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榛名(はるな)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-13 9:29:38  点击:  切换到繁體中文


 私と女は波を消した渚に添つて歩いていつた。向日葵ひまはりが垂れた首のやうに砂の中に立つてゐた。寢ているキャムプの布の傍まで來かかると、女は思ひ出した數日前の出來事をまた話した。――もう一週間にもなりますかしら。それは綺麗な明るい奧さんが二階のお部屋に一人で來ていらつしやいましたんですが、丁度こんなお月夜の晩、あたくしをお誘ひになりましたので、二人で向ふ岸にゐる學生さんたちのキャムプを見に、ボートで出かけて行きましたの。さうしましたら、向ふへ上るとすぐに、先生が一人出ていらつしやいまして、今夜は學生を澤山つれて來てゐるんだから、すぐ歸つてくれつて叱るんでございますよ。あの向ふ岸へは誰が行かうと勝手ですのに、そのときはそんなことも云つてゐられませんで歸つて來ましたが、でも、ここにゐると淋しくなるので、つい見に行きたくなるのも無理はないとあたくし思ひましたのでございますよ。

 眠れぬままに、私はここへ來て最初に腰を降ろしたときの眺望の印象を思ひ起さうとつとめてみた。しかし、もうそれは、それから後に移動した樣々な地點の押し重なつて來る眺望の底に沈み込んで、掻き分けても掻き分けても、ふと掴んだと思ふ間に早や逸脱してしまつて停止をしない。私はもうここへ來てから長年暮しつづけて來たのと同樣である。しかし、この忘却を拂ひのけやうとする努力は、私にとつてはこの山上の最初の貴重な印象に對する感謝であつた。

 翌日になると、また風景は昨日とどこも變らなかつた。朝からあたりは森閑としてゐて、鴨居にぶらぶら下つてゐる簑蟲を眺めたり、少女の髮の白い割れ目が草の中を登つて來るのや、木の切株にかかつてゐる桶の底が何囘となく眼についたり、いつ見ても寢そべつてゐて少しも動かないと思つてゐた犬が、見る度に方角の全く違つたところで、いつも同じ格好で寢てゐたりしてゐることなどに氣がつくだけだ。さうして、物音といつては、どこかでときどき低く陰氣にほそぼそと呟く聲と、首を少し廻してみても、もう襟もとで擦れるぢりぢりした髮の毛の音が聞えるだけで、東屋の椅子の上で頭に手拭を乘せた老人が、起きてゐるのか寢てゐるのか分らぬ喰っついたやうな表情で、いつまでも動かずにぢつとしてゐるのが、欠伸を大きくする度に思はずこちらも釣り込まれて欠伸をする。私はもう湖面を見るのは倦き倦きして、ふと跨ぐ水溜りに映つてゐる雲の色に立ち停るまでになつて來た。しかし、私はなほ半日もつづけて庭の上を這ひ廻つてゐる蟻や、妙に大きく見え出して來た蛙を眺めたりしてゐるうちに、つひには言葉を云ふ氣がすつかりなくなつて、女に一口物を頼むに何事か一大事件を報告するやうな羞恥を感じるやうになり始めて來るのであつた。私は胸を押しつけて來る退屈な苦しさに、もう興奮を求めて歩き廻らざるを得なかつた。私は裏へ廻ると、日のささぬ軒下のじめじめした青黴に眺め入つたり、金網の中から覗いてゐる淡紅色の兎の耳の中の奇妙ないぼいぼに見入つたり、空を切つて大きく張り渡つた蜘蛛の巣の巧緻な形に驚いたり、水甕の底深く沈んでゐる鯉の美事な悠々たる鱗の端正さに、我を忘れる樂しさを感じようとした。私は今にして隣室の男の女中をからかか續けた心理や、世の終末をこの地に定めた青年たちの心理がだんだん眞近に響いてゐるのを感じて來た。かういふときには、ふと山中の腰かけ小舍の中で客に茶を出す一人の女の顏に塗られた鈍重な白粉が、ひどく山野の自然に對して憤りを感じた反抗のやうに、際立つて嶮しく尖鋭に見えて來る。

 しかし、再び私は思ひがけない興奮に接することが出來始めた。私は湖の岸を廻つてゐる道を左の方へ歩いていつた。この道は道とはいへ長らく人が通らぬために、巾一間半もあるにもかかわらず、荒れはてて茫々とした草原に見えてゐたのである。進むにしたがつて、すぐ眞下に迫つてゐる湖が、身を沒する苺の垣や茅や葡萄の蔓のために全く見えない。山面を遠くから雲のやうに白く棚曳き降りて來た獨活うどの花の大群生が、湖面にまで雪崩れ込んでゐる裾を、黄白の野菊や萩、肉色の虎杖いたどりの花、女郎花と、それに混じた淡紫の一群の花の、うるひ、あざみ、龍膽、とりかぶと、みやまおだまき、しきんからまつ、――道はだんだん丈なす花のトンネルに變つて來る。花の底で波がかすかにごぼりごぼりと音を立てる。苺のとげに片袖が觸れるたびに、爆け切つた實がぼろぼろとこぼれ落ちる。絶えず唸りながら花から花へと馳けめぐつてゐる蜂の群が、都會の中央で擦れ違ふ自動車の爆音のやうに喧騷を極めて來て、むせ返つて來る花の強烈な匂ひにふらふら眩暈を感じ出す。進む鼻の前で、空中に浮き上つたままぴたりと停止してゐる蜻蛉。花を蹴つて足もとから飛び立つ鳥の群。ぴしりと脛を叩くおばこの固い紐の花。無數の小蜂を舞ひ込めて襲ふ花の匂ひの隙間から、突如として閃くやうに旋囘して來る熊蜂の鋭い風。腐つた電柱の頂きまで這ひ上つてゐる蔓草の白い花。

