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道徳の観念(どうとくのかんねん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-7 22:32:30  点击:  切换到繁體中文


 さてここまで来て明らかになる一つの関係を注意しなければならない。実際、道徳位い批判するに容易でないものはないのである。水準の低い人間は最も容易に一切のものを道徳による批判[#「道徳による批判」に傍点]に還元して了う。戦争することは善いことか悪いことか、神社に参拝することは善いことか悪いことか、小学校の児童はすぐ社会問題をこういう道徳問題に還元する。修身教育がそういう子供の態度を養成するのである。だがこの最後の判断の転嫁の地である道徳そのものは、一向判断の対象になり得ない。――それは他でもないのだ。ここで云う道徳なる常識物は、何よりも科学でない[#「科学でない」に傍点]という規定を有っているのである。理論的な分析を放擲するということが、子供が一切の問題を善いか悪いかに還元する所以なのであり、そして夫が同時に、この「善い悪い」自身が常識によって問題にされ得ない所以なのだ。「善い悪い」は善いか悪いかを問う限り、もう問題は残っていないのが当然だ。常識による道徳[#「道徳」に傍点](夫はその建前から云って不変で絶対で神聖不可侵なものだ)とは、科学の反対物[#「科学の反対物」に傍点]を意味するための言葉だ。
 そこでこの道徳の批判、道徳のこの常識的観念の批判、つまり道徳の不変性乃至絶対神聖性の打倒、の唯一の武器、唯一の立脚点、唯一の尺度は、科学[#「科学」に傍点]でなくてはならぬ、という結論になるのである。俗間常識による道徳なるものは、単にそれが必要であるとか有用であるとか、又吾々人間社会の習慣や伝統であるとかいう、事実の認識だけでは不充分なのであって、そうした科学的な説明を含んだ一個の事実である以上に、特別な意味での価値を持っていなければならず、その価値のおかげでこの科学的な規定が殆んど完全に蔽い尽されて全く別な相貌を呈していなければ承知しない。科学からは全く異った別なこの相貌が道徳のもつ神秘性なのだ。で道徳は専ら神秘性[#「神秘性」に傍点]の主体として、社会人相互の間に受け渡され流通するものである。丁度紙弊[#「紙弊」は「紙幣」の誤記か]は、それが国営銀行で金貨に兌換されて初めて価値を受け取るのだということを全く忘れられた心理で、紙弊[#「紙弊」は「紙幣」の誤記か]という紙片として尊重されるように、道徳は事実としてのその合理的科学的な核心を忘れられて、専らその神秘的な外被として、尊重されるのである。常識で云う所謂道徳は、例えば人間の社会生活の規範(実は階級規範と云った方が理論的に正確なのだが)というだけのものではない。それが仮に永久不変な人間の規範であってもまだ所謂道徳ではない。それが絶対化され神聖化され、かくて完全に神秘性を与えられた時初めて、世間でいう所謂道徳(この常識的な道徳観念)となるのだ。――常識が道徳を好むのは、常識が科学を恐れるからである。科学の代りに徳を、これが現下に於ける一切のブルジョアジーの乃至ファッショの、デマゴギーの秘密だ。
 科学は、理論は、事物の探究を生命としている。之は科学自身の批判を通して行なわれる。この点常識にぞくする。処が道徳に関しては常識はそうは考えない。道徳は事物の探究[#「探究」に傍点]ではない、寧ろ事物を(勝手に常識的に)決める[#「決める」に傍点]武器だ。道徳自身を批判した処で、道徳なるものが探究でない限り、何の役にも立たぬ。そして道徳そのものを探究すること、之は道徳自身の仕事ではなくて、道徳学とか倫理学とかいう専門的学問の仕事だ、と常識は考えているのである。――だが以上は、道徳を絶対神聖物と考える常識から云って、完全に首尾一貫した観念の展開に他ならない。
 本当を云えば、道徳なる一定領域にだけ道徳の世界があるのでもなかったし、善悪という価値対立やまして善価値だけに道徳の本質があるのでもなかったし、道徳律だけが道徳でもなかった。まして価値の絶対神聖味とその神秘性とに、従ってその没科学性に、道徳の真髄があるのでもなかった。こうした考え方は要するに道徳を、夫々の意味に於て固定化して考える結果に過ぎなかった。道徳はそうした固定物ではない、そういうものでなくなるだろう、又そういうものであってはならぬ。道徳とはそれ自身一つの探究の態度か又は探究の目標を指すのだ。道徳は事物の探究だ(どういう仕方による探究かはズット後に述べよう)。と同時に、当然なことだが、道徳自身が常に探究されねばならぬ、道徳は常に批判され改造されねばならぬ。社会的矛盾が今日のブルジョア国家に於てのように根本的である場合には、道徳は根本的に批判され改革されねばならず、矛盾が比較的瑣末な場合には瑣末な点に於て批判改革されねばならぬ。そうしなければ道徳は道徳として成立せず、即ち事物の道徳的探究という道徳の存在理由が成り立たなくなる、一切の意味での道徳は成り立たなくなるのだ。――道徳は探究であり又探究されるべき処のものである。
