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白蟻(しろあり)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-29 7:24:07 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


「ですから、催眠心理の理論だけから云っても、その場去らず、母の眼を見ると同じ昏迷に、あの男は陥ってしまうのです。さあ、どのくらい長い間、その場にじっとしていることでしょうね。いいえ、そうしているうちに、あの男はだんだんと動くようになってくるのです。なぜなら、月が動くにつれて、左側の方からその高代という像が、しだいに薄れていくのですから、当然身体が、右の方に廻転していく道理でございませんか。そして、まったく消え去る頃には、あの男は廊下の中に出てしまうのですが、そうすると、またそこには別の高(たか)の字が待ち設けていて、あの男をぐんぐん前方に引き摺っていくのです。それが、この稚市(ちごいち)なんでございますわ。私は、時江さんが仔鹿(かよ)の胴体に描いたものに暗示されて、一つの奇怪きわまる写像に思い当ったのでした。と申しますのは、この置燈籠のような身体に、一つは背の中央、一つは両股(また)の間に光りを落しますと、それが高(たか)と同じ形になるのではございませんか。そして、この子の身体は闇の中に浮き上がりますし、それに、両股の間からくる光りに怯(おび)えて、階段を這い上がるに相違ないのですから、それに惹(ひ)かれて、あの男が歩んでまいりますうちに、いつか廊下が尽き、それなり下に墜落してしまうのです。ところが、その場所には、横に緩く張った一本の綱がございます。そればかりか、それにはなお、狭い間隔を置いて縦に張った二本が加わっておりますので、あの男の頸がその中央(まんなか)辺に落ちれば、否応(いなおう)なくちょうど絞索(こうさく)のような形が、そこに出来上がってしまうでしょう。貴方の空骸(なきがら)は、そうしてグルグル廻転しながら、息が絶えてしまうのです。でも、どうしたということでしょう。いつもなら今時分には一度、きまって眼を覚ますのですが……」
 滝人の頭は、しだいに焦躁(いらだ)たしさで、こんがらがってきた。もしこの機会を逃したなら、あるいは明日にも、十四郎は片眼の繃帯を除(と)らぬとも限らないのである。そうしたら、完全に犯罪を遂行する――あの嫌らしい呼吸や、血に触れることなくなし了せる機会は、永遠に去ってしまうに相違ない。そう思うと、滝人の前には、陰鬱な壁が立ちはだかってきて、たまらなく稚市の、獣のような身体が憎くなってきた。が、その時、カサリという音が、十四郎の寝間の方角でしたかと思うと、滝人の心臓の中で、ドキリと疼(うず)き上げたような脈が一つ打った。すると、熱い血が顳※(こめかみ)に吹き上げてきて、低く息の詰まったような呻きが口から洩れたが、その息を吸いこんだ胸は、膨らんだまま凍りついてしまい、そのまま筋一つ、滝人の身体の中で動かなくなってしまったのである。それから、二度ばかり、あるいは枯草のざわめきかと思われるような音がした。けれども、滝人の神経は、その微細な相違も聴き分けられるほど鋭くなっていて、それを聴くと、むしろ本能的に、眼が廊下の桟窓に向けられた。もうそこには、大半月の光が薄れ消えていて、わずかに階段よりの一部分だけ、細い縞のように光っている。時やよし――その瞬間滝人は、自分の息に血腥(ちなまぐさ)い臭気を感じた。すると、その衝動が大きな活力であったかのごとく、手足が馴れきった仕事のように動きはじめた。まず、稚市(ちごいち)を階段の中途に裾えて足で圧(おさ)え、隠し持った二本の筒龕燈(つつがんどう)を、いつなんどきでも点火できるよう、両手に握り占めた。そして、試みにその光りを、稚市(ちごいち)の上に落してみると、怯えて※(もが)きだした変形児の上に、はっきりとあの魔の衣裳――高の字が描き出されるのではないか。しかし、そのまま灯を消して、次の本当の機会を、滝人は待つ必要がなかった。ふと廊下を見ると、その時そこの闇が、すうっと揺らいだような気がした。と、鈍い膜のかかったような影法師が現われて、廊下の長板が、ギイと泣くような軋みを立てた。
