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村芝居(むらしばい)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-23 15:57:30 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 両岸の豆麦と河底の水草から発散するかおりは、水気の中に入りまじっておもてって吹きつけた。月の色はもうろうとしてこの水気の中に漂っていた。薄黒いデコボコの連山は、さながら勇躍せる鉄のけだものの背にも似て、あとへあとへとくようにも見えた。それでもわたしは船脚ふなあしがのろくさくさえ思われた。彼等は四度よたび手を換えた時、ようやく趙荘がぼんやり見え出して、歌声もどうやら聞えて来た。幾つかの火は舞台の明りか、それともまた漁りの火か。
 あの声はたぶん横笛だろう。宛転悠揚えんてんゆうようとしてわたしの心を押し沈め、我れを忘れていると、それは豆麦や藻草のかおり夜気やきの中に、散りひろがってゆくようにも覚えた。
 その火は近づいた。果して漁り火だった。わたしが今し方見たのは趙荘ではなかった。それは一叢ひとむれの松林で、わたしは去年遊びに来て知っていたが、今も壊れた石馬せきば河端かわばたにのめって、一つの石羊せきようが草の中にうずくまっていた。この林を越すと、船はぐるりと廻ってまた港にり、そこで初めて趙荘が見えた。
 何よりもきに眼にったのは村のはずれの河添いの空地に突立っている一つの舞台だ。ぼんやりとした遠くの方の月夜の中で、空間くうかんの諸物がほとんどハッキリ分界していなかった。わたしはの中の仙境がここへ出現したのかと思った。この時船はいっそう早く走って、まもなく舞台の人が見え、赤い物や青い物が動いて舞台の側の河の中に真黒まっくろに見えるのは、見物人の船のとまだ。
「前の方に空間あきまがないから俺達は遠くの方で見よう」と阿發が言った。
 船はここまで来ると、ゆっくり漕ぎ出して、だんだん側に近づいてみると果たして空間あきまがなかった。みんなが棹をおろしたところは、舞台の正面からはずいぶん離れていた。正直に言うと、わたしどもの白苫しろとまの船は黒苫くろとまの船の側へくのはいやなんだ。まして空間あきまがないのだから。
 停船の間際に舞台の上を見ると黒い長※[#「髟/胡」、239-1]の男が、四つのはたを背に挿して、長槍をしごき、腕を剥き出した大勢の男と戦いの最中であった。
「あれは名高い荒事師あらごとしだ。蜻蛉とんぼ返りの四十八手が皆出来るんだよ。昼間幾度も出た」と雙喜は言った。
 わたしどもは皆船頭みよしに立って戦争を見ていたが、その荒事師は決して蜻蛉返りをしなかった。ただ腕を剥き出した男が四五人、逆蜻蛉を打つと皆引込んでしまった。続いて一人の女形おやまが出てイーイーアーアーと唱った。雙喜はまた言った。
「夜は見物が少いから、荒事師は怠けているのだ。誰だってしんそこの腕前を無駄に見せるのはいやだからね」
 全くそうだった。その時舞台の下にはあまり多くの人を見なかった。田舎者はあすの仕事があるから、夜になると我慢が出来ず皆ねむりに行った。ちらばら立っているのはこの村と隣の村の閑人であった。黒い苫船の中に立っているのはいうまでもなく村の物持の家族であった。けれど彼等は芝居を見ているのではなかった。大抵はそこでお菓子や果物や瓜などを食べていた。だから平たく言えば見物が無いと言ってもいいくらいで、雙喜が無駄だといったのも無理はない。
 わたしは格別、逆蜻蛉を見たいとも思わなかった。わたしの見たいのは、役者が白いきれをかぶって一つの蛇のような蛇の精を両手に捧げているのと、もう一つは黄いろい著物きものた虎のような虎が躍り出すことである。わたしはそれをいつまでも待っていたが遂に見ることが出来なかった。女形おやまが引込むと、今度は皺だらけの若旦那が出て来た。わたしはもう退屈して桂生けいせい吩咐いいつけ豆乳を買いにやった。桂生はすぐ返って来た。
「ありません。豆乳屋のつんぼは帰ってしまいました。昼間はあったんですがね、わたしは二杯食べました。仕方がない。お湯を一杯貰って来て上げましょうか」
