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電気風呂の怪死事件(でんきぶろのかいしじけん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-25 12:51:25 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


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 だが、赤羽主任の推定が真実ほんとうであったことは、一同が向井湯を引上げて本署へ立ち帰った時に判明した。
「主任殿、御苦労さまでした。非常線にひっかかった怪しい奴は、みんな留置所りゅうちじょち込んであります。そして、たった一人まったくおかしな奴がいるんです……」
 一行の帰署きしょを待ち構えていたもののように報告する一人の刑事の言葉を聞いて、赤羽主任はおっかぶせて云った。
「……束髪の女装をした奴で、名は樫田武平とね、うだろう?」
「おお、よく御存じで。此間このあいだ一度、軟派なんぱの事件で始末書を取った奴です」
 満足そうに同行の部下をかえりみた赤羽主任は、初めて愉快らしいみを浮べた。

 樫田武平の取調べの結果、事件の一切は判明した。
 彼は、かねて、若い女が苦悶くもんして死んでゆく所を映画に撮ろうという、だいそれた野心を持っていたのだ。それは、多分に彼の変態性の欲望が原因したのであったが、職業とする所の趣味道楽が、ひどくかたまったことも一部のいんをなしていた。で、彼は種々いろいろと研究と計画をめぐらした結果、それが夢でなく実現することが出来ることを発見した。それには、彼の行きつけの風呂向井湯という、電気風呂を利用することが、最も容易な手段であったのだ。
 先ず彼は、日頃おさおさおこたりなく向井湯の内外を研究し、それに、特有の肉体美を備えた若い婦人を一人選んで、彼女の入浴の際、特殊の方法で惨殺しようと計画した。
 事件のあった日のあかつき、彼は自家じか売品ばいひんたるフィルムを一本と現像液を準備して、それに店にあった小形撮影機を一台と、パンや蜜柑みかんなどの食料品、束髪の西洋鬘せいようかつらなどを一緒に風呂敷に包み、向井湯の裏口へおもむいた。そして物蔭に隠れて種々いろいろ様子ようすうかがったのち、午前十時頃、由蔵のすきねらってその部屋から天井裏に忍び込んだ。彼がく忍び込むまでには、充分の用意と研究が積まれてあったことは勿論もちろんである。彼は、先ず汽罐きかんを開けて自らの着衣ちゃくいと下駄とをその中に投入して燃やし、由蔵の部屋で由蔵の着衣をそのまま失敬して天井裏に忍び込んだのであった。
 彼は、勿論相当の電気知識を備えていた。ゆえに、男湯の方の感電を計画し、またそれを遂行すいこうするための技術上の操作は、十分間も要さずに易々やすやすと行われた。それが終ると、彼はかねて探って置いた、由蔵の秘密のたのしみ場所たる、女湯の天井の仕掛のある節穴ふしあなの処へ来て、由蔵が設置した望遠鏡の代りに、持って来た撮影機を据えつけた。
 やがて、時が来て、当日の生贄いけにえとなった例の女(後で判明したが、彼女はおてるという二十二歳になる料理屋の女で、その日はこの向井湯の近所に住む伯母の所を訪ねて来た者であった)の肉体に魅力みりょくを感じ、愈々計画の実現にこころざしたのであった。
 その時は正午少し前だった。女湯の客は、そのお照の他に、僅に三人であった。男湯の方は前述の通り、井神陽吉と他に四人、で、頃合いを計って、彼は男湯の電気風呂に高電圧を加えた。果せるかな、手応てごたえがあって、井神陽吉が飛んだ犠牲ぎせいとなったのである。それからのちは、少くとも表面だけの騒動は前述の通りであった。が、女湯の客のうち、お照を除いた他の三人は、ひとしくあがぎわだったので、隣りの騒動をきっかけ匆々そうそう逃げ去ったのであった。が、お照はただ一人、湯槽ゆぶねの側で間誤間誤まごまごしていた。というのは、女故おんなゆえはずかしさが、裸体で飛び出す軽率けいそつはばからせたのと、一人ぽっちの空気が、隣の事件を決して重大に感ぜしめなかったものらしかった。が、何はともあれ、樫田武平にとっては究竟くっきょうの機会であった。