 総じて常識によれば、一方に於て道徳は著しく愛好されているにも拘らず、他方に於ては著しく面倒臭さがられているのだ。と云うのは、道徳を他人にあて嵌める時には心が躍るが、之を自分にあて嵌める時には気が重くなるというのが、常識的俗物達の習性のように見える。だがいずれにしても彼等の常識は、道徳を何等かの単なる外部的強制[#「外部的強制」に傍点]だと想定しているのである。人が自分に之を加えようと自分が人に之を加えようと又自分が自分に加えようとだ。その意味で道徳とは常識的に云えばいつも既成物のことだ。だから常識的俗物は好んで道徳を口にするに拘らず(人の噂や評判又告白さえを見よ)、実は道徳を少しも尊重せず又愛してなどは無論いない。社会の支配的常識によると、実は道徳位い厄介なものはないのである。
 でこういうことになる。道徳はなる程常識と親密な関係を持っている。或る場合には、道徳的ということは常識的ということであり、常識的ということが道徳的ということでさえある。だが実は、道徳は常識とこそ一致すれ、実は人間生活[#「人間生活」に傍点]そのものに就いてはその常識的意識をさえ満足させないのだ。この道徳は社会人の生活意識を少しも満足させてはいない。だからこの道徳程人間の社会生活の正直な佯らない興味から疎隔したものはない。道学者や腐儒や法律の学者の類が、俗物から軽蔑される所以が之なのである。
 だが以上、常識々々と云ったが、之は専ら所謂常識と呼ばれる社会に於ける下級な平均価的な惰性的な知識のことであって、人間の社会生活を統一する処の生活意識の原則を意味する処のあの「常識」のことではなかった。卑しめられた意味での常識であって、「健全な常識」とか良識とかいう意味での夫ではなかった。この卑しい常識が自分の相手として、或いはその双生児として、常識的な所謂道徳[#「道徳」に傍点]の観念を選んだことは、だから初めから不思議なことではなかったのだ。
 処で私は先に、真の道徳なるものが、常識的な道徳観念では片づかない所以を見て来た。そして今や、その常識そのものに就いても、云わば常識的観念に帰するものと本当の常識との区別を見た。真の道徳[#「真の道徳」に傍点]はそこで、この真の常識[#「真の常識」に傍点]と、略々一致する内容のものだと推定するのは、そんなに無理なことではあるまい。私は尤も、まだ真の道徳なるものに就いて積極的には何も説かなかった。だが、もし仮りに今、本当の意味に於ける道徳による道徳意識を、人間の社会生活意識だと見做していいとしたら、道徳が常識だ、という云い方は、この場合にも無理ではあるまい。世間では道徳意識を良心とか法への服従とか習俗の尊重とか考えるが、之は人間の社会生活意識の夫々の内容でなくて何であるか。――俗間の所謂常識による道徳の観念が所謂常識なる観念と相蔽うということをすでに見た。真の道徳と真の常識とも亦、その内容が略々同一のものだと云うのである。

 吾々が現下に於て道徳に就いて物を考えねばならぬという根拠は、云うまでもなく既成のブルジョア的乃至半封建的な道徳の批判克服を通じて、自由な新しい生活の道徳を探究建設せねばならぬ事情に置かれている、ということの内に存する。之は社会機構の必然的な変動の一部分であり、又その結果であるべきであり又夫を予想しての準備でもあるのだ。道徳の変革によって併しながら、社会そのものの原則的な変化を期待することは事実不可能だ。それは吾々が道徳に就いて懐いている観念そのものから云って、避けることの出来ない一結論だろう。だがそうだからと云って道徳問題の解決への道を想定せずには、一切の社会理論も文化理論も現実的ではあり得ない、ということも見落されてはならない。
 社会理論が現実的となり大衆的となればなる程、道徳問題の意義がハッキリして来るだろう。つまり道徳という大衆の生活意識の総括的な要約点が解明されなければ、大衆の社会意識は納得が行かないからなのだ。社会の客観的現実は、多かれ少なかれ社会大衆の生活意識の内へ、道徳意識として反映されるものだという、道徳意識なるものの根本的な役割をここに見ねばならぬ。道徳は出来合のあれこれの事物のことではなくて、社会秩序が刻々に発散する汗か脂のようなものだ。社会人の意識は之を吸収して生活意識のさし当りの内容とする。――新しい道徳を伴わない如何なる社会建設も文化建設もない。社会建設が現実に始まり、文化建設が現実的に企てられる処には、すでに道徳の建設がある。このことはソヴェート・ロシアに於ける性道徳の歴史を見ても判るし、フランス大革命直後に於ける労働婦人の革命的役割を見ても知られるだろう(コロンタイ『新婦人論』を見よ)。
 だが新しい道徳の建設又は建設の見透しは、同時に新道徳の観念[#「観念」に傍点]の建設と平行せねばならぬ。大いに、新しい道徳[#「新しい道徳」に傍点]に就いての観念を建設するだけではなく、道徳に就いての新しい観念[#「新しい観念」に傍点]を必要とするだろう。そしてこうした道徳の新観念を理論的に仕上げるためには、新しい物の考え方・方法の考察も亦必要となるだろう。私がこの本で企てる処は、どういう風に考えれば、道徳に就いての最も科学的な観念を得るかということだ。この観念によって、新しい道徳の建設という課題も、初めて充分に目的意識的に、而も包括的な観点から見たその含蓄に於て、解けるようになるのではないか、と思っている。
