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妄想(もうそう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-7 10:11:32  点击:  切换到繁體中文

 目前もくぜんには広々と海が横はつてゐる。
 その海から打ち上げられた砂が、小山のやうに盛り上がつて、自然の堤防を形づくつてゐる。アイルランドとスコットランドとから起つて、ヨオロッパ一般に行はれるやうになつた d※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字)nドユウン といふことばは、かういふ処をして言ふのである。
 その砂山の上に、ひよろひよろした赤松がむらがつて生えてゐる。余り年を経た松ではない。
 海を眺めてゐる白髪の主人は、此松の幾本かを切つて、松林の中へめ込んだやうに立てた小家こいへ一間ひとまに据わつてゐる。
 主人がと世に立ち交つてゐる頃に、別荘の真似事のやうな心持で立てた此小家は、只二間ふたまと台所とから成り立つてゐる。今据わつてゐるのは、東の方一面に海を見晴らした、六畳の居間である。
 据わつてゐて見れば、砂山のそはが松の根に縦横に縫はれた、殆ど鉛直な、所々中窪なかくぼに崩れた断面になつてゐるので、只はてもない波だけが見えてゐるが、此山と海との間には、一筋の河水と一帯いつたい中洲なかすとがある。
 河は迂回うくわいして海にそそいでゐるので、そはの下では甘い水とからい水とが出合つてゐるのである。
 砂山の背後うしろの低い処には、漁業と農業とを兼ねた民家がまばらに立つてゐるが、砂山の上には主人の家が只一軒あるばかりである。
 いつやらの暴風に漁船が一艘ね上げられて、松林の松のこずゑに引つかかつてゐたといふ話のある此砂山には、土地のものは恐れて住まない。
 河は上総かづさ※(「さんずい+((旡+旡)/鬲)」、第3水準1-87-31)いしみがはである。海は太平洋である。
 秋が近くなつて、薄靄うすもやの掛かつてゐる松林の中の、清い砂を踏んで、主人はそこらを一廻ひとめぐりして来て、八十八やそはちという老僕のこしらへた朝餉あさげをしまつて、今自分の居間に据わつた処である。
 あたりはひつそりしてゐて、人の物を言ふ声も、犬の鳴く声も聞えない。只朝凪あさなぎの浦の静かな、鈍い、重くろしい波の音が、天地の脈搏みやくはくのやうに聞えてゐるばかりである。
 丁度わたり一尺位に見える橙黄色たうわうしよく日輪にちりんが、真向うの水と空と接した処から出た。水平線を基線にして見てゐるので、日はずんずんのぼつて行くやうに感ぜられる。
 それを見て、主人は時間といふことを考へる。生といふことを考へる。死といふ事を考へる。
「死は哲学の為めに真の、気息をき込む神である、導きの神(Musagetes)である」と Schopenhauerシヨオペンハウエル は云つた。主人は此ことばを思ひ出して、それはさう云つても好からうと思ふ。併し死といふものは、生といふものを考へずには考へられない。死を考へるといふのは生が無くなると考へるのである。
 これまで種々の人の書いたものを見れば、大抵おいが迫つて来るのに連れて、死を考へるといふことが段々切実になると云つてゐる。主人は過去の経歴を考へて見るに、どうもさういふ人々とは少し違ふやうに思ふ。

    *    *    *

 自分がまだ二十代で、全く処女のやうな官能を以て、外界のあらゆる出来事に反応して、内にはかつ挫折ざせつしたことのない力を蓄へてゐた時の事であつた。自分は伯林ベルリンにゐた。列強の均衡を破つて、独逸ドイツといふ野蛮な響のことばにどつしりした重みを持たせたヰルヘルム第一世がまだ位にをられた。今のヰルヘルム第二世のやうに、d※(ダイエレシス付きA小文字)monischデモオニシユ な威力をしもに加へて、抑へて行かれるのではなくて、自然の重みの下に社会民政党はあへもだえてゐたのである。劇場では Ernstエルンスト vonフオン Wildenbruchヰルデンブルツホ が、あの Hohenzollernホオヘンツオルレルン 家の祖先を主人公にした脚本を興業させて、学生仲間の青年の心を支配してゐた。
 昼は講堂や Laboratoriumラボラトリウム で、生き生きした青年の間に立ち交つて働く。何事にも不器用で、癡重ちちようといふやうな処のある欧羅巴ヨオロツパ人をしのいで[#「しのいで」は底本では「しのいいで」]軽捷けいせふに立ち働いて得意がるやうな心も起る。夜は芝居を見る。舞踏場にゆく。それから珈琲店コオフイイてんに時刻を移して、帰り道には街燈だけが寂しい光を放つて、馬車を乗り廻す掃除人足が掃除をし始める頃にぶらぶら帰る。素直に帰らないこともある。
