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激動の中を行く(げきどうのなかをゆく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-22 10:10:40  点击:  切换到繁體中文


 保守主義者は家族制度を以て孝悌忠信の保育所であるように考えているのですが、実際は大抵の場合これと反対な結果を示しているのです。現に地方から都会に出て独立の生活を営んでいる者は、大学の教授、政府の大官、財界の有力者より工場の女子労働者に至るまで、多くは非常な勇断の下に家族制度の精神に背(そむ)いて、かつて一度その郷里の家庭から離れ去った人たちであるのです。現代においては、このように家族制度を超越して、父母の膝下(しっか)を辞し、兄弟相別れて、各自の欲する所に赴(おもむ)いて活動するのが、かえって順当に孝悌忠信の実を挙げる結果になっています。これは決して男女の性別に由って相違のある事ではなく、現代における経済条件の必要と個性に根ざす独立生活の欲望とは、男をも女をも屋外と他郷との労働に就かしめ、特に男子よりもその数において多い我国の婦人労働者は、工場におけるその痩腕(やせうで)の稼ぎから生み出した賃銀に由って自己の衣食を支え、それを以て家長の厄介を尠(すくな)くしているだけでも、家にあって反目と争闘の中に暮している上流階級の家族制度的婦人に比べて、どれだけ現代道徳の実行者であるか知れません。私が昨年の九州旅行で聞いた事ですが、布哇(ハワイ)や北米やその他へ出稼ぎしている彼地方の男女は、毎年尠からぬ額の金を郷里へ送って父母の慰安とし、弟妹の教育費に当てる者が多く、中には家倉を新築させ、田畑を買わしめる者さえあるといいます。もしそれらの男女が家族的制度の下に小さく固まって郷里に留(とどま)っていたら、果してそれだけの愛情を父母兄弟に寄せることが出来たでしょうか。
 思想の統一に至っては、茲(ここ)にも官僚教育者たちの画一主義が専制的な威圧を示しつつあることを私は怖れます。ウィルソンは巴里(パリイ)のソルボンヌ大学の演説で「大学の精神は自由にあり」という事を述べましたが、大学をすら官僚の牙営(がえい)に供して、その独立自由を確保しない我国の教育者は、人間の思想をも官営として一手専売を強(し)いようとするのです。しかし思想の何物であるかを知る人々にあっては、官僚は勿論、如何なる偉大な人格が強制的に統一しようとしても不可能である事を識別するであろうと思います。何が世の中で自由であるといっても、人間の心の内に起伏し流動する思想ほど自由なものはありません。顔さえも個別的の特色を備えて真実の意味にて瓜二(うりふた)つというものはないのに、まして、刻々に移動する思想は、個人の自発的なものほど個性の色彩が著しく、たとい他人の思想を受け容れたものでも第二の個性に由って着色され変形されないものはないのですから、万人万様の思想が存在するのは当然の事で、それらの思想が拮抗(きっこう)し、比較し、補正し、助長し合って存在してこそ、人類の思想は自浄作用の中に深化と進歩とを遂げるのであると思います。昔から宗教、学問、芸術のいずれでも官営の一種に決ってしまえば、いずれもその本質の腐敗を招かないものはありません。堂上の和歌、聖堂の朱子学(しゅしがく)、ロダンが罵(ののし)った仏蘭西(フランス)院体派の芸術、その実例はいくらでもあります。殊に官営の宜しくない事はその官権を以て反対の思想を暴力的に圧伏することです。思想の自由を奪うに至っては思想の統一でも尊重でもなく、反対に思想そのものの発展を願わない者のする残忍不法な行為です。
 思想は統一されるものでない。兵隊の数に応じて同じ帽を被(かぶ)らせ得るように、人類をして均一に同じ思想を持たせ得るものでない。同じ思想に停滞したり囚えられたりしないで、勝手に優れたものであると自認する新しい思想を提供してこそ、世界人類の創造的進化に参加して各人が実力相応の貢献を為し得るのであると思います。思想が一種に固定してしまったら世界は化石状態となって、人類は自我発展の余地がなくなり、何の生き甲斐(がい)もない退屈な中に退化し自滅し去らねばならないでしょう。
 それよりも、今日において、何人(なんぴと)も互に自ら注意すべきことは、思想の統一というような閑問題でなく、この戦後に発生する雑多な思想の混乱激動の中を安全に乗り切ろうとするのに、その雑多な思想のいずれをも観察し、批判する事を怠(おこた)らず、それがたとい外観上如何に険峻なものに見えようとも、また温健なるものに見えようとも、必ずその内容の純正か否かを透察し、それを自分の思想の養料として採用することだと思います。生活の理想は他人の指導に盲従してはならない。必ず自分の批判を経て全く自分の思想となったものを信頼せねばなりません。ウィルソンの唱える新理想主義にしても、私はそれの雷同者の俄(にわか)に多いことを頼もしげなく思います。戦争で独逸(ドイツ)の負けたのを見て俄に独逸語の排斥を唱えたり、独逸の学問芸術までを罵ったりする軽佻な識者の多い日本に、昨日今日威勢の好い民主自由の思想に何の省慮も取らず共鳴する人の殖えて行くのは一概に嬉しいとはいわれません。