 この手短かな本で以て、私が新しい道徳そのものを説き立てるというようなことは、元来出来ない相談でもあるし、少し滑稽なことでもあろうと考える。私の問題はもっと手近かにある。現下の既成乃至待望道徳に対する吾々の不信を系統化することだ。そしてそれが道徳なるものの新観念[#「新観念」に傍点](尤も本当は新しくも何ともない当然な観念の再認識だと思うが)の検討ということになるのである。――私はそのために邪魔になるような通俗常識的な道徳観念[#「通俗常識的な道徳観念」に傍点]をまず整理したのである。
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 第二章 道徳に関する倫理学的観念

 道徳に関する理論乃至科学が、普通、倫理学[#「倫理学」に傍点]というものだと考えられている。なる程倫理学(Ethics)を言葉通りに取るなら、一切の道徳問題は倫理学の対象であると云っていい。なぜならこの言葉は性格(ethos[#「e」はマクロン付き(-)E小文字])と習慣(ethos)とから来たものであって、社会生活を営む人間の比較的外部的な生活規定である処の習慣風俗の問題と、その比較的内部的な生活規定である性格性情の問題とは、吾々の道徳問題の一切を含むと考えられるだろうからだ。
 そういう意味で、吾々は広く倫理思想というもので以て、道徳に関する意識を云い表わすことも出来ないではない。だがその場合、そこに含まれるものは所謂「倫理学」ばかりではないので、政治学・法律学・社会理論・人性論(人間学)・制度理論・実践哲学、等々も亦ここに含まれていなくてはならぬだろう。だから之を以てすぐ様、倫理学的思想とすることは出来ないわけだ。――元来今日云う処の所謂倫理学(近代倫理学)は、主にイングランドを中心として発生し又隆興したものであって、イギリスの倫理学・道徳科学・道徳哲学、等々がその最初の代表者なのだ。トーマス・ホッブズが人間社会に於ける善悪の区別を、社会支配の法的・法律的な合法性と非合法性との区別に解消しようとして以来、そして之は彼一流の人間論(マキャヴェリの系統を引く処の人間狼説)に立脚するのであるが、それ以来、イギリスの哲学に於ては、人性論に立脚して、専ら道徳理論が盛大に展開された。而も之がイギリスの哲学全体を可なりに永く支配した。で近代倫理学の存在権は、歴史的にはここで確立されたものと見てよい(H.Sidgwick,Outlines of the History of Ethics参照)。
 尤もホッブズの思想は必ずしも所謂「倫理学」ではない。又イギリスの道徳理論家(即ちイギリスの多くの哲学者だが)が皆、その道徳理論を「倫理学」と呼んだわけでもない。だが哲学史に於ける彼等の業績は、倫理学という或る独立独自な学問[#「独立独自な学問」に傍点]を世間に向かって承認させるには充分であった。尤も極めて日常常識的なイギリスの哲学者自身は、倫理学なるものの学問としての独立性や限界や対象の規定方などに就いて、あまりアカデミックな興味は有っていなかった。彼等にあっては倫理学はもっと遙かに活きた実際的な意味を持っていたからだ。倫理学という観念を却ってイギリスの倫理学者達に向かって教えたものは寧ろ、講壇哲学的学校訓練を持っていた後のドイツの哲学者であって、特にカントの批評的道徳哲学はここに与って力があった。T・H・グリーンの『倫理学序説』は、ドイツ哲学によって講壇化された処のイギリス倫理学、の代表だと云ってもいいだろうと思う。だがグリーンの倫理学と雖も、政治上に於ける自由主義運動と深い実際関係を有っていたことは、注目すべきだが。
 こうして歴史的権威を認められた所謂「倫理学」は、今日では往々、それの科学論的な省察――方法論の如きもの――から始められねばならぬと考えられている。ドイツの哲学教授の手によると、倫理学の問題は道徳という広範な現象の問題であるよりも先に、倫理なるものに就いての学問や科学や哲学自身に関する問題であるように見える。例えばN・ハルトマンによれば、人間の生活は認識と行為と希望との三つの段階を持っていると云う。認識は現実界を、希望は幻想界を対象とする、そして行為は両者の中間にあって現実を幻想に媒介する役目を果すものだという。云うまでもなくこの行為を論じるものが倫理学だというのであって、その第一の根本問題は何を為すべきかであり、その第二の根本問題は何が生活の価値であるかだ、云々というのである。
