海野十三全集 第11巻 四次元漂流 |
三一書房 |
1988(昭和63)年12月15日 |
1988(昭和63)年12月15日第1版第1刷 |
1988(昭和63)年12月15日第1版第1刷 |
ふしぎな器械
「ぼく、生きているのがいやになった」 三四郎が、おじさんのところへ来て、こんなことをいいだした。 「生きているのがいやになったって。これはおどろいたね。子供のくせに、今からそんなことをいうようじゃ心ぼそいね。なぜそう思うんだい」 しらが頭に、度のつよい近眼鏡をかけた学者のおじさんは、本から目をはなして、たずねた。 「だって、ちっともおもしろいことがないんだもの」 「ふん、なるほど」 「おなかはいつもすいているしね、ほしいものは店にならんでいるけれど、高くて買えやしないしね」 「ああ、そうか、そうか」 「その品物だって、とびつくほどほしいものもないし、それから大人の人は、みんな困った困ったおもしろくないおもしろくないといっているしね、ぼくは大人になるのがいやになったの」 「なかなか、いろいろ考えたもんだね。大人になるよろこびがなくなっては、もうおしまいだな。しかしだ、生きているのがいやになったなどというのは人間として卑怯だと思う。また人間というものは、もっと広い世界へ目をやり、遠い大きな仕事のことを考えなくてはならない。いや、そんなお説教をするよりも、今おじさんが三四郎君を一万年ばかり前の世界へあんないしてあげよう。そこで君は、どんな感想をもつだろうか。あとでおじさんは、君に質問するよ」 「ほんとですか。一万年も前の世界へ行くって、そんなことはできないでしょう」 「いや、それがちゃんと、できるのだ。おじさんがこしらえた器械をつかえば、そういう古い時代の有様が見えるんだ。映画のようにうつるんだ。ただ残念なことに、その時代の人々がしゃべっている声が、十分に再生できないんだ」 「じゃあ、トーキではない無声映画というのがありますね。あれみたいなものですか」 「全然無声というわけでもない。映写幕にうつる古代の人々が、ものをいうときに、口をうごかす。その口のうごかし方から、彼らがどんなことをばをしゃべっているのかを、ほんやくすることもできるのだ。しかしこのほんやくことばは、画面の上で、私たちの方へ向いていて、口をうごしかしている人にかぎるんだ。だからうしろ向きの人のいっていることばは分らない。そんなわけで、ときどき、切れ切れながら、彼のいうことばが分るんだ」 「ふしぎな器械ですね。しかしそれはおもしろいですね。しかしほんとうかしら」 「見れば、ほんとだと分るだろう」 「ああ、そうか。その器械は航時器(タイム・マシン)というあれでしょう」 「あれとは、ちがう。顕微集波器と、私は名をつけたがね。つまりこの器械は、一万年前なら一万年前の光景が、光のエネルギーとして、宇宙を遠くとんでいくのだ。そして他の星にあたると、反射してこっちへかえってくる。星はたくさんある。ちょうど一万年かかって今地球へもどってくるものもある。それをつかまえて、これから君に見せてあげよう」
一万年前の大陸
おじさんのいうことは、よく分らなかったけれど、おじさんが見せてくれた映画――ではない、「うごく一万年前の光景」は、なかなかおもしろくて、よく分った。それは、大事なところになると、おじさんが説明をしてくれたから、なおさらよく分ったのだ。 約一万年前の世界が、おじさんの器械の映写幕の中に見えているのだ。なんというおどろき、なんというふしぎ! その場面の多くは、上から下を見た光景であった。おじさんは、ときどき器械のスイッチを切りかえて、ななめ上から見た光景も見せてくれたが、これはすこしだけであった。ま横から見たところや、正面から見たところは、ほとんど出てこなかった。それは横へ出る光は、他の部分から出る光にじゃまをされて、純粋な形では出にくい。だから見えにくいのだということだった。 「なんでしょうね、山脈のむこうに二つ光っているものがありますね」 三四郎は、おじさんにたずねた。 「あれは月だよ」 器械の目盛をあわせていたおじさんは、かんたんに答えた。 「うそをいってらあ。月なら、ぼくだってわかりますよ。月が二つもあるわけがないじゃありませんか」 「ところが、それがあるんだよ。この光景にうそはない。一万年前には、地球のまわりを月が二つ、まわっていたんだね」 「ふーン。おどろいたなあ」 「二つの月のうち、その一つは、なくなった。