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花物語(はなものがたり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-4 6:02:02  点击:  切换到繁體中文



     六 野ばら

 夏の山路を旅した時の事である。峠を越してから急に風が絶えて蒸し暑くなった。狭い谷間に沿うて段々に並んだ山田の縁を縫う小道には、とんぼの羽根がぎらぎらして、時々へびが行く手からはい出す。谷をおおう黒ずんだ青空にはおりおり白雲が通り過ぎるが、それはただあちこちの峰に藍色あいいろの影を引いて通るばかりである。 咽喉のどがかわいて堪え難い。道ばたの田の縁に小みぞが流れているが、金気を帯びた水の面は青い皮を張って鈍い光を照り返している。行くうちに、片側の茂みの奥から道を横切って田に落つる清水しみずの細い流れを見つけた時はわけもなくうれしかった。すぐに草鞋わらじのまま足を浸したら涼しさが身にしみた。道のわきに少し分け入ると、ここだけは特別にかしならがこんもりと黒く茂っている。 こけは湿ってかにうている。 がけからしみ出る水は美しい羊歯しだの葉末からしたたって下の岩のくぼみにたまり、余った水はあふれて苔の下をくぐって流れる。小さい竹柄杓たけびしゃくが浮いたままにしずくに打たれている。自分は柄杓にかじりつくようにして、うまい冷たいはらわたにしむ水を味おうた。少し離れた崖の下に一株の大きな野ばらがあって純白な花が咲き乱れている。自分は近寄って強いかおりをかいで小さい枝を折り取った。人のけはいがするのでふと見ると、今までちっとも気がつかなかったが、茂みの陰に柴刈しばかりの女が一人休んでいた。背負うた柴をがけにもたせて脚絆きゃはんの足を投げ出したままじっとこっちを見ていた。あまり思いがけなかったので驚いて見返した。継ぎはぎの着物は裾短すそみじかでなわの帯をしめている。白い手ぬぐいを眉深まぶかにかぶった下から黒髪が額にたれかかっている。思いもかけず美しい顔であった。都では見ることのできぬ健全な顔色は少し日に焼けていっそう美しい。人におくせぬ黒いひとみでまともに見られた時、自分はなんだかとがめられたような気がした。思わずいくじのないお辞儀を一つしてここを出た。 せみが鳴いて蒸し暑さはいっそうはげしい。今折って来た野ばらをかぎながら二三町行くと、向こうから柴を負うた若者が一人上って来た。身のたけに余る柴を負うてのそりのそりあるいて来た。たくましい赤黒い顔に鉢巻はちまきをきつくしめて、腰にはとぎすましたかまが光っている。行き違う時に「どうもお邪魔さまで」といって自分の顔をちらと見た。しばらくして振り返って見たら、若者はもう清水しみずのへん近く上がっていたが、向こうでも振りかえってこっちを見た。自分はなんというわけなしに手に持っていた野ばらを道ばたに捨てて行く手の清水へと急いで歩いた。

