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酒中日記(しゅちゅうにっき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 8:58:26  点击:  切换到繁體中文

五月三日[#「五月三日」に傍点(白丸)](明治三十〇年)
「あの男はどうなったかしら」との噂(うわさ)、よく有ることで、四五人集って以前の話が出ると、消えて去(な)くなった者の身の上に、ツイ話が移るものである。
 この大河今蔵(いまぞう)、恐らく今時分やはり同じように噂せられているかも知れない。「時に大河はどうしたろう」升屋(ますや)の老人口をきる。
最早(もう)死んだかも知れない」と誰かが気の無い返事を為(す)る。「全くあの男ほど気の毒な人はないよ」と老人は例の哀れっぽい声。
 気の毒がって下さる段は難有(ありがた)い。然(しか)し幸か不幸か、大河という男今以(もっ)て生ている、しかも頗(すこぶ)る達者、この先何十年この世に呼吸(いき)の音(ね)を続けますことやら。憚(はばか)りながら未(ま)だ三十二で御座る。
 まさかこの小(ちっ)ぽけな島、馬島(うましま)という島、人口百二十三の一人となって、二十人あるなしの小供を対手(あいて)に、やはり例の教員、然し今度は私塾なり、アイウエオを教えているという事は御存知あるまい。無いのが当然で、かく申す自分すら、自分の身が流れ流れて思いもかけぬこの島でこんな暮(くらし)を為るとは夢にも思わなかったこと。
 噂をすれば影とやらで、ひょっくり自分が現われたなら、升屋の老人喫驚(びっく)りして開(あ)いた口がふさがらぬかも知れない。「いったい君はどうしたというんだ」と漸(やっ)とのことで声を出す。それから話して一時間も経(た)つと又喫驚(びっくり)、今度は腹の中で。「いったいこの男はどうしたのだろう、五年見ない間(ま)に全然(すっかり)気象まで変って了(しま)った」
 驚き給うな源因(げんいん)がある。第一、日記という者書いたことのない自分がこうやって、こまめに筆を走らして、どうでもよい自分のような男の身の上に有ったことや、有ることを、今日からポツポツ書いてみようという気になったのからして、自分は五年前の大河では御座らぬ。
 ああ今は気楽である。この島や島人(しまびと)はすっかり自分の気に入って了(しま)った。瀬戸内にこんな島があって、自分のような男を、ともかくも呑気(のんき)に過さしてくれるかと思うと、正(まさ)にこれ夢物語の一章一節、と言いたくなる。
 酒を呑んで書くと、少々手がふるえて困る、然し酒を呑まないで書くと心がふるえるかも知れない。「ああ気の弱い男!」何処(どこ)に自分が変っている、やはりこれが自分の本音(ほんね)だろう。
 可愛い可愛いお露(つゆ)が遊びに来たから、今日はこれで筆を投げる。

 五月四日[#「五月四日」に傍点(白丸)]
 自分が升屋の老人から百円受取って机の抽斗(ひきだし)に納(しま)ったのは忘れもせぬ十月二十五日。事の初(はじまり)がこの日で、その後自分はこの日に逢(あ)うごとに頸(くび)を縮めて眼をつぶる。なるべくこの日の事を思い出さないようにしていたが、今では平気なもの。
 一件がありありと眼の先に浮んで来る。
 あの頃の自分は真面目(まじめ)なもので、酒は飲めても飲まぬように、謹厳正直(きんげんせいちょく)、いやはや四角張(しかくばっ)た男であった。