 理論は精密で根柢的で統一的であらしめるための科学論乃至科学方法論は、従来極めて非歴史的な観点によって導かれるのを常とした。と云うのは、諸科学は夫々の発生発達の歴史的条件を顧ることなしに、単純に合理的に、排列され秩序づけられるのを常とした。この点ここでも亦例外ではない。倫理学はその歴史的な動機との関係などに拘らずに、単に人間生活の三段階の一つを対象とするなどという風に、一般的に[#「一般的に」に傍点]決定されて了っているわけだ。この人間生活[#「人間生活」に傍点]という観念自身が持っているドイツ観念論的な抽象性と皮相味とは今論外としても、倫理学なるものがイギリスのブルジョアジー(及び資本制下に於ける貴族地主達)の哲学として発達したという歴史を抜きにすることは、倫理学論として見逃すことの出来ない欠陥でなければならぬ。今日の所謂「倫理学」、即ちそういう一種の独立な又は支配的な又大切な哲学か精神科学、の根柢には、初め近世イギリス・ブルジョアジーによって代表された生活意識からの伝統が反映されているのである。之が近代倫理学[#「近代倫理学」に傍点]の根本特色なのだ。
 そして而もこの歴史的な階級的な規定を特に無視することによって、自分を何か普遍的に通用するものであるように見せようということが又、近代倫理学なるものの根本特色でもあるのである。――所謂倫理学は、単にそれがブルジョア観念論哲学一般の理論的に最も重要な一環であるからばかりではなく、それに特有な歴史的起源から云っても亦、ブルジョア的道徳理論の他のものではなかったのである。で吾々は、道徳理論一般をすぐ様、倫理学と呼ぶことを躊躇せざるを得ない。吾々は道徳に関して、特に「倫理学的」な観念を他の道徳観念から区別して指摘する必要があるのだ。
 処が通俗常識に従えば、道徳理論は問題なしにすぐ様倫理学と呼ばれるに値いするように想像されている。この点は注目を必要とする処である。単に今日の通俗常識が、独り倫理学に限らず、一般に哲学・文化理論・其の他の階級性一般を承認せず、ましてそのブルジョアジー的階級性を認識しようとしないからばかりではなく、事実又、今日の通俗常識が道徳と考える処のものは、比較的忠実に倫理学から理論的奉仕を受けているからなのである。道徳という独自の絶対的領域の承認、善悪標準の樹立の無条件な強調、絶対不変な道徳徳目や道徳律への熱中、道徳価値に関する超合理主義的な神聖視、道徳に関する超歴史的・超階級的・特権の強調、等々他ならぬこの倫理学(ブルジョア道徳理論)自身が想定する処のものだったのである。
 その意味に於て倫理学は、その煩瑣な分析にも拘らず、要するに常識的な道徳観念の多少理論的な釈明に過ぎないのであって、決して道徳現象の科学的説明を企て得るものではない。道徳なるものはすでに常識によって与えられている、倫理学は単に之を明快にして秩序立てさえしたならばよい、というのが、道徳に関する倫理学[#「倫理学」に傍点]的観念の役割なのだ。だから、倫理学的道徳観念は、根本に於ては、常識的な道徳観念を批判克服しようとするものではあり得ない。まして新しい道徳観念の創造、そして又新しい道徳の創造、などについては殆んど全く無力なのだ。之は寧ろ初めから当然だと云わねばならぬ。なぜと云うに、今日の通俗常識はつまりはブルジョア社会に於て支配的な常識でしかないので、このブルジョア的の観念にぞくする常識的道徳観念が、同じくブルジョア社会の観念に立脚する所謂倫理学によって、批判され克服されるというようなことは根本的には、到底あり得ないことだからだ。

 だが今日の(ブルジョア)倫理学と雖も、決して近世になって初めてその準備を始めたのでないことは、云うまでもない。倫理的思想は古来、殆んど有史以来、凡ゆる民族に於て見出されるもので、倫理思想の一貫した発達を古代から今日に至るまで辿ることは、極めて容易なことと云わねばならぬ。少なくとも古代支那、古代印度(特に原始仏教)、ユダヤ乃至古代ローマ(原始キリスト教)、及びギリシアは、倫理思想の古代に於ける四つの大きな淵源であった。倫理なるものが、すでに述べたように社会の習慣と人間の性格とを意味したとすれば、つまり倫理思想というのは、人間の社会生活の意識的反映のことなのであって、これの割合直接な直覚的なそして皮相なものがその中でも特に倫理思想と呼ばれ、そして他のそれより立ち入って科学的に分析された反映の部分は偶々他の名で呼ばれるに過ぎないから(道徳に関する社会科学的観念や文学的観念の如き)、倫理思想が古来人間の生活と思想とを一貫して来ていることに何の不思議もない。従って所謂倫理学の素材も亦古く古代と中世とを通じて伝承されたものによる他はなかったわけで、その意味から云えば又、古来倫理学は存在したのだ。――つまりブルジョア倫理学は(之はイギリスに発生しドイツ観念論との接触を以て栄えて今日に至っている処のものを中心とする)、当然なことながら、封建制下に於ける倫理思想乃至倫理学(主にキリスト教神学的な)、又それにも増して、奴隷制度下に於ける古代倫理思想乃至倫理学(末期ギリシア及びギリシア・ローマ時代の哲学と教父神学とを中心とする)からの伝統を有つわけで、この伝統の近世資本主義的変貌であると云っていいだろう。