 さて自分の住む宿に帰り着く。宿と云つても、幾竈いくかまどもあるおほいへの入口の戸を、邪魔になる大鍵で開けて、三階か四階へ、らふマッチをり登つて行つて、やうやう chambreシヤンブル garnieガルニイ の前に来るのである。
 高机一つに椅子二つ三つ。寝台に箪笥たんすに化粧棚。その外にはなんにもない。火をともして着物を脱いで、その火を消すと直ぐ、寝台の上に横になる。
 心の寂しさを感ずるのはかういふ時である。それでも神経の平穏な時は故郷の家の様子がおもかげに立つて来るに過ぎない。その幻を見ながら寐入る。Nostalgiaノスタルギア は人生の苦痛の余り深いものではない。
 それがどうかすると寐附かれない。又起きて火を点して、為事しごとをして見る。為事に興が乗つて来れば、余念もなく夜を徹してしまふこともある。明方近く、外に物音がし出してから一寸寐ても、若い時の疲労は直ぐ恢復くわいふくすることが出来る。
 時としてはその為事が手に附かない。神経が異様に興奮して、心が澄み切つてゐるのに、書物を開けて、他人の思想の跡を辿たどつて行くのがもどかしくなる。自分の思想が自由行動を取つて来る。自然科学のうちで最も自然科学らしい医学をしてゐて、exactエクサクト な学問といふことを性命せいめいにしてゐるのに、なんとなく心の飢を感じて来る。生といふものを考へる。自分のしてゐる事が、その生の内容を充たすに足るかどうだかと思ふ。
 生れてから今日まで、自分は何をしてゐるか。始終何物かにむちうたれ駆られてゐるやうに学問といふことに齷齪あくせくしてゐる。これは自分に或る働きが出来るやうに、自分を為上しあげるのだと思つてゐる。其目的は幾分か達せられるかも知れない。併し自分のしてゐる事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めてゐるに過ぎないやうに感ぜられる。その勤めてゐる役の背後うしろに、別に何物かが存在してゐなくてはならないやうに感ぜられる。むちうたれ駆られてばかりゐる為めに、その何物かが醒覚せいかくするひまがないやうに感ぜられる。勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する官吏、勉強する留学生といふのが、皆その役である。赤く黒く塗られてゐる顔をいつか洗つて、一寸舞台から降りて、静かに自分といふものを考へて見たい、背後うしろの何物かの面目をのぞいて見たいと思ひ思ひしながら、舞台監督のむちを背中に受けて、役から役を勤め続けてゐる。此役が即ち生だとは考へられない。背後うしろにある或る物が真の生ではあるまいかと思はれる。併しその或る物は目をまさうまさうと思ひながら、又してはうとうとして眠つてしまふ。此頃折々切実に感ずる故郷の恋しさなんぞも、浮草が波に揺られて遠い処へ行つて浮いてゐるのに、どうかするとその揺れるのが根に響くやうな感じであるが、これは舞台でしてゐる役の感じではない。併しそんな感じは、一寸頭を挙げるかと思ふと、直ぐに引つ込んでしまふ。
 それとは違つて、夜寐られない時、こんな風に舞台で勤めながら生涯を終るのかと思ふことがある。それからその生涯といふものも長いか短いか知れないと思ふ。丁度その頃留学生仲間が一人窒扶斯チフスになつて入院して死んだ。講義のない時間に、Charit※(アキュートアクセント付きE小文字)シヤリテエ へ見舞に行くと、伝染病室の硝子ガラスしに、寐てゐるところを見せて貰ふのであつた。熱が四十度を超過するので、毎日冷水浴をさせるといふことであつた。そこで自分は医学生だつたので、どうも日本人には冷水浴は危険だと思つて、外のものにも相談して見たが、病院に人れて置きながら、そこの治療方鍼はうしん容喙ようかいするのは不都合であらうし、よしや言つたところで採用せられはすまいといふので、傍観してゐることになつた。そのうち或る日見舞に行くと昨夜ゆうべ死んだといふことであつた。その男の死顔を見たとき、自分はひどく感動して、自分もいつどんな病に感じて、こんな風に死ぬるかも知れないと、ふと思つた。それからは折々此儘伯林ベルリンで死んだらどうだらうと思ふことがある。
 さういふ時は、先づ故郷で待つてゐる二親ふたおやがどんなに歎くだらうと思ふ。それから身近い種々の人の事を思ふ。中にも自分にひどくなついてゐた、頭の毛のちぢれた弟の、故郷を立つとき、まだやつと歩いてゐたのが、毎日毎日兄いさんはいつ帰るかと問ふといふことを、手紙で言つてよこされてゐる。その弟が、し兄いさんはもう帰らないと云はれたら、どんなにか嘆くだらうと思ふ。
 それから留学生になつてゐて、学業が成らずに死んでは済まないと思ふ。しかし抽象的にかう云ふ事を考へてゐるうちは、冷かな義務の感じのみであるが、一人一人具体的に自分の値遇ちぐうあとを尋ねて見ると、矢張身近い親戚のやうに、自分に Neigungナイグング からの苦痛、じやうの上の感じをさせるやうにもなる。