 老人連、全然(すっかり)惚(ほ)れ込んでしまった。一(いつ)にも大河、二にも大河。公立八雲(やくも)小学校の事は大河でなければ竹箒(たけぼうき)一本買うことも決定(きめ)るわけにゆかぬ次第。校長になってから二年目に升屋の老人、遂に女房の世話まで焼いて、お政を自分の妻にした。子が出来た。お政も子供も病身、健康なは自分ばかり。それでも一家(いっけ)無事に平和に、これぞという面白いこともない代り、又これぞという心配もなく日を送っていた。
 ところが日清(にっしん)戦争、連戦連勝、軍隊万歳、軍人でなければ夜も日も明けぬお目出度(めでた)いこととなって、そして自分の母と妹(いもと)とが堕落した。
 母と妹(いもと)とは自分達夫婦と同棲(どうせい)するのが窮屈で、赤坂区新町に下宿屋を開業。それも表向(おもてむき)ではなく、例の素人(しろうと)下宿。いやに気位を高くして、家が広いから、それにどうせ遊んでいる身体(からだ)、若いものを世話してやるだけのこと、もっとも性の知れぬお方は御免被(こうむ)るとの触込(ふれこ)み。
 自体拙者は気に入らないので、頻(しき)りと止めてみたが、もともと強情我慢な母親(おふくろ)、妹(いもと)は我儘者(わがままもの)、母に甘やかされて育てられ、三絃(しゃみ)まで仕込まれて自堕落者に首尾よく成りおおせた女。お前たちの厄介にさえならなければ可(よ)かろうとの挨拶(あいさつ)で、頭から自分の注意は取あげない。
 これぞという間違もなく半年経ち、日清戦争となって、兵隊が下宿する。初は一人の下士。これが導火線、類を以て集り、終(つい)には酒、歌、軍歌、日本帝国万々歳! そして母と妹(いもと)との堕落。「国家の干城(かんじょう)たる軍人」が悪いのか、母と妹(いもと)とが悪いのか、今更いうべき問題でもないが、ただ一の動かすべからざる事実あり曰(いわ)く、娘を持ちし親々は、それが華族でも、富豪(ふうごう)でも、官吏でも、商人でも、皆(み)な悉(ことごと)く軍人を聟(むこ)に持ちたいという熱望を持ていたのである。
 娘は娘で軍人を情夫(いろ)に持つことは、寧(むし)ろ誇るべきことである、とまで思っていたらしい。
 軍人は軍人で、殊(こと)に下士以下は人の娘は勿論(もちろん)、後家(ごけ)は勿論、或(あるい)は人の妻をすら翫弄(がんろう)して、それが当然の権利であり、国民の義務であるとまで済ましていたらしい。
 三円借せ、五円借せ、母はそろそろ自分を攻め初めた。自分は出来るだけその望に応じて、苦しい中を何とか工夫して出してやった。
 月給十五円。それで親子三人が食ってゆくのである。なんで余裕があろう。小学校の教員はすべからく焼塩か何にかで三度のめし[#「めし」に傍点]を食い、以て教場に於ては国家の干城たる軍人を崇拝すべく七歳より十三四歳までの児童に教訓せよと時代は命令しているのである。
 唯々(いい)として自分はこの命令を奉じていた。
 然し母と妹(いもと)との節操を軍人閣下に献上し、更らに又、この十五円の中から五円三円と割(さ)いて、母と妹(いもと)とが淫酒の料に捧(ささ)げなければならぬかを思い、さすがお人好の自分も頗(すこぶ)る当惑したのである。
 酒が醒(さ)めかけて来た! 今日はここで止(や)める。

 五月六日[#「五月六日」に傍点(白丸)]
 昨日(きのう)は若い者が三四人押かけて来て、夜の十二時過ぎまで飲み、だみ声を張上げて歌ったので疲れて了(しま)い、何時(いつ)寝たのか知らぬ間に夜が明けて今日。それで昨日(きのう)の日記がお休み。
 さても気楽な教員。酒を飲うが歌おうが、お露(つゆ)を可愛(かあい)がって抱いて寝ようが、それで先生の資格なしとやかましく言う者はこの島に一人もない。
