您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 宮本 百合子 >> 正文

新しい一夫一婦(あたらしいいっぷいっぷ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-2 10:38:56  点击:  切换到繁體中文


 やがて若い階級的な妻である女は、自分が良人のところへかけ込んだことを自己批判し、終局に「物事が乱れるような結果になるかもしれない。けれどもそれが何だろう」あらゆるものを投げ出したものに貞操なんか何だ? そして石川という共働者との場合には逃げ出した彼女は、「もっともっと自由な女性を自分の中に自覚していた、たとえ肉体は腐ってもよかった。革命を裏切らず、卑怯者にならずに自分を押しすすめてゆく途中で、どうせすてた体だ。もはや彼女にとって革命以外に大切にするものは何もないのだ。貞操ばかりをこわれ物のように気にかけていたら、それでどうなるというのだ」と、可憐にも当時の不十分に心の深められていなかった鉄則に屈することが、描かれているのである。
 片岡氏は、当時のブルジョア道徳が逆宣伝的に、階級闘争に従う前衛のはなはだしく困難な生活の中に、不可避的に起ったさまざまの恋愛錯雑を嘲笑したのに対し、抗議としてこの小説を書かれた。そのことは、同じ小説の中の文句でもはっきり宣言せられているのであるが、今私たちがこの小説を読むと、何か一口にいい表わせぬ深い感慨に打たれざるを得ないのである。
 この小説の書かれた時代でさえも、まだ個人の感情個人生活の利害が、階級の感情や利害と一応きりはなされ、ある種の活動家にとっては別個なもののように考えられ得る時代であったこと、また、プロレタリアの世界観は、現実の問題として、階級対立の社会にあっては支配階級のイデオロギーの侵害を多く受けているものであり、特に日本のように封建性の重いきずなが男女を圧しているところでは、女の性的受動性、男に対する自主的な選択権が隷属的に考えられる習俗をもっているのであるから、新しい社会の建設者たちの努力は、運動内部においても絶えずさまざまの形で作用する、そういう過去の残滓との闘いの面にも払われなければならないものである。そのことを「愛情の問題」において作者が念頭に置かない一般の情勢であったこと、それらが私たちの心をまじめな感想にひきこむのである。
 種々のゆがみをもちつつ、献身的な努力でともかく今日まで押しすすめられて来た運動の段階にあって、私たちは大きい成果の上に生きていると思う。
 時間的に四五年といえば短かいがその間急速に激化した闘争は、広い範囲で運動内における女の活動家をも増大させ、実際の感情として、個人の感情利害と階級の感情利害とは、一致せざるを得ないところまで具体的な条件において高められて来ている。かつて長谷川如是閑氏は、個人的感情を階級の義務の前に殉ぜしめることを主題としたプロレタリア文学に対して、「新しいつもりか知らぬが、義理のしがらみに身をせめられる義太夫のさわりと大差ない」という意味の評をしたことがある。私はその言葉を心に印されて今なお記憶しているのであるけれども、そのような批評を可能ならしめた、階級感情の小市民的分裂は、この二三年間の画期的鍛錬によって、一般的に統一の方向にむかい、もとの低さに止ってはいないのである。
 先月号の『行動』に婦人詩人中河幹子さんが、婦人作家評を執筆された。中で、私のことにもふれられ「獄中の人と結婚せられた心理はわかるようで不可能である。ああいうことはオクソクの他であるが、私は無意味であると思っている」と結論しておられる。
 私はその文章をよんで、女同士の共感というものも歴史性の相異によっては、全く裂かれているものだという事実を面白く思った。そして自分に即さず一つの社会的な事実としてこの事を観察すると、私は、日本の現在の階級対立のけわしさや、そのきびしい抑圧の中からも何かの可能性をひき出し、たとえ半歩たりとも具体的に前進しようとする階級の、いよいよ強靭にされる連帯性、積極性の大小さまざまの情熱的な現実の内容は、遙に歌人中河幹子氏の感情と芸術とを超えたものであることを痛感したのであった。
 日本の現実は、階級的に共通な立場において結ばれた男女を日々夜々実にきびしく鍛錬しつつある。活動と抑圧との実際は、ますます深められ、ひろめられる階級的連帯性の上に立って、屈伸きわまりなく発動する男女の結合を教えている。いわば連帯性の薄弱な愛情は永年にわたって持ちこしてゆけない。それほど、風雨はきついのである。あるときはちりぢりとなって、あるときは獄の内外に、あるときは一つ屋根の下に、それぞれの活動に応じ千変万化の必要な形をとりつつ階級の歴史とともにその幸福の可能性をも増大させつつ進んでゆく一貫性は、もはや単に希望されているところの理想に止ってはいないのである。
 目さきの気分にまぎらわされ、スクリーンの上で、新しい恋愛や結婚の夢を夢と知りつつ描いている実に多くの若い男女も、一度、真に愛さんと欲する熱情に燃え、真に幸福を追求すれば、現実は、おのずから社会の矛盾をそれらの人々の前にさらし、希望するとしないにかかわらず、何かの形でその桎梏との決戦をよぎなくさせる。真によく愛すことと、真によく闘うことは、今日のような階級対立の鋭い大衆の不幸な社会にあって、全く同義語のような歴史的意義をもっていると私は思うのである。

〔一九三五年五月〕





底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「行動」
   1935(昭和10)年5月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

上一页  [1] [2]  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告