 わたしはお湯も飲まずになお突立って芝居を見ていた。それも何を見たとハッキリ言うことが出来ないが、役者の顔がだんだん変槓へんてこのものになって、五官の働きがあるのだか、ないのだか、何もかも一緒くたになって区別がつかなかった。小さな子供は勝手に自分の話をしていた。するとたちまち一人の赤い薄ぎぬを著た道化役が舞台の柱に縛られて胡麻塩※[#「髟/胡」、240-11]の者から鞭で打たれた。みんなはようやく元気づいて笑い出した。これはその一晩の中で、一番いい幕だった。そうこうしているうちに、ふけおやまが出た。
 ふけおやまはわたしの大嫌いなもので、何よりも坐って歌を唱うのがいやだ。この時ほかの見物人も皆いやな顔をしていたから、あの人達の考えもわたしと同じであることを知った。そのおやまは初めしずしず歩いて唱っていたが、しまいにとうとう真中の椅子の上に坐った。わたしはうんざりした。雙喜や他の人達もぶつぶつ言いだした。わたしは我慢してしばらく見ているとその役者は手を挙げたので立ってくのか、と思ったところが、いやはや、やっぱりもとの処で長々しく唱い続けた。船の中の者はみんな溜息をいたり欠伸あくびをしたり。雙喜はついに堪えかね、「こいつはあしたまで続きそうだぜ。もう帰ろうじゃないか」というと、みんなはすぐに賛成して、勇ましく立上がり、三四人は船尾へ行って棹を抜き、幾丈いくじょうか後すざりして船を廻し、ふけおやまを罵りながら、松林に向って進んだ。
 月はまだ残っていた。見物した時間はあまり長くもないらしかった。趙荘を出ると月の光はいっそうあざやかになった。ふりかえって見ると舞台は燈火の中に漂渺ひょうびょうとして、一つの仙山楼閣かいやぐらを形成し、来がけにここから眺めたものと同様に赤い霞が覆いかぶさり、耳のあたりに吹き寄せる横笛は極めて悠長であった。わたしはふけおやまがもう引込んだにちがいないとは思ったが、まさかもう一度見せてくれとも言えなかった。
 まもなく松林は後ろの方になった。船あしは決して遅くもなかったが、あたりは黒く濃く、夜更であることが知れた。彼等は芝居を罵り笑いながら船を漕いだ。するとじくに突当る水の音が一際ひときわあざやかに、船はさながら一つの大白魚たいはくぎょが一群の子供を背負うて浪の中に突入するように見えた。夜どおし魚を取っている爺さんれんは船を停めてこちらを眺めて思わず喝采した。
 平橋までは一里もあるらしかった。漕ぎ手も皆つかれた。無暗に力を出した上になんにも食わないからだ。その時桂生はいいことに気がついた。羅漢豆らかんまめが今出盛りだぜ。火があるからちょっと失敬して煮て食おう。みんなは賛成した。すぐ船を岸へつけておかにあがった。田の中には真黒に光ったものがあった。それは今実を結んだ羅漢豆であった。
「あ、あ、阿發、この辺はお前のうちの地面だぜ。あの辺が六一爺ろくいちおやじの地処だ。俺達はそいつを取ってやろう」
 真先におかへあがっていた雙喜は言った。われわれは皆おかへあがった。阿發は跳ねあがって
「ちょっと待ってくれ、乃公おれに見せてくれ」
 彼は行ったり来たりしてさぐってみたが、急に身を起して
「乃公のうちのがいいよ。大きいからね」
 この声をきくと皆はすぐに阿發のうちの豆畑へ入った。めいめい一抱えずつもぎ取って船の中へ投げ込んだ。雙喜はあんまり多く取って阿發のお袋に叱られるといけないと思ったので、皆を六一爺さんの畑の方へやってまた一抱えずつぬすませた。
 年上の子供はまたぶらぶら船を漕ぎ出した。他の者は船室の後ろで火を起した。年弱としよわの者はわたしと一緒に豆を剥いた。まもなく豆は煮えた。みんなは船をやりっ放しにして真中に集まって、つまんで食った。食ってしまうとまた船を出した。道具を片附けて豆殻まめがらは皆河の中へ棄てた。何の痕跡も残さなかったが、雙喜は八おじさん(船の持主)の塩と薪を使ったことを心配した。あのおやじはこまかいからね、きっと嗅ぎつけて怒鳴って来るにちがいない。
 みんなそこでいろんな意見を吐いたが、結局、構うもんか、もしあいつが何とか言ったら、去年あいつがおかあがってはぜの枯木を持って行ったからそれを返せと言ってやるんだ。そうして眼の前で、八の禿頭を囃してやるんだ。
うちへ帰れば大丈夫だよ。乃公が保証する」