 特別に自分を尊敬も為(し)ない代りに、魚(うお)あれば魚、野菜あれば野菜、誰が持て来たとも知れず台所に投(ほう)りこんである。一升徳利(どくり)をぶらさげて先生、憚(はばか)りながら地酒では御座らぬ、お露の酌で飲んでみさっせと縁先へ置いて去(い)く老人もある。
 ああ気楽だ、自由だ。母もいらぬ、妹(いもと)もいらぬ、妻子(つまこ)もいらぬ。慾もなければ得もない。それでいてお露が無暗(むやみ)に可愛のは不思議じゃないか。
 何が不思議。可愛いから可愛いので、お露とならば何時でも死ぬる。
 十日前のこと、自分は縁先に出て月を眺(なが)め、朧(おぼ)ろに霞(かす)んで湖水のような海を見おろしながら、お露の酌で飲んでいると、ふと死んだ妻子(つまこ)のこと、東京の母や妹(いもと)のことを思いだし、又この身の流転を思うて、我知らず涙を落すと、お露は見ていたが、その鈴のような眼に涙を一ぱい含くませた。その以前自分はお露に涙を見せたことなく、お露もまた自分に涙を見せたことはないのである。さても可愛いこの娘、この大河なる団栗眼(どんぐりまなこ)の猿のような顔(つら)をしている男にも何処(どこ)か異(おつ)なところが有るかして、朝夕慕い寄り、乙女(おとめ)心の限りを尽して親切にしてくれる不憫(ふびん)さ。
 自然生(じねんじょ)の三吉が文句じゃないが、今となりては、外に望は何もない、光栄ある歴史もなければ国家の干城たる軍人も居ないこの島。この島に生れてこの島に死し、死してはあの、そら今風が鳴っている山陰の静かな墓場に眠る人々の仲間入りして、この島の土となりたいばかり。
 お露を妻(かか)に持って島の者にならっせ、お前さん一人、遊んでいても島の者が一生養なって上げまさ、と六兵衛が言ってくれた時、嬉(うれ)しいやら情けないやらで泣きたかった。
 そして見ると、自分の周囲(まわり)には何処かに悲惨(ひさん)の影が取巻ていて、人の憐愍(れんみん)を自然に惹(ひ)くのかも知れない。自分の性質には何処かに人なつこい[#「なつこい」に傍点]ところがあって、自(おのず)と人の親愛を受けるのかもしれない。
 何(いず)れにせよ、自分の性質には思い切って人に逆らうことの出来る、ピンとしたところはないので、心では思っても行(おこない)に出すことの出来ない場合が幾多(いくら)もある。
 ああ哀れ気の毒千万なる男よ! 母の為め妹(いもと)の為めに可(よ)くないと思った下宿の件も遂には止め終(おお)せなかったも当然。母と妹(いもと)の浅ましい堕落を知りつつも思い切って言いだし得ず、言いだしても争そうことの出来なかったも当然。苦るしい中を算段して、いやいやながらも母と妹(いもと)とに淫酒の料をささげたもこれ又当然。
 二十四日の晩であった、母から手紙が来て、明二十五日の午後まかり出るから金五円至急に調達(ちょうだつ)せよと申込んで来た時、自分は思わず吐息をついて長火鉢(ながひばち)の前に坐ったまま拱手(うでぐみ)をして首を垂(た)れた。
「どうなさいました?」と病身な妻(さい)は驚いて問うた。
「これを御覧」と自分は手紙を妻(さい)に渡した。妻(さい)は見ていたが、これも黙って吐息したまま手紙を下に置く。
何故(なぜ)こんな無理ばかり言って来るだろう」
「そうですね……」
最早(もう)一文なしだろう?」
「一円ばかし有ります」
「有ったってそれを渡したら宅(うち)で困って了う。可いよ、明日(あした)母上(おっかさん)が来たら私がきっぱりお謝絶(ことわり)するから。そうそうは私達だって困らアね。それも今日(こんにち)母上(おっかさん)や妹(いもと)の露命をつなぐ為めとか何とか別に立派な費(つか)い途(みち)でも有るのなら、借金してだって、衣類(きもの)を質草に為(し)たって五円や三円位なら私の力にても出来(でか)して上げるけれど、兵隊に貢ぐのやら訳もわからない金だもの。可(よ)いよ、明日(あした)こそ私しが思いきり言うから、それで聴(き)かないならどうにでも勝手になさいと言ってやるから」
