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戯作三昧(げさくざんまい)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/8/15 16:12:47 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



       六

 内へ帰つて見ると、うす暗い玄関の沓脱(くつぬ)ぎの上に、見慣れたばら緒の雪駄(せつた)が一足のつてゐる。馬琴はそれを見ると、すぐにその客ののつぺりした顔が、眼に浮んだ。さうして又、時間をつぶされる迷惑を、苦々しく心に思ひ起した。
「今日も朝の中はつぶされるな。」
 かう思ひながら、彼が式台へ上ると、慌しく出迎へた下女の杉(すぎ)が、手をついた儘、下から彼の顔を見上げるやうにして、
「和泉屋(いづみや)さんが、御居間でお帰りをお待ちでございます。」と云つた。
 彼は頷(うなづ)きながら、ぬれ手拭を杉の手に渡した。が、どうもすぐに書斎へは通りたくない。
「お百(ひやく)は。」
「御仏参(ごぶつさん)にお出でになりました。」
「お路(みち)も一しよか。」
「はい。坊ちやんと御一しよに。」
「伜(せがれ)は。」
「山本様へいらつしやいました。」
 家内は皆、留守である。彼はちよいと、失望に似た感じを味つた。さうして仕方なく、玄関の隣にある書斎の襖(ふすま)を開(あ)けた。
 開けて見ると、そこには、色の白い、顔のてらてら光つてゐる、どこか妙に取り澄ました男が、細い銀の煙管(きせる)を啣(くは)へながら、端然と座敷のまん中に控へてゐる。彼の書斎には石刷(いしずり)を貼つた屏風(びやうぶ)と床にかけた紅楓(こうふう)黄菊(くわうぎく)の双幅(さうふく)との外に、装飾らしい装飾は一つもない。壁に沿うては、五十に余る本箱が、唯古びた桐の色を、一面に寂しく並べてゐる。障子の紙も貼つてから、一冬はもう越えたのであらう。切り貼りの点々とした白い上には、秋の日に照された破芭蕉(やればせう)の大きな影が、婆娑(ばさ)として斜に映つてゐる。それだけにこの客のぞろりとした服装が、一層又周囲と釣り合はない。
「いや、先生、ようこそお帰り。」
 客は、襖があくと共に、滑(なめらか)な調子でかう云ひながら、恭(うやうや)しく頭を下げた。これが、当時八犬伝に次いで世評の高い金瓶梅(きんぺいばい)の版元を引受けてゐた、和泉屋市兵衛(いちべゑ)と云ふ本屋である。
「大分にお待ちなすつたらう。めづらしく今朝は、朝湯に行つたのでね。」
 馬琴は、本能的にちよいと顔をしかめながら、何時(いつ)もの通り、礼儀正しく座についた。
「へへえ、朝湯に。成程。」
 市兵衛は、大に感服したやうな声を出した。如何(いか)なる瑣末(さまつ)な事件にも、この男の如く容易に感服する人間は、滅多にない。いや、感服したやうな顔をする人間は、稀である。馬琴は徐(おもむろ)に一服吸ひつけながら、何時もの通り、早速話を用談の方へ持つていつた。彼は特に、和泉屋のこの感服を好まないのである。
「そこで今日は何か御用かね。」
「へえ、なに又一つ原稿を頂戴に上りましたんで。」
 市兵衛は煙管(きせる)を一つ指の先でくるりとまはして見せながら、女のやうに柔(やさ)しい声を出した。この男は不思議な性格を持つてゐる。と云ふのは、外面の行為と内面の心意とが、大抵な場合は一致しない。しない所か、何時でも正反対になつて現れる。だから、彼は大(おほい)に強硬な意志を持つてゐると、必ずそれに反比例する、如何にも柔しい声を出した。
 馬琴はこの声を聞くと、再び本能的に顔をしかめた。
「原稿と云つたつて、それは無理だ。」
「へへえ、何か御差支(おさしつかへ)でもございますので。」
「差支へる所ぢやない。今年は読本(よみほん)を大分引受けたので、とても合巻(がふくわん)の方へは手が出せさうもない。」
「成程それは御多忙で。」
 と云つたかと思ふと、市兵衛は煙管で灰吹きを叩いたのが相図のやうに、今までの話はすつかり忘れたと云ふ顔をして、突然鼠小僧(ねずみこぞう)次郎太夫(じろだいふ)の話をしやべり出した。

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