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一連の非プロレタリア的作品(いちれんのひプロレタリアてきさくひん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-2 11:09:46  点击:  切换到繁體中文


 読者はこの作家の実行運動において最も拙劣な、機械的なオルグを見るのである。強制献金のための村の衆の集りに出て、アジ・プロしようという機会そのものの積極的なとらえかたは、間違った方法によって失敗に帰したのだが、僕というプロレタリア作家は、手紙のこの部分になると、階級的先進分子としてオルグ的活動と作家的活動とを、完全に分裂した実践として行っている。
 失敗した宣伝教育の自己批判を通して、彼の口惜しさ、悲しみが読者の胸に浸み込むような真実さで手紙は書かれていない。第一信と同じ饒舌な文調で、書くために書かれている。オルグはオルグ、作家は作家、そして手紙を書くにあたって、まさに僕は作家なのであるという分裂を行っている。「どうでも書かずに居れぬ」と切迫した実感において自己の失敗を書くとき、誰が「いや――こんな描写を重ねていては君を退屈させる。僕はいい加減にペンをはし折らねばならぬ。ども小説書きというやつはどんな場合でも呑気でいかん」などといりもしない断り書きをするほど、そんな不必要なお喋りをするであろうか! そういう作家であるからこそかんじんの村の集りで自分だけいい心持ちになって喋り、やがて「あたりを見廻して」みなが自分のまわりを離れ、区長や雑貨屋の方へかたまって彼をぬすみ見ているのに、「驚いた」りするのである。活々した階級的人間的生活の種々雑多の具象性に対し最も感受性が鋭く、個々の具象性の分析、綜合から客観的現実への総括を、あるいはその逆の作用をみずみずしく営み得るはずのプロレタリア作家ともあるものが、自分のしゃべる言葉に対する大衆的反応を刻々感得することなく、自身を「排斥された異端者」と文学的に詠嘆するに至っては、一箇の腹立たしい漫画である。
 なるほど、村についた最初から彼プロレタリア作家は、K部落の窮乏がどんな外見をとって現れているかということは、こまかに書きとめている。外から部落へ入って来たものとして観ている。しかしそれらさまざまの外見をとって起る事件が、部落民の世界観をいかにかえつつあるかという大切な要因については、その重大さに必要なだけ細心で執拗な関心を払っていない。
 作家は「悲劇が来た」と報じている。馬をとられた三次の女房の発狂にしろ、気が違った女房が役場に日参しているという現実の報告で終っている。現実の非惨事のこれだけの現象主義的把握は一応大衆作家でもやるのである。われわれに必要なのは、そのようにして女房まで発狂させられた三次が、戦争に対し、政府に対し、どんなにこれまでと違う心持を抱くようになって来たか。三次のその不幸はまた部落民の心にどんな影響を与えたか、そのことこそ必要なのである。この三次に強制献金は何と響くであろう。彼プロレタリア作家は暗い納戸で寓話化されたソヴェト同盟を幻想に描くよりさきに、三次の事件を想起すべきであった。しかし彼は村の神社の集りへ出て、鉈をふった平次郎は念頭においたが、三次が集りに来ているかいないかさえ問題にしていない。
 同時に、その部落と彼との関係はどこまでも、「僕」「彼ら」あるいは「百姓たち」という関係におかれ、しかも「実行運動」に当って「僕」なるものが、部落の大衆にどんな感情でうけ入れられているかという、大切な計画をぬかしている。部落へついた第一日に「味噌又」のおやじに「点呼で? そうかそうか。そしてもう社会主義たらいうもんやめて?」云々といわれている彼にしてみれば、「川上の弟じゃ、菊坊じゃ!」というだけではすまさぬ複雑な部落民の先入観によって迎えられていることは明らかである。
 村の社での演説の失敗は、これら数多あまたの必要な情勢分析の不確実さから生じた当然の帰結であった。彼が戦闘的唯物論者らしく部落内の現象の分析綜合をなし得たら、「彼女(部落)の古い精神がいかに社会変革をきらっていようとも彼女のからだ――生活はこれを熾烈に要求しているのだ。要求せざるを得なくなっているのだ。」という二元論は成り立たぬであろう。古い伝統がそれを嫌っていようとも生活が社会の合理的発展を熾烈に要求せざるを得ない状態に立ち至っていたとすれば、その要求によって必然的にかえられる古い精神が、そっくり元のままの古い精神であることは絶対にあり得ないのである。