「言うのはお止(よ)しなさいよ」
「何故や、言うよ、明日こそ言うよ」
「だってね母上(おっかさん)のことだから又大きな声をして必定(きっと)お怒鳴(どなり)になるから、近処(きんじょ)へ聞えても外聞が悪いし、それにね、貴所(あなた)が思い切たことを被仰(おっしゃ)ると直ぐ私が恨まれますから。それでなくても私が気に喰(く)わんから一所に居たくても為方なしに別居して嫌(いや)な下宿屋までしているんだって言いふらしておいでになるんですから」とお政は最早(もう)泣き声になっている。
「然し実際明日(あした)母上(おっかさん)が見えたって渡す金が無いじゃアないか」
「私が明日のお昼までにどうにか致します」
「どうにかって、お前に出来る位なら私にだって何とか為(な)りそうなものだが、実際始末にいけないのじゃないか」
「今度だけ私にまかして下さい、何とか致しますから」と言われて自分は強(しい)て争わず、めいり[#「めいり」に傍点]込んだ気を引きたてて改築事務を少しばかり執(とっ)て床に就(つ)いた。

 五月七日[#「五月七日」に傍点(白丸)]
 一寝入したかと思うと、フト眼が覚(さ)めた、眼が覚めたのではなく可怕(おそろし)い力が闇(やみ)の底から手を伸して揺(ゆ)り起したのである。
 その頃学校改築のことで自分はその委員長。自分の外に六名の委員が居ても多くは有名無実で、本気で世話を焼くものは自分の外に升屋の老人ばかり。予算から寄附金のことまで自分が先に立って苦労する。敷地の買上、その代価(ねだん)の交渉、受負師との掛引、割当てた寄附金の取立、現金の始末まで自分に為(さ)せられるので、自然と算盤(そろばん)が机の上に置れ通し。持前の性分、間に合わして置くことが出来ず、朝から寝るまで心配の絶えないところへ、母と妹(いもと)とが堕落の件。殊(こと)に又ぞろ母からの無理な申込で頭を痛めた故(せい)か、その夜は寝ぐるしく、怪しい夢ばかり見て我ながら眠っているのか、覚めているのか判然(わから)ぬ位であった。
 何か物音が為(し)たと思うと眼が覚めた。さては盗賊(どろぼう)と半ば身体(からだ)を起してきょろきょろと四辺(あたり)を見廻したが、森(しん)としてその様子もない。夢であったか現(うつつ)であったか、頭が錯乱しているので判然(はっきり)しない。
 言うに言われぬ恐怖(おそろし)さが身内に漲(みな)ぎってどうしてもそのまま眠ることが出来ないので、思い切って起上(たちあ)がった。
 次の八畳の間の間(あい)の襖(ふすま)は故意(わざ)と一枚開けてあるが、豆洋燈(まめランプ)の火はその入口(いりくち)までも達(とど)かず、中は真闇(まっくら)。自分の寝ている六畳の間すら煤(すす)けた天井の影暗く被(おお)い、靄霧(もや)でもかかったように思われた。
 妻のお政はすやすやと寝入り、その傍(そば)に二歳(ふたつ)になる助(たすく)がその顔を小枕(こまくら)に押着けて愛らしい手を母の腮(あご)の下に遠慮なく突込んでいる。お政の顔色の悪さ。さなきだに蒼(あお)ざめて血色悪(あ)しき顔の夜目には死人(しびと)かと怪しまれるばかり。剰(あまつさ)え髪は乱れて頬(ほお)にかかり、頬の肉やや落ちて、身体(からだ)の健(すこや)かならぬと心に苦労多きとを示している。自分は音を立てぬようにその枕元を歩いて、長火鉢(ながひばち)の上なる豆洋燈を取上げた。
