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修道院の秋(しゅうどういんのあき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-21 8:58:38  点击:  切换到繁體中文

「好いかよう……」
 と、若い水夫の一人が、間延びのした太い聲で叫びながら船尾のともづなを放すと、鈍い汽笛がまどろむやうに海面を掠めて、船は靜かに函館の舊棧橋を離れた。
 港の上にはまだ冷冷とした朝靄が罩め渡つて、雨上りの秋空は憂ひ氣に暗んでゐた。騷がしい揚錨機ウインチの音、出帆の相圖の笛の響などが、その重く沈んだ朝の空氣を顫はしながら聞える。蒼黒く濁つた海は果敢ない空の明るみを波の背に映しながら、絶えず往き來する小蒸汽の蹴波に搖いでゐた。時時白い鴎の群が水を滑るやうに低く飛んで、さつと身を飜しては船の陰に隱れる。そして何時の間にか雪を散らしたやうな點になつて、遠くの波の間にふんはりと浮ぶ。荷役に忙しい樺太や釧路通ひの汽船や、白いペンキの醜く剥げ落ちた帆船の中には、舷の低い捕鯨船の疲れたやうな姿が横はつてゐる。私の船はその間を緩かに進んで行つた。
 眼に映るすべては、秋のおとづれ速かな北國の寂しい朝の姿であつた。港を包む遠近をちこちの山の頂には冷たい色の雲が流れて、その暗い陰影に劃られた山山の襞には憂欝と冷酷の色が深く刻まれてあつた。北國の旅人はその自然に對して何等の親しみも温みも感じることが出來ない。時には世に反く孤高の聖者の如く、時には荒み果てた心冷かな廢人の如く、北國の自然は常に彼と離れて立つてゐる。彼は孤獨を感じる。そして自然と人との間に近づき難いやうな壁のあることを意識する。美しさがあつても、輝きがあつても、それは大理石の刻像のやうに血がない熱がない。山を仰いでも海を眺めても、北國の旅人の心に迫るものは、常に云ひ知れぬ空虚と寂寞の感じである。
 私は昨夜の雨に濡れた船首の甲板の上に立ちながら、そんなことを考へてゐた。そして所在なきままに煙草に火をけては、しきりなく吸つた。
 船は何時しか埠頭を遠く離れてゐた。振り返ると、灰色の秋空の下に、函館の町が一目に見える。海から眺める町の感じは何處となく Exotic で、あの古めかしい鉛色の瓦屋根のないことが日本の町らしい親しみを薄くする。然し右手の臥牛山の中腹から、やや急な傾斜を作つて、入り亂れた家家が流れるやうに大野の平地の方へ擴がつてゐる地形の面白さが私の眼を惹いた。處處に寺院の屋根や洋館の塔などが際立つて聳えてゐる。
「あの森の蔭が五稜廓だね……」と、船員に訊ねてゐる爺さんがゐた。少し白髮混りの頤鬚をしごきながら、何か云つては時時聲高く笑ふ。面白い、人の好ささうな爺さんである。私も思はず釣り込まれて、譯もなく笑つたりした。
「好い凪ぎだな。」と、彼は獨言のやうに云つて、微笑しながら海を見廻した。
 私はまた煙草に火をけて、甲板の片隅の蓙の上に腰を降した。冷たい潮風が絶えず頬を流れて、紫色の煙草の烟をすいすいと消して行つた。
「修道院へお出でですか。」と、突然私に話し掛けた人があつた。
「さうです。」と、私は立ち上つて、彼の方を振り向きながら答へた。
「お初めてですか。」と、彼はまた云つた。背廣の輕裝に薄色の鳥打を被つて、甲板の手摺にそつと身を凭せてゐる。
「ええ……あなたもいらつしやるんですか。」と、私は聞き返した。彼は親し氣な微笑を浮べた。
「札幌から鳥渡商用で函館こちらへ參つたんですが、丁度今日は日曜で一日隙が出來ましたし、トラピストといふ人達も識りたいと思ひまして……」と、彼は私をぢつとみつめながら、ことばを途切つて、
「あなたはどちらから……」と、云ふ。三十四五の、何處か事業家とでも云つた顏立で、その態度の慇懃な内にも、何となく若若しい心の覇氣が感じられる。
「この夏北海道を旅行しまして、丁度、歸りがけなんです。」
「ははあ御旅行ですか、それは結構ですな。やつぱり東京の方から……」
「さうです。」
「何しろ好いお仲間が出來ました。Kと申します。何分よろしく……」と、彼は快活な聲で氣輕さうに云つた。そして幾度か燐寸マツチを擦り消しながら、やつと煙草に火をけると、歩調をとるやうにして狹い甲板を往き來した。私はそのまま詞を途切つて海を眺めてゐた。背後うしろの蓙の上で絶え間なく笑ひを交へながら何か話し合つてゐる船客達の聲が、蜂の唸りのやうに耳を掠めて行つた。
 殉教者の惱み――私は想像の中にトラピストの人達の生活を描いてみた。そしてそれは私が彼等に對して全くの Stranger であると云ふ點から、今其處に近づかうとしてゐる私の心持を色色な意味に不安ならしめた。と同時に、何か不思議なものに觸れると云つたやうな好奇の念も湧かずにはゐなかつた。何れにしても彼等は私達の眼から見れば、或る特殊な世界に或る特殊な生活を營んでゐる人達である。嚴格な戒律の下に、一身を祈祷と沈默と勞働とに捧げて、あらゆる衆愚と凡俗の世を離れた靜かな修道院の中に自分の一生を過すと云ふこと――それは少くとも一つの奇蹟とも云ふべき生活である。
「それが果して人間としてほんたうの生活なのであらうか。」と、私は密かに疑つた。
「神の爲めに、ただひたすらに神の爲めに……」と、私は心の中で繰り返した。
「若しそれがほんたうの生活であるならば、少くとも私も考へてみなければならないのだ。」と、私はまた思つた。
 彼等は人から離れてゐる。あらゆる人間的の世界から隱遁してゐる。歡樂を知らない。美食を思はない。そして絶對に性の欲求をしりぞけてゐる。のみならず神に對して祈る聲は持つてゐても、人に對しては聲を鎖してゐる。人は靈のみに生く――それを彼等は堅き信條としてあらゆる手段で自分の肉體を虐げてゐる。
「それほど人間の肉體は醜いものだらうか。それ程苛責しなければならない肉體だらうか。それならば何故彼等は自殺しないのだらうか。」それは次に起るべき疑ひであつた。
 然し行爲の上から云へば、彼等の生活は眞に徹底した生活のやうに思はれる。主義と實行との完全な一致がある。その飽くまでも靈の世界の永遠を信ずるの強きに於て、また絶え間なき祈祷と瞑想によつて精神生活を充實せしめ、怠りなき勞働によつて肉體を鞭打ちつつ妄執と欲望と邪念から解脱せんとする努力に於て、私は尊ぶべきものあるを思ふことが出來る。
「そして自分は……」と、私は省みた。
 私は自分の心の不安と、生活の動搖とを思はないではゐられなかつた。其處には自分に反き人を裏切るあらゆる虚僞があつた。淺ましい野心と嫉妬と猜疑とがあつた。また其處には病み疲れた不健康な、醜い欲望に穢されきつた肉體があつた。そして彼等と自分とを隔ててゐる或る物を考へた時、私は息詰るやうな氣がした。今自分の前に展けようとしてゐる一つの世界、それは或る恐怖に似た感情を私の胸に呼び起した。
 私は思はずまた我に返つて、不安な視線を海の上に投げた。
 船は防波堤を掠めて、油を流したやうな穩かな海にうねりを殘しながら進んでゐた。船と船とが行き合ふと、緩かな汽笛が響いて、よどんだ水がうねりとうねりの間でせせ笑ふやうに白い泡沫しぶきを立てたりした。
 灣は次第に海峽に開いて、靄にかすんでゐた、向う岸の當別の岬が漸くはつきり見え出した。少し崖が崩れて、赤土の覗いてゐるあたりから、くすんだ色の低い灌木の生えた丘が遠く續いてゐる。その海峽を向いた岬の端に燈臺の建物が、ほの白く浮いてゐる。すべてが單調で薄暗いやうなそのあたりの景色が私を倦きさせた。
 氣が附くと船客の人達も皆默つてしまつて、立つたのも坐つたのも腰掛けたのも氣の拔けたやうな顏をして海面を眺めてゐる。機關の響が鈍いリズムを打つのが聞えて來た。長い長い航海を續けてゐるやうな頽廢の氣持が其處に漂つてゐた。
 私は空を見上げた。
 鈍色の雲に少し明るみが差して、うすれ日が幽かに洩れて來た。そして海峽の波がその明るみを映して銀色に光り始めた。ぢつと見詰めてゐると、それが遠くなつたり近くなつたりする。雲が少しづつ動いて行くのである。
「あの陰ですよ。ほら、建物の端が見えるでせう。」と、Kさんが私の側に近寄つて來て、岬の上を指差した。大きな赤煉瓦の建物が岬に續く高い丘の斜面に見えた。それは周圍の景色と餘に不調和に目立つてゐた。
 灣の口を横切つて船は當別岬に近づいた。物寂しい漁村がその陰に見えた。