 プロレタリア的実践力の欠如によって起るさまざまの破綻を、僕というプロレタリア作家は「無力な小説家的詠嘆だというなかれ! 実際僕は悩んだのだ」と、さながら小説家というものの本質は無力なるもので「どんな場合にでも呑気でいかん」ものなのだが、マア堪えてくれろといわんばかりに書いている。
 彼の失敗した演説にもかかわらず、農村における力の高揚はむこうから組織をとらえに来る。「やま連」のグループが北村清吉を代表として部落委員会らしいものを組織する話をもち出してくるのであるが、この月夜の晩、彼プロレタリア作家の心は「この一言でまるで満月のようにふくれてしまった。」そしてただちに「同志Tよ。僕の煩悶は無駄であった」と安心し、大衆の実生活が内包する革命性の豊富さに対するオルグとしての自己の実践の貧弱さ、誤謬はそれなりに飛び越えてしまっている。きわめて非マルキシスト的な態度である。
「樹のない村」の検討において特に作家とオルグ的活動についての分裂的認識の点を強調したのは、今日われわれプロレタリア作家に課せられている階級的課題の実践的理解と連関をもっているからである。今日プロレタリア作家に課せられている任務は、あらゆる芸術的技術を統一し練磨し、階級性の集注的表現=プロレタリアートの組織の基本的線に従属させ、その独特で鋭利な武器となるべき時にあるからである。
「樹のない村」で読者は直接農民委員会、または部落委員会の組織を試みたプロレタリア作家を見たのであるが、プロレタリア作家のオルグ的活動の面はさらに多面であり、作家としての技術を組織的活動に直接活用し得る面も数多くある。それはサークル活動である。「樹のない村」について見ても、このプロレタリア作家は、新しく「やま連」を中心とする部落の闘争組織ができようとするにあたり「明日の夜になると我々の故郷にも赤い旗が立つ」と抽象的表現で結び、「どうだ、この蚊のひどいこと!」と手紙を終っている。蚊よりも同志Tに語るべきことがあったはずだ。オルグ的役割をつとめる作家であるならば、その新しい革命力の影響を大衆化するために当然、「部落新聞」の発行について考え、その具体的な指導が「ひどい蚊」に代って彼の注意を占めたはずではなかったろうか。
 以上三つの作品、特に「樹のない村」の検討は、われわれの関心、反省を、自身のプロレタリア作家としての活動の吟味に導いて来る。作家同盟で目下とり上げられている組織活動と創作活動の統一の問題にふれて来るのである。
 十月号『プロレタリア文学』に鈴木清がこの問題について「一歩前進か二歩退却か」という論文を書いている。この論文はいうべきことのまわりをまわりつつ、ついにかんじんの環をつかみそこねた論文である。筆者は、繰返し説得している、組織活動と創作活動との統一はプロレタリア作家の実践によってのみ解決されるものであると。そして、その実践とは「より一層の精力的な組織的活動と創作活動との交互関係において始めて解決されなけらばならず」これは「統一され得ない問題ではなく、統一されざるを得ない問題である」といっている。しかし、筆者はその実践の経験を真に「精力的な」「交互関係」において統一させ、われらの世界観を豊富ならしめ、前衛作家として発展せしめ得るものは、ただ一つそれら「精力的な」「相互関係」を通じてわれらに客観的真理の概括を与えるところの、明確な政治的把握あるのみであることに言及していない。この問題の具体的な、日常的な解決は、とりもなおさず、芸術における政治の優位性に対する正しい階級的理解なしにはあり得ないのである。鈴木清はこれを基本的環とせず、あれやこれやの必要条件の一つとして理解したため、論文は実践的な推進力を失ったのである。

