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氷島(ひょうとう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 9:28:28  点击:  切换到繁體中文


 虎

虎なり
曠茫として巨像の如く
百貨店上屋階の檻に眠れど
汝はもと機械に非ず
牙齒もて肉を食ひ裂くとも
いかんぞ人間の物理を知らむ。
見よ 穹窿に煤煙ながれ
工場區街の屋根屋根より
悲しき汽笛は響き渡る。
虎なり
虎なり

午後なり
廣告風船ばるうむは高く揚りて
薄暮に迫る都會の空
高層建築の上に遠く坐りて
汝は旗の如くに飢ゑたるかな。
杳として眺望すれば
街路を這ひ行く蛆蟲ども
生きたる食餌を暗鬱にせり。

虎なり
昇降機械えれべえたあの往復する
東京市中繁華の屋根に
琥珀のまだらなる毛皮をきて
曠野の如くに寂しむもの。
虎なり!
ああすべて汝の殘像
虚空のむなしき全景たり。

――銀座松坂屋の屋上にて――


 無用の書物

蒼白の人
路上に書物を賣れるを見たり。
肋骨あばらみな瘠せ
軍鷄しやもの如くに叫べるを聽く。
われはもと無用の人
これはもと無用の書物
一錢にて人に賣るべし。
冬近き日に袷をきて
非有の窮乏は酢えはてたり。
いかなれば涙を流して
かくも黄色く古びたる紙頁ぺえぢの上に
わが情熱するものを情熱しつつ
寂しき人生を語り續けん。
われの認識は空無にして
われの所有は無價値に盡きたり。
買ふものはこれを買ふべし。
路上に行人は散らばり去り
烈風は砂を卷けども
わが古き感情は叫びて止まず。
見よ! これは無用の書物
一錢にて人に賣るべし。


 虚無の鴉

我れはもと虚無の鴉
かの高き冬至の屋根に口を開けて
風見の如くに咆號せむ。
季節に認識ありやなしや
我れの持たざるものは一切なり。


 我れの持たざるものは一切なり

我れの持たざるものは一切なり
いかんぞ窮乏を忍ばざらんや。
獨り橋を渡るも
灼きつく如く迫り
心みな非力の怒に狂はんとす。
ああ我れの持たざるものは一切なり
いかんぞ乞食の如く差爾として
道路に落ちたるを乞ふべけんや。
捨てよ! 捨てよ!
汝の獲たるケチくさき名譽と希望と、
汝の獲たる汗くさきぜにを握つて
勢ひ猛に走り行く自動車のあと
枯れたる街樹の幹に叩きつけよ。
ああすべて卑穢なるもの
汝の非力なる人生を抹殺せよ。


 監獄裏の林

監獄裏の林に入れば
囀鳥高きにしば鳴けり。
いかんぞ我れの思ふこと
ひとり叛きて歩める道を
寂しき友にも告げざらんや。
河原に冬の枯草もえ
重たき石を運ぶ囚人等
みな憎さげに我れを見て過ぎ行けり。
暗鬱なる思想かな
われの破れたる服を裂きすて
獸類けもののごとくに悲しまむ。
ああ季節に遲く
上州の空の烈風に寒きは何ぞや。
まばらに殘る林の中に
看守の居て
づかの低く鳴るを聽けり。
――郷土望景詩――


 昨日にまさる戀しさの

昨日にまさる戀しさの
湧きくる如く高まるを
忍びてこらへ何時までか
惱みに生くるものならむ。
もとより君はかぐはしく
阿艶あでに匂へる花なれば
わが世に一つ殘されし
生死の果の情熱の
戀さへそれと知らざらむ。
空しく君を望み見て
百たび胸を焦すより
死なば死ねかし感情の
かくも苦しき日の暮れを
鐵路の道に迷ひ來て
破れむまでに嘆くかな
破れむまでに嘆くかな。
――朗吟調小曲――


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 詩篇小解

 漂泊者の歌(序詩)  斷崖に沿うて、陸橋の下を歩み行く人。そは我が永遠の姿。寂しき漂泊者の影なり。卷頭に掲げて序詩となす。

 歸郷  昭和四年。妻は二兒を殘して家を去り、杳として行方を知らず。我れ獨り後に殘り、蹌踉として父の居る上州の故郷に歸る。上野發七時十分、小山行高崎※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)り。夜汽車の暗爾たる車燈の影に、長女は疲れて眠り、次女は醒めて夢に歔欷す。聲最も悲しく、わが心すべて斷腸せり。既にして家に歸れば、父の病とみに重く、萬景悉く蕭條たり。