 彼は用意の吹矢を取り出すなり、ねらちに彼女の咽喉のど射放いはなった。果して、あの致命傷ちめいしょうであったのだ。
 転げつ、倒れつ、悶々もんもんのたうち返る美人の肉塊にっかいの織りす美、それは白いタイルにさあっと拡がってゆく血潮の色を添えて充分カメラに吸収された。が、十数秒の短い時刻で、あえなくもお照は動かずなってしまった。
 だが、樫田武平は美事な成功に雀躍こおどりして、そのフィルムだけをはずすと、そのまま逃走しようと試みた。が、その時であった。由蔵は、別の目的を以て同じこの天井裏へ上って来たのである。というのは、彼は感電騒ぎを知るやたちまちにして警察の取調べがこの天井裏の電線に及ぶのをおもんぱかって、其処そこは秘密を持つ身の弱さ、望遠鏡を外すために人知れず梯子はしごを昇ってい上ったのである。
 当然、樫田武平と由蔵との両人が、高い天井の暗がりで睨み合うことになった。が、何分にも大きな声を出すことを許されぬ場合のこととて、たがいに敵視しながらも一言も云わず、必死とまなこを光らし合った。やがて、由蔵は、己が隆々りゅうりゅうたる腕力に自信を置いて、樫田武平の華奢きゃしゃ頸筋くびすじを締めつけようと襲いかかった。と、早くも吹矢は由蔵の咽喉笛深くグザと突刺さったのであった。――急所をられてそのままことれた由蔵の屍骸しがいを見捨てて、樫田武平は怖ろしい迄緊張した気持で変装に取かかった。かねて目論もくろんで置いた通り、彼は咄嗟とっさの間にも順序を忘れずに、女装の鬘を被った。
 そして再び由蔵の部屋へ降りて、由蔵の着衣を脱ぎ捨てると、彼は裸体のまま右手にはフィルムの入った黒い風呂敷をげて、大胆にも梯子を伝って釜場に降りた。そして女湯の扉口ドアぐちへ行こうとした、ちょうどその時彼は其処で湯屋の女房とばったり鉢合はちあわせをしたのみか、ちょっと見咎みとがめられたのであった。さすがに、これには彼もぎょっとしたが、いかにも柔い嫋々なよなよしい彼の体は、充分に心の乱れた女房の眼を欺瞞ぎまんすることに成功した。
 そして、彼は、素早く女湯の扉口ドアぐちから中へ入って、自分が殺したお照の屍体の側を過ぎて脱衣場へやって来た。それから先、お照の着衣をつけて、下駄を穿いて、何喰わぬ顔で見張りの警官にも怪しまれずに戸外へ逃走とうそうする迄は、難なく行われたことであった。
 が、如何に緻密ちみつの計画と、巧妙の変装を以てしても、白昼はくちゅうの非常線を女装じょそうで突破することはなりの冒険であった。
 ――樫田武平が捕縛ほばくされるに到ったのも、すべてこの最後の冒険に敗れたがためであった。

 さて、かくして怖るべき「電気風呂」の怪死事件は、犯人の捕縛と共に一切いっさい闡明せんめいされるに到った。
 やがて、あのフィルムは、警視庁へ移送されてその犯罪捜査にたずさわった一同の役人並に庁内ちょうない主脳者しゅのうしゃの前で、たった一度だけ試写された。
 が、およそ其試写会に立会った程の人々は、期待していた若き一婦人の断末魔だんまつまの姿を見る代りに、ま白きタイルの浪の上に、南海の人魚の踊りとは、かくもあるかと思われるような、蠱惑こわくに充ちた美しいお照の肉体の游泳姿態を見せられて、いずれ物言わぬ眼に陶然とうぜんたる魅惑みわくの色をただよわしていたものである。
 何故ならそのフィルムは故意か偶然か、高速度カメラで撮られていたのである。





底本:「海野十三全集 第1巻 遺言状放送」三一書房
   1990(平成2)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」博文館
   1928(昭和3)年4月号
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月25日作成
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