 今日、プロレタリア文学運動において、組織およびその組織活動を否定するプロレタリア作家はいないであろう。文学運動が文学運動としてあり得る鍵は組織活動にある。われわれの組織の内で、組織活動と創作活動の統一の問題がおこったのは、組織活動の否定からではなく、逆にその重要性の理解(しかし不十分な理解)から起ったのである。われわれは組織活動はもちろんやらねばならないし組織活動の旺盛化の要因として創作活動も高められなければならない。だが、何ともいそがしいではないか。同盟内の仕事はおのおのの部署にあり班会にあり実にうんと用事がある。サークル活動は更に多くの精力を要求する。体が一つではまわり切れない。朝出て家に帰るのは十二時であるとすれば、いつ創作ができよう。だが作品は書かねばならない。困ったものだというところから問題が生じている。当惑と一種の焦慮とをもって問題はおこっていて、一つこの矛盾を大いに克服しようではないか、そのためにはわれらの置かれている現実をまず分析しよう、討議しよう、さあ……諸君! という、気組みの引立ちが欠けている観がある。
 特に率直にいえば、一九三二年の後半期に問題は一進している。林房雄や須井一などが一応プロレタリア文学の陣営に属すように見えつつ、実質においては非プロレタリア的な作品を量において多量生産し、しかもそれがブルジョア・ジャーナリズムにおいてもてはやされているのに対して、われわれが一々それを作品によってくつがえすような作品を書いていないという現象から、漠然たる圧力を感じる傾向があった。従前から、創作活動旺盛化の課題がわれらの前にあった折から、この気分は同盟内に新たな意識で創作活動と組織活動との統一の問題をまき起したのである。そして、この問題に対する同盟員の感情も微妙な複雑性を示した。
 一方には、組織活動をしないでいいとは思わないが、今のままではやり切れない、何とかならないものか、という消極的な、他力本願的気分がある。一方には、現在の状勢でプロレタリア文学運動の確立のために組織活動なしでどうするものぞ、組織活動によってこそ、多数者獲得の課題に答え得るのだ、今書けないのは仕方がない、という左翼的日和見主義があり、他には、時間の問題とする部分もある。創作をする時間さえあればよいのだ、と。
 プロレタリア文化運動で組織問題の重要性が理解され、それが実践にうつされたことは一九三一年度における基本的発展であった。更に、そのプロレタリア文学組織としての発展を、組織の特殊性によって具体化するために創作活動旺盛化の課題が一九三二年の大会で決定されたことは、正しかった。われわれはわれわれの革命的作品によって反動文学を克服し、サークルその他同盟の組織活動によって敵の文化組織を撃破し得るはずであった。
 しかし、それはうまく行っていない。急速に変化した情勢は現在サークル活動の理解の立てなおしを要求している。創作においてもわれわれがプロレタリア作家として互に要求しているだけ雄大で高度で、かついきいきとしたプロレタリアートの生活描写において大衆をすいよせるような作品は出ておらぬ。
 だからといって作家同盟の方向が根本的に誤っているとか、または林房雄の憫然たるアナーキー性の爆発的言辞を引用すれば「鎌倉に引込んだ僕の方がプロレタリア的仕事をするから見ていろ」などというに至っては、すでに論外である。
 真にプロレタリアートの立場に立ち、戦闘的マルキシストの目で発展の本質を理解すれば、われわれの当面する矛盾こそ発展の最大のモメントとして現れていることを理解するのである。
 たとえばブルジョア文学批評家は、自分がもとのように次々と小説を書かぬことについて過去二年間しばしばこういう文句を繰返した。「中條百合子は小説が書けなくなった。作家同盟なんぞへ入って、柄にもない部署につかされ、追い立てられているから、才能をついにドブにすてた」と。だが、自分をそれらの言葉で苦しめ、傷けることは全く不可能であった。なぜならば、ブルジョア・インテリゲンチア作家としての発展の必然としてプロレタリア文学運動に参加した自分は、すでに質において真の作家としての発展の可能性をとらえた。また、過去のすべての文化的蓄積を最も革命的に利用し得るよう自身を鍛え洗われたものとし、世界観の隅々までをプロレタリアに組織するためには、先ず、文化啓蒙活動をとおしてあらゆる機会に勤労大衆と接触しその一員となることこそ、正しい第一歩であることは明らかであるからである。
