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三つの窓(みっつのまど)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-18 10:26:24 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 芥川龍之介全集6
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1987(昭和62)年3月24日
入力に使用: 1993(平成5)年2月25日第6刷
校正に使用: 1987(昭和62)年3月24日第1刷

底本の親本: 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1971(昭和46)年3月~11月

 

  1 鼠

 一等戦闘艦××の横須賀よこすか軍港へはいったのは六月にはいったばかりだった。軍港を囲んだ山々はどれも皆雨のために煙っていた。元来軍艦は碇泊ていはくしたが最後、ねずみえなかったと云うためしはない。――××もまた同じことだった。長雨ながあめの中に旗をらした二万トンの××の甲板かんぱんの下にも鼠はいつか手箱だの衣嚢いのうだのにもつきはじめた。
 こう云う鼠を狩るために鼠を一匹とらえたものには一日の上陸を許すと云う副長の命令の下ったのは碇泊後三日みっかにならない頃だった。勿論水兵や機関兵はこの命令の下った時から熱心に鼠狩ねずみがりにとりかかった。鼠は彼等の力のために見る見るすうらして行った。従って彼等は一匹の鼠も争わないわけにはかなかった。
「この頃みんなの持って来る鼠は大抵たいてい八つきになっているぜ。寄ってたかって引っぱり合うものだから。」
 ガンルウムに集った将校たちはこんなことを話して笑ったりした。少年らしい顔をしたA中尉もやはり彼等の一人だった。つゆ空に近い人生はのんびりと育ったA中尉にはほんとうには何もわからなかった。が、水兵や機関兵の上陸したがる心もちは彼にもはっきりわかっていた。A中尉は巻煙草まきたばこをふかしながら、彼等の話にまじる時にはいつもこう云う返事をしていた。
「そうだろうな。おれでも八つ裂きにし兼ねないから。」
 彼の言葉は独身者どくしんものの彼だけに言われるのに違いなかった。彼の友だちのY中尉は一年ほど前に妻帯していたために大抵たいてい水兵や機関兵の上にわざと冷笑を浴びせていた。それはまた何ごとにも容易よういに弱みを見せまいとするふだんの彼の態度にもがっしていることは確かだった。褐色の口髭くちひげの短い彼は一杯いっぱい麦酒ビールに酔った時さえ、テエブルの上に頬杖ほおづえをつき、時々A中尉にこう言ったりしていた。
「どうだ、おれたちも鼠狩をしては?」
 ある雨の晴れ上った朝、甲板かんぱん士官だったA中尉はSと云う水兵に上陸を許可した。それは彼の小鼠を一匹、――しかも五体ごたいの整った小鼠を一匹とったためだった。人一倍体のたくましいSは珍しい日の光を浴びたまま、幅の狭い舷梯げんていくだって行った。すると仲間の水兵が一人ひとり身軽に舷梯を登りながら、ちょうど彼とすれ違う拍子ひょうし常談じょうだんのように彼に声をかけた。
「おい、輸入ゆにゅうか?」
「うん、輸入だ。」
 彼等の問答はA中尉の耳にはいらずにはいなかった。彼はSを呼び戻し、甲板の上に立たせたまま、彼等の問答の意味を尋ね出した。
「輸入とは何か?」
 Sはちゃんと直立し、A中尉の顔を見ていたものの、明らかにしょげ切っているらしかった。
「輸入とはそとから持って来たものであります。」
「何のために外から持って来たか?」
 A中尉は勿論何のために持って来たかを承知していた。が、Sの返事をしないのを見ると、急に彼に忌々いまいましさを感じ、力一ぱい彼のほおなぐりつけた。Sはちょっとよろめいたものの、すぐにまた不動の姿勢をした。
「誰が外から持って来たか?」
 Sはまた何とも答えなかった。A中尉は彼を見つめながら、もう一度彼の横顔を張りつける場合を想像していた。
「誰だ?」
「わたくしの家内かないであります。」
「面会に来たときに持って来たのか?」
「はい。」
 A中尉は何か心の中に微笑しずにはいられなかった。
「何に入れて持って来たか?」
「菓子折に入れて持って来ました。」
「お前のうちはどこにあるのか?」
平坂下ひらさかしたであります。」
「お前の親は達者たっしゃでいるか?」
「いえ、家内と二人暮らしであります。」
「子供はないのか?」
「はい。」
 Sはこう云う問答の中も不安らしい容子ようすを改めなかった。A中尉は彼を立たせていたまま、ちょっと横須賀よこすかの町へ目を移した。横須賀の町は山々の中にもごみごみと屋根を積み上げていた。それは日の光を浴びていたものの、妙に見すぼらしい景色けしきだった。
「お前の上陸は許可しないぞ。」
「はい。」
 SはA中尉の黙っているのを見、どうしようかと迷っているらしかった。が、A中尉は次に命令する言葉を心の中に用意していた。が、しばらく何も言わずに甲板かんぱんの上を歩いていた。「こいつは罰を受けるのを恐れている。」――そんな気もあらゆる上官のようにA中尉には愉快でないことはなかった。
「もうい。あっちへけ。」
 A中尉はやっとこう言った。Sは挙手の礼をしたのち、くるりと彼にうしろを向け、ハッチの方へ歩いて行こうとした。彼は微笑びしょうしないように努力しながら、Sの五六歩へだたったのちにわかにまた「おい待て」と声をかけた。
「はい。」
 Sは咄嗟にふり返った。が、不安はもう一度体中からだじゅうみなぎって来たらしかった。
「お前に言いつける用がある。平坂下ひらさかしたにはクラッカアを売っている店があるな?」
「はい。」
「あのクラッカアを一袋買って来い。」
「今でありますか?」
「そうだ。今すぐに。」
 A中尉は日に焼けたSのほおに涙の流れるのを見のがさなかった。――
 それから二三日たったのち、A中尉はガンルウムのテエブルに女名前の手紙に目を通していた。手紙は桃色の書簡箋しょかんせん覚束おぼつかないペンの字を並べたものだった。彼は一通り読んでしまうと、一本の巻煙草に火をつけながら、ちょうど前にいたY中尉にこの手紙を投げ渡した。
なんだ、これは? ……『昨日さくじつのことは夫の罪にては無之これなく、皆浅はかなるわたくしの心より起りしこと故、何とぞ不悪あしからず御ゆるし下されたくそうろう。……なおまた御志おこころざしのほどはのちのちまでも忘れまじく』………」
 Y中尉は手紙を持ったまま、だんだん軽蔑けいべつの色を浮べ出した。それから無愛想ぶあいそうにA中尉の顔を見、ひやかすように話しかけた。
善根ぜんこんを積んだと云う気がするだろう?」
「ふん、多少しないこともない。」
 A中尉は軽がると受け流したまま、円窓まるまどの外を眺めていた。円窓の外に見えるのは雨あしの長い海ばかりだった。しかし彼はしばらくすると、にわかに何かにじるようにこうY中尉に声をかけた。
「けれども妙に寂しいんだがね。あいつのビンタを張った時には可哀そうだともなんとも思わなかった癖に。……」
 Y中尉はちょっと疑惑とも躊躇ちゅうちょともつかない表情を示した。それから何とも返事をしずにテエブルの上の新聞を読みはじめた。ガンルウムの中には二人ふたりのほかにちょうど誰もい合わせなかった。が、テエブルの上のコップにはセロリイが何本もさしてあった。A中尉もこの水々しいセロリイの葉を眺めたまま、やはり巻煙草ばかりふかしていた。こう云うっ気ないY中尉に不思議にも親しみを感じながら。………

