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「味の素」発明の動機(あじのもとはつめいのどうき)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-21 15:44:39 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 | ||||||||||||
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余が化学を修め始めたるは明治十三年余が十七歳の時にして、主としてロスコー、ファウンミルラー、ミューアなどの英書に就きて斯学の初歩を講じたるものなるが、多くもあらぬ小遣銭は尽く薬品器具の購入に費し、家人の迷惑をも顧みず酸類にて衣服や畳に孔を穿ち又硫化水素などを弄びて実験を行ふを唯一の楽とせり。余は当時大阪衛生試験所長兼造幣局技師たりし村橋次郎先生に就きて毎週一回講学上の疑を質し実験上にも指導を蒙りたること少からず。余は其の頃殆ど純正化学と応用化学との別を弁へず化学上の事柄は其の理論的たると応用的たるとに論なく均しき興味を以て之を学びたり。明治十五年大学予備門に入るに及び大学の学風に薫化せられて眼界の頓に開展するを覚え知識的興味は多様となりたるも化学に対する執着は変ることなく寄宿舎に於ても試験管を弄するを止めざりき。進て大学理学部に入るに及んで桜井教授の薫陶を受け理論化学を専攻することとなりたるも応用化学に対する興味は依然として之を持続せり。されば余が大学に於て物理化学を講ずるに当りて相律、反応速度論、化学平衡等に於て実例を挙ぐる場合には諸種の製造法即ち応用化学的工程を説示するに勉めたり。 底本:「池田菊苗博士追憶録」池田菊苗博士追憶会 1956(昭和31)年10月1日発行 初出:「人生化学」龜高徳平著、丁未出版社 1933(昭和8)年3月発行 ※底本ではこの作品の末尾に、「(本編は故理学博士龜高徳平著「人生化学」(昭和八年三月発行)の中から再録したものである)」との一節が添えられています。 入力:小林 徹・聡美 校正:富田倫生 2004年10月16日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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