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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)34 雷獣と蛇

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-28 10:03:02 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 時代推理小説 半七捕物帳(三)
出版社: 光文社時代小説文庫、光文社
初版発行日: 1986(昭和61)年5月20日
校正に使用: 1997(平成9)年5月15日第11刷

 

   一

 八月はじめの朝、わたしが赤坂へたずねてゆくと、半七老人は縁側に薄縁うすべりをしいて、新聞を読んでいた。
 狭い庭にはゆうべの雨のあとが乾かないで、白と薄むらさきと柿色とをまぜえにした朝顔ふた鉢と、まだ葉の伸びない雁来紅はげいとうの一と鉢とが、つい鼻さきに生き生きと美しく湿れていた。
「ゆうべは強い雷でしたね。あなたは雷がお嫌いだというからお察し申していましたよ。小さくなっていましたかい」と半七老人は笑っていた。「しかし昔にくらべると、近来は雷が鳴らなくなりましたね。だんだんと東京近所も開けてくるせいでしょう。昔はよく雷の鳴ったもんですよ。どうかすると、毎日のように夕だちが降って、そのたんびにきっとごろごろぴかりと来るんですから、雷の嫌いな人間はまったく往生おうじょうでした。それに、この頃は昔のような夕立が滅多めったに降りません。このごろの夕立は、空の色がだんだんにおかしくなって、もう降るだろうと用心しているところへ降ってくるのが多いので、いよいよ大粒がばらばら落ちてくるまでには小一時こいっときぐらいの猶予はあります。昔の夕立はそうでないのが多い。今まで焼けつくように日がかんかん照っているかと思うと、忽ちに何処からか黒い雲が湧き出して来て、あれという間も無しにざっと降ってくる。しかもそれがかめをぶちまけるように降り出して、すぐに、ごろごろぴかりと来るんだからたまりません。往来をあるいているものは不意をくらって、そこらの軒下へ駈け込む。芝居や小説でも御承知でしょう。この雨やどりという奴が又いろいろの事件の発端ほったんになるんですね。はははははは。しかし又、その夕立のきびきびしていることは、今云うように土砂ぶりに降ってくるかと思うと、すぐにそれが通り過ぎて、元のように日が出る、涼しい風が吹いてくる、蝉が鳴き出すというようなわけでしたが、どうも此の頃の夕立は降るまえがいやして、あがりぎわがはっきりしないから、降っても一向に涼しくなりません。やっぱり雷が鳴らないせいかも知れませんね」
 老人は雷の少ないのを物足らなく感じているらしく、この頃のようではどうも夏らしくない、時々はゆうべのように威勢よく鳴って貰いたいなどと云って、わたしのような弱虫をおびやかした。それから引いて、老人は雷獣の噂をはじめた。
「日光なんぞの山のなかに棲んでいるのは当りまえでしょうが、江戸時代には町なかへも雷獣があらわれて、それをつかまえたという話はたびたびありました。明治になってからも、下谷に雷が落ちたときに、雷獣を見つけて捉まえたということを聞きました。これもその雷獣のお話ですよ」

 慶応元年六月十五日の夜は、江戸に大風雨おおあらしがあって、深川あたりは高潮たかしおにおそわれた。近在にも出水でみずがみなぎって溺死できし人がたくさん出来た。そのおそろしい噂がまだ消えないうちに、同じ月の二十三日の夜には又もや大雨が降り出した。今度は幸いに風を伴わなかったが、その代りにすさまじい雷が鳴りひびいて、江戸市中の幾ヵ所に落ちかかった。
 そのなかで、浅草三好町みよしちょうの雷が尾張屋という米屋の蔵前に落ちて、お朝という今年十九の娘を殺した。重吉という若い男は一旦気絶したが、これは医師の手当てをうけて蘇生した。変死のうちでも、雷死は検視をしないことになっているので、お朝の死骸はあくる日のゆう方、今戸いまど菩提寺ぼだいじへ送られてかたのごとく葬られた。
 落雷で震死するのはさのみ珍らしいことでもないのは、それに対して検視の役人が出張しないのをみても判る。この事件も単に不幸なる娘の死にとどまって、何事もなく済んだのであるが、尾張屋の落雷に就いてこんな噂が伝えられた。
「あの雷の落ちたときには、大きい雷獣が駈けまわっていたそうだ」
 落雷の時には雷獣が一緒に落ちて来て、襖障子や柱などを掻き破ってゆくということは、その時代の人々に信じられていた。その雷獣を見たのはおかんという下女であった。かれは宇都宮在の生まれで、子供のときから日光附近の大雷に馴れているので、ほかの人々ほどには雷を恐れなかったらしい。勿論、落雷の刹那には、両手で自分の耳をおさえて、女中部屋にうつ伏していたのであるが、蔵のまえが俄かに昼のようにあかるくなって、そこに落雷したことを知った時に、かれは誰よりも先にその場所へかけ付けると、まず彼女の眼にはいったのは、一匹の怪しいけものがそこらを駈けまわっていたことであった。獣は稲妻のように忽ちその影を消してしまって、あとに残されたのは若い男と女とが正体もなく倒れている姿であった。おかんは声をあげて、うちじゅうの人を呼びあつめた。
 おかんのほかに誰もその正体を見とどけた者はなかったが、尾張屋の人々もその雷獣の話を信じた。近所の人々も怪しまなかった。雷獣の噂はそれからそれへと伝えられたが、ちょう役人たちもそれを疑わなかった。雷獣のゆくえは勿論わからなかった。
 お朝の二七日にしちにちは七月七日であったが、その日はあたかも七夕たなばたの夜にあたるというので、六日の逮夜たいやに尾張屋の主人喜左衛門は親類共と寺まいりに行った。重吉も一緒に行った。かれはお朝と運命をともにすべくして無事に助かった幸運の男であった。参詣がすんで、七ツ(午後四時)過ぎに寺を出る頃から、空の色が俄かにあやしく黒ずんで来たので、この町内へはいる頃から大粒の雨がばらばらと落ちて来た。あわてて店へ逃げ込む途端に、大きい稲妻が一つ光った。つづいて雷が鳴り出した。
「早く雨戸をしめろ」
 喜左衛門は指図して、家じゅうの雨戸を厳重に閉めさせた。このあいだの出来事から雷というものに対する恐怖心の一段と強くなっている尾張屋の者どもは、総がかりで、雨戸をしめた。障子をしめた。蚊帳かやを吊った。線香をとぼした。雷に対する防備を手落ちなく整えた頃には、雷雨がだんだんに烈しくなって来て、厳重にしめ切った雨戸の隙き間からも強い稲妻がたびたび流れ込んで、人々のおびえている魂をいよいよおびえさせた。暮れ六ツ頃から雨は土砂ぶりになった。雷はこの近所へ二、三ヵ所も落ちたらしかった。人々は自分たちの部屋に閉じ籠って、蚊帳のなかに小さくなっていずれも生きた心地もなかった。
 雷雨は五ツ(午後八時)過ぎにようやく止んだ。それで人々もほっと息をついて、しめ切った雨戸などを明けはじめると、さらに又思いもよらない椿事ちんじ出来しゅったいしているのに驚かされた。先度とおなじ蔵のまえに、かの重吉が死んでいるのであった。かれの顔や手先は所嫌わずに掻きむしられていた。
 かれも雷獣に襲われたらしかった。今度は尾張屋に落雷しなかったが、近所に落ちた雷獣がここへ飛び込んで来たのかも知れないという説もあった。このあいだの事件のあった矢先であるので、重吉の死は雷獣の仕業であると決められてしまった。

