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マルクスの審判(マルクスのしんぱん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-13 9:34:32  点击:  切换到繁體中文


「はい。」
 さう被告は低く答へると涙がまた頬を伝つて流れ出した。
 自分の言葉のために被告の態度がどんなに変つてゆくかと云ふことを眺めてゐた判事には、被告の様子がまだいかにも悲しさうに見えた。しかし、彼には被告の悲しみは自分に悲しめられた名残りの悲しみであるのか、それとも被告自身の秘めた行為を意識しての悲しみであるのか明瞭に見極めることが出来なかつた。そして、最早や判事は自分の疑ひを確証するいかなる方法をも案出することが出来なくなると、やむなくその日の審問はそれで終らなければならなかつた。

 その夜判事は床へ這入るとまたその日の審問を思ひ廻らした。――事実、被告は酔漢を突き飛ばしたものであらうか、それとも酔漢の死は被告の云つたやうに偶然の死であつたか――それにしても被告は自身に危険な言葉に対して、何ぜあれほども敏感であり得たか。それにも拘らず何ぜあれほど白々しく先手を打つて出て来たか。この二つの反した態度を審問に応じて巧みに変化さし得た被告を思ふと、判事の疑ひは又深まりかけた。しかし、一方は落されまいとし、一方は落さうと努めなければならない場合が場合であるだけに、それを感じた以上守らうとすることに専念する被告の気持ちはいづれ正当なものにちがひなかつた。所詮判事は昼の迷ひを迷ひ続ける以外に何の得る所もなくなつた。しかし、それかと云つて一度は判決を下さなければならない以上そのままに捨てて置くわけにもいかなかつた。これは判事を苦しめた。が、ここまで来れば、判事として最も正しい判決を下す方法は、逆に自分自身の心理に向つて審問してみることであると気がついた。一体何故に自分は自分の疑ひを疑ひとして持ち始めたか。何故に自分はその疑ひを疑ひとして深めてゆくことに努めたか。何故に自分は自分の疑ひの正当である可きことを確信したか。と、さう彼は考へ始めたとき、彼は自分が近年ひどく疑ひ深くなつて来てゐることを発見した。それには永年の判事生活から来る習慣が手伝つてゐることは勿論であるとしても、しかし、ただそれだけではなく自分の洞察力に対する深い自信と、それになほ油をかける神経衰弱とが原因してゐた。此の外にまだ大きな原因が一つあつた。それは彼が前に現下の最も人心の帰趨に多く関係を持つ思想と犯罪との接触点を検点しようとして、社会主義思想の書物を選んだとき、彼の手に入つたものは「マルクスの思想と評伝」と云ふ書物であつた。これを見ると、彼は世界の人心が目下の所資産家階級を撲滅しようとしてゐる無資産階級の団流と、それに対抗して無産家階級の力を圧殺しようとしてゐる資産家階級の団流とのこの二つの階級が、絶えず争つてゐるのを知つた。そのときから、十数万円の家産を持つてゐる判事の感情は、彼の理智がマルクスの理論の堂々とした正しさを肯定すればするほど、その系統に属する一切の社会思想に反感と恐怖と敵意とを持つにいたつた。この彼の感情は頻々として起る様々な社会運動の勃発する度毎に、極めて敏感に恐怖をもつて激しく揺れた。このため彼の正しくあらねばならなかつた審問と判決との上に、どれほど多くの影響を与へてゐたかと云ふことを考へたことはまだ彼には曽てなかつた。しかし、今判事の理智はその方へ向つて来た。彼は前に被告が傭員の時間短縮を鉄道局へ迫つた事件に関係してゐたと云ふことを知つたとき、直ちに自分の社会運動を防衛したがる習慣的な恐怖が、審問の最初から自然被告を敵の立場に置いてかかつてゐたことに気がついた。勿論役目の立場として被告に疑ひを向けてかゝらなければならないのは分つてゐるとしても、しかし事実自分の疑ひはただ単にそのためにばかり深められてゐたとは判事にも思へなかつた。それを知ると、被告の貧しい上に労働が激しければ激しいほど、他人から時間短縮の訴へに誘はれれば教養のない程度に比例して、それだけ被告のその運動に熱情のでることは別に何の不思議もないやうに思はれ出した。それに被告が無智であればあるほど富貴な蕩児に反感を持つたにちがひないとの前の自分の推断は、論理に於て一見正しさうではあるが、その実、それは逆に無智であればあるほど相手の富貴が直接に影響を被告に与へてゐない限り、なほそれだけ相手に反感を持ち得なさうに思へば思ふことが出来て来た。無論被告と酔漢とが争つた以上、そこに何かの反感のあつたことは疑へない事実ではあつた。だがそれとて、自分が被告に向けてゐた敵のやうな反感とはちがつて、被告の反感はただ自由な蕩児を羨むありふれたものであつたにちがひないと思はれ出すと、今迄自分にしつこくつき纏つてゐた被告に対する疑ひも、故意に酔漢を突き飛ばしてまで殺すにいたる種類の反感であつたとは、どうしても思はれなくなつて来た。すると、ただ勝手に自分が被告を危険思想を抱いてゐる者として、ただ勝手に被告を敵の立場に置いてかかつた自分の恐怖心が判事には急に馬鹿らしく羞しくなつて来た。それに判事は自分のために悲しみを投げつけられたそのときの被告のいかにも悲しさうな顔つきを思ひ出した。これは判事の気持ちを被告の孤独な気持ちの中へ全く職権から放れて入り込ませるのに力があつた。それはいかに考へても淋しいものにちがひなかつた。総ての生活の楽しみを運命的に奪はれてゐる男、その運命をつき抜けて行けない男、それが絶えず最も楽しみの焦点である街の入口で、絶えずそれらの歓楽を眺め続け、そこへ入り込む者達のために危険を教へ続けてゐなければならないと云ふことは、とにかく想像しても最も苦痛な生活の一つであるのは分つてゐた。しかし、判事は自分のただ一片の不純な恐怖のために、無罪で済まされる可きその憐れな男を今にも重罪に落し込まうとしてゐた自分のことを考へた。彼は自分の罪を感じてひやりとなつた。
「無罪にしよう。無罪だ。」
 さう彼はひとり決定すると、急に掌を返すやうな爽快な気持ちになつた。
「これや俺の罪ぢやないぞ。マルクスの罪だ!」
 彼は突然に大声で笑ひ出した。
「いや、何に、かまつたことはない。証拠物件として何がある。蕩児よりも番人だ!」
 今は判事も全く晴れ晴れとした気持ちであつた。そして、今迄長らく自分を恐喝してゐた恐怖も、不思議に自分から飛び去つてゐるのを彼は感じた。
 暫くすると、彼は安らかに眠つてゐた。丁度、マルクスに無罪を宣告された罪人であるかのやうに。





底本:「定本横光利一全集 第一巻」河出書房新社
   1981(昭和56)年6月30日初版発行
底本の親本:「御身」金星堂
   1924(大正13)年5月20日発行
初出:「新潮」新潮社
   1923(大正12)年8月1日発行、第39巻第2号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、旧字、旧仮名の底本の表記を、新字旧仮名にあらためました。
入力:高寺康仁
校正:松永正敏
2001年12月11日公開
2005年11月6日修正
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