 すでにアリストテレスでは「倫理学」と呼ばれる書物は二つまである(道徳論と題するものも一二あるが)。このようにこの名称自身は、古い歴史を有っているのは断わるまでもない。併しそれであるからと云って、その内容をすぐ様近代の倫理学の発端と見做すことは誤りであるし、又之が学問の世界に於て占めた位置関係から云って今日の所謂倫理学と同じだったとも云えない。第一そこで問題になる善(To Agathon)の観念にしても、近代倫理学で問題になっている所謂道徳や倫理の善悪の善[#「善」に傍点]のことではないので、それより活々として、真理で美しくて有益で怡ばしいものを意味している。従ってこの倫理の根本観念が占める理論上の地位は、遙かに今日のものよりも実質的な重大性と含蓄とを有っていたのだが、併しそれだけに却って、倫理学自身の独立性はあまり著しくは現われ得なかったわけだ。プラトンの国家論は寧ろ道徳論にぞくするユートピアだろう。
 現にアリストテレスでは、倫理学(エティカ)の位置は経済学(オイコノミカ――之は純粋にアリストテレス自身のものではないらしいが)と政治学(ポリティカ)とに先立つ処に意味を有っている。まず個人の問題を解いてから次に家庭の問題、それから社会(国家)の問題を解いて初めて、この一連の課題[#「一連の課題」に傍点]は解けるのである。倫理学だけを取り出しても、それだけで道徳という事物が根本的な解決を与えられるわけではない。この点、近代倫理学の心がけや主張と可なりに違っているのである。今日の倫理学は、実際上今日の(ブルジョア)政治学や(ブルジョア)経済学と殆んど全く何の関係を有たずに済む哲学の一分野となって了っている。尤もイギリスに於けるブルジョア倫理学の発生当時の動機に於ては決してそうではなかったのだが、夫が今日ではそういう退屈なことになって了っている。このことに一定の意味があるのだ。と云うのは、こうしなければ道徳に就いてのマンネリズム的な常識的観念の允許を得ることが出来ないからだ。ブルジョア哲学そのものの内部に於ても、倫理学という専門学科は孤立した独自のシステムを持てるものだと倫理学の教授達は想定している。多くの倫理学の教科書は、そういう立場から今日安心して書かれ得るという実状だ。
 従来「倫理学」という名がついた書物や理論でも、必ずしも近代ブルジョア学問の一つとしての所謂「倫理学」でない所以は、スピノザの哲学体系たる『倫理学』を見ても分ることだ。――こういう風にして、古来から存する倫理思想や自称倫理学の書物は、決してそのまま今日の所謂「倫理学」でもなければ又その濫觴でもない。
 だがそれにも拘らず、倫理の問題・道徳の問題は、古代から今日の倫理学に至るまで、一定の脈絡を以て伝承されている、と云わねばならぬ。ブルジョア倫理学にも実はありと凡ゆる形態があり、又この学問ほど様々な角度から試みられているものはない。例えばシジウィクは倫理学の方法をエゴイズムと直観主義と功利説とに分類しているし(The Methods of Ethics)、J.Martineau(Types of Ethical Theory,2 Vols.)はより広範な立場から倫理学の形態を区分している。現代では形式倫理学と実質倫理学との区別などが試みられている。だがそれにも拘らず総括的に見れば、今日のブルジョア倫理学は、古来の倫理思想乃至倫理学の、一応の決算[#「一応の決算」に傍点]でなければならぬのである。――なぜ一応の決算かと云うと、従来の倫理思想乃至倫理学は、何と云っても(多少例外と考えられる場合――例えばストイック学派の唯物論に見える倫理学までも含めて)、観念論に立脚したものであり、又事実多くは観念論自身の拠り処であったのだが、この観念論的倫理思想[#「観念論的倫理思想」に傍点]は近代ブルジョア倫理学によって、決算報告を受け取ったという形であるし、それだけではなく、このブルジョア倫理学の崩壊と共に、古来観念論的に提出されて来た道徳理論が、初めて科学的な会計検査を受ける時期に這入る、というわけだからである。道徳の唯物論的理論こそ、古来の倫理思想乃至倫理学と、近代倫理学思想との、本当の決算でなければならぬだろう(一般の倫理学史としてはF Jodl,Geschichte d.Ethik,2 Bde.が、短いものではクロポトキン『倫理学』が便利である)。

 さて所謂倫理学(近代ブルジョア倫理学)の一般的特色に就いてはこの位いにして、今度は倫理学による道徳の伝統的観念を明らかにする順序である。それにはこの倫理学的道徳観念が、どのような道徳問題を選択したか又するか、そして之を如何なる形で解こうと欲したか又するか、を見ればよい。
 古代支那や古代インドに就いては暫く措こう。古代ギリシアに於ては、道徳が倫理学的[#「倫理学的」に傍点]反省の対象となったのは決してそれ程古い時代からではない。なる程道徳的観念が思想一般に一定の作用をし始めたのは、恐らくギリシア都市国家の成立とその社会秩序・社会規範の成立とに前後する古い時代であり、特にギリシア哲学の発生と時期を同じくするらしい。ホメロス的伝説に見られるような諸神の道徳的無秩序を清算して、道徳的秩序を打ち建てねばならなかったということが、ギリシア哲学理論の発生原因の一部分であったとされている。だがここでは秩序は主として自然[#「自然」に傍点](フューシス)として把握されたのであって、法[#「法」に傍点](ノモス)として取り出されたのではなかった。道徳論が自然論から分離し始めたのは、云うまでもなくソフィスト達からであり、彼等は主にアテナイ其の他の都市国家を中心とするヘラス地方(ギリシア)の経済的・政治的・外交的・軍事的な動揺を反映して、自然論に対する懐疑から、道徳に就いての懐疑にまで到達したものである。
