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   公衆電話室には、既に黄色の外套を着た青年が二人、別々に入って居った。サインを送られたのでQZ19[#「QZ19」は底本では「QX19」]は直ぐに「柳ちどり」の名前の入った紙片を手渡した。 「すみませんでしたね。まァこっちへ入り給え」黄色い外套を着た同志は云った。  其時この二つの公衆電話の甲乙とも相手のベルが喧しく鳴っていた。  甲の方の電話は、一町半ほど先の洋食屋の屋根裏へ繋っていた。 「オイ、どうだ」と向うから声がした。 「もう直ぐ出て来るから、うまく演れよ」と、こっちから黄色い外套の同志が稍震え声で云った。興奮に慄えているのだった。 「ウン、しっかり演ってみせるぞ。安心せい。相手を確めたら直ぐ報せろ!」  そういった屋根裏の青年の前には一台の機関銃が壁穴を通して外を覗いている。いつでも引金が引ける、この機関銃の銃口は、向いの高い建物の三階に、ポッカリ開いた窓に向けられている。もっと精確に云うと銃口は、向いの窓の内から見える壁掛電話機を覘っているのだった。――その電話機は、受話器が紐のままダラリと下っていた。思うに、電話で呼出された人を探しに行っているものらしい。  五秒、十秒、十五秒。  向うの窓に、一人のレビュー・ガールが現れた。頭が痛いのか、左手で圧さえている。 「はァ、モシモシ」  と、その美しいレビュー・ガールは電話口の前で唇を動かした。 「ああ、もしもし」レビュー・ガールの電話に答えたのは、意外にも区裏の公衆電話の乙の方を占領している黄外套の同志だった。 「もしもし。あんたは、柳ちどりさん?」  同志の声は悠々と落着いている。それもその筈、一方の旗頭UX3鯛地秀夫だったから。 「ええ、そうよ」と女が云った。  鯛地秀夫は、ツと手をあげて、隣の公衆電話甲の同志QX7左馬三郎へ合図をした。 (よし、撃て――といえ)  というサインだ。鯛地は豪胆にも尚も柳ちどりを電話機に釘止めにして置こうと努力した。 「柳ちどりさんに、いいものを進呈――」  撃て、――という命令は、屋根裏の同志の耳に達して、スワと機関銃の引金を引いた。  どどどどどどどど、どどどどどどどッ!  霰のような銃丸が、真白な煙りをあげて、向いの窓へ――  柳ちどりは、声を立てる遑もなく全身を蜂の巣のように撃ち抜かれ、崩れるように電話機の下にパタリと倒れた。 「命中したぞォ」  それが同志への最後の報告だった。  次の瞬間に、屋根裏の機関銃手も公衆電話室甲乙の黄外套も、それから又、同志帆立も、飛鳥の如く現場から逃げ去った。  恐ろしい暗殺状況だった。
 
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   落ち着かぬ心を、客席に強いて落ち着かせようと努力しているQX30の笹枝弦吾だった。  どどどどどどッ。  がたーン。  という異様な物音を余所ながら聞いた。 (ウッ、やったな)  第五景「山賊邸展望台」の幕はスルスルと下りた。  舞台裏には異様な混乱が起っているようだった。  観客は何事とも知らぬながら、少しずつざわめいてきた。  緞帳が大きく揺れて、座長の丸木花作が、鬘だけ外した舞台姿のままで現れた。 「皆さん。お静かに願い上げます。唯今女優が一人、急病で亡くなりました。しかしもう事は済みましたから、御安心の上、お仕舞までごゆるりと御見物願います。では直ちに第六景、『奈良井遊廓』の幕をあげます」  うわーッと何も知らない観客は拍手した。  座長が引込むと、緞帳は別に何事もなかったかのように、スルスルと上へ昇っていった。そして賑かな囃の音につれて、シャン、シャンと鳴る金棒の音、上手から花車が押し出してきたかのように、花魁道中が練り出してきた。  提灯持ちが二人、金棒引が二人、続いて可愛らしい禿が……。 「呀ッ」  と大声で叫んだのは、客席のQX30の弦吾だった。  見よ、確かに死んだ筈の義眼の副司令が、真紅な禿の衣裳を着て、行列の中を歩いているのだ。これが驚かずにいられようか。 「シ、しまった!」  と気がついたときは、もう既に遅かった。隣席の五十坂を越したと思う男が、年齢の割には素晴らしい強力で、弦吾の利腕をムズと押えた。 「話は判っている筈だ。さア静かに向うへ来給え」  その一語で、すべては終った。魚眼レンズを透した写真を調べてみるまでもなく、大声をあげたりして、もう明瞭な失敗をしたQX30だった。もう再度、生きて此のレビュー館は出られなくなった。  万事休す!      *  義眼の副司令の女を、柳ちどりと思っていたのは笹枝弦吾の惜しい誤解だった。柳ちどりは確かに機関銃で殺された踊り子だった。この柳ちどりは、第五景に出る段になって、急に烈しい頭痛に襲われたのだった。出場は迫るし、遂に已むなく副司令が柳ちどりに代って出たわけだった。そこで彼女は柳ちどりと間違えられるようなことになった。次の第六景、「奈良井遊廓」の場で正しい持役で出演したわけだった。柳ちどりでなければもう海原真帆子に決っている。皆さんは其の名前が、「禿」という役割の下にあるのを既に御存知の筈である。  海原真帆子こそ幸運なる副司令の芸名だった!
 
 
 
  
 
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