「あの道を行くんですね。」船から小さな棧橋に飛び降ると、二人はかう頷き合ひながら左へ折れて、磯傳ひの道を歩き始めた。一面に干した烏賊の匂ひがひどく鼻をついた。
 だんだんに空が明るくなり出した。そして地面に薄い影が出來る程の日光が洩れて來た。朝から風もない程沈んだ日は、幽かな日光を受けてぢつと身動きもしないやうに默してゐた。その單調に鎖した空氣の中に二人の靴音が高く聞えた。そして詞も途切れ勝ちになつて、二人は俯いたまま足早に歩いた。
 道は崖際を海となぞへに通つてゐた。新しい木橋を渡ると、道は二つに分れてゐた。
「どつちでも行かれますけ……」と、Kさんに尋ねられた老婆はにべもなく答へて、すたすたと歩いて行つた。
「こつちから行つてみませう。」と、二人は云ひながら、崖に沿うた少し急な狹い道を登つた。村の人家や、海がだんだんに眼の下に見えて來た。
「好い景色ですね。」と、云ひながら、私は少し喘ぎ喘ぎ登つた。健脚らしいKさんは杖を振りながら元氣好く登つた。彼は全く好い體格の人であつた。登りつめると其處は一面の原で、道からも時時見えた修道院の建物が遙かの丘に高く聳えてゐた。
「なんだ思つたより近いんですね……」私はKさんの後から云ひ掛けた。
 牧草は美しく刈り取られて、なだらかな傾斜をなした緑の原が私達の前に展がつた。遠くの方にはきらきら光る海峽を背景にして、牧牛の群が靜かに草をんでゐる。牧舍のあたりには小さな人影が動いてゐた。やがてその牧舍の陰から馬に牽かせた車が現れて、丘の方へ緩かに登つて行つた。それは干した牧草を小山のやうに積んでゐた。
 私は Millet の繪を想ひ出した。

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