 いまや真夜中である。しかも、古びた家の寂(ひ)っそりとした中で、そのような物音を聴いたとすれば、誰しも堪えがたい恐怖の念に駆られるのが当然であろう。かえって滝人には、それが残虐な快感をもたらした。彼女は圧えていた足を離して、稚市を自由にすると、この不思議な変形児は、両股の間に落された灯に怯え、両手で手縁(てべり)の端を掴(つか)んで、しだいと上方に這い上がっていく。その時、滝人の胸の中で、凱歌に似た音高い反響が鳴り渡った、と云うのは、稚市の遠ざかるにつれて、廊下がミシミシと軋みはじめたからだった。そして、輪廓のさだかではない真黒な塊に、徐々と拡がりが加わってくるのだったが、しかし、子が父を乗せた刑車を引いて絞首台に赴くこの光景は、もしこのとき滝人に憐情の残滓(かす)が少しでもあれば、父と子が声なく呼び合わしている、痛ましい狂喚を聴いたに相違ない。が、滝人は素晴らしい虹でも見るかのように、その情景を恍惚(うっと)りと眺め入っていた。そして、自分が上がった階段の数を数えて、もうほどなく十四郎の前に廊下が尽きるのを知ると、彼女はその刹那(せつな)、襲いかかった激情に、押し倒されたかのごとく眼を瞑(つむ)った。と、プーンという弓を振るような響が起って、土台がからくも支えたと、思われるほどの激動が朽ちた家を揺すり上げた。すると、家全体がミシミシ気味悪げに鳴り出して、独楽(こま)のように風を切る音が、それに交った。しかし、その物音も、しだいに振幅を狭めて薄らいでくると、滝人はそれまでの疲労が一時に発して、もう何もかも分らなくなってしまった。しかしついに事は成就したのである。
 そうして、どのくらいの時間を経た後のことか、滝人の頭の中で、微かながら車輪のような響が鳴り出した。それは、挾まれた着物の端が、歯車の回転につれズルズル引き出されてくるといった感じで、何やら意識の中から眼醒めたいような感情が、藻掻き抜けてくるように思われた。すると、自分の現在がようやくはっきりとして、今まで一つの瀬踏(せぶ)みしかしなかったことに、彼女は気がついた。そして、新しい勇気を振り起すためには、何より、その瀬踏みの跡を検分することだと思った。催眠中の硬直がそのまま持ち越され、屍体は石のように固くなっていたが、顔には、静かな夢のような影が漂い、それは変死体とは思われぬ和(なご)やかさだった。そのぶらりと下った足を、滝人は振子のように振り動かして、やがて止まると、先刻(さっき)振子を見た時の十四郎みたいに、身体をいきなりしゃちょこばらしたりして、しばらくの間、その物凄い遊戯を酔いしれたように繰返していた。が、やがて滝人は、例の病的な、神経的な揺すり方をして、肩でせかせか嗤(わら)いはじめた。
「これなんです。お前はこれでいいんですよ。そして、お前の下手人には喜惣が挙げられて、あのお母さまも、喜惣の手にかかったということで、結論(けり)がついてしまうのです。なんのことはない、泉を騒がす蛙を一匹、私が捻(ひね)ってしまったまでのことだ。私は、どんなにか永いこと、あの泉の側に立って、そこに影を映しにくる。娘が現われるのを待っていたことでしょう。ところへ、お前がその畔(そば)で、荒い息遣いをしたり、飛び込んだりなどするものだから、いつも泉の面が波紋で乱れていて、きまって抱き寄せようとすると、あの娘の姿は消え失せてしまうのでした。だけど、とうとうこれで、夢から愕然と醒めるようなことはなくなってしまうだろう。いいえ、どんなに私をお嫌いな神様だっても、お前が犯人だ――と、私に指差しはできないでしょうからね。だって、考えてごらんなさい。二本縦に渡した綱を取り去ってしまったら、ぐるぐる回転して、頸(くび)筋に結節ができている屍体を、どうして自殺と考えるでしょう。あの二本の綱――いっこう埒のなさそうな趣向一つにも、じつは千人の神経が罩められているのです。一本の横に張った綱だけでは、とうていあの窪みができるはずはないのだしね。結局戸外で絞殺(しめころ)したものを運び入れて、自殺を装わせたという結論になってしまうのですよ。どこにも地面には、引き摺ったらしい跡はないのだし、あの重い屍体の持ち運びができる人物と云ったら、どうしたって、まず喜惣以上[#「以上」底本のまま、「以外」と思われる]にはないじゃありませんか。