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煙草と悪魔(たばことあくま)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/8/16 14:10:49 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 紅毛は、畑の柵によりかかりながら、頭をふつた。さうして、なれない日本語で云つた。
 ――この名だけは、御気の毒ですが、人には教へられません。
 ――はてな、すると、フランシス様が、云つてはならないとでも、仰有(おつしや)つたのでございますか。
 ――いいえ、さうではありません。
 ――では、一つお教へ下さいませんか、手前も、近ごろはフランシス様の御教化をうけて、この通り御宗旨に、帰依(きえ)して居りますのですから。
 牛商人は、得意さうに自分の胸を指さした。見ると、成る程、小さな真鍮(しんちゆう)の十字架が、日に輝きながら、頸(くび)にかかつてゐる。すると、それが眩(まぶ)しかつたのか、伊留満(いるまん)はちよいと顔をしかめて、下を見たが、すぐに又、前よりも、人なつこい調子で、冗談(じようだん)ともほんとうともつかずに、こんな事を云つた。
 ――それでも、いけませんよ。これは、私の国の掟(おきて)で、人に話してはならない事になつてゐるのですから。それより、あなたが、自分で一つ、あててごらんなさい。日本の人は賢いから、きつとあたります。あたつたら、この畑にはえてゐるものを、みんな、あなたにあげませう。
 牛商人は、伊留満が、自分をからかつてゐるとでも思つたのであらう。彼は、日にやけた顔に、微笑を浮べながら、わざと大仰に、小首を傾けた。
 ――何でございますかな。どうも、殺急(さつきふ)には、わかり兼ねますが。
 ――なに今日でなくつても、いいのです。三日の間に、よく考へてお出でなさい。誰かに聞いて来ても、かまひません。あたつたら、これをみんなあげます。この外にも、珍陀(ちんた)の酒をあげませう。それとも、波羅葦僧垤利阿利(はらいそてれある)の絵をあげますか。
 牛商人は、相手があまり、熱心なのに、驚いたらしい。
 ――では、あたらなかつたら、どう致しませう。
 伊留満は帽子をあみだに、かぶり直しながら、手を振つて、笑つた。牛商人が、聊(いささか)、意外に思つた位、鋭い、鴉(からす)のやうな声で、笑つたのである。
 ――あたらなかつたら、私があなたに、何かもらひませう。賭(かけ)です。あたるか、あたらないかの賭です。あたつたら、これをみんな、あなたにあげますから。
 かう云ふ中に紅毛は、何時(いつ)か又、人なつこい声に、帰つてゐた。
 ――よろしうございます。では、私も奮発して、何でもあなたの仰有(おつしや)るものを、差上げませう。
 ――何でもくれますか、その牛でも。
 ――これでよろしければ、今でも差上げます。
 牛商人は、笑ひながら、黄牛(あめうし)の額を、撫でた。彼はどこまでも、これを、人の好い伊留満の、冗談だと思つてゐるらしい。
 ――その代り、私が勝つたら、その花のさく草を頂きますよ。
 ――よろしい。よろしい。では、確に約束しましたね。
 ――確に、御約定(おやくぢやう)致しました。御主(おんあるじ)エス・クリストの御名にお誓ひ申しまして。
 伊留満は、これを聞くと、小さな眼を輝かせて、二三度、満足さうに、鼻を鳴らした。それから、左手を腰にあてて、少し反(そ)り身になりながら、右手で紫の花にさはつて見て、
 ――では、あたらなかつたら――あなたの体と魂とを、貰ひますよ。
 かう云つて、紅毛は、大きく右の手をまはしながら、帽子をぬいだ。もぢやもぢやした髪の毛の中には、山羊(やぎ)のやうな角(つの)が二本、はえてゐる。牛商人は、思はず顔の色を変へて、持つてゐた笠を、地に落した。日のかげつたせゐであらう、畑の花や葉が、一時に、あざやかな光を失つた。牛さへ、何におびえたのか、角を低くしながら、地鳴りのやうな声で、唸つてゐる。……
 ――私にした約束でも、約束は、約束ですよ。私が名を云へないものを指して、あなたは、誓つたでせう。忘れてはいけません。期限は、三日ですから。では、さやうなら。
 人を莫迦(ばか)にしたやうな、慇懃(いんぎん)な調子で、かう云ひながら、悪魔は、わざと、牛商人に丁寧なおじぎをした。