 ここに、一本のステッキがある。ブルジョア作家はそれについて何を実感するであろうか。そのステッキの外見の瀟洒さ。流行。キッドの手套。キャデラック。又は半ズボンと共に郊外の散歩。あるいは忽然として、自分のわきに細い眉毛を描いて立つ洋装の女を思い出すかもしれない。自分は、今ステッキを見てそのような種類のことは思えない。何ともいえぬ肉体的憎悪をもってそれを見る。直接な敵を感じる。野蛮な警察のスパイどもは紳士をよそおいステッキをついて我らを襲撃するからである。革命的な活動をする若い女の口へステッキをつっこんで、負傷させ、その娘が叫ぶ声をこの耳できき、その血を見たからである。それを私は私の目で、警察の留置場で見た。留置場へは、プロレタリア文化活動に従うという理由にならぬ理由によって入れられた。勤労階級は歴史の合理性によりその歴史的任務を実践する過程においてつねに支配権力と抗争するのであるから、従って私ひとりが一本のステッキについて、ブルジョア作家には感じることのできないプロレタリアの実感を持つというのみでない。それは階級の実感である。この実感および実感を与えた現象を、その根柢にある政治性へまでつきつめて把握し、再びそれを芸術的概括として作品化した時、一本のステッキについての実感はプロレタリア文学作品となるのである。そして作品として大衆に働きかけ、その世界観の発展に役立つであろう。サークルへ行った。雑誌を編輯した。つかまって留置場へ行った。そこでステッキで拷問された労働者の娘を見た。と、いたずらにあれやこれやをちりぢりばらばらに認識し、それをかき集めたところで作品は書けない。われわれの努力は、より強固にされ、明確にされた政治性――党派性によって客観的に現実を理解し、文学運動においてつかむべき当面の環をはっきり知り、それを基準として全同盟の組織活動を整理し、深め、より精力的に企業・農村の大衆の中へ活動することに払われねばならない。同じ党派性、まがうかたなきプロレタリア性によって貪慾にかかる階級的実践の成果を芸術的概括にまで高め、発展せしめる努力がなされなければならない。組織活動と創作活動とはプロレタリア作家にとって二つの対立する作業ではなく、そのものにおいてきりはなすことのできないプロレタリア作家活動の二面の活動形態である。統一は、図式弁証法への定式化によって、二つの問題を正・反と対置したところから何か固定した形で結論として出てくるのでは決してない。
 鈴木清は論文の中で「作品はなるほど組織活動なしにも書き得る。然し問題は別してそれらの創作がプロレタリア文学として立派なものであるかどうかである。」その答は「遺憾ながら否である」と遠慮ぶかく書いている。われわれはもっと確信と責任とをもってこういい切らねばならぬ。真にプロレタリアートの解放と勝利との歴史性を理解しその実践にしたがうものが、闘争の必然的形態として必要な組織活動を自身の実践として認容しない筈はなく、それをなし得ないような党派性なき世界観を持つ者ならば、プロレタリア作家として立派な作品どころか、そもそもプロレタリア的な作品すら書き得ないであろう、と。
 世界のブルジョアどもも、マクシム・ゴーリキーが当代のプロレタリア作家の真摯な長老であり、優れた作家であることは認める。しかし、彼のすべての芸術的天分、プロレタリア解放への永い年月の実践を、最も効果的に国際的に輝かしく未来に向って意味をあらしめたものこそは、ロシアにおけるプロレタリアートの勝利であったことについては、沈黙を守っている。
 われわれはゴーリキー礼讚における狡猾な党派性の抹殺をあばかなければならぬ。プロレタリア作家としての実践(組織活動と創作活動と)の中にその基本とプロレタリアの党派性を確立しなければならない。

〔一九三三年一月〕





底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「プロレタリア文学」日本プロレタリア作家同盟機関誌
   1933(昭和8)年1月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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