ネオン横丁殺人事件(ネオンよこちょうさつじんじけん)
「あなたに、ちょいと見て貰いたいものがあるんだが、このピストルと、ライターに見覚えが無いですか」と大江山警部がいった。「このピストルですね、オヤジを射ったのは。さあ、見覚えがありませんね。こっちのライターは……おや、これは、あの人のだ」そう言って、彼女はライターをキュッと掌のうちに握ると、言おうか言うまいかと思案をするような眼付をして、課長の顔をチラリと見た。「おみねさんが教えてくれたんだがね」「まあ、もう白状しちゃったんですか。そいじゃ私が言うまでも、これは銀さんのよ」「なに、銀さん」警部はキュッと口を結んだ。「銀さんって誰のことかい」「おや、マダムは銀さんのだと言わなかったの、まァ悪いことをした。でも、こうなったらしょうがないわ、銀さんッて、マダムのいい人よ、木村銀太といって、ゲリー・クーパーみたいな、のっぽさんよ」「一平と、その銀太君とは、どっちが背が高いんですか」と、横合から帆村がきいた。「それはね」と、ゆかりは、新手の質問者の方を見てちょっと顔を赤くして言った。「どっちもどっちののっぽですわ」「銀太というのは、ここへもちょくちょく忍んで来るだろうね」大江山警部は訊いた。「私が、いいだしにつかわれてるのよ」そう言って彼女は寝床の一つを指して鼻の先でフフンと笑った。「いやその位で、ありがとう」 警部は外山に、彼女を下げるように目交せした。二人は又元の階段をトコトコと降りていった。「いよいよ足りなかった最後の方程式がみつかったようだね、帆村君」「そうですね」「おみねと、その情夫の木村銀太との共謀なんだ。さっき一平が寝ていたと思ったのはあれは銀太なんだ。君が見た人影ってのもネ、ありゃ銀太なんだよ。こうなるとピストルも誰のものだか判ったもんじゃないよ。一平からピストルを盗むことだって出来る」「僕はそうは思いませんね。今の話で、おみねと、こっちの寝床に忍びこんでいた情夫の銀太とが犯行に関係のないということが判ったんです」「そりゃまた、どうして」警部は聞きかえした。「おみねと銀太が一緒に寝ているところに、思いがけなくあのピストルの音がしたので、二人は吃驚(びっくり)して遽(あわ)てだしたのですよ。銀太が居てはかかり合いになるから、おみねは銀太を逃がしたのです、銀太は裸の上に着物を着直して、いろんな持ちものを懐にねじこんで逃げるうちに、あのライターを落としたんです。銀太が相当の道程を逃げたころを見はからって、マダムのおみねが『人殺しッ』と怒鳴ったんです」「すると、あのピストルは、誰が射ったことになるんだい」「調べてみなければわかりませんが、多分ネオン屋の一平が射ったんでしょう。カフェ・オソメの女坂も怪しいですがね」「そうかね。僕はさっき言ったように、情夫とおみねの実演だと思うよ。とにかく、他の連中の動静も多田刑事に調べにやったからもう直ぐ判るだろう」 その話の半ばへ、噂の多田刑事が、ヒョくり顔を出した。「課長、女坂染吉は家に居ましたよ。昨夜十二時から一歩も外へ出なかったそうです。腹が下ったとかで、夜っぴて女房に、腹をさすらせたり、足をもませたりしていたそうです」「重宝な現場不在証明(アリバイ)ができたものだな」と課長は、薄笑いをした。「ゆかりのことはH風呂にきいて午前四時半まで、Nという男と滞在していたことが判りました。それから大久保一平、あのネオン屋ですね、あいつについちゃ意外なことがあるです」「ほほう、どうしたというんだ」「あいつの家を叩きおこしてみましたが、昨夜は夕から出たっきり、朝方まで、とうとう帰って来なかったんです」「それで……」「それでこいつは怪しいと思って、帰りがけに淀橋署に、ちょっと寄って、偶然一平のことを聞いてみましたところ、意外にも一平は上野署に留置されていることが判ったんです」「なんだ、一平は上野に抛りこまれているって?」課長は不審にたえぬという顔付をするのだった。「実は一平さん、昨夜十二時ごろから、山下のおでん屋の屋台に噛(かじ)りついて、徳利を十何本とか倒して、くだをまいたんだそうです。揚句の果、午前二時近くになって、店をしまうから帰って来れと、屋台の親爺が言うと、なにを生意気な、というので、おでん屋の屋台をゆすぶって、到頭そいつを往来に、ぶっ倒しちまったんです。そこで上野署へ一晩留置ということになったんですが、身柄は今朝五時半釈放されました」「そうか、こいつは又、素晴らしい現場不在証明(アリバイ)だ。ねえ帆村君、あのピストルが屋根裏でズドンと鳴った頃には、一平の奴上野署の豚箱のなかで、虱に噛まれていたらしいよ」「……」帆村は黙りこくっていた。「それで多田君」と警部は刑事の方を向いて言った。「木村銀太という男の行方をしらべて貰いたい。彼奴はマダムのおみねと共謀して大将の寝首を掻いたらしいんだ。――さア、そこらで室調(へやしらべ)を、便利な階下へうつすことにしようじゃないか」 帆村荘六の面目玉は丸潰れだった。彼が犯人と指摘した人物は、皮肉にも、警察署の留置場に一と晩送って、この上ないアリバイを拵えていたのだった。帆村に、如何なる整然たる推理があっても、かのアリバイの事実はそれを木ッ葉微塵に吹きとばしてしまったといってよい。(だが、もしや……)と帆村は螺旋階段を静かに下におりながら、なお諦めかねる思索にとりすがった。(もしや、犯人が現場にいなくて、ピストルが射てるとしたら、どうだろう。それは果して絶対にあり得べからざることだろうか。一平みたいな人物には、一体どれ位までのことなら出来るのだろうか。あいつは、一個のネオン・サインの看板屋なんだが) 屋根裏のピストル。それに気になるのは、あの脅迫状の文句「寒い日にやっつける」ということ。
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