 この道徳論の発生と共に、ギリシア哲学は著しく観念論的な問題の提出をし始めたことを注意せねばならぬ。道徳そのものは明らかに観念乃至イデオロギーにぞくする部面が著しいから、道徳問題を観念論的な形で提出することには、一等安易な初歩的な必然性が有ったわけだ。ソフィストが有った問題は、それが理論的な範囲にぞくする限り、ソクラテスを通って二人の代表的な貴族層出身の哲学者プラトンとアリストテレスとによって引き継がれた。ここにギリシア特有の倫理学が成立する。
 ギリシア文化の所謂繁栄期(実は一種の頽廃期なのだが)を代表するこの哲学的トリオが、道徳に就いて提出した課題は、何が善であるか、否善と云われるものは何か、であった。ソクラテスは英知こそ快楽であり幸福であり、そして之こそ善でなければならぬと考えたが、プラトンが善のイデアを一切のイデアの最高峯に、或いは一切のイデアを統一するイデアとしたこと(「ピレボス」篇)は、既に触れた。アリストテレスはその『ニコマコス倫理学』に於て、善をば、中庸・程の好さ・に求めている。――だがこうした善のイデアは、正にイデアであるが故に、決して今日の倫理学や道徳常識で云うような、ああしたただの倫理価値[#「価値」に傍点]標尺の如きものと一つものではなかったのである。イデアは云わば英知的な眼とも云うべきものを以て見[#「見」に傍点]られる処のものだ。価値のような云わば論理的な想定のことではない。善がギリシアに於て美や幸福や快楽の意味を持ち、又その意味に於て真であり有利なものであったのは、そのためである。
 善というものはイデア(之は決して近代的な意味での観念[#「観念」に傍点]のことではない)という存在として見る、この存在論的倫理説は、云うまでもなく古代的形態に於ける観念論の頂点をなしている。ここでは善は見ら[#「見ら」に傍点]れるもの(イデア)として観照の世界にぞくする。善が人間の実践行動に直接関係しているのは勿論だが、今の場合その実践なるものそのものが観照の対象でしかない。善は意志の目的物ではなくて寧ろ哲学的直観の対象である。善は一つのイデアとして、主観的なものではなくて寧ろ客観的なものだが、それだけに一向主体的なものにならぬ。ここにこの道徳観念の形式主義(形相主義から来る)と普遍主義と非歴史主義との一切が結果する(このイデア論はアリストテレスが克服しようとした処であるが、今の問題はイデアによって代表されるギリシア思想自身にあるのだ)。当時の実際的な道徳観念は、云うまでもなく奴隷所有者の支配的自由民のものだが、夫がプラトンやアリストテレスの社会理論の内に根深く食い込んでいるにも拘らず、善のイデアは特にプラトンに於てのように、そうしたものから全く超然としているのだ。
 だがこのイデア論的倫理説は、一種貴族的な観念論(之は当時政治的には反動を意味した)に立脚したにも拘らず、それであるが故に却って今日の倫理学に較べて、すぐれた幾つかの点を有っている。この道徳理論は当時の(今日でもそうだが)常識にも拘らず、道徳をば専ら道徳律を中心として考えるのでなく、又徳目さえがそこでの最後の問題ではなかった。その善なるものが所謂善悪という便宜的な価値標尺の如きものでなかったことは、何べんも述べた処だ。
 道徳という観念をより近代的なものに近いものへと齎したのは、ストイック派やエピクロス派である。これはソクラテスと小ソクラテス派の忠実な伝統を追うものであって、道徳は個人の生活術[#「個人の生活術」に傍点]を意味することとなり、ここに云わば倫理学のアウタルキーが確立されたのである。と云うのは、道徳はこの倫理学によると、社会や家庭の問題とは全く無関係に、完全に個人の関心として、一つの小さな封鎖された纏りを持つ領域となる。独身のルンペン主義哲人で有名なキニック派のディオゲネスや、下ってネロの忠良な廷臣セネカ(ストイック派)などを思い起こせば、この点は明らかだろう。エピクロスは甚だ社交的な敬愛すべき哲人だったので有名だが、その道徳理論は、略々ストアのゼノンと同じに、不動心[#「不動心」に傍点]という知的エゴイズムに他ならなかった。
 これ等の道徳理論家達は、ギリシア・ローマ期を通じての社会的動揺に処してその道徳を社会に於て貫く代りに、之を個人生活の生活術にまで萎縮させることによって、道徳を著しく倫理学的なものにした。道徳の観念は個人主体の心理にまで深められはしたが、併し之を、知的に見れば全く便宜的なものに他ならない処世術に仕えさせたがため、結果として退屈な徳目の教説に終らざるを得なかったのである。彼等による道徳の問題は幸福の探究[#「探究」に傍点]であったのだが、この実践的な課題の解決も、社会的に見れば完全な無為無能を意味する個人の心の静けさ以外には求め得なかった。之ならば奴隷にも抑圧された原始キリスト教徒にも、カエサルと同様に、あて嵌まるわけだ。個人主義的、主観主義的な観念論的道徳観念の、古代的な代表が之なのである。
