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新しき夫の愛(あたらしきおっとのあい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-25 7:04:40  点击:  切换到繁體中文


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 此の間、面会の時の話は(何のことだか一こう見当もつかないが)要するに誰かが何か君の悪口を云って来ても、それについて煩わされることはないということ、それは充分に承知してるから心配することはないよ。まだ誰もそうしたことを云っては来ないし、又云って来た処で僕には問題が君の個人的な事柄に関する限り、君の云うことが先ず第一に信じられるのだから。次に青バスの事は如何にも残念だった。しかしすぐに他の口があったことは何よりだ。君の労働への進出については、僕にして見れば相当に感激もしているしほめたくもあるのだが、今あんまり口を極めて賞賛してしまうと、直ぐ二三ヶ月してから(そんなこともないだろうが)すっかりヘタバッテしまうようなことになるとすると、君はその時、余計恥ずかしい思いをしなければならないから、今は余りホメないよ。
 よほどの事のない限り、ちょいちょい転職してはいけない。そんな風だと人間までが散漫な性格に変わってしまうから――亭主の義務が命ずる所に従って説教しておくが、近頃閑(ひま)になったせいか何かしら説教めいたことを口走る癖がついたのに自ら呆れている。まるでインキョの如く! お母さんはどうしてるかね。おばあさん[#底本では「あばあさん」と誤記]は眼鏡がガタつく程やせてしまったと云う話だがどうなんだ。
 終わりに臨んで余り喧嘩をしないことを勧告しておく。必要な喧嘩ならどうしてもしなければならないし、又、気を強く持つことは今の君には絶対必要なのだが、しかし君は軍鶏(しゃも)ではなくて、俺のオカミさんなんだからな。

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 まるで君が写真をうつす時のように少しスマシて書いたらしい手紙を受け取った。それによると、尊敬すべき俺のオカミさんは、「四日間の労働体験」を誇って(誇ってるわけでもないだろうが)いるようだ。勿論それは立派な体験には異(ちが)いない。その点には異議はないが、「体験」も四日間位だと、それは却って「如何に体験が少ないか」と云うことの証明として、より多く役立ちはしないかね。だが、今はもう四日間を十倍した以上の体験を得ている筈だし、俺が出る頃には、それこそまるっきりプロレタリヤになっていることだろうな。今、君は余計なことを考える必要はないから、なるべく沢山仲のいい友達を作るようにしなければならない。つまらない活動写真を一緒に見に行ったり出来るだけ親切に交際(つきあ)ったりして。――そうしてプチブル的な環境から次第に完全に絶縁してしまうようにしてくれ。
 仕事はどんなことがあっても、チョイチョイ変えないようにしてくれ。そうすると何にもならないばかりか、変にルンペンな癖がついてしまうから。――勿論一時的なつもりではなく、今の決心なり実践なりは永久的なものであろうことは、俺も固く信じているし、信頼してもいるのだが。モップル(1)に行ったら、土岐哀果の歌集「空を仰ぐ」と「現代支那語講座」が宅下げしてあるから頼むよ。――俺の手紙の字はまた大分大きな字になってしまった。そのうち小さな字でウンと色々なことを書くからカンベンしてくれ。俺も出たら「労働しろ」という君の勧告は、その原則は、勿論賛成なんだが、俺をやとう工場もないだろうし、俺は労働していない方が、社会的に有用な人間ではないかね? 手紙よこせ。では失敬。

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 子犬と食器を一緒にしているなんて、汚ねえからよしな。――
 さて俺の方は実に、実に相変わらずだ。此の間の君の手紙は少し「令女界」だったね。(一々色々な批評はするが、一々君のように気にしていてはいけない。口が滑るばかりだから)そうしてあの手紙から想像される君の生活は、何だか馬鹿に淋しそうだったので、ひどく気の毒になったが、しかしそんなに気にすることもないらしいのを、あの同じ手紙の最後の方で知ったので安心した。「個人的な感情」などを余りかえりみないで、一生懸命やってくれ。実際この頃は痛切にそのことを感じているのだ。君の手紙にあるように「七年」でも或いは「十五年」でも、僕達にとっては、少しも「元気」に関係しはしない。いづれにしても…………………。
 それから僕の「病気」については心配しないでほしい。今形勢を見ている。僕だって体の大切なことは知っているから、その必要を認めればそのようにする。君の手紙にある玉井ドクトルの親切な忠告もまだその必要はない。モルガンの「古代社会」と「ドイツ新聞」とそれから、「鼠色寝間衣」なるものを宅下げしたからたのむ。支那語は辞書を購求していよいよ本気でやることになった。まったく、予定どおりドイツ語の方ははかどったから、今年中に支那語の基礎をやって、来年からエスペラントか、出来ればロシヤ語をやりたいと思っている。
 少し悪い癖で先のことばかり考えているが、しかし予定は確実に履行するんだから、その悪い癖を謝してやってもさしつかえないのだ、では又来週だ。鐘紡の争議どうなったかね。失敬。