     七 常山の花

 まだ小学校にかよったころ、昆虫こんちゅうを集める事が友だち仲間ではやった。自分も母にねだって蚊帳かやの破れたので捕虫網を作ってもらって、土用の日盛りにも恐れず、これを肩にかけて毎日のように虫捕むしとりに出かけた。 蝶蛾ちょうが甲虫かぶとむし類のいちばんたくさんにんでいる城山しろやまの中をあちこちと長い日を暮らした。二の丸三の丸の草原には珍しい蝶やばったがおびただしい。少し茂みに入ると樹木の幹にさまざまの甲虫が見つかる。玉虫、こがね虫、米つき虫の種類がかずかずいた。強い草木の香にむせながら、胸をおどらせながらこんな虫をねらって歩いた。 って来た虫は熱湯や樟脳しょうのうで殺して菓子折りの標本箱へきれいに並べた。そうしてこの箱の数の増すのが楽しみであった。虫捕りから帰って来ると、からだは汗を浴びたようになり、顔は火のようであった。どうしてあんなに虫好きであったろうと母が今でも昔話の一つに数える。年を経ておもしろい事にも出会うたが、あのころ珍しい虫を見つけて捕えた時のような鋭い喜びはまれである。今でも城山の奥の茂みに蒸された朽ち木の香を思い出す事ができるのである。いつか城山のずっとすそのおほりに臨んだ暗い茂みにはいったら、一株の大きな常山木じょうざんぼくがあって桃色がかった花がこずえを一面におおうていた。散った花は風にふかれて、みぎわに朽ち沈んだ泥船どろぶねに美しく散らばっていた。この木の幹はところどころ虫の食い入った穴があって、穴の口には細かい木くずが虫のふんと共にこぼれかかって一種の臭気が鼻を襲うた。木の幹の高い所に、大きなみごとなかぶと虫がいかめしいつのを立てて止まっているのを見つけた時はうれしかった。自分の標本箱にはまだかぶと虫のよいのが一つもなかったので、胸をとどろかして網を上げた。少し網が届きかねたがようよう首尾よくれたので、腰につけていた虫かごに急いで入れて、包みきれぬ喜びをいだいて森を出た。三の丸の石段の下まで来ると、向こうから美しい蝙蝠傘こうもりがさをさした女が子供の手を引いて木陰を伝い伝い来るのに会うた。町の良い家の妻女であったろう。傘を持った手に薬びんをさげて片手は子供の手を引いて来る。子供は大きな新しい麦藁帽むぎわらぼうひもをかわいいあごにかけてまっ白な洋服のようなものを着ていた。自分のさげていた虫かごを見つけると母親の手を離れてのぞきに来たが、目を丸くして母親のほうへ駆けて行って、そでをぐいぐい引っぱっていると思うと、また虫かごをのぞきに来た。母親は早くおいでよと呼ぶけれども、なかなか自分のそばを離れぬ。しいて連れて行こうとすると道のまん中にしゃがんでしまってとうとう泣き出した。母親は途方にくれながらしかっている。自分はその時虫かごのふたをあけてかぶと虫を引き出し道ばたの相撲取草すもうとりぐさを一本抜いて虫のつのをしっかり縛った。そして、さあといって子供に渡した。子供は泣きやんできまりの悪いようにうれしい顔をする。母親は驚いて子供をしかりながらも礼をいうた。自分はなんだかきまりが悪くなったから、黙ってからになった虫かごを打ちふりながら駆け出したが、うれしいような、惜しいような、かつて覚えない心持ちがした。その後たびたび同じ常山木じょうざんぼくの下へも行ったが、あの時のようなみごとなかぶと虫はもう見つからなかった。またあの時の親子にも再び会わなかった。

     八 りんどう

 同じ級に藤野ふじのというのがいた。夏期のエキスカーションに演習林へ行く時によく自分と同じ組になって測量などやって歩いた。見ても病身らしい、背のひょろ長い、そしてからだのわりに頭の小さい、いつも前かがみになって歩く男であった。無口で始終何かぼんやり考え込んでいるようなふうで、他の一般に快活な連中からはあまり歓迎されぬほうであった。しかしごく気の小さい好人物で柔和な目にはどこやら人を引く力はあった。自分はこの男の顔を見ると、どういうわけか気の毒なというような心持ちがした。この男の過去や現在の境遇などについては当人も別に話した事はなし、他からも聞いた事はなかったが、何となしに不幸な人という感じが、初めて会うた時から胸に刻みつけられてしまった。ある夏演習林へ林道敷設の実習に行った時の事である。藤野のほかに三四人が一組になって山小屋に二週間起臥きがを共にした。山小屋といっても、山のがけに斜めに丸太を横に立てかけ、その上をむしろ杉葉すぎばでおおうた下に板を敷いて、めいめいに毛布にくるまってごろごろ寝るのである。小屋のすみに石を集めたかまどを築いて、ここで木こりの人足が飯をたいてくれる。一日の仕事から帰って来て、小屋から立ちのぼる青い煙を岨道そばみちから見上げるのは愉快であった。こんな小屋でもうちへ帰ったような心持ちになる。夜になると天井の丸太からつるしたランプの光に集まる虫を追いながら、必要な計算や製図をしたり、時にはビスケットのかんをまん中に、みんなが腹ばいになってむだ話をする事もある。いつもよく学校のうわさや教授たちのまねが出てにぎやかに笑うが、またおりおり若やいだなまめかしいような話の出る事もあった。こんな時藤野は人の話を聞かぬでもなく聞くでもなく、何か不安の色を浮かべて考えているようであるが、時々かくしから手慣れた手帳を出してらく書きをしている。一夜夜中に目がさめたら山はしんとして月の光が竈の所にさし込んでいた。小屋の外を歩く足音がするから、蓆のすきからのぞいて見ると、青い月光の下で藤野がぶらりぶらり歩いていた。毎朝起きるときまりきった味噌汁みそしるをぶっかけた飯を食ってセオドライトやポールをかついで出かける。目的の場所へ着くと器械をすえてかわるがわる観測を始める。藤野は他人の番の時には切り株に腰をかけたり草の上にねころんだりしていつものように考え込んでいるが、いよいよ自分の番になると急いで出て来て器械をのぞき、熱心に度盛りを読んでいるが、どういうものか時々とんでもない読み違いをする。ノートを控えている他の仲間から、それではあんまりちがうようだがと注意されて読み違えたことに気がつくと、顔をまっかにして非常に恥じておどおどする。どうも失敬した失敬したと言い訳をする。なるべく藤野には読ませぬようにしたいとだれも思ったろうが、そういうわけにも行かぬのでやはり順番で読ませる。すると五回に一度は何かしら間違えてそのたびに非常に恥じて悲しい顔をする。そしてズボンのひざをかかえていっそう考え込むのである。こんなふうで二週間もおおかた過ぎ、もう引き上げて帰ろうという少し前であったろう。一日大雨がふって霧が渦巻うずまき、仕事も何もできないので、みんな小屋にこもって寝ていた時、藤野の手帳が自分のそばに落ちていたのをなんの気なしに取り上げて開いて見たら、山におびただしいりんどうの花が一つしおりにはさんであって、いろんならく書きがしてあった。中に銀杏いちょうがえしの女の頭がいくつもあって、それから Fate という字がいろいろの書体でたくさん書き散らしてあった。仰向きに寝ていた藤野が起き上がってそれを見ると、青い顔をしたが何も言わなかった。