 暫時(しばらく)聴耳(ききみみ)を聳(たて)て何を聞くともなく突立っていたのは、猶(な)お八畳の間を見分する必要が有るかと疑がっていたので。しかし確に箪笥(たんす)を開ける音がした、障子をするすると開ける音を聞いた、夢か現(うつつ)かともかくと八畳の間に忍足で入って見たが、別に異変(かわり)はない。縁端(えんがわ)から、台所に出て真闇の中をそっと覗(のぞ)くと、臭気(におい)のある冷たい空気が気味悪く顔を掠(かす)めた。敷居に立って豆洋燈を高くかかげて真闇の隅々(すみずみ)を熟(じっ)と見ていたが、竈(かまど)の横にかくれて黒い風呂敷包が半分出ているのに目が着いた。不審に思い、中を開けて見ると現われたのが一筋の女帯。
 驚くまいことか、これがお政が外出(そとゆき)の唯(たっ)た一本の帯、升屋の老人が特に祝わってくれた品である。何故(なぜ)これが此所(ここ)に隠してあるのだろう。
 自分の寝静まるのを待って、お政はひそかに箪笥からこの帯を引出し、明朝(あす)早くこれを質屋に持込んで母への金を作る積(つもり)と思い当った時、自分は我知らず涙が頬を流れるのを拭(ふ)き得なかった。
 自分はそのまま帯を風呂敷に包んで元の所に置き、寝間に還(かえ)って長火鉢の前に坐わり烟草(たばこ)を吹かしながら物思に沈んだ。自分は果してあの母の実子だろうかというような怪しい惨(いた)ましい考が起って来る。現に自分の気性と母及び妹(いもと)の気象とは全然(まるで)異(ちが)っている。然し父には十の年に別れたのであるから、父の気象に自分が似て生れたということも自分には解らない。かすかに覚えているところでは父は柔和(やさし)い方(かた)で、荒々しく母や自分などを叱(しか)ったことはなかった。母に叱られて柱に縛(しば)りつけられたのを父が解てくれたことを覚えている。その時母が父にも怒(いかり)を移して慳貪(けんどん)に口をきいたことをも思い出し、父のこと母のこと、それからそれへと思を聯(つら)ね、果は親子の愛、兄弟の愛、夫婦の愛などいうことにまで考え込んで、これまでに知らない深い人情の秘密に触れたような気にもなった。
 お政は痛ましく助(たすく)は可愛く、父上は恋しく、懐(なつ)かしく、母と妹(いもと)は悪(にく)くもあり、痛ましくもあり、子供の時など思い起しては恋しくもあり、突然寄附金の事を思いだしては心配で堪(たま)らず、運動場に敷く小砂利(こじゃり)のことまで考えだし、頭はぐらぐらして気は遠くなり、それでいて神経は何処(どこか)に焦焦(じりじり)した気味がある……
 嗚呼(ああ)! 何故あの時自分は酒を呑(のま)なかったろう。今は舌打して飲む酒、呑ば酔(え)い、酔(え)えば楽しいこの酒を何故飲なかったろう。

 五月八日[#「五月八日」に傍点(白丸)]
 明くれば十月二十五日自分に取って大厄日。
 自分は朝起きて、日曜日のことゆえ朝食(あさめし)も急がず、小児(こども)を抱て庭に出(い)で、其処(そこ)らをぶらぶら散歩しながら考えた、帯の事を自分から言い出して止(と)めようかと。
 然し止めてみたところで別に金の工面の出来るでもなし、さりとて断然母に謝絶することは妻(さい)の断(たっ)て止めるところでもあるし。つまり自分は知らぬ顔をしていて妻(さい)の為すがままに任かすことに思い定めた。
 朝食(あさめし)を終るや直ぐ机に向って改築事務を執(と)っていると、升屋の老人、生垣(いけがき)の外から声をかけた。

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