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貝殻追放(かいがらついほう)010

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-27 9:25:44  点击:  切换到繁體中文

大正元年の秋北米合衆國に渡り同三年の初夏の頃迄東部マサチュセツ州ケムブリツヂの學校町の下宿の二階に一年あまりを送つた間に書いたものを集めて一册とした。
 その頃自分はそれ迄に書いた自分の作品の誇張と衒氣に冷汗を覺えると同時に世上行はるる小説戲曲評論の類の小悧巧と恫※(「喝」の「口」に代えて「りっしんべん」、第4水準2-12-59)に厭氣がさし先づ努めて自分の持つてゐる慣習的の技巧を振捨てようと考へた。所謂小説らしい小説やお芝居らしい戲曲と絶縁する爲めの消極的手段として日記を記す心持で書いて見ようと思つた。この集に收めた四篇は手習艸紙のつもりで書いた夥しい原稿の中の一部である。「船中」と「同窓」は中途で厭になつてめたのを後に加筆稿了し「楡の樹蔭」はその頃の日記の中から拾ひ集めた彼地の夏の小景を敍したものでこれだけは新しく書いたと云ふ方が適當かもしれない。いづれにしても作品の内容を成す素材は自分の想像の所産であるからこれを自分の日記と呼ぶ事は出來ないが創作の態度に至つては旅客が旅舍の一室にその日その日の見聞を手帳に記すのとかはらなかつた。平調枯淡に過ぐるの譏は作者が甘んじて受くるところである。この度一册に纏めて出版する事になつたので二度三度繰返して讀んだが不相變自分を滿足させなかつた。こんなものを本にするのは羞しくもあるが同時に又これらの作品を書いた當時の自分自身を懷しむよすがとして流石に捨て難くも思はれる。冬は雪に埋もれ夏は汗に堪へ難き楡の樹蔭の貧しき下宿の西向の窓に机を据ゑて學業の餘暇に筆を執つた自分の姿が彷彿として浮んで來る。この集を世に出す事になつたのも主として自分自身を限りなく戀しく思ふ心持に基くのである。(大正六年の秋)

――「三田文學」大正六年十一月號





底本:「水上瀧太郎全集 九卷」岩波書店
   1940(昭和15)年12月15日発行
入力:柳田節
校正:門田裕志
2005年1月19日作成
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