 古代乃至中世に於ける観念論的道徳観念のもう一つの典型は、教父乃至スコラの倫理説であるが、その根源的なものは教父・聖アウグスティヌスのものであった。彼によれば神の存在の証明は宇宙論的にも心理的にも出来ると云うのであるが、神の道徳的証明が何より今興味がある。人間が善をなすように仕向けるものは、社会其の他による外部的強制ではない。それはただ善き意志[#「善き意志」に傍点]だけがなし得る処だ。これは神の意志である他ない、と云うのである。人間はこの神に仕え、神はその善き目的の下に人間をあらしめる。神は人間に恩寵を垂れ給う。そしてこの恩寵の内にこそ人間の道徳が横たわるのである。――人間は意志の自由[#「意志の自由」に傍点]を持っている、これこそ神が人間にだけ与え給う恩寵だ、従って之は実は人間のものではなくて神にぞくする。その意味では吾々は道徳的に決定論・宿命論のものだ、意志の自由[#「意志の自由」に傍点]は本当ではない。だが事実、神が与えた意志自由によって人間は現に悪をなすことが出来る。処がこの悪も亦恩寵の一つなのだ。悪は世界の全体の善に寄与するためにあらざるを得ないものだ、と云うのである。馬は石に躓いても、躓くことの出来ない石よりも、よく歩くものであり、人間は自由意志によって罪を犯しても、自由意志がなくて罪を犯すことさえ出来ない他の動物よりも、立派なのだ、と云う。
 アウグスティヌスによれば、道徳は幸福[#「幸福」に傍点]と永生[#「永生」に傍点]との内に存する。ギリシア哲学者はエピクロス学派もストイック学派も幸福を地上のものに限って考えたので、之を永生へ結びつける術を知らなかった。処が真の完全な幸福は、神を楽しむことでなければならぬ、と云うのである。――でここに、道徳に就いての倫理学的観念に就いて、神の世界がその根柢を与えることとなったわけだ。道徳的な善悪は、イデアの問題でもなければ現世的な生活術の問題でもなくて、天国と地上との対立のことでしかなくなった。之はヘブライ的思想から来た全く新しい観念論的観点なのである(ヘブライ思想をギリシア思想に結びつけたものがこのアウグスティヌスで、之に先立って、ギリシア思想を東方思想に結びつけたのがプロティノスであった)。
 だが夫と同時に、エピクロス学派やストイック学派には見られなかったような、一つの視野が開かれて来たことを見落してはならぬ。と云うのは、アウグスティヌスの「神の国」はカエサルの国の対蹠物に他ならなかったので、当然この現実の社会[#「社会」に傍点]が、倫理上の問題とならぬば[#「ならぬば」は「ならねば」の誤記と思われる]ならぬからだ。彼によると、個人が神の僕であると同じに、社会は神に仕えるためのものであって、全く道徳的本質のものだ。山賊ででもない限り、人間はこの社会の正義たる国法を遵らねばならぬ、と云うことになる。特にキリスト教国に於ては、社会の倫理的行為たる教育は、神の認識を教えることだけで充分であって、ギリシア人的な自然研究などは無用有害だと云うのである(尤も言語・弁証術・修辞学・数理論は必要だとする――事実アウグスティヌスは優れた文化人であったことを忘れてはならぬのだ)。――かくてアウグスティヌスの神に基く神聖倫理は、つまり世俗のカエサルの帝国に於ける常識的な階級道徳そのものと、少しも実質を異にするものではない。倫理学に於ける神学的観念論[#「神学的観念論」に傍点]はここに始まる。
 アウグスティヌスによって道徳の観念は宗教倫理的なものとなった。ここに含まれる特有な道徳問題は、単に善(或いは悪)や幸福(乃至浄福)の問題ではなくて、恩寵であり永生であり、そしてもっと大事なのは、之に直接関係のある悪[#「悪」に傍点](根本悪)と自由意志[#「自由意志」に傍点]との問題なのである。之はギリシア倫理学では殆んど全く存在しなかったものであると共に、之なくしては近代ブルジョア倫理学を考えることの出来ないような、根本問題なのだ。こうした根本問題がアウグスティヌス(広くキリスト教倫理学)から発生したのである。

 さて私は以上、古代(乃至中世)に於ける道徳理論乃至倫理説・倫理学の三つの典型と、夫々に含まれた課題とを述べた。そしてこの三つのものが、夫々の形に於て、如何に観念論と不可分な関係に立っていたかを見た。――之を頭においた上で、近代ブルジョア倫理学の課題と特色とを見よう。
 古代に於ける倫理思想がそうだったように、近代に於ける倫理思想の自覚も亦、一般思想の激しい動揺、即ち社会機構の著しい変革によって促された。すでに述べたように、道徳は社会秩序の分泌物のようなもので、従ってその反映である道徳意識乃至倫理観念は、社会秩序の上部構造的な表現に他ならないが、社会秩序が比較的安定を得ている場合には、その道徳乃至道徳意識は、自分の内に何等の抵抗も矛盾も感じないので、倫理思想は殊更自覚される縁もなければその必要もない。倫理が問題として自覚され、倫理学などが発生するのは、一般に社会変動と夫に基く思想的動揺とに照応してのことなのだ。近代ブルジョア倫理学の発生も亦そうなのである。