        *      *      *

 牛商人は、うつかり、悪魔の手にのつたのを、後悔した。このままで行けば、結局、あの「ぢやぼ」につかまつて、体も魂も、「亡(ほろ)ぶることなき猛火(みやうくわ)」に、焼かれなければ、ならない。それでは、今までの宗旨をすてて、波宇寸低茂(はうすちも)をうけた甲斐が、なくなつてしまふ。
 が、御主(おんあるじ)耶蘇基督(エス・クリスト)の名で、誓つた以上、一度した約束は、破る事が出来ない。勿論、フランシス上人でも、ゐたのなら、またどうにかなる所だが、生憎(あいにく)、それも今は留守である。そこで、彼は、三日の間、夜の眼もねずに、悪魔の巧みの裏をかく手だてを考へた。それには、どうしても、あの植物の名を、知るより外に、仕方がない。しかし、フランシス上人でさへ、知らない名を、どこに知つてゐるものが、ゐるであらう。……
 牛商人は、とうとう、約束の期限の切れる晩に、又あの黄牛(あめうし)をひつぱつて、そつと、伊留満の住んでゐる家の側へ、忍んで行つた。家は畑とならんで、往来に向つてゐる。行つて見ると、もう伊留満も寝しづまつたと見えて、窓からもる灯さへない。丁度、月はあるが、ぼんやりと曇つた夜で、ひつそりした畑のそこここには、あの紫の花が、心ぼそくうす暗い中に、ほのめいてゐる。元来、牛商人は、覚束(おぼつか)ないながら、一策を思ひついて、やつとここまで、忍んで来たのであるが、このしんとした景色を見ると、何となく恐しくなつて、いつそ、このまま帰つてしまはうかと云ふ気にもなつた。殊に、あの戸の後では、山羊のやうな角のある先生が、因辺留濃(いんへるの)の夢でも見てゐるのだと思ふと、折角、はりつめた勇気も、意気地なく、くじけてしまふ。が、体と魂とを、「ぢやぼ」の手に、渡す事を思へば、勿論、弱い音(ね)なぞを吐いてゐるべき場合ではない。
 そこで、牛商人は、毘留善麻利耶(びるぜんまりや)の加護を願ひながら、思ひ切つて、予(あらかじめ)、もくろんで置いた計画を、実行した。計画と云ふのは、別でもない。――ひいて来た黄牛の綱(はづな)を解いて、尻をつよく打ちながら、例の畑へ勢よく追ひこんでやつたのである。
 牛は、打たれた尻の痛さに、跳ね上りながら、柵を破つて、畑をふみ荒らした。角を家の板目(はめ)につきかけた事も、一度や二度ではない。その上、蹄(ひづめ)の音と、鳴く声とは、うすい夜の霧をうごかして、ものものしく、四方(あたり)に響き渡つた。すると、窓の戸をあけて、顔を出したものがある。暗いので、顔はわからないが、伊留満に化けた悪魔には、相違ない。気のせゐか、頭の角は、夜目ながら、はつきり見えた。
 ――この畜生、何だつて、己(おれ)の煙草畑を荒らすのだ。
 悪魔は、手をふりながら、睡(ね)むさうな声で、かう怒鳴つた。寝入りばなの邪魔をされたのが、よくよく癪(しやく)にさはつたらしい。
 が、畑の後へかくれて、容子(ようす)を窺(うかが)つてゐた牛商人の耳へは、悪魔のこの語(ことば)が、泥烏須(でうす)の声のやうに、響いた。……
 ――この畜生、何だつて、己の煙草畑を荒らすのだ。

        *      *      *

 それから、先の事は、あらゆるこの種類の話のやうに、至極、円満に完(をは)つてゐる。即(すなはち)、牛商人は、首尾よく、煙草と云ふ名を、云ひあてて、悪魔に鼻をあかさせた。さうして、その畑にはえてゐる煙草を、悉く自分のものにした。と云ふやうな次第である。
 が、自分は、昔からこの伝説に、より深い意味がありはしないかと思つてゐる。何故と云へば、悪魔は、牛商人の肉体と霊魂とを、自分のものにする事は出来なかつたが、その代(かはり)に、煙草は、洽(あまね)く日本全国に、普及させる事が出来た。して見ると牛商人の救抜(きうばつ)が、一面堕落を伴つてゐるやうに、悪魔の失敗も、一面成功を伴つてゐはしないだらうか。悪魔は、ころんでも、ただは起きない。誘惑に勝つたと思ふ時にも、人間は存外、負けてゐる事がありはしないだらうか。
 それから序(ついで)に、悪魔のなり行きを、簡単に、書いて置かう。彼は、フランシス上人が、帰つて来ると共に、神聖なペンタグラマの威力によつて、とうとう、その土地から、逐払(おひはら)はれた。が、その後も、やはり伊留満のなりをして、方々をさまよつて、歩いたものらしい。或記録によると、彼は、南蛮寺の建立(こんりふ)前後、京都にも、屡々(しばしば)出没したさうである。松永弾正(だんじやう)を飜弄(ほんろう)した例の果心居士(くわしんこじ)と云ふ男は、この悪魔だと云ふ説もあるが、これはラフカデイオ・ヘルン先生が書いてゐるから、ここには、御免を蒙(かうむ)る事にしよう。それから、豊臣徳川両氏の外教禁遏(ぐわいけうきんあつ)に会つて、始の中こそ、まだ、姿を現はしてゐたが、とうとう、しまひには、完(まつた)く日本にゐなくなつた。――記録は、大体ここまでしか、悪魔の消息を語つてゐない。唯、明治以後、再(ふたたび)、渡来した彼の動静を知る事が出来ないのは、返へす返へすも、遺憾(ゐかん)である。……

(大正五年十月)




 



底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:吉田亜津美
1998年9月11日公開
2004年3月11日修正
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