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るしへる(るしへる)

底本: 芥川龍之介全集2
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1986(昭和61)年10月28日
入力に使用: 1996年(平成8)7月15日第11刷
校正に使用: 1996年(平成8)7月15日第11刷

底本の親本: 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1971(昭和46)年3月~11月

 

天主初成世界テンシユハジメセカイヲツクリ  随造三十六神ツイデサンジユウロクシンヲツクル  第一鉅神ダイイチノキヨシンヲ  云輅斉布児るしへるトイウ(中略)  自謂其智与天主等ミズカラオモエラクソノチテンシユトヒトシト  天主怒而貶入地獄テンシユイカツテオトシテジゴクニイル(中略)  輅斉雖入地獄受苦るしジゴクニイツテクヲウクトイエドモ  而一半魂神作魔鬼遊行世間シカモイツパンノコンシンハマキトナツテセケンニユギヨウシ  退人善念ヒトノゼンネンヲシリゾク

左闢第三闢裂性中艾儒略荅許大受語サヘキダイサンヘキレツセイノウチガイジユリヤクキヨダイジユニコタウルノゴ

    
        一

 破提宇子はでうすと云う天主教を弁難した書物のある事は、知っている人も少くあるまい。これは、元和げんな六年、加賀の禅僧※(「田+比」、第3水準1-86-44)※(「合/廾」、第3水準1-84-19)はびあんなるものの著した書物である。巴※(「田+比」、第3水準1-86-44)※(「合/廾」、第3水準1-84-19)は当初南蛮寺なんばんじに住した天主教徒であったが、その後何かの事情から、DS 如来でうすにょらいを捨てて仏門に帰依きえする事になった。書中に云っている所から推すと、彼は老儒の学にも造詣ぞうけいのある、一かどの才子だったらしい。
 破提宇子はでうす流布本るふぼんは、華頂山文庫かちょうさんぶんこの蔵本を、明治戊辰ぼしんの頃、杞憂道人きゆうどうじん鵜飼徹定うがいてつじょうの序文と共に、出版したものである。が、そのほかにも異本がない訳ではない。現に予が所蔵の古写本の如きは、流布本と内容を異にする個所が多少ある。
 中でも同書の第三段は、悪魔の起源を論じた一章であるが、流布本のそれに比して、予の蔵本では内容が遥に多い。巴※(「田+比」、第3水準1-86-44)※(「合/廾」、第3水準1-84-19)自身の目撃した悪魔の記事が、あの辛辣しんらつな弁難攻撃の間に態々わざわざ引証されてあるからである。この記事が流布本に載せられていない理由は、恐らくその余りに荒唐無稽に類する所から、こう云う破邪顕正はじゃけんしょう標榜ひょうぼうする書物の性質上、故意の脱漏だつろうを利としたからでもあろうか。
 予は以下にこの異本第三段を紹介して、いささか※(「田+比」、第3水準1-86-44)※(「合/廾」、第3水準1-84-19)の前に姿を現した、日本の Diabolus を一瞥いちべつしようと思う。なお※(「田+比」、第3水準1-86-44)※(「合/廾」、第3水準1-84-19)はびあんに関して、詳細を知りたい人は、新村博士しんむらはかせの巴※(「田+比」、第3水準1-86-44)※(「合/廾」、第3水準1-84-19)に関する論文を一読するがい。

