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碁石を呑んだ八っちゃん(ごいしをのんだやっちゃん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-21 11:15:55 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 一房の葡萄 他四篇
出版社: 岩波文庫、岩波書店
初版発行日: 1988(昭和63)年12月16日改版第1刷

底本の親本: 一房の葡萄
出版社: 叢文閣
初版発行日: 1922(大正11)年6月

 

っちゃんが黒い石も白い石もみんなひとりで両手でとって、ももの下に入れてしまおうとするから、僕は怒ってやったんだ。
「八っちゃんそれは僕んだよ」
 といっても、八っちゃんはばかりくりくりさせて、僕の石までひったくりつづけるから、僕は構わずに取りかえしてやった。そうしたら八っちゃんが生意気に僕のほっぺたをひっかいた。お母さんがいくら八っちゃんは弟だから可愛かあいがるんだと仰有おっしゃったって、八っちゃんが頬ぺたをひっかけば僕だって口惜くやしいから僕も力まかせに八っちゃんの小っぽけな鼻の所をひっかいてやった。指の先きが眼にさわった時には、ひっかきながらもちょっと心配だった。ひっかいたらすぐ泣くだろうと思った。そうしたらいい気持ちだろうと思ってひっかいてやった。八っちゃんは泣かないで僕にかかって来た。投げ出していた足を折りまげてしりを浮かして、両手をひっかく形にして、黙ったままでかかって来たから、僕はすきをねらってもう一度八っちゃんの団子鼻の所をひっかいてやった。そうしたら八っちゃんはしばら顔中かおじゅうを変ちくりんにしていたが、いきなり尻をどんとついて僕の胸の所がどきんとするような大きな声で泣き出した。
 僕はいい気味で、もう一つ八っちゃんの頬ぺたをなぐりつけておいて、八っちゃんの足許あしもとにころげている碁石ごいしを大急ぎでひったくってやった。そうしたら部屋のむこうに日なたぼっこしながら衣物きものを縫っていたばあやが、眼鏡めがねをかけた顔をこちらに向けて、上眼うわめにらみつけながら、
「また泣かせて、兄さん悪いじゃありませんか年かさのくせに」
 といったが、八っちゃんが足をばたばたやって死にそうに泣くものだから、いきなり立って来て八っちゃんを抱き上げた。婆やは八っちゃんにお乳を飲ませているものだから、いつでも八っちゃんの加勢をするんだ。そして、
「おおおお可哀かあいそうに何処どこを。本当に悪い兄さんですね。あらこんなに眼の下を蚯蚓みみずばれにして兄さん、御免ごめんなさいと仰有おっしゃいまし。仰有らないとお母さんにいいつけますよ。さ」
 たれが八っちゃんなんかに御免なさいするもんか。始めっていえば八っちゃんが悪いんだ。僕は黙ったままで婆やを睨みつけてやった。
 婆やはわあわあ泣く八っちゃんの脊中を、抱いたまま平手でそっとたたきながら、八っちゃんをなだめたり、僕に何んだか小言こごとをいい続けていたが僕がどうしてもあやまってやらなかったら、とうとう
「それじゃよう御座ござんす。八っちゃんあとで婆やがお母さんに皆んないいつけてあげますからね、もう泣くんじゃありませんよ、いい子ね。八っちゃんは婆やの御秘蔵ごひぞうっ子。兄さんと遊ばずに婆やのそばにいらっしゃい。いやな兄さんだこと」
 といって僕が大急ぎでひとかたまりに集めた碁石の所に手を出して一掴ひとつかみ掴もうとした。僕は大急ぎで両手でふたをしたけれども、婆やはかまわずに少しばかり石を拾って婆やのすわっている所に持っていってしまった。
 普段なら僕は婆やを追いかけて行って、婆やが何んといっても、それを取りかえして来るんだけれども、八っちゃんの顔に蚯蚓ばれが出来ていると婆やのいったのが気がかりで、もしかするとお母さんにもしかられるだろうと思うと少しぐらい碁石は取られても我慢する気になった。何しろ八っちゃんよりはずっと沢山こっちに碁石があるんだから、僕は威張っていいと思った。そして部屋の真中まんなかに陣どって、その石を黒と白とに分けて畳の上に綺麗きれいにならべ始めた。