 と雙喜は船頭みよしに立って叫んだ。わたしはみよしの方を見ると、前はもう平橋であった。橋の根元に人が一人立っていたがそれは母親であった。雙喜はわたしの母親に向って何か言ったが、わたしも前艙いちのまの方へ出た。船は平橋に来て停った。われわれはごたごたおかあがった。母親は少し不機嫌で、十二時過ぎても帰らないからどうしたのかと思ったよ、とは言ったが、それでも元気よくみんなをよんで、炒米いりごめを食わせた。みんなはもうおやつを食べているし、眠くはあるし、早く帰って寝たかったので、すぐに散り散りに別れた。
 次の日、わたしは昼頃になってようやく起きた。八おじさんの塩薪事件は何の問題も引起さなかった。午後はやはり蝦釣りに行った。
「雙喜、てめえ達はきのう乃公の豆を偸んだろう。いけねえなあ、たくさん偸んだ上に、あんなに踏み荒しては」
 わたしは首を挙げて見ると、六一爺さんは、小船に棹さして豆売からの帰りがけらしく、船の中にまだたくさんの豆が残っていた。
「ええ、わたしどもは御馳走になったよ。初めはお前のとこのものは、要らなかったんだが、ね、御覧、お前はわたしの蝦をおどかして逃してしまったよ」と雙喜は言った。
「御馳走か――ちげえねえ」六一爺さんはわたしを見ながら櫂をとめて笑った。
「迅ちゃん、きのうの芝居は面白かったかね」
 わたしは頷いて「ええ」と答えた。
「豆はうまかったかね」
「ああ大変うまかったよ」
 六一爺さんは非常に感激して、親指をおこして、得意になって喋舌った。
「さすがは大どころで育った学者だけあって、目が高い。乃公の豆は一粒りなんだぜ。田舎者にゃわからねえ。全く乃公の豆は、ほかのもんとは比べ物にならねえ。乃公はきょう幾らか、おばさんのところへ持ってってやるんだ」
 彼はそこで櫂を押して過ぎ去った。
 わたしは母親にばれて晩飯を食いに帰ったら、卓上の大どんぶりに煮立ての羅漢豆があった。これは六一爺さんがわたしの母とわたしに食べさせるために贈ってくれたもので、彼は母親に向って、わたしのことを箆棒べらぼうにほめていたそうだ。
「年はいかないが見上げたもんだ。いまにきっと状元じょうげんあたるよ。おばさん、おめえ様の福分は乃公が保証しておく」
 わたしは豆を食べたが、どうしてもゆうべの豆のような旨みは無かった。
 まったく、それからずっと今まで、わたしは本当にあの晩のようないい豆は二度と食べたことはなかった。――あの晩のようないい芝居も二度と見たことはなかった。
(一九二二年十月)





底本:「魯迅全集」改造社
   1932(昭和7)年11月18日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「彼奴→あいつ 或る→ある 一層→いっそう 況んや→いわんや 恐らく→おそらく 凡そ→およそ 屹度→きっと 位→くらい 呉れ→くれ 此奴→こいつ 極々→ごくごく 此処→ここ 此の・此→この 宛ら→さながら 而も→しかも 知れない→しれない 随分→ずいぶん 其処→そこ 其→その 沢山→たくさん 丈け→だけ 只→ただ 忽ち→たちまち 多分→たぶん 給え→たまえ 為→ため 一寸→ちょっと て居→てい て置→てお て来→てく て仕舞→てしま て見→てみ 迚も→とても 兎に角→とにかく 取りも直さず→とりもなおさず 尚お→なお 殆んど→ほとんど 況して→まして 又・亦→また 未だ→まだ 丸切り→まるきり 丸で→まるで 見る見る→みるみる 若し→もし 矢ッ張り→やッぱり 矢張り→やはり 漸く→ようやく」
※底本に収録された他の作品に、「燈」と「灯」の混在がみられるので、この作品でも、「燈」はそのままにしました。
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(山本貴之)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年8月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。

    「髟/胡」    239-1、240-11

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