それに――ああまったく、私には魔法の力がついているんじゃないかしら。きっと真相を知らない捜査官達は、死後経過時間が因(もと)で、とんでもない誤算をやるにきまっているんです。ですから、兇行の時刻がそんな具合で三四時間も遡(さかのぼ)ってしまうことになると、当然私の手で、その時刻を証明するものを作り上げねばならないでしょう。それが、お前を地獄に突き入れた、あの時計なんですよ。つまりお母さまの息の根は、振子の先についている長い剣針で止め、それから、停まっている時刻を、ちょうど九時半頃にしておくのです。そうすると喜惣の行動が、少しの中断もなく説明できるでしょうからね。最初兄を誘い出す際に、隙を見て振子を手に入れた――と。それから、戸外(そと)で絞殺(しめころ)して、屍体の首を綱にかけ、その後暁(あかつき)近くになって母を刺し殺した――と。なお、都合のよいことに、喜惣は白痴なんですわ。そして私の口からでも、兄の死後――云々(うんぬん)の事が述べられたなら、人並性欲の猛りが激しい白痴の所業として――てっきりそんな常軌一点張りな筋書でも、捜査官を頷(うなず)かせてしまうことと思われます。しかしそれには、ただ針をぐるぐる廻しさえすればよいのです。八時――九時――それから長針を六時の所にさえ置けば……つまり、その八、九、六ですべてが終ってしまうのです」
 八、九、六――その唸(うな)りが、それが一匹の蠅ででもあるかのように、頭の中を渦巻いて拡がっていった。すると、滝人は不意に胸苦しくなってきて、何か忘れてならないものを忘れているのではないか――となんとなく鬱然とはしているけれども、それでいて鈍く重たげな、必ず何かあるぞあるぞ――といったような不安を感じはじめてきた。しかし、どう焦ってみても、結局蠅の唸りのようなものに遮られて、滝人はその根源を確かめることができなかった。そして、しだいに時刻も迫ることとて、もう少し静かにして――と思ってみても、それが彼女には許されなかったのである。滝人は、指針を廻すのをまず後廻しにして、そっと振子だけを手拭いにくるみ、それから、くらの寝間に赴いた。
 しかし、そこにも光はなかった。暗さという暗さを幾層にも重ね合わせたように、しぶとい暁前の闇が行手を遮っているのだった。そこで、滝人は決心をして、雨戸のうえの桟窓を、そっと細目に開いた。すると、蜘蛛(くも)糸のような一条(ひとすじ)の光線が隙間から洩れて、それが蚊帳(かや)を透し、皺ばった頬のうえに落ちた。滝人はしばらく動悸(どうき)を押さえ、死の番人のように、その顔を黙視していた。が、やがて眼が微光の眩(ひらめ)きに慣れるにつれて、それが疑いもなくくらであり、しかも歯のない口をあんぐりと開いて、そこからすやすや、寝息が洩れているのを知った。と、滝人の手が――こうも一つの殺人が神経を鈍麻させたかと思われるほど――機械的に動いていって、振子の上に布片(ぬのきれ)を幾重にも捲き、その先の剣針を歯齦(はぐき)の間に置いて、狙いを定めくらの咽喉(のど)深くにグサリと押し込んだ。そして、素早く掻巻(かいま)きを顔の上に冠(かぶ)せて、滝人はその上にのしかかったが、むろん振子のために舌が動く気遣いはなく、わずかに四肢を、ぶるると顫(ふる)わせたのみで、動かなくなってしまった。こうして、一尺と隔たっていない所に、時江を置いての不敵きわまる犯行が成功を遂げ、もはや滝人は、凱歌を包み隠すことができなくなってしまった。戸外に出ると、対岸の山頂が微かな光に染み、そこから夏の日特有の微温(ぬく)もった曙(あけぼの)が押し拡がろうとしている。星は一つ一つ、東空から天頂にかけて消え行ったが、それが三つになったとき、ふと妙な迷信的な考えに襲われた。滝人は、後の一つを見まいとして、眼を瞑(つむ)った。しかし、その真黒な瞳の中で、やはり同じような叫びを、時江が彼女に答えてくれるのを、しみじみ聴いていた。滝人は、慄(ぞ)っと擽(くすぐ)られるような幸福感に襲われたが、またあの病苦がしんしんと戻ってきて、一つ残された義務を果さねばならないのに気がついた。十四郎の寝間には、もう死の室(へや)のような沈鬱さを、滝人は感じなかった。しかし、長針をぐるぐる廻して、それから、