     九 楝の花

 一夏、脳が悪くて田舎いなかの親類のやっかいになって一月ぐらい遊んでいた。家の前は清い小みぞが音を立てて流れている。狭い村道の向こう側は一面の青田で向こうには徳川以前の小さい城跡の丘が見える。古風な屋根門のすぐわきに大きなおうちの木が茂った枝を広げて、日盛りの道に涼しい陰をこしらえていた。通りがかりの行商人などがよく門前で荷をおろし、門流れで顔を洗うたぬれ手ぬぐいを口にくわえて涼んでいる事がある。一日暑い盛りに門へ出たら、木陰で桶屋おけや釣瓶つるべや桶のたがをはめていた。きれいに掃いた道に青竹の削りくずやかんなくずが散らばっておうちの花がこぼれている。桶屋は黒い痘痕とうこんのある一癖ありそうな男である。手ぬぐい地の肌着はだぎから黒い胸毛を現わしてたくましい腕に木槌こづちをふるうている。槌の音が向こうの丘に反響して静かな村里に響き渡る。稲田には強烈な日光がまぶしいようにさして、田んぼは暑さに眠っているように見える。そこへ羅宇屋らうやが一人来て桶屋おけやのそばへ荷をおろす。古いそして小さすぎて胸の合わぬ小倉こくらの洋服に、腰から下は股引脚絆ももひききゃはんで、素足に草鞋わらじをはいている。古い冬の中折れを眉深まぶかに着ているが、頭はきれいにった坊主らしい。「きょうも松魚かつおれたのう」と羅宇屋が話しかける。桶屋は「捕れたかい、このごろはなんぼ捕れても、みんな蒸気でかみへ積み出すからこちらの口へははいらんわい」とやけに桶をポンポンたたく。門の屋根裏に巣をしているつばめが田んぼから帰って来てまた出て行くのを、羅宇屋は煙管きせるをくわえて感心したようにながめていたが「鳥でもつばめぐらい感心な鳥はまずないね」と前置きしてこんな話を始めた。村のある旧家につばめが昔から巣をくうていたが、一日家の主人がつばめに「お前には長年うちで宿を貸しているが、時たまにはみやげの一つも持って来たらどうだ」と戯れに言った事があった。そしたら翌年つばめが帰って来た時、ちょうど主人が飯を食っていたぜんの上へ飛んで来て小さな木の実を一粒落とした。主人はなんの気なしにそれを庭へほうり出したら、まもなくそこから奇妙な木がはえた。だれも見た事もなければ聞いた事もない不思議な木であった。その木が生長すると枝も葉も一面に気味の悪い毛虫がついて、見るもあさましいようであったので主人はこの木を引き抜いて風呂ふろのたきつけに切ってしもうた。その時ちょうど町の医者が通りかかって、それは惜しい事をしたと嘆息する。どうしてかと聞いてみると、それはわが国では得がたい麝香じゃこうというものであったそうな。ここまで一人でしゃべってしまってもっともらしい顔をして煙を輪に吹く。ポンポン桶をたたきながら黙って聞いていた桶屋おけやはこの時ちょっと自分のほうを見て変な目つきをしたが、「そしてその麝香じゃこうというのはその木の事かい、それともまた毛虫かい」と聞く、「ウーン、そりゃあその、麝香にもまたいろいろ種類があるそうでのう」と、どちらともわからぬ事をいう。桶屋はしいて聞こうともせぬ。桶をたたく音は向こうの丘に反響しておうちの花がほろほろこぼれる。

(明治四十一年十月、ホトトギス)





底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
   1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
   1997(平成9)年12月15日第81刷発行
※「「芭蕉は花が咲くと」は、底本では「芭蕉は花が咲くと」ですが、親本を参照して直しました。
入力:田辺浩昭
校正:田中敬三
1999年11月17日公開
2003年10月22日修正
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