 私もウィルソンを尊敬する一人です。しかしウィルソンの唱えたが故に私は人道主義や民主主義に賛成する者ではないのです。貧弱ながら私の理想は私自身の建てたものです。それがウィルソンの偉大な理想と偶(たまた)ま似ている所があるというに過ぎません。そうして、私は今日の私に停滞していようとする者でなく、勿論ウィルソンの理想に低徊しているような閑人でもありません。明日はウィルソンが彼れの大きな道を選んで前進するように、私は私で自分の小さな道を選んで前進するでしょう。固(もと)より次第に激増する雑多な思想の混乱激動に出会うのは覚悟の前です。
 私は一つの譬喩(ひゆ)を茲(ここ)に挿(さしはさ)みます。巴里のグラン・ブルヴァルのオペラ前、もしくはエトワアルの広場の午後の雑沓(ざっとう)へ初めて突きだされた田舎者は、その群衆、馬車、自動車、荷馬車の錯綜し激動する光景に対して、足の入れ場のないのに驚き、一歩の後に馬車か自動車に轢(ひ)き殺されることの危険を思って、身も心もすくむのを感じるでしょう。しかしこれに慣れた巴里人は老若男女とも悠揚として慌(あわ)てず、騒がず、その雑沓(ざっとう)の中を縫って衝突する所もなく、自分の志す方角に向って歩いて行くのです。雑沓に統一があるのかと見ると、そうでなく、雑沓を分けていく個人個人に尖鋭(せんえい)な感覚と沈着な意志とがあって、その雑沓の危険と否とに一々注意しながら、自主自律的に自分の方向を自由に転換して進んで行くのです。その雑沓を個人の力で巧(たくみ)に制御しているのです。私はかつてその光景を見て自由思想的な歩き方だと思いました。そうして、私もその中へ足を入れて、一、二度は右往左往する見苦しい姿を巴里人に見せましたが、その後は、危険でないと自分で見極めた方角へ思い切って大胆に足を運ぶと、かえって雑沓の方が自分を避けるようにして、自分の道の開けて行くものであるという事を確めました。この事は戦後の思想界と実際生活との混乱激動に処する私たちの覚悟に適切な暗示を与えてくれる気がします。
 保守主義者の反抗思想の中には随分莫迦々々(ばかばか)しいものがあります。或婦人雑誌に法学博士三潴信三(みつましんぞう)氏が婦人職業問題に反対して「欧米において婦人が何々の職業を与えられているからというが如き単なる理由の下に、婦人の職業を徒(いたず)らに奨励するが如きは、家族主義の我国としては破壊的の考えといわねばなりません。……婦人が進んで家庭から離れようとする如き考えは決して健全なものと思われません」といわれた如きは、博士こそ余りに「単なる理由」の下に軽率なる断案を下されたもので、博士は我国の女工八十万の家庭事情が経済的と倫理的の両方面から、彼らを職業婦人たらしめねば置かないという重要な理由を看過しておられるのです。彼らにしてもし工場労働者とならなかったら、餓死するか醜業婦となって堕落するかの外に道はないでしょう。
 三潴博士のお説で更に笑うべきは「外国の事柄を借らずともよい」という単なる理由から、西洋音楽を排斥し、サンタクロスの代りに大黒様の名を挙げ、家庭においてパパとかママとか呼ばせていることを攻撃し、正月の遊びにも西洋趣味の物でなくて東海道々中双六(すごろく)を用いて欲しいと望んでおられる事です。日本音楽が西洋音楽に比べて非常に劣等な位地に停滞しているものである事は、新進の音楽学者兼常清佐(かねつねきよすけ)氏の日本音楽論を読まれても解ることです。兼常氏は日本音楽を西洋音楽に勝るとするのは蝙蝠(こうもり)を見て飛行機より偉大であるとするに等しいといわれました。博士は外国の輸入物を嫌われることがまるでペスト菌にでも触れられるようですが、日本の法律が範を独逸に採っているのは勿論、古くは雲上の御称号の文字を始め、今日の三潴博士の姓氏の文字までが外国からの移植であって見れば、パパといい、ママというのも決して忌むべき理由はありません。博士はチチ(父)ハハ(母)という言葉を純粋の国産だと思っておられるのでしょうが、進歩した言語学ではそれが支那の古代語であることを証明しています。外国産の輸入を嫌っていると、古代人の尊重した鏡までが、日本で発明した「鈴鏡(れいきょう)」という鏡を除く以外は、すべて支那へ返さねばならない事になるでしょう。三潴博士のお説は一笑に附し去っても好いようですが、これを突き詰めて行くと、博士のお考とは反対に、古来の日本文明を破壊すると共に、新しい日本文明の建設を阻害する結果となるのを遺憾に思います。これと同様の保守的俗論がなお続々と日本人の間に頭を挙げるでしょう。私たちは独自の見識を以て今後のあらゆる反動思想を批判し取捨せねばなりません。(一九一九年一月)

(初出不明)  




底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年8月16日初版発行
   1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「激動の中を行く」アルス
   1919(大正8)年8月初版発行
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
ファイル作成:野口英司
2001年12月22日公開
2003年5月18日修正
青空文庫ファイル:
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