 かういふやうに広狭くわうけふ種々の socialゾチアル繋累的けいるゐてき思想が、次第もなくむらがり起つて来るが、それがとうとう individuellインヂヰヅエル自我じがの上に帰着してしまふ。死といふものはあらゆる方角から引つ張つてゐる糸の湊合そうがふしてゐる、この自我といふものが無くなつてしまふのだと思ふ。
 自分は小さい時から小説が好きなので、外国語を学んでからも、暇があれば外国の小説を読んでゐる。どれを読んで見てもこの自我が無くなるといふことは最も大いなる最も深い苦痛だと云つてある。ところが自分には単に我が無くなるといふこと丈ならば、苦痛とは思はれない。只刃物で死んだら、其刹那せつなに肉体の痛みを覚えるだらうと思ひ、病や薬で死んだら、それぞれの病症薬性やくせいに相応して、窒息するとか痙攣けいれんするとかいふ苦みを覚えるだらうと思ふのである。自我が無くなる為めの苦痛は無い。
 西洋人は死を恐れないのは野蛮人の性質だと云つてゐる。自分は西洋人のふ野蛮人といふものかも知れないと思ふ。さう思ふと同時に、小さい時二親ふたおやが、さむらひの家に生れたのだから、切腹といふことが出来なくてはならないと度々さとしたことを思ひ出す。その時も肉体の痛みがあるだらうと思つて、其痛みを忍ばなくてはなるまいと思つたことを思ひ出す。そしていよいよ所謂いはゆる野蛮人かも知れないと思ふ。併しその西洋人の見解が尤もだと承服することは出来ない。
 そんなら自我が無くなるといふことに就いて、平気でゐるかといふに、さうではない。その自我といふものが有る間に、それをどんな物だとはつきり考へても見ずに、知らずに、それを無くしてしまふのが口惜しい。残念である。漢学者の酔生夢死すゐせいむしといふやうな生涯を送つてしまふのが残念である。それを口惜しい、残念だと思ふと同時に、痛切に心の空虚を感ずる。なんともかとも言はれない寂しさを覚える。
 それが煩悶になる。それが苦痛になる。
 自分は伯林ベルリンgar※(セディラ付きC小文字)onガルソン logisロジイ の寐られない夜なかに、幾度も此苦痛をめた。さういふ時は自分の生れてから今までした事が、上辺うはべいたづごとのやうに思はれる。舞台の上の役を勤めてゐるに過ぎなかつたといふことが、切実に感ぜられる。さういふ時にこれまで人に聞いたり本で読んだりした仏教や基督教キリストけうの思想の断片が、次第もなく心に浮んで来ては、直ぐに消えてしまふ。なんの慰藉ゐしやをも与へずに消えてしまふ。さういふ時にこれまで学んだ自然科学のあらゆる事実やあらゆる推理を繰り返して見て、どこかに慰藉になるやうな物はないかとさがす。併しこれも徒労であつた。
 或るかういふ夜の事であつた。哲学の本を読んで見ようと思ひ立つて、夜の明けるのを待ち兼ねて、Hartmannハルトマン の無意識哲学を買ひに行つた。これが哲学といふものを覗いて見た初で、なぜハルトマンにしたかといふと、その頃十九世紀は鉄道とハルトマンの哲学とをもたらしたと云つた位、最新の大系統として賛否さんぴの声がかまびすしかつたからである。
 自分に哲学の難有ありがたみを感ぜさせたのは錯迷さくめいの三期であつた。ハルトマンは幸福を人生の目的だとすることの不可能なのを証する為めに、錯迷の三期を立ててゐる。第一期では人間が現世でさいはひを得ようと思ふ。少壮、健康、友誼いうぎ、恋愛、名誉といふやうに数へて、一々その錯迷さくめいを破つてゐる。恋なんぞも主に苦である。さいはひは性欲のを断つに在る。人間は此さいはひを犠牲にして、わづかに世界の進化を翼成よくせいしてゐる。第二期では福を死後に求める。それには個人としての不滅を前提にしなくてはならない。ところが個人の意識は死と共に滅する。神経のみきはここに絶たれてしまふ。第三期では福を世界過程の未来に求める。これは世界の発展進化を前提とする。ところが世界はどんなに進化しても、老病困厄は絶えない。神経が鋭敏になるから、それを一層切実に感ずる。苦は進化と共に長ずる。初中後しよちゆうごの三期をけみし尽しても、幸福は永遠に得られないのである。
 ハルトマンの形而上学けいじじやうがくでは、此世界は出来るだけ善く造られてゐる。併し有るが好いか無いが好いかと云へば、無いが好い。それを有らせる根元こんげんを無意識と名付ける。それだからと云つて、生を否定したつて、世界は依然としてゐるから駄目だ。現にある人類が首尾好く滅びても、又或る機会には次の人類が出来て、同じ事を繰り返すだらう。それよりか人間は生を肯定して、己を世界の過程にゆだねて、甘んじて苦を受けて、世界の救抜きうばつを待つが好いと云ふのである。

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