 神田三河町の半七は、子分の庄太からこの報告をうけて首をかしげた。
「天災といえば仕方もねえが、そう立てつづけて一軒のうちたたるのもおかしいな。その重吉というのはどんな男だ」
「主人の遠縁のもので、日光辺の生まれだそうです。年は二十一で、五、六年まえから尾張屋の厄介になってやっぱり店の仕事を手伝っているんですが、どっちかというと孱弱かよわい方で、米屋のような力仕事には不向きなので、遊び半分にぶらぶらしているようでした」
「尾張屋には死んだ娘と主人のほかに誰がいる」と、半七は又いた。
 庄太の説明によると、尾張屋は近所でも内福という噂を立てられているが、その家族は多くない。女房のおむつは先年世を去って、ほんとうの家族というのは主人の喜左衛門と娘のお朝の二人だけである。ほかには彼の遠縁の重吉と、下女のおかんと、米きが二人と小僧が一人と、あわせて一家七人暮らしであるが、喜左衛門は手堅く商売をしているので、世間の評判も悪くない。娘のお朝も先ず十人並の娘で、これまでに悪い噂もなかった。なにしろ親ひとり子ひとりの尾張屋で、その跡取り娘をうしなった喜左衛門のかなしみはひと通りでない。ほかから養子をするか、それともかの重吉をひきあげて相続人にするか、それもまだ決まらないうちに重吉もまた死んでしまったのは、かさねがさねの不幸であった。
「そこで、尾張屋の親類のうちに誰か婿にでもなりそうな奴があるのか」と、半七はまた訊いた。
「さあ、そこまでは知りません」と、庄太は頭をかいた。
「じゃあ、すぐにそれを調べてくれ」
「ようがす」
 庄太はうけ合って帰った。
 それから三日ほど経って、庄太は再びたずねて来て、尾張屋の親類一門はみな子供に縁のうすい方で、どこにもよそへやるような男の子はない。ただ本所松倉町まつくらちょうに商売をしている三河屋に二人の娘があるので、あるいはその妹娘を尾張屋へくれることになるかも知れないと報告した。
「そこで、その三河屋というのはどんな奴だ」と、半七は訊いた。
 三河屋は夫婦ともに揃っているが、これも近所では評判のいいうちであると庄太は云った。殊にこの家は尾張屋よりも身代が大きいので、妹娘には婿を取って分家させる筈になっているのであるから、果たして素直すなおに尾張屋へくれるかどうだか判らないとのことであった。
「そうか」と、半七はうなずいた。「じゃあ、三河屋へ手をつけるにも及ぶめえ。すぐに尾張屋のおかんという女を引き挙げろ」
「尾張屋の女中を引きあげるのですかえ」
「むむ。あの女がどうも胡乱うろんだ。年は幾つで、どんな女だ」
「おかんは二十三で、五年まえから奉公しているんだそうですが、ちっとも江戸の水にしみねえ女で、どうみても山出しですよ」
「おかんは日光、重吉は宇都宮、おなじ国者くにものだな。女は二十三、男は二十一。よし、わかった。おれも一緒に行く。すぐにその女を番屋へ連れて来てくれ」

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