陰から覗く血のような椿とを描いたのがあった。描き方としては随分重苦しく厚ぼったいものである。軽妙な仕上げを生命とする一派の人の眼で見ればあるいは頭痛を催す種類のものかもしれない。それだけに作家の当該の自然に対する感じあるいはその自然の中に認めた生命が強い強度で表わされていると思った。それからまた「清水きよみず」と「高瀬川たかせがわ」という題で、絵馬か覗きからくりの絵からでも進化したような絵があったが、あれにもやはり無限に近づこうとする努力の第一歩がないとは云われなかった。それからゴーホを煮しめたとでも云ったしょうな「深草ふかくさ」や、田舎芝居の書割かきわりを思い出させる「一力いちりき」や、これらの絵からあらを捜せばいくらもあるだろうし、いたずらに皮相の奇を求めるとけなす人はあるだろうが、しかし何と云ってもどこか吾人の胸の奥に隠れたある物、ある根強い要求に共鳴をさせるところがありはしまいか。感覚的な外観の底にかくれた不可達の生命をつかもうとする熱望衝動インパルスが同じ方向に動こうとする吾々の心にもいくぶんかの運動量を附与しないだろうか。無論私は作家自身の心のアスピレーションと作品の上に現れたそれとを混同していない積りである。努力だけを買うという意味ではないのである。
「樹を描くにしても、画家自身がある度までその樹にならなくてはいけない。」こんな事をエマーソンに云った画家があった。この条件に及第する樹の画があるかと思ってみても「雪」の枯枝などがやはり先ず心に浮かぶ。

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