 私は急いで花叢を拔けると湖の見える氷小屋の傍で休息した。花叢の中のあまりな喧騷さに私はもう疲勞を感じた。谷底の花の中を通る旅人がガスにあてられ、一人も無事に歸つたもののない今もなほある奧羽の山の話を私は思ひ起しながら、私も早や官感に異常な鈍さを感じて首の周圍や顏の皮膚を幾囘も摩擦するのであつた。私は日に日に都會に集つてゐる敏感な人間が、肉體に備へられた自身の完全な防音器のために、却つて一層聾のやうになり始め、その逆に鈍感な肉體が、不完全な防音器官の障害で一層物音に敏感になつてゐる近ごろの變異な徴候を、今この身に滲み渡る休息の靜けさの中から新鮮に感じて來た。

 その翌日、私はもう目的地へ向つて立たねばならなかつた。しかし、起きて障子の破れ目から外を覗くと、外は見渡す限り一面の深い霧であつた。私は部屋の障子を開けたまま、火鉢に火を入れさせ、見倦きた昨日の風景の一變した樣に眺め入つた。湖の上から襲つて來てゐる霧は一望何物も見せずに眞白なまま流れて來ると、ううと重く呻くやうなう鳴りを上げながら、他の渦卷きの中に流れ込むでは、また速かな捻れた一群の霧となつて貫き走る。その度毎に樹の葉はそよぎ、湖面の渚の線が見えたり消えたりしつつ瞬時といへども停止をしない。間もなく張り渡つた蜘蛛の巣があわただしく動搖すると、茶を入れる湯氣まで亂れ流れて顏を打つた。べとつく縁側。たちまちにして冷える茶。私は一本の煙草をとつて火を點けると、煙りが立たない。さうして入れ變り立ち替り地面の上を逃げてゐた霧は、不意に方向を變じて部屋いつぱいに渦卷き流れて迫つて來たと見る間に、再び縁側の木目の上を綾を描いて逸走してゐる絲のやうな霧の中に吹き返した。どこか暗い奧の部屋の方から老人の咽喉にからまつた啖の音がぜいぜいした。私は水甕の底で泳いでゐる鯉や、金網の中の兎の姿を思ひ浮べながら、見るともなく湖の上を見てゐると、うすぼんやりと現れた波打際の線に從つて、鳥の群が一羽づつ陣列を造つて靜に霧の中を進行していく姿が墨畫のやうに眺められた。

 私は障子を閉めて外へ出てみると、女は山番のところへ使ひに行くのだと云つて私の傍へよつて來た。私は女の名前を今まで訊き忘れてゐたのを思ひ出したが、もう訊くまいと思ひ、彼女に別れの挨拶をしてから、しばらく二人で老けた鶯の鳴き交してゐる森の方へ歩いていつた。胡桃の枝からずきりと重く突き刺さるやうに滴りが頭の上へ落ちて來た。葡萄や茨の實や百合の花が、だんだん霧の中から浮き上つて見えて來た。女は兩袖を胸の上で合したまま俯向いて歩いてゐたが、また來年の夏は早くから來るやうにと云ふと、もう足もとから冷え上つて來る冷たさに、首を縮めて何事も云はなかつた。波の音が絶えず靜に霧の底からしつづける道を、私と女は、露で光つた枯葉や、丈のびた蕨や、羊齒の繁つた雜草の間を通つて、立ち籠めた霧にほの明るくなつた森の中へ這入つていつた。

 その日の午後私は霧の中を山を降りて目的の温泉場へ着いた。すると、忽ちそこは、休暇を利用して都會から集つて來た子供づれの客がごつた返してゐて、やうやく私は裏向きの日のささぬ一部屋へ押し込められた。私の部屋の隣室の主人は、もう頭の禿げ上つたどこかの役所の課長らしい年配で、同じ年格好の子供を五六人もつれてゐたが、どの子供も父親にぶら下るやうにして、絶えず「うちやん、父ちやん。」で父親を放さない。さうしていざ、寢るとなると、また子供らはあちらからもこちらからも、父を呼び合ひながら疲らせる。最後にたうとう父親も弱り果てたらしく、「もう一寸父うちやんを休ませてくれよ。父うちやんだつてもう疲れたよ。」と云つて降參した。ところが夜中になつて、一人の子供が息詰るやうな異樣な咳きの發作を起して咳き始めた。と、その部屋中の子供らは、あちらからもこちらからも、同樣な發作を起して咳き出した。やつと寢ついた父親は子供らの枕から枕へと渡り歩いてまた咳の鎭るまで介抱した。さうして翌日になると、再び子供らは元氣よく父親を引つ張り廻してはしやぎ廻つたが、その父親が子供たちと外から部屋へ歸つて來て、ほつと休息しながら川を眺め降ろして云ふのには、「あの流れてゐる水は皆違ふんだらうが、いつ見ても同じやうに流れてゐるね。奇妙なものだな。」といふのだつた。これが疲れ果てた課長のたまの休暇の唯一の感想である。私は貴重な言葉として隣室で紙にすぐ書きつけた。もう間もなく年中風邪の傳染し合ひをして咳いてゐる私の子供も二人、私を追つかけてここへ來るのである。私の休まるのもそれまでだ。





底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
初出:「中央公論」
   1922(大正11)年1月
※作品中「來」が63字、「来」が12字使われているが、すべて「來」に統一して入力した。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2004年5月1日作成
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