見ていたまえ、やがてそれが見えるはずだ、一方の月がこわれて見えなくなるところがねえ」 「そんな光景が見えるんですか。ぼく、背中がぞくぞく寒くなった」 「それはそうだろう。月がなくなるなんて、たいへんな事件だ。それがために、当時地球に住んでいた人類は、どんな目にあったか。どんな苦しみにあったか。見ていたまえ、今にそれが見えるから……」 「お月様は今すぐこわれるんですか」 「まだ、ちょっと間がある。――この器械は途中をどんどんとばして行くが、今うつっているときからかぞえて、約百年のうちに、月の一つがこわれる」 「百年間も、この器械の前に待っているのですか」 「いや、この器械では、あと十五分ぐらいで百年後の光景がうつり出すことになっている。今おじさんは、地表の光景をもっとはっきり出そうとして一生けんめいやっているのだよ。ほらほら大陸の海岸線ははっきりしてきたろう。白く光っているのが海、くらいのが陸地だ。このへんは、地球上のどこだか分るだろう」 おじさんは、えんぴつを手にもって、画面をさした。 「ああ、分りました。ヨーロッパですね。このへんがスペインにポルトガル。おやおや、ヨーロッパ大陸と南のアフリカ大陸とがつながっていますね」 「まあ、そうだ。さあ、これから画面の方を[#「画面の方を」は底本では「画面の方へ」]移動して行くよ。何が見えるか。」 「大西洋だ」 「そうだ、大西洋だ。だが、これからよく気をつけて見ていたまえ」 「おやおや、へんだぞ。大西洋の中に大陸がある。これは一体どうしたんでしょう」 三四郎は、大西洋のまん中に、相当大きな大陸のあるのを見て、ふしぎがった。 「あれはアトランチス大陸だ。当時、世界の文化はアトランチス大陸に集っていたのだ。世界の中心だったんだ。エジプトの文化も、ユーラシア大陸の文化も、まだ誕生前だったんだ」 「でも、今大西洋には、そんな大陸はないじゃありませんか。どうしたんですか」 「さあ、それが大事件なんだ。まあ、しばらく見ていたまえ。器械を調整して、アトランチス大陸の地上へ焦点をあわせてみよう」 おじさんは、器械の前で、いそがしく調整をはじめた。たくさんある目盛盤をいくどもうごかし、そして計器の針をみては、また目盛盤をうごかすのであった。その間に、映写幕にうつっている像はいくたびかぼんやりとなり、またいくたびか川のように流れ、それからまた、たびたび消えた。 だが、そのうち像は次第にはっきりして来た。山が見え、川が見え、それからりっぱな建築物が見えだした。やがて焦点が地上にはっきりあうと、道をあるいていく人々の姿が見えるようになった。ただし、斜め上から見たところがうつっている。ちょうど、ビルの三階ぐらいから地上を見下ろしたような調子であった。 「アトランチス人だ。りっぱな服装をしているだろう。エジプト時代よりもずっと文化が高かったことが分る。男と女の区別も、ちゃんと分るだろう」 おじさんの説明に、三四郎はかたずをのんで画面に見入っていた。美しくかざって白馬が通る。 「ほら、道で立ち話をしている。二人の男の話が唇のうごきで分る。よく耳をすましていたまえ」 おじさんが注意した。と、なるほど、かすかではあるが会話が聞える。 “なげかわしいことだ。こんなに道義がすたれては、生きて[#「生きて」は底本では「生きで」]いるのがいやになった” “あくことをしらないこの頃の人間の欲望。神をおそれない人々。いくら美しく飾りたてようと、これは人間の世界ではない。禽獣の世界だ” “今に、天のおさばきがあろう。いや、すでにそのきざしが見える。君は気がついているか” “うん。君は弟月のことをいっているのだろう。弟月が、だんだんあやしい光を強め、大きくふくれて来るわ。気味のわるいことだ” “天のおさばきは近くにせまったぞ。今となってはおそいかもしれないが、わしはもう一度人々にそれを知らせて、反省をうながそう” “それがいい。わしも生命のあるかぎり、悪魔にとりつかれている人を一人でもいいから神の国へ引きもどすのだ” 二人のアトランチス人は、そこで話をやめて、しずかに祈りをささげると、右と左とに別れた。したがって、そのあとの声は聞えなかった。 三四郎の目には、いつしか涙がやどっていた。信仰のあつい二人のアトランチス人の胸中を思いやっての涙であった。
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