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 君の「講義」はそんなに「固い」のかね。多分ひどく難しいことを云うのだろう? 俺も一度聞いてみたいものだ。――だが要するに第一の問題は、集会そのものに興味を持たせ、次には君自身に対しても、「個人的」に好意乃至信頼を持たれるようにならなければ何事も始めるわけには行かないだろう。それから僕が一番気にするのは、君が労働者の友達に、日常の実践道徳について忠告せずにはいられないような事になりはしないかということだ。君はその点についても非常に神経質だから――まさか「太陽のない街」の婦人部長のような、話せないおばさんになることもあるまいけれど。――そういうことは第二義的のことで、それが、「第一義的のこと」に差しつかえないかぎり、黙って見ていた方がいいことなんだ。等とまだ色々考えたこともあったが、今世間の有り様が如何なる次第になっているか見当もつかない俺は、うっかりすると頓珍漢なことをいいそうだからこれくらいで止めた。
 要するに、君が非常にいい道を歩いているらしいから、非常に愉快だ。だが――僕が此処にいる間は手紙で色々なことを、余り具体的に知らせてくれない方がいいのではないかね? もっとそのかわり一般的なことを知らせてくれたまえ! それから「物価問題」その他が宅下げしてある。モップルの人に、今後時々行って見てくれるように頼んで置いてくれないか。モップルから入れてくれたドイツ語の本は、書き入れがあるので不許可になった。Kから入れてもらったものはKへ返さなければならないだろう。それも頼んでおいてくれ。
 監獄の庭は色々なものがゴタゴタと成長し、日毎に丈が伸びて行って賑やかになった。小鳥にとっては此処は安全地帯だと見えて、時々東京には珍しい奴がやって来て鳴いている。俺が中学の一年生の時、聖書を習った女の先生は、丁度今の君と同じ年齢であったことを思い出した。なる程あんなものかなと思った。だが、その時分は、その女の児(こ)を立派な先生だと思って尊敬していたものだ。

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 此の間は、なかなか愉快なことを聞かせてもらったのですっかり安心した。君は八十銭の日給でうまく生活して行くことが出来るのかね。多分お母さんに支持してもらっているのだろうが。なるべく一人ですっかりやった方がいいじゃないか? お母さんには今度逢ったらよろしく云ってくれ(さしつかえなかったら)――本が三冊宅下げしてある。「明治大正文学全集」とトーマスマン短編集と、ドイツ語の本だ。なるべくKに返して貰うように誰かに依頼してくれ。
 今度T子さんに逢ったら(嘘のようだが、あの尊敬すべき夫人の名前を僕は此処に来てから始めて知ったのだ。何か珍しい単語を字引で引き当てたような気がした)――経済学全集の中から、さしつかえなさそうなものを、毎月位の割で入れてくれるように頼んでくれ。それは彼の偉大な頭を持って(ただし形式の)有名な俺の竹馬の友、Nという男がもっている筈だ。俺の「病気」はまだ大したことはないから心配するな。此処にいる間は少し位体が悪くても一こうさしつかえないではないか。君の健康こそなかなか心配すべき点と理由とを持っているのだが、近頃は非常にいいらしいので安心している。
 もうそろそろ、俺達の一年が周ってくる。あの画家のうちは、青葉の中に埋没されて毛虫やナメクジが密集していることだろう。画家は絵が描けないと悲観しているそうだ。あの驢馬のような絵描きは、昔のようにノンキにノンキな画を描くことは出来なくなってしまったらしい。何か特別な「美」をデッチ上げることにサンタンたる苦心ばかりしているが、元来そんな「特別な美」なんてものはありえないから、其処に表現されているものは、唯重苦しい苛々(いらいら)した気持ちだけなのだ。あれでは絵も描けなくなる筈だ。処で僕が一番初めに君にすすめた本を、君は読んでしまったかね。あの本は非常にいい本だから是非一生懸命に読めよ。    完

 此処では男の人の手紙ばかりで、残念ながら女の人のがない。然しながらこの手紙を読んでゆけば、その前に女の人がどんな手紙を出したかは、ほぼ推察されることだろう。と同時に、女の人――山内ゆう子――の境遇が転々と変化して行くことも想像されるだろうが、実際また彼女はあらゆる苦難と戦いながら、勇敢に勤労婦人の生活の中へ飛び込んで行った。ある時はタイピストにある時はバス車掌に、――それは止むをえない事情で職場を変えたのだった。
 だが、今ではもう完全に、彼女は街頭から姿を消してしまって、知る人は一人もいない。
 読者はこれを読んでゆくうちに、この手紙が単なるあまい恋文でないことに気づかれたであろう。と同時に、二人が如何にその恋愛を階級的に高めて行こうと努力しあっているか? 夫は妻を同志として如何に訓練してゆこうとしているか? 彼等の愛情がどんなものであるかを、充分に正しく洞察されたことであろう。

注:(1)国際赤色救援会の略。筆者もこの会で活動していた。



底本:「空にむかひて」 武蔵野書房
   2001(平成13)年1月21日第1刷発行
底本の親本:「婦人公論」第16年1号、中央公論社
   1931(昭和6年)1月1日発行
入力:林 幸雄
校正:小林 徹
ファイル作成:野口英司
2001年3月19日公開
2001年3月20日修正
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