「八――九――それから最後には、長針を六時に……」と滝人が、針をぴたりと垂直に据え、盤面から指を引いたときだった。そのとき不思議な事には、あれほど逐(お)いきれなかった蠅の唸(うな)りがピタリと止んでしまい、その蔭から、滂沱(ぼうだ)と現われ来(きた)った不安が、彼女を覆い包んでしまった。最初そこから低い囁きが聴え、しだいに高まってくると、やがて圧したように、滝人を動けなくしてしまったのである。しかし、彼女の病的な神経は、いちいちその相手になって、たまらない応えを喋(しゃべ)りはじめた。
 鉄漿(はぐろ)――あるいはそうではないかしら。たとえ黙語にしても、その一番強い発音が声帯を刺激するとどのように類似した言葉でも、その印象の蔭に、押し隠されてしまうと云うではないか。その忘却の心理には、きわめて精密な機構があって、同じ発音の言葉でも、抑揚(アクセント)が違う場合には、一時ことごとく記憶の圏外に擲(な)げ出されてしまう。そうではないか。したがって(八(はち)[#「八」ゴシック体]――九(く)[#「九」ゴシック体]――六(ろく)[#「六」ゴシック体]と)記憶をしいた一連のうちで、冒頭のは[#「は」ゴシック体に傍点]とく[#「く」ゴシック体に傍点]とろ[#「ろ」ゴシック体に傍点]が、あるいは盲点を、鉄漿(はぐろ)という観念の上に設けていたかもしれないのである。そうすると滝人には、鉄漿に関する知識が泉のように溢れてきて、あの皺に見えたというのも、その実、鉄漿かぶれ(鉄漿を最初つけたときに、あるいは全身に桃色斑点を発することがあるけれども、それは半昼夜経つと消えてしまう)の斑紋だったかもしれないし、また歯が脱けていて、そこが洞(ほら)のように見えたというのも、あるいは歯抜けの扮装術(「苅萱桑門筑紫蝶」その他の扮装にあり)そのままに、鉄漿(はぐろ)の黝(くろ)みが、洞のごとく見せかけたのではなかったであろうか――などとさまざまな疑心暗鬼が起ってくると、それが抗(あらが)いがたい力でもあるかのごとく、滝人の不安を色づけていった。と、そのとき御霊所の中から、朝の太鼓がドドンと一つ響いた。そして、滝人の不安は明白に裏書され、彼女は歓喜の絶頂から、絶望の淵深くに転げ落ちてしまった。なぜなら、その太鼓というのが、朝駈けのくら以外には打つことのできぬ習慣(しきたり)になっていたからである。
 人間心理の奇異(ふしぎ)な機構が、ついに時江を誤殺した――その一筋の意識も、ほどなく滝人には感じられなくなってしまった。もはや何の心労もなく、望みもなく疼(うず)きもしない彼女には、額に触っている、冷たい手一つだけを覚えるのみであった。時江は十四郎そのものの正確な写像であり、滝人の全身全霊が、それにかけられていたのではなかったか。そのように、最後の幻までも奪い去られたとすれば、いつか彼女には黴(かび)が生え、樹皮で作った青臭い棺の中に入れられることもあろう。が、その墓標に印す想い出一つさえ、今では失われてしまったではないか。
 それからほどなく、早出に篠宿(しのじゅく)を発った一人の旅人が、峠の裾はるか底に、一団の火焔が上るのを認めた。しかし、その人は、家が焼けているのみを知って、その烟(けむり)とともに、消え去って行く悲劇のあった事などは知らなかったのである。



底本:「小栗虫太郎傑作選II 白蟻」現代教養文庫、社会思想社
   1976(昭和51)年9月30日発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:酔尻焼猿人
校正:条希
ファイル作成:野口英司
1998年7月11日公開
2001年2月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


●表記について

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

淫羊※(いかりそう)

第3水準1-91-37
その眼は強く広く※(ひら)かれていた

第3水準1-88-85
手足をバラバラに※(もぎ)って

第3水準1-84-80
顳※(こめかみ)

第3水準1-94-6
怯えて※(もが)きだした

第3水準1-92-36

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