        二

 提宇子でうすのいわく、DSでうす は「すひりつあるすすたんしや」とて、無色無形の実体にて、かんはつを入れず、天地いつくにも充満してましませども、別して威光をあらわし善人にらくを与え玉わんために「はらいそ」とて極楽世界を諸天の上に作り玉う。そのはじめ人間よりも前に、安助あんじょ(天使)とて無量無数の天人てんにんを造り、いまだ尊体を顕し玉わず。上一人かみいちにんの位を望むべからずとの天戒を定め玉い、この天戒を守らばその功徳くどくに依って、DS の尊体を拝し、不退のらくを極むべし。もしまた破戒せば「いんへるの」とて、衆苦充満の地獄に堕し、毒寒毒熱の苦難を与うべしとの義なりしに、造られ奉って未だ一刻をも経ざるに、即ち無量の安助あんじょなかに「るしへる」と云える安助、おのが善に誇って我は是 DS なり、我を拝せよと勧めしに、かの無量の安助のうち、三分の一は「るしへる」に同意し、多分はくみせず、ここにおいて DS「るしへる」を初とし、彼に与せし三分の一の安助をば下界へ追い下し、「いんへるの」に堕せしめ給う。すなわち安助高慢のとがに依って、「じゃぼ」とて天狗てんぐと成りたるものなり。
 破していわく、なんじ提宇子でうす、この段を説く事、ひとえに自縄自縛じじょうじばくなり、まず DSでうす はいつくにも充ち満ちてましますと云うは、真如法性しんにょほっしょう本分の天地に充塞し、六合りくごうに遍満したることわりを、聞きはつり云うかと覚えたり。似たる事は似たれども、なる事は未だならずとは、如此かくのごときの事をや云う可き。さて汝云わずや。DS は「さひえんちいしも」とて、三世了達さんぜりょうだつの智なりとは。然らばかれ安助あんじょを造らば、即時にとがに落つ可きと云う事を知らずんばあるべからず。知らずんば、三世了達さんぜりょうだつの智と云えば虚談なり。また知りながら造りたらば、慳貪けんどんの第一なり。万事にかなう DS ならば、安助のとがせざるようには、何とて造らざるぞ。科に落つるをままに任せ置たるは、頗る天魔を造りたるものなり。無用の天狗を造り、邪魔を為さするは、何と云う事ぞ。されど「じゃぼ」と云う天狗、もとよりこの世になしと云うべからず。ただ、DS 安助を造り、安助悪魔と成りしことわり、聞えずと弁ずるのみ。
 よしまた、「じゃぼ」の成り立は、さる事なりとするも、汝がこれを以て極悪兇猛の鬼物きぶつとなす条、はなはだ以て不審ふしんなり。その故は、われ、昔、南蛮寺なんばんじに住せし時、悪魔「るしへる」をのあたりに見し事ありしが、彼自らその然らざることわりを述べ、人間の「じゃぼ」を知らざる事、おびただしきを歎きしを如何いかん。云うこと勿れ、※(「田+比」、第3水準1-86-44)※(「合/廾」、第3水準1-84-19)はびあん、天魔の愚弄する所となり、みだり胡乱うろんの言をなすと。天主と云う名におどされて、正法しょうぼうあきらかなるをさとらざるなんじ提宇子でうすこそ、愚痴のただ中よ。わがまなこより見れば、尊げに「さんた・まりあ」などと念じ玉う、伴天連ばてれんの数は多けれど、悪魔「るしへる」ほどの議論者は、一人いちにんもあるまじく存ずるなり。今、事のついでなれば、わが「じゃぼ」に会いし次第、南蛮のことばにては「あぼくりは」とも云うべきを、あらあらしもに記し置かん。
 年月ねんげつのほどは、さる可き用もなければ云わず。とある年の秋の夕暮、われ独り南蛮寺の境内けいだいなる花木はなきの茂みを歩みつつ、同じく切支丹きりしたん宗門の門徒にして、さるやんごとなきあたりの夫人が、涙ながらの懺悔こひさんを思いめぐらし居たる事あり。先つごろ、その夫人のわれに申されけるは、「このほど、怪しき事あり。日夜何ものとも知れず、わが耳にささやきて、如何いかんぞさばかりむくつけき夫のみ守れる。世にはなさけある男も少からぬものをと云う。しかもその声を聞く毎に、神魂たちまち恍惚として、恋慕の情おのずかとどめ難し。さればとてまた、誰とちぎらんと願うにもあらず、ただ、わが身の年若く、美しき事のみなげかれ、いたずらなる思に身をこがすなり」と。われ、その時、宗門の戒法を説き、かつおごそかいましめけるは、「その声こそ、一定いちじょう悪魔の所為しょいとは覚えたれ。総じてこの「じゃぼ」には、七つの恐しき罪に人間をさそう力あり、一に驕慢きょうまん、二に憤怒ふんぬ、三に嫉妬しっと、四に貪望とんもう、五に色欲、六に餮饕てっとう、七に懈怠けたい、一つとして堕獄の悪趣たらざるものなし。されば DSでうす が大慈大悲の泉源たるとうらうえにて、「じゃぼ」は一切諸悪の根本なれば、いやしくも天主の御教みおしえを奉ずるものは、かりそめにもその爪牙そうがに近づくべからず。ただ、専念に祈祷おらしょとなえ、DS の御徳にすがり奉って、万一「いんへるの」の業火ごうかに焼かるる事を免るべし」と。われ、さらにまた南蛮のにて見たる、悪魔の凄じき形相ぎょうそうなど、こまごまと談りければ、夫人も今更に「じゃぼ」の恐しさを思い知られ、「さてはその蝙蝠かわほりの翼、山羊の蹄、くちなわうろこを備えしものが、目にこそ見えね、わが耳のほとりにうずくまりて、みだらなる恋を囁くにや」と、身ぶるいして申されたり。われ、その一部始終を心のうちに繰返しつつ、異国より移し植えたる、名も知らぬ草木くさきかぐわしき花を分けて、ほの暗き小路を歩み居しが、ふとまなこを挙げて、行手を見れば、われを去る事十歩ならざるに、伴天連ばてれんめきたる人影ひとかげあり。