     2 三人

 一等戦闘艦××はある海戦を終ったのち、五隻の軍艦を従えながら、静かに鎮海湾ちんかいわんへ向って行った。海はいつかよるになっていた。が、左舷さげんの水平線の上には大きいかまなりの月が一つ赤あかと空にかかっていた。二万トンの××の中は勿論まだ落ち着かなかった。しかしそれは勝利のあとだけにきとしていることは確かだった。ただ小心者しょうしんもののK中尉だけはこう云う中にも疲れ切った顔をしながら、何か用を見つけてはわざとそこここを歩きまわっていた。
 この海戦の始まる前夜、彼は甲板かんぱんを歩いているうちにかすかな角燈かくとうの光を見つけ、そっとそこへ歩いて行った。するとそこには年の若い軍楽隊ぐんがくたい楽手がくしゅ一人ひとり甲板の上に腹ばいになり、敵の目を避けた角燈の光に聖書を読んでいるのであった。K中尉は何か感動し、この楽手に優しい言葉をかけた。楽手はちょいと驚いたらしかった。が、相手の上官の小言こごとを言わないことを発見すると、たちまち女らしい微笑を浮かべ、ず彼の言葉に答え出した。……しかしその若い楽手ももう今ではメエン・マストの根もとにあたった砲弾のために死骸しがいになって横になっていた。K中尉は彼の死骸を見た時、にわかに「死は人をして静かならしむ」と云う文章を思い出した。もしK中尉自身も砲弾のために咄嗟とっさいのちを失っていたとすれば、――それは彼にはどう云う死よりも幸福のように思われるのだった。

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