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戯作三昧(げさくざんまい)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/8/15 16:15:03 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



     六

 うちへ帰ってみると、うす暗い玄関の沓脱(くつぬ)ぎの上に、見慣れたばら緒の雪駄(せった)が一足のっている。馬琴はそれを見ると、すぐにその客ののっぺりした顔が、眼に浮んだ。そうしてまた、時間をつぶされる迷惑を、苦々(にがにが)しく心に思い起した。
「今日も朝のうちはつぶされるな。」
 こう思いながら、彼が式台へ上がると、あわただしく出迎えた下女の杉が、手をついたまま、下から彼の顔を見上げるようにして、
「和泉屋(いずみや)さんが、お居間でお帰りをお待ちでございます。」と言った。
 彼はうなずきながら、ぬれ手拭を杉の手に渡した。が、どうもすぐに書斎へは通りたくない。
「お百(ひゃく)は。」
「御仏参(ごぶっさん)においでになりました。」
「お路(みち)もいっしょか。」
「はい。坊ちゃんとごいっしょに。」
「伜(せがれ)は。」
「山本様へいらっしゃいました。」
 家内は皆、留守である。彼はちょいと、失望に似た感じを味わった。そうしてしかたなく、玄関の隣にある書斎の襖(ふすま)を開けた。
 開けてみると、そこには、色の白い、顔のてらてら光っている、どこか妙に取り澄ました男が、細い銀の煙管(きせる)をくわえながら、端然と座敷のまん中に控えている。彼の書斎には石刷(いしずり)を貼(は)った屏風(びょうぶ)と床にかけた紅楓黄菊(こうふうこうぎく)の双幅とのほかに、装飾らしい装飾は一つもない。壁に沿うては、五十に余る本箱が、ただ古びた桐の色を、一面に寂しく並べている。障子の紙も貼ってから、一冬はもう越えたのであろう。切り貼りの点々とした白い上には、秋の日に照らされた破(や)れ芭蕉(ばしょう)の大きな影が、婆娑(ばさ)として斜めに映っている。それだけにこの客のぞろりとした服装が、いっそうまた周囲と釣(つ)り合わない。
「いや、先生、ようこそお帰り。」
 客は、襖があくとともに、滑(なめ)らかな調子でこう言いながら、うやうやしく頭を下げた。これが、当時八犬伝に次いで世評の高い金瓶梅(きんぺいばい)の版元(はんもと)を引き受けていた、和泉屋市兵衛(いずみやいちべえ)という本屋である。
「大分にお待ちなすったろう。めずらしく今朝は、朝湯に行ったのでね。」
 馬琴は、本能的にちょいと顔をしかめながら、いつもの通り、礼儀正しく座についた。
「へへえ、朝湯に。なるほど。」
 市兵衛は、大いに感服したような声を出した。いかなる瑣末(さまつ)な事件にも、この男のごとく容易に感服する人間は、滅多にない。いや、感服したような顔をする人間は、稀(まれ)である。馬琴はおもむろに一服吸いつけながら、いつもの通り、さっそく話を用談の方へ持っていった。彼は特に、和泉屋のこの感服を好まないのである。
「そこで今日は何か御用かね。」
「へえ、なにまた一つ原稿を頂戴に上がりましたんで。」
 市兵衛は煙管を一つ指の先でくるりとまわして見せながら、女のようにやさしい声を出した。この男は不思議な性格を持っている。というのは、外面の行為と内面の心意とが、たいていな場合は一致しない。しないどころか、いつでも正反対になって現われる。だから、彼は大いに強硬な意志を持っていると、必ずそれに反比例する、いかにもやさしい声を出した。
 馬琴はこの声を聞くと、再び本能的に顔をしかめた。
「原稿と言ったって、それは無理だ。」
「へへえ、何かおさしつかえでもございますので。」
「さかつかえるどころじゃない。今年は読本(よみほん)を大分引き受けたので、とても合巻(ごうかん)の方へは手が出せそうもない。」
「なるほどそれは御多忙で。」
 と言ったかと思うと、市兵衛は煙管で灰吹きを叩(たた)いたのが相図(あいず)のように、今までの話はすっかり忘れたという顔をして、突然鼠小僧次郎太夫(ねずみこぞうじろだゆう)の話をしゃべり出した。

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