その人、わが眼を挙ぐるより早く、風の如く来りて、問いけるは、「汝、われを知るや」と。われ、まなこを定めてその人を見れば、おもてはさながら崑崙奴こんろんぬの如く黒けれど、眉目みめさまで卑しからず、身には法服あびとの裾長きを着て、首のめぐりには黄金こがねの飾りを垂れたり。われ、遂にその面を見知らざりしかば、否と答えけるに、その人、忽ち嘲笑あざわらうが如き声にて、「われは悪魔「るしへる」なり」と云う。われ、おおいに驚きて云いけるは、「如何ぞ、「るしへる」なる事あらん。見れば、容体ようだいも人に異らず。蝙蝠かわほりの翼、山羊のひずめくちなわうろこは如何にしたる」と。その人答うらく、「悪魔はもとより、人間と異るものにあらず。われをえがいて、醜悪絶類ならしむるものは画工のさかしらなり。わがともがらは、皆われの如く、翼なく、鱗なく、蹄なし。いわんや何ぞかの古怪なる面貌あらん。」われ、さらに云いけるは、「悪魔にしてたとい、人間と異るものにあらずとするも、そはただ、皮相のけんに止るのみ。汝が心には、恐しき七つの罪、さそりの如くにわだかまらん、」と。「るしへる」再び、嘲笑う如き声にて云うよう、「七つの罪は人間の心にも、蝎の如くに蟠れり。そは汝自ら知る所か」と。われののしるらく、「悪魔よ、退け、わが心は DSでうす が諸善万徳を映すの鏡なり。汝の影を止むべき所にあらず、」と。悪魔呵々大笑していわく、「おろかなり、※(「田+比」、第3水準1-86-44)※(「合/廾」、第3水準1-84-19)はびあん。汝がわれを唾罵だばする心は、これすなわち驕慢きょうまんにして、七つの罪の第一よ。悪魔と人間の異らぬは、汝の実証を見て知るべし。もし悪魔にして、汝ら沙門しゃもんの思うが如く、極悪兇猛の鬼物ならんか、われら天が下を二つに分って、汝が DS と共に治めんのみ。それ光あれば、必ず暗あり。DS の昼と悪魔の夜と交々こもごもこの世をべん事、あるべからずとは云い難し。されどわれら悪魔のやからはそのさが悪なれど、善を忘れず。右のまなこは「いんへるの」の無間むげんの暗を見るとも云えど、左の眼は今もなお、「はらいそ」の光をうるわしと、常に天上を眺むるなり。さればこそ悪において全からず。しばしば DS が天人てんにんのために苦しめらる。汝知らずや、さきの日汝が懺悔こひさんを聞きたる夫人も、「るしへる」自らその耳に、邪淫じゃいんの言を囁きしを。ただ、わが心弱くして、飽くまで夫人をさそう事能わず。ただ、黄昏こうこんと共に身辺を去来して、そが珊瑚さんご念珠こんたつと、象牙に似たる手頸てくびとを、えもならず美しき幻の如く眺めしのみ。もしわれにして、汝ら沙門の恐るる如き、兇険無道の悪魔ならんか、夫人は必ず汝の前に懺悔こひさんの涙をそそがんより、速に不義の快楽けらくに耽って、堕獄の業因ごういんを成就せん」と。われ、「るしへる」の弁舌、さわやかなるに驚きて、はかばかしく答もなさず、茫然としてただ、その黒檀こくたんの如く、つややかなるおもて目戍みまもり居しに、彼、たちまちわが肩をいだいて、悲しげに囁きけるは、「わが常に「いんへるの」に堕さんと思う魂は、同じくまた、わが常に「いんへるの」に堕すまじと思う魂なり。汝、われら悪魔がこの悲しき運命を知るや否や。わがかの夫人を邪淫じゃいんあなに捕えんとして、しかもついに捕え得ざりしを見よ。われ夫人の気高く清らかなるをずれば、いよいよ夫人をけがさまく思い、かえってまた、夫人を汚さまく思えば、愈気高く清らかなるを愛でんとす。これ、汝らがしばしば七つの恐しき罪を犯さんとするが如く、われらまた、常に七つの恐しき徳を行わんとすればなり。ああ、われら悪魔をさそうて、絶えず善に赴かしめんとするものは、そもそもまた汝らが DS か。あるいは DS 以上の霊か」と。悪魔「るしへる」は、かくわが耳に囁きて、薄暮はくぼの空をふり仰ぐよと見えしが、その姿たちまち霧の如くうすくなりて、淡薄たんぱくたる秋花あきはなに、消ゆるともなく消え去りおわんぬ。われ、即ち※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)そうこうとして伴天連ばてれんの許に走り、「るしへる」が言を以てこれに語りたれど、無智の伴天連、かえってわれを信ぜず。宗門の内証にそむくものとして、呵責かせきを加うる事数日なり。されどわれ、わがにて見、わが耳にて聞きたるこの悪魔「るしへる」を如何いかにかして疑う可き。悪魔またさが善なり。断じて一切諸悪の根本にあらず。
 ああ、汝、提宇子でうす、すでに悪魔の何たるを知らず、いわんやまた、天地作者の方寸をや。蔓頭まんとう葛藤かっとう截断せつだんし去る。とつ

(大正七年八月)




 



底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年10月28日第1刷発行
   1996年(平成8)7月15日第11刷発行
親本:筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
   1971(昭和46)年3月~11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月7日公開
2004年2月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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