 八っちゃんは婆やのひざに抱かれながら、まだ口惜くやしそうに泣きつづけていた。婆やが乳をあてがってももうとしなかった。時々思い出しては大きな声を出した。しまいにはその泣声が少し気になり出して、僕は八っちゃんと喧嘩けんかしなければよかったなあと思い始めた。さっき八っちゃんがにこにこ笑いながら小さな手に碁石を一杯いっぱい握って、僕が入用いらないといったのも僕は思い出した。その小さな握拳にぎりこぶしが僕の眼の前でひょこりひょこりと動いた。
 そのうちに婆やが畳の上に握っていた碁石をばらりとくと、泣きじゃくりをしていた八っちゃんは急に泣きやんで、婆やの膝からすべり下りてそれをおもちゃにし始めた。婆やはそれを見ると、
「そうそうそうやっておとなにお遊びなさいよ。婆やは八っちゃんのおちゃんちゃんを急いで縫いあげますからね」
 といいながら、せっせと縫物ぬいものをはじめた。
 僕はその時、白い石でうさぎを、黒い石でかめを作ろうとした。亀の方は出来たけれども、兎の方はあんまり大きく作ったので、片方の耳の先きが足りなかった。もう十ほどあればうまく出来上るんだけれども、八っちゃんが持っていってしまったんだから仕方がない。
「八っちゃん十だけ白い石くれない?」
 といおうとしてふっと八っちゃんの方に顔を向けたが、縁側の方をむいて碁石をおもちゃにしている八っちゃんを見たら、口をきくのが変になった。今喧嘩したばかりだから、僕から何かいい出してはいけなかった。だから仕方なしに僕は兎をくずしてしまって、もう少し小さく作りなおそうとした。でもそうすると亀の方が大きくなりすぎて、兎が居眠りしないでも亀の方がかけっこにかちそうだった。だから困っちゃった。
 僕はどうしても八っちゃんに足らない碁石をくれろといいたくなった。八っちゃんはまだ三つですぐ忘れるから、そういったら先刻さっきのように丸い握拳だけうんと手を延ばしてくれるかもしれないと思った。
「八っちゃん」
 といおうとして僕はその方を見た。
 そうしたら八っちゃんは婆やのお尻の所で遊んでいたが真赤まっかな顔になって、眼に一杯涙をためて、口を大きく開いて、手と足とを一生懸命にばたばたと動かしていた。僕は始め清正公様せいしょうこうさまにいるかったいの乞食こじきがお金をねだる真似まねをしているのかと思った。それでもあのおしゃべりの八っちゃんが口をきかないのが変だった。おまけに見ていると、両手を口のところにもって行って、無理に口の中に入れようとしたりした。何んだかふざけているのではなく、本気の本気らしくなって来た。しまいには眼を白くしたり黒くしたりして、げえげえときはじめた。
 僕は気味が悪くなって来た。八っちゃんが急にわい病気になったんだと思い出した。僕は大きな声で、
「婆や……婆や……八っちゃんが病気になったよう」
 と怒鳴どなってしまった。そうしたら婆やはすぐ自分のお尻の方をふり向いたが、八っちゃんの肩に手をかけて自分の方に向けて、急にあわててうしろから八っちゃんを抱いて、
「あら八っちゃんどうしたんです。口をあけて御覧ごらんなさい。口をですよ。こっちを、あかるい方を向いて……ああ碁石を呑んだじゃないの」
 というと、握り拳をかためて、八っちゃんの脊中を続けさまにたたきつけた。
「さあ、かーっといってお吐きなさい……それもう一度……どうしようねえ……八っちゃん、吐くんですよう」
 婆やは八っちゃんをかっきり膝の上に抱き上げてまた脊中をたたいた。僕はいつ来たとも知らぬうちに婆やの側に来て立ったままで八っちゃんの顔を見下みおろしていた。八っちゃんの顔は血が出るほどあかくなっていた。婆やはどもりながら、
「兄さんあなた、早くいって水を一杯……」
 僕は皆まで聞かずに縁側に飛び出して台所の方にけて行った。水を飲ませさえすれば八っちゃんの病気はなおるにちがいないと思った。そうしたら婆やがうしろからまた呼びかけた。
「兄さん水は……早くお母さんの所にいって、早く来て下さいと……」
 僕は台所の方に行くのをやめて、今度は一生懸命でお茶の間の方に走った。

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