 乃木坂倶樂部  乃木坂倶樂部は麻布一聯隊の附近、坂を登る崖上にあり。我れ非情の妻と別れてより、二兒を家郷の母に托し、暫くこのアパートメントに寓す。連日荒妄し、懶惰最も極めたり。白晝ひるはベットに寢ねて寒さに悲しみ、夜は遲く起きて徘徊す。稀れに訪ふ人あれども應へず、どあに固く鍵を閉せり。我が知れる悲しき職業の女等、ひそかに我が孤窶を憫む如く、時に來りて部屋を掃除し、漸く衣類を整頓せり。一日辻潤來り、わが生活の荒蕪を見て唖然とせしが、忽ち顧みて大に笑ひ、共に酒を汲んで長嘆す。

 品川沖觀艦式  昭和四年一月、品川沖に觀艦式を見る。時薄暮に迫り、分列の式既に終りて、觀衆は皆散りたれども、灰色の悲しき軍艦等、尚錨をおろして海上にあり。彼等みな軍務を終りて、歸港の情に渇ける如し。我れ既に生活して、長く既に疲れたれども、軍務の歸すべき港を知らず。暗憺として碇泊し、心みな錆びて牡蠣に食はれたり。いかんぞ風景を見て傷心せざらん。鬱然として怒に耐へず、遠く沖に向て叫び、我が意志の烈しき渇きに苦しめり。

 珈琲店 醉月  醉月の如き珈琲店は、行くところの侘しき場末に實在すべし。我れの如き悲しき痴漢、老いて人生の家郷を知らず、醉うて巷路に徘徊するもの、何所にまた有りや無しや。坂を登らんと欲して、我が心は常に渇きに耐へざるなり。

 新年  新年來り、新年去り、地球は百度※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)轉すれども、宇宙に新しきものあることなし。年年歳歳、我れは昨日の悔恨を繰返して、しかも自ら悔恨せず。よし人生は過失なるも、我が欲情するものは過失に非ず。いかんぞ一切を彈劾するも、昨日の悔恨を悔恨せん。新年來り、百度過失を新たにするも、我れは尚悲壯に耐へ、決して、決して、悔いざるべし。昭和七年一月一日。これを新しき日記に書す。

 火  我が心の求めるものは、常に靜かなる情緒なり。かくも優しく、美しく、靜かに、靜かに、燃えあがり、音樂の如く流れひろがり、意志の烈しき惱みを知るもの。火よ! 汝の優しき音樂もて、我れの夕ベの臥床の中に、眠りの戀歌を唄へよかし。我れの求めるものは情緒なり。

 國定忠治の墓  昭和五年の冬、父の病を看護して故郷にあり。人事みな落魄して、心烈しき飢餓に耐へず。ひそかに家を脱して自轉車に乘り、烈風の砂礫を突いて國定村に至る。忠治の墓は、荒寥たる寒村の路傍にあり。一塊の土塚、暗き竹藪の影にふるへて、冬の日の天日暗く、無頼の悲しき生涯を忍ぶに耐へたり。我れ此所を低徊して、始めて更らに上州の蕭殺たる自然を知れり。路傍に倨して詩を作る。

 監獄裏の林  前橋監獄は、利根川に望む崖上にあり。赤き煉瓦の長壘、夢の如くに遠く連なり、地平に落日の影を曳きたり。中央に望樓ありて、悲しく四方よもを眺望しつつ、常に囚人の監視に具ふ。背後うしろに楢の林を負ひ、周圍みな平野の麥畠に圍まれたり。我れ少年の日は、常に麥笛を鳴らして此所を過ぎ、長き煉瓦の塀を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りて、果なき憂愁にさびしみしが、崖を下りて河原に立てば、冬枯れの木立の中に、悲しき懲役の人人、看守に引かれて石を運び、利根川の淺き川瀬を速くせり。

 戀愛詩四篇  「遊園地にて」「殺せかし! 殺せかし!」「地下鐵道にて」「昨日にまさる戀しさの」等凡て昭和五――七年の作。今は既に破き棄てたる、日記の果敢なきエピソードなり。我れの如き極地の人、氷島の上に獨り住み居て、そもそも何の愛戀ぞや。過去は恥多く悔多し。これもまた北極の長夜に見たる、侘しき極光おーろらの幻燈なるべし。

 郷土望景詩(再録)  郷土望景詩五篇、中「監獄裏の林」を除き、すべて前の詩集より再録す。「波宜亭」「小出新道」「廣瀬川」等、皆我が故郷上州前橋市にあり。我れ少年の日より、常にその河邊を逍遙し、その街路を行き、その小旗亭の庭に遊べり。蒼茫として歳月過ぎ、廣瀬川今も白く流れたれども、わが生の無爲を救ふべからず。今はた無恥の詩集を刊して、再度世の笑ひを招かんとす。稿して此所に筆を終り、いかんぞ自ら懺死せざらむ。





底本:「萩原朔太郎全集 第二卷」筑摩書房
   1976(昭和51)年3月25日初版発行
底本の親本:「氷島」第一書房
   1934(昭和9)年6月1日発行
入力:kompass
校正:今井忠夫
2003年12月15日作成
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