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影(かげ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/8/15 15:21:16 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



 横浜。
 日華洋行(にっかようこう)の宿直室には、長椅子(ながいす)に寝ころんだ書記の今西(いまにし)が、余り明くない電燈の下に、新刊の雑誌を拡(ひろ)げていた。が、やがて手近の卓子(テーブル)の上へ、その雑誌をばたりと抛(なげ)ると、大事そうに上衣(うわぎ)の隠しから、一枚の写真をとり出した。そうしてそれを眺めながら、蒼白い頬にいつまでも、幸福らしい微笑を浮べていた。
 写真は陳彩(ちんさい)の妻の房子(ふさこ)が、桃割(ももわ)れに結(ゆ)った半身であった。
 
 鎌倉。
 下(くだ)り終列車の笛が、星月夜の空に上(のぼ)った時、改札口を出た陳彩(ちんさい)は、たった一人跡に残って、二つ折の鞄(かばん)を抱えたまま、寂しい構内を眺めまわした。すると電燈の薄暗い壁側(かべぎわ)のベンチに坐っていた、背の高い背広の男が一人、太い籐(とう)の杖(つえ)を引きずりながら、のそのそ陳の側へ歩み寄った。そうして闊達(かったつ)に鳥打帽を脱ぐと、声だけは低く挨拶(あいさつ)をした。
「陳さんですか? 私は吉井(よしい)です。」
 陳はほとんど無表情に、じろりと相手の顔を眺めた。
「今日(こんにち)は御苦労でした。」
「先ほど電話をかけましたが、――」
「その後(ご)何もなかったですか?」
 陳の語気には、相手の言葉を弾(はじ)き除(の)けるような力があった。
「何もありません。奥さんは医者が帰ってしまうと、日暮までは婆やを相手に、何か話して御出ででした。それから御湯や御食事をすませて、十時頃までは蓄音機(ちくおんき)を御聞きになっていたようです。」
「客は一人も来なかったですか?」
「ええ、一人も。」
「君が監視をやめたのは?」
「十一時二十分です。」
 吉井の返答(ことば)もてきぱきしていた。
「その後(ご)終列車まで汽車はないですね。」
「ありません。上(のぼ)りも、下(くだ)りも。」
「いや、難有(ありがと)う。帰ったら里見(さとみ)君に、よろしく云ってくれ給え。」
 陳は麦藁帽(むぎわらぼう)の庇(ひさし)へ手をやると、吉井が鳥打帽を脱ぐのには眼もかけず、砂利を敷いた構外へ大股(おおまた)に歩み出した。その容子(ようす)が余り無遠慮(ぶえんりょ)すぎたせいか、吉井は陳の後姿(うしろすがた)を見送ったなり、ちょいと両肩を聳(そび)やかせた。が、すぐまた気にも止めないように、軽快な口笛を鳴らしながら、停車場(ていしゃば)前の宿屋の方へ、太い籐の杖を引きずって行った。

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