 前にも云ったが、近代倫理学はイギリスのブルジョア倫理学として発生し又発展した。その直接の源をなすものはトーマス・ホッブズであった。ホッブズに先立つエリザベス時代は、イングランドがヨーロッパ[#「ヨーロッパ」は底本では「ヨーロョパ」と誤記]に於ける制海権を握り植民地貿易企業には莫大の利潤をあげ得た、商業資本主義の大規模な発達時代であった。当時の海外貿易会社は一〇〇割の配当をなし得たとさえ云われている。尤もこの点ルイ十四世治下のフランスでも大した差はなかったのだが、併しイングランドに於ける特色ある一事情は、新興ブルジョアジーの早い発達が容易に地主貴族の利害と結合出来たという点に存する。だから反封建的なノミナリズム的な経験論的機械論(之が近世ブルジョアジーの本来の世界観であった)が、絶対君主主義などと理論的に結合することも強ち不可能ではなかったので、恰もホッブズの倫理思想は、そうした場合に相当するものに他ならなかったわけだ。
 ホッブズの倫理説は、人間性[#「人間性」に傍点]の検討から始まる。と云うのは、人間の情念(Passion)の分析から始まる。人間の情念は精神の機械的運動に他ならないが、一般的な情念としては愛好・欲求(索引運動に相当する)と苦痛・憎悪・恐怖(反発運動に相当する)とが対立している。その根柢を貫くものは権力と名誉との欲望だ。それ故人間は元来一人々々夫々皆第一人者となろうとして競争と闘争とをなしつつあらざるを得ない。所謂「万人が万人に対する闘い」である。各個人はその自然状態に於ては、キリスト教的伝統観念とは反対に、自己保存と自己増殖との欲望によって動かされる野獣か狼に他ならない。こうして各個人は無限の権力を欲するものなのだ。その際、善[#「善」に傍点]とは銘々が自分に気に入った都合のよいこと以外のものでなく、夫が各個人にとっての正義[#「正義」に傍点](法)というものに他ならぬ。第一の善は自己保存であり、第一の悪は死ぬことだ、とホッブズは主張するのである(読者はここに、道徳の問題が人間性の問題から善悪の標尺の問題へ移行するのを見るだろう)。
 処がこの自由状態に於ける各人は、お互の反目猜疑抗争が、銘々の生存に取って実は危険極まりないものであることを発見する。人間に理性乃至悟性がある限りこの発見は容易だ。そこで人間は平和を欲求するようになる。かくて今度は、善とは人間社会の平和にとって必要な凡ての手段の名であり、悪とは之を妨げるものの名だ、ということになる。では人間社会のこの平和を保証するものは何か。夫が法であり国法である。従って更に又、善とは国法に従うこと以外の何物でもなく、悪とは国法に従わないこと以外の何物でもない、という結論になる。道徳の善悪価値標尺の問題は、こうして社会国家に於ける法不法[#「法不法」に傍点]の尺度の問題に帰着する。
 ここにホッブズの有名な社会契約説が彼の倫理学に対して有つ根本関係が横たわる。社会は自由状態に於ける各個人が、その快不快の実際を理性的に反省した結果、平和機構の契約を交した処に成立するというのである。――処がこの社会なるものは、ホッブズによると実は専制君主国のことでしかない。つまり一人の支配者を選択して、他の人員は臣下として之に殆んど絶対的に服従するという契約が、初めて社会を成り立たせるのだ。君主はかくて一種の天賦の自然権を有つものとなる(尤も君主が君主に相応わしくない時は臣下は之を捕縛したり追放したり監禁したりしてもよいとも云っているのだが)。――このホッブズのアブソリュティズムは、チュードル王朝特に又スチュアート王朝のデスポティズムを倫理的に合理化したものであることは、疑いを容れない。当時個人[#「個人」に傍点]の形で現われたブルジョアジーの勢力は却って、国家[#「国家」に傍点]の形で発現したこのデスポティズムの積極的発動を促した。ハンプテンなる人物は船舶税の納入を拒否した。そしてチャールズ一世は議会を半永久的に解散して了った。――こうしたわけでホッブズ倫理学は、イギリス・ブルジョアジーの発展初期に於けるこの云わば変則な必然性を表現した処の、やや変則な[#「やや変則な」に傍点]ブルジョア倫理学に他ならなかったのである。やや変則なとは次の意味だ。
 一般にホッブズの哲学が機械論的唯物論の代表であったことは、今更説明を必要としない。その倫理学も全くこの唯物論の可能的な帰結の一つに過ぎない。だがこの唯物論がやがてジョン・ロック等の手によって、経験論にまで精練されることによって、イギリスの爾後の倫理学は名目上でも完全な観念論の典型となるようになった。特に経験論の一つの形である処の、道徳感情や道徳感覚や常識哲学の常識を依り処とする各種のイギリス道徳科学・道徳哲学・倫理学はそうだ(シャフツベリ伯爵・トーマス・リード其の他)。機械的唯物論が倫理学に於て再び口を利き始めたのはフランス唯物論者に於てであった(エルヴェシウスやホルバッハ伯爵)。――ホッブズの唯物論的倫理学が(ブルジョア)倫理学であるべきであった限り、それは歴史的に不幸に終らざるを得なかった。なぜなら其の後のブルジョアジーは、倫理学の内に他ならぬ観念論の代表